似重市 彼岸花






【田んぼのあぜ道や土手に多く見かけるが、これはノネズミがあぜ道や土手に穴を開けるのを、彼岸花の毒性のある球根を植えることで防ぐ、という説と、彼岸花の根茎は強いため、田んぼのあぜ部に植えてあぜの作りを強くするためなどの説がある】


(参考文献:ニッポンの季節と暮らしを彩る花の文化史 花の七十二候(株式会社誠文堂新光社))










 微睡みの中でしかきっと。

 こんなにも長い時間の休息を手にしようとは、思わなかっただろう。










 夕焼け小焼けのおでましに。

 橙に染まる空と、舞子と、ひびなと、木箱二つと、橙に染まらぬ彼岸花。

 秋には一夜にして花茎が伸びて紅の花を咲かせ、冬には見慣れない葉だけがうっそうと生い茂る。


 毒々しい。


 花の印象を訊けばこう返されるのは、実際に毒を持つからか。

 あぜ道や土手同様に、墓地にも多く咲いているからか。

 紅の色だけではなく、蜘蛛の巣のようにあらゆるものを絡め捕ってしまいそうな形もまた。

 死者を導くような癒しを与えるでもなく。

 死者へと導く為ではないかと恐怖を抱かせ、敬遠されるのか。


 もしも、

 もしも墓地に植えられていなければ、毒々しいと言われはしなかったのだろうが。

 子々孫々受け継がれてきた思考は、そうは変えられないのだろう。


 天界の花で、見ていればおのずと悪業を離れると言われているのに、遠ざけられて、寂しい想いをしているのではないだろうか。






「常闇でさえこの紅は顕在だろうな」

「うん…私ね。彼岸花をよくよく見ていると、天ぷらみたいだなって思った」


 ひびなは、ふっと、柔らかく笑った。


「天ぷらか」

「そう。具材を黄金色の油の中に入れた時が、この反り返っている六枚の花弁を持つ六個の花。衣が広がっている時や、追い衣をする時が、この長細い雌しべと雄しべ」

「こっちに来てから、随分と食い意地の張った感想を持つようになったな」

「そうだね。生前は何でもいいって、自分も。自分の身の回りもよく見なかったね。身体も、食べ物も、服も、靴も、文房具も、家具も、家も。ひびなも」

「今は?」


 舞子は首を傾げた。


「微睡んでいた時は、ひびなとこのままずっと一緒にいるのも悪くないって思ってた。居心地のいい世界で、ゆっくり、ゆっくり歩くのも悪くない。そう思ったら」


 怖かった。

 ぽつりと舞子はつぶやいた。


「怖かったよ。ずっと変わらないって思ってたから。走って、走って、走って。終わりが来れば眠り続けるだけ。ひびなへの恩返しはずっと微睡んでいればいい。ひびなと花の話をし続ければいい。花を一緒に見ていればいいって」

「微睡むのに飽いたんだろう?」

「飽いたっ、て、いう、のかな。創りたくなった。走りたくなった。変わらなかった」


 ひびなは身構えた。

 僅かに固い雰囲気へ変えた舞子に。

 いらぬ言葉を告げようとしているのではないかと。


「ごめんって謝ろうと思ってた。多分。ひびなが望んでいたのは、ゆっくりゆっくり歩く自分じゃないかって。先に言っておくけど。ひびなが望んでいたから今までぽやぽやしていたわけじゃない。心身ともに疲れてただけだから」


 ひびなは腕を組もうとして、止めて、だらりと下ろしたまま、舞子の言葉を待った。


「散歩しながら、見合わせながら、並びながら、ご飯を食べながら、花の事を話したり、花を見たり、触ったり、座ったまま、寝転びながら、目をつむって匂いをかいだり。花だけじゃなくて、お互いの話も。全部、ゆったりとした時間の中で、お互いを意識しながら、過ごす事を望んでいるんじゃないかって。思っている部分もあるでしょ?」

「ああ」

「でも、それだけじゃない。走りまくる私でも、ひびなの花の創造する為の力になれてた?」

「疑問形にするな」

「うん」

「…見ていたかったんだ。舞子を。舞子の中に咲く雪柳がどう変化するのか。いや。変化していなくとも。見ていたかった。舞子と出会ってから、どんな花を見ても、その花だけに集中できない。雪柳が共に在った」


 ひびなは彼岸花の傍らに置かれた木箱に意識を向けた。

 二つの木箱。

 中身はもう。

 わかっている。


 ひびな。

 やわらかく。名を呼ばれ。

 やわらかく。風が吹いて。

 やわらかく。彼岸花が揺れる。




 雪柳。雪のように白いその小花の群集は、けれど儚さとは無縁の青々しさを持つ。

 年を重ねれば果たしてどうなるか。どう変化していくのか。変化しないのか。

 みたい。

 欲求の赴くままに。

 求婚する者と求婚される者との間柄のまま、舞子と共に過ごして、数十年。


 死が訪れた肉体は、儚さを伴った雪柳となった。

 死が訪れない魂は、青々しい雪柳のままだった。


 今もなお、




「ありがとう。走り抜けさせてくれて。ありがとう。私に変化を見せてくれて。ありがとう。優しい世界を体感させてくれて。ありがとう。共有するくすぐったさを教えてくれて」


 不思議だった。

 心は硬くなるのに、身体はやわらかくなる。


 ひびなは一つの木箱を抱える舞子を見て、別れを強く実感した。











 地面に咲いている時は無色透明。踏まれて勢いよく宙に飛び上がり百花繚乱の花を舞い散らす。そして、地面に落ち切ればまた無色透明に戻る。


 創造する花を当初より変更して、詳細を詰めて、ついに、完成させた。


 だから、




(お別れだ)














彼岸花:花言葉 悲しい思い出 想うはあなた一人 また会う日を楽しみに 情熱 独立 再開

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る