付喪神と、

榠樝

1.琵琶太郎

 ウチには琵琶がある。古い物で、私の曾祖父だか曾祖母だかが弾いていたらしい。

 別に高い物ではないが、それは和室の床の間にちょこんと鎮座している。

 いつからだろう。それが喋るようになったのは。

「結。結ー。ゆーい、結ってばてめぇ聞こえてんだろ返事くらいしろやこのアバズレ」

「誰がアバズレじゃクソ琵琶弦ぶった切んぞ」

「怖っ。新社会人のセリフじゃねーだろそれ」

「あんたの喋り方も古い琵琶のもんじゃないでしょ」

「日々現代化してくんですー日進月歩なんですー」

「退化してよ少なくとも喋るのやめてよ……」

 はぁ、と溜息を吐いた。それでも琵琶太郎(私が勝手にそう付けた)はぎゃーぎゃー騒いでいる。うるさいし面倒い、と私は和室を出た。


 ◆◆◆


 小さい頃は、喋ってなかったと思う。もしかしたら喋っていたのがわからなかっただけかもしれないが。

 いつだったか、小学校から帰って、宿題を和室でしていた時だった。算数がわからなくてもーやだ、と、転がった時、「何が」と声がしたのだ。

 びっくりして飛び起きた。その時家には誰もいなかったと思う。少なくとも和室には私一人だった。きょろきょろしていると「こっち、床の間」と言われた。

 見てもそこには琵琶があるだけ。不思議に思いながら、今思えば全く怖がることもなくただただ不思議だという気持ちだけでそれに近付いた。

 すると「そうそう、俺」と言われたのだ。どこから声がしているのかわからず、子供に対するドッキリかなとかひどく冷めた頭で琵琶を触ったりひっくり返したり叩いた。そうしたら怒られた。

「痛いわ叩くなコラ。子供だからって容赦しねーぞ!」

 またびっくりして琵琶を投げた。ごん、となかなかに良い音がして「丁重に扱えや!!」と怒鳴られた。

 怖くて遠くから手を伸ばして鉛筆で突いた。やっぱり怒られた。

「お前付喪神様にいい態度してんな本当!突くな!」

「は?え?な、何?え?誰?いたずら?ドッキリ?」

「違うわ。付喪神。……知らんか」

「つくもがみ……」

「そ。長く使われた物に宿る魂。そして俺は琵琶の付喪神」

「はぁ……」

「反応薄くない?かっこいーとかすごーいとかなんない?」

 その時の私は心底よくわからなかったので生返事しか出来なかった。

 以来、この琵琶太郎はめちゃくちゃ話しかけてくるようになった。

 琵琶太郎というのはいつだったかどこかで適当に私が名付けた。もっと格好いいのがいい!とか言われたけど無視した。どうせ私しか呼ぶ人がいないので文句を言っても仕方ないし、そもそも基本的に「あんた」とか「こいつ」としか呼ばなかったので諦めたらしい。

 そして琵琶太郎の声は私にしか聞こえない。正月なんかで家族や親戚が和室に集まっていても、誰も琵琶太郎の声に反応はしなかった。

 余談だがその集まりで琵琶太郎が延々と「あのお前の伯父さんだっけ?年々額広がってね?」だの「お前の姪っ子将来絶対バンギャなるよな」とか「あのおっさんまだ生きてんの?」とかわけのわからない話をし続けるのを真顔で聞き流さざるを得なくて表情筋と腹筋がとても鍛えられた。

 閑話休題、そんなわけでこの琵琶太郎は私に延々と話しかけてくるのである。

 和室にいなければいい、と思うかもしれないがこいつの声は思いの外でかい。声というよりはテレパシーとかの類かもしれない。台所にいても自分の部屋にいても聞こえるから。

 しかしそんな生活ともおさらばだった。この春、私は県外に就職が決まった。

 なので引っ越しの準備をしていたのだが冒頭のセリフに腹が立ったので和室に乗り込んだのだ。

 とりあえずうるさいと文句を言いつつキレたので部屋を出てきたけどあいつ何で呼んだんだろう。聞かなかったわ。

 まぁいいや、と部屋に戻って荷造りを進める。来週には引っ越しなので、急がねば。


 ◆◆◆


 あっという間に時間は過ぎて、今日は引っ越しの日。あれから琵琶太郎はちょくちょく私を呼んだけど毎度喧嘩になった。そしてやっぱり理由は聞かなかった。忘れていたというか藪蛇になるのも嫌だったというか。

 これでもうわけのわからない呼び出しに悩まされることも無ければわけのわからない言い合いをする必要も無い、と安心した。

「それじゃあね」

「おー。俺がいなくて寂しくても泣くなよ」

「清々するわ」

「こっちのセリフだ」

 そんな風にして、私は生まれ育った実家を出た。 


 ◆◆◆


 入った会社は食品系だった。営業である。

 本当は違う会社に入りたかったけれど、このご時世、選んでいられなかったので色々と受けた。別に興味が無い業種というわけでもなかったので、これもまたご縁だろうと言い聞かせている。

 入社してからの数ヶ月はあっという間に過ぎた。新人研修や、慣れない一人暮らし。学生とは、実家とは全然違うということを思い知らされた。

「つっかれたー……」

 残業でないのが救いか。先輩や上司はもっと遅くまで残っている。新人は残ってもまだ出来ることが少ないので、結果早く帰れる。

 けれど自分も一年もすればああなるのかなと思って、少し嫌だった。元々マンガやゲームが好きだったけれど最近は全然読めてないしゲームもしてない。それよりも寝たかった。

 こうして大人になるんだろうとかこれが普通なんだと言い聞かせて、着替える。さっさとシャワーを浴びよう。


 ◆◆◆


 シャワーを浴びて出ると、チャイムが鳴った。何だろうと出てみれば宅配便だった。異常に大きな箱を持った宅配の人が「お名前間違いありませんかー?」と訊いてくる。

 お届け先にある名前は妹尾結。確かに私宛だ。それを確認してサインをして箱を受け取る。

 重たい、と差出人を見れば妹尾明子。母の名前だった。

「わー、何だろ」

 仕送り的なあれですね、と嬉しくなりながら箱を開けた。一番上に謎の布で包まれた何かが入っていた。布越しでもわかる、見覚えのある形。そっと布を開けるとやっぱり琵琶が入っていた。とりあえず閉めた。

「っオーイ!!閉めんな!開けろ!何時間このまんまだったと思ってやがんだてめぇコラ!!」

「嘘でしょ……」

 愕然としながら箱を開ける。どう見ても琵琶太郎です本当にありがとうございました。

「久しぶりだな。ちゃんと飯食ってんのか?」

「ああ、うん……ええ、何で」

「お前が寂しがってんじゃないかと思ってな」

「いやいいです……あ、もしもし母さん?」

 片手で母に電話した。すぐに出てくれたので助かった。

『あら結、どうしたの?』

「どうしたのじゃないよ。宅配便届いたんだけど」

『届いた?よかったわ。野菜とかお米とか入れておいたから食べてね』

「ああ、うんありがとう。けどそうじゃなくてさ」

『琵琶でしょう?』

「そう、それ。何で琵琶た……琵琶が入ってんの」

 うっかり琵琶太郎と言いそうになって止まる。私がそんな名前をつけているなんて言ってないから知らないだろう。

『それがねぇ、……その琵琶、鳴るのよ』

「は?」

『あんたの話してる時とか、鳴るようになってね……』

「…………」

 無言で琵琶太郎の方を見る。顔があるわけではないから何もわからない。けど琵琶太郎は小さく弦を鳴らした。こんな感じ、じゃないわ。

『それでね、きっとあんたが恋しいんだと思って……』

「いやお寺とかに持ってってよ。御祓い受けさせてよ。何で娘のとこに送りつけるの」

『祟られても嫌だから……』

「娘が祟られる可能性とかなかった?」

『あー……。若いから大丈夫かなって……』

「何が!?」

『まぁ、ほら、ね、何ならそっちで御祓いに出してもいいから。それじゃあね、年末くらいには帰ってらっしゃいよ』

「わ、わかった……」

『じゃあね。また何かあったら連絡ちょうだい』

「はーい……」

 それじゃ、と電話はあっさりと切られた。琵琶太郎は「これからよろしくな」と軽く言った。


 ◆◆◆


 琵琶太郎がやって来て、何か変わったことがあるかと言えばそこまでは無かった。喋るけど生きてるわけじゃないからご飯の支度をするとかいう必要も無い。放っておくだけでいい。

 晩ご飯の時には「またコンビニ弁当かよ自炊しろよ」とか言われるけど無視した。何なら布で包んだら大人しくなった。実家にいる時はこんな布なんて無かったし、怒られそうだったから出来なかったけど。一人なら気兼ねなくそういうことが出来た。

「なー結ー」

「何」

「お前まだ寝ないのか?」

 時刻は二十三時。私は明日使うプレゼンの資料と睨めっこしていた。

「まだ細かいとこ覚えてないから」

「それ見ながらやるんじゃないのか?」

「見ながらやるけど、でも殆ど見ない。その場でおろおろ探したらみっともないでしょ」

「大変だねぇ」

「そうよ大変なの。実家に送り返していい?」

 ここのところ琵琶太郎はずっとこうだ。私が遅くまで起きていたらこうやって文句を言ってくる。そろそろ鬱陶しい。

「やだよ。折角お前のとこ来れたのに」

 そういえば、何でこいつはウチに来たんだろう。それもポルターガイストみたいなことをしてまで。

 思ったままに、訊いてみた。

「何でわざわざウチ来たの?」

「何でって……。……さぁ?」

「何それ」

「……お前がいなくなって、あの家静かなんだよ。そんで暇だからさ」

 確かにあの家に私以外、琵琶太郎の声が聞こえる人はいない。父や母に話しかけても何の反応も無いだろう。

「……寂しかったの?」

「は?そりゃお前だろ。慣れない一人暮らしでさぞ寂しいだろうと思ってな」

「だからって来ないでしょ。年末とかまで待ってよ」

「…………」

 多少ばつが悪いのか、琵琶太郎が静かになった。「さっさと寝ろよ」と言い残して。

 それが何だか可愛く見えてしまった。


 ◆◆◆


 仕事が忙しい。慣れてきたからと少しずつ量が増えて、少しずつ帰る時間が遅くなる。終電ではないけれど、それくらいの時間の電車に乗り込んで帰る日々。休みは死んだように眠りこけて、気付けば日曜の夕方。あっという間に時間が過ぎていく。

 今日もそうだった。明日は休みだからと少し長めに残って、終電で帰ってしまった。

 コンビニで適当なご飯とお酒を買って帰れば、琵琶太郎の「おかえり。でも遅い」という言葉で迎えられた。

 仕事なのよしょうがないでしょ、と言いながらシャワーを浴びた。お腹は空いてるけど食べる気がしない。明日でも食べようと買ってきたお弁当を冷蔵庫に納めてベッドに横になった。

「もう寝るのか」

「今日は疲れた……」

「そうか。……なぁ、結」

「何」

「……毎日楽しいか?}

「は?」

「昔はさ、お前よく和室で遊んでたじゃん」

「……そうだっけ」

「うん。そんでノートに何か色々書いててさ。俺手も足も無いからよ、楽しそうだなーって羨ましかった」

 琵琶太郎の言葉で思い出す。そういえば、そうだった。

 小さい頃から空想癖があった私は、自由帳やノートに色々とお話を書いていた。今思えばそのどれもが荒唐無稽で、子供の空想でしかなかったけれど。

「もう書いてねーの?」

「……うん」

 いつからだろう。そんなもの、書かなくなった。学生の頃だったっけ。いわゆるオタクとか、そういう風に見られたくなくて書くのをやめた。頭の中で考えたりはしていたけど、形にはしなくなった。

 ここのところは忙しくてそれどころじゃない。書きたいとさえ、思わなくなってしまった。

「もう書かねーの?」

「…………」

 うん、と頷くつもりが止まった。何故か、頷きたくなかった。

「また聞かせろよ」

「え?」

「お前の話、面白かったし」

「……話したことあったっけ?」

「忘れたのかよ。お前よくこんな話思いついた、とかこんなお話どうかなとか言ってたじゃん」

「…………」

 朧気な記憶が蘇る。そういえば、そうだった。うるさいとか文句を言いつつも、一人っ子だったこともあり、よくこいつ相手に話していた。急に襲って来た黒歴史に頭を抱える。

「気が向いたらまた書けよ」

「……やだ」

 今更出来るか、と返した。けどあのお話の最後はどうしたっけ、とか、自分で作った割に好きだった話とかあったなと思い出す。するとふ、っと何かを書きたい衝動に駆られた。

 といっても別に何のネタも無い。昔はそれこそ毎日のように色々と考えていたのに。

 そんなことを思い出しながら、睡魔に負けた。


 ◆◆◆


 朝、妙にすっきり目が覚めた。疲れ果てていたはずなのに。

「お、起きた。おはよう」

「……おはよ」

 適当に返して顔を洗いに行く。ちょうどいい。洗濯と掃除もしよ。

 普段なら早く起きても二度寝したりして昼か夕方かまで寝てるのに、何故か起きようという気になった。

「……はぁ」

 すっきりした部屋。散らかしていたわけではないけれど、あんまり掃除機もかけなかったから淀んだ感じだったのがなくなった。……カーテンを開けて窓を開けたからかもしれないけど。

「綺麗になったじゃん」

「うん。久しぶりにすっきりした」

 でも別に何かするわけでもなく、パソコンを開いた。

「何すんの?」

「んー、何しようかな」

 開いたのは文章作成ソフトだ。真っ白なそれを見ていると、新しいノートを買ってもらった時の気分を思い出した。何を書こう、あの続きを書こう、こんな話はどうだろう。あの頃は真っ白なページを見ているだけで色々思いついたのに、今はそうはいかない。

 難しいな、と思ってふと琵琶太郎に目がいった。

(……“ウチには琵琶がある。”かな)

 かたかた、とキーボードを叩いた。どんな話になるだろう。けどオチを考えて書き始めたことなんて無かった。

 何でもいいや。どうせ肩慣らしみたいなものだと思いつくままにキーボードを叩く。

「……どんな話書いてんの?」

「何で話だってわかるの?」

「結が笑ってるから」

「…………」

「楽しそうで何より」

「……あっそ」


 ◆◆◆


 かたかたと打ち込んで、出来上がったのは五千字程の小品だった。

「出来た?」

「うん。疲れた」

 はぁ、とクッションに転がる。仕事の疲れとは違う、不思議に心地いい疲労感だった。夢中で文章を紡いだのが久しぶりで、だいぶ文体が変わっている。

「どんなの書いたんだ?」

「うん、家に喋る琵琶がいる女の子の話」

 そう返すと琵琶太郎は黙った。もしも人間なら鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているのだろう。

「あんたのことを書いたことは無かったなって思ってさ」

「……ふーん。読んで聞かせろよ」

「嫌だよ。恥ずかしい」

「つーかオチは?お前死ぬの?」

「何で?」

「全く想像つかねーから」

「死なないよ。……何だかんだ、喋る琵琶がいるのが楽しい、ってとこで終わったから」

「……ふーん?」

「だから、オチも何も無いや」

「でも面白そうだ」

「そう?」

「お前の話が面白くないことは無かったからな」

「……そっか」

 全部覚えているのだろうか。あんなにくだらない、突拍子もない物語達を。

「……たまーに書くのもいいかもね」

「たまーに読み聞かせてくれよ。たまーにでいいからさ」

「気が向いたらね」

 いつになるかはわからないけど、と言えば「それでいいさ」と琵琶太郎は弦を鳴らした。


終.

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