10.キンギョソウ : 日々是好日

「…おい」

「…ん」

「風呂に入ったな」

「…ん」

「出掛けるのか?」

「…んん」

「なら何故髪が油まみれなんだ?」


 髪が異様に光っているのを不審に思い、触ってみると。

 ベチョッの擬音語が手に粘りついた。

 出掛けるのなら整髪剤でも付けているのだろうと納得はできるがそうではないと言う。

 なら何だこれは?


「……文字が頭から滲み出てるから。もう少ししたらまた戻る」


 嘘つけとの盛大な呆れと変な病気に罹っているのではとの多大なる不安を撤廃する事になるのは、あと三十分後。





「夜中に笑い声が聞こえるのだが、あれは意識しているのか?」

「……脳を讃えている」

「………」

「こんなに情報を中に入れているのに飛び出したり壊れたりしないから」

「………」

「すごいなーって。ハイテンションになって。笑う」

「………」

「身体もいつも軽い。だから移動中にハイテンションになって。笑う」

「………」

「怖いって子どもに泣かれた事があった」

「………」


 ハイテンション時間に入ったのだろう。

 発音しづらい笑い声に、やはり魔女の血が混じっているのではと疑わずにはいられず。

 かつ、変な薬でも嗅いだり飲んだりしているのではと思うと気が気ではない。





(……大丈夫、だよな)


 土日。双方共に仕事が無いので一日中舞子を観察。

 かつ、念入りに家宅捜査を行うも、懸念すべきブツは見当たらず。

 心配させおってと、一人ごちるも。


「………なぁ。病院に行かないか?」

「………タクシーを呼ぶ」


 進んで病院を行こうとするその態度に、青褪める。

 もしかしてもしかしてもしかしてもしかして。

 どうしようどうしようどうしようどうしよう。

 の文字が永遠、繰り返される。



 ああ。

 頭が回る。




「こちらの力不足で原因を見つけられず。もう少し詳しく調べたいので入院をお願いします」


 頭を下げる医者。

 問答無用で寝台に寝かせる強面の看護人たち。


 どこそこに連れて行かれる、俺。




「知恵熱だ莫迦者」


 閻魔大王様の手厳しい張り手。


「ほんと生真面目と言うか不器用…捻くれ者と言うか」


 菜々子さんの息の詰まる鼻抓り。



「……変な鬼」


 舞子のむず痒い前髪の引っ張り。



 こちらの台詞だ莫迦者。

 悪かった。

 邪魔をした。

 もういいから帰れ。



 口には出さず瞼も閉じたまま。

 意識を舞子に傾け、まんじりと朝を待つ。





『昔。舞子を叱った事があるんよ。泣きながらな。不摂生が祟ってうちより先に死んでしまう。そんな親不孝、赦さへんで…てな』


『そしたらあの子。なんて言った思お?』


『親から生まれたからこそ』


『親が生きている間に一生を見せる方が親孝行だって』


『もお。なんも言われへんやった』


『納得も。少ししてもおた』


『納得する自分が、こわなった』




 もう自分で手折っていたのか。














 など。と、



 憂いを覚える事など無かったのだ。







 壮大な桜のように成長したユキヤナギ。


 刃よりも持ち手の方が遥かに大きなハサミで以て。


 バッサバッサと。


 乱舞するように空と共に切り裂く。


 小さい刃が舞わせられるのは、ほんの数輪。


 だからこそ何時間もかけて。


 動きは豪快に。楽しげに。無邪気に。


 成長しては踊りまわる。


 ユキヤナギも舞子も。


 クルクル。


 ハラハラ。


 己の背の丈ほどの大きさに整えて。


 地面に白の絨毯を作り出し。


 その繰り返し。




 優艶。懐古。異次元への誘い。


 桜と大きさを同じにしたとて、これらの形容がユキヤナギには当てはまらぬ。



 可憐で。

 雪のような清楚さを兼ね備えていても儚さとは程遠い。

 若さを凝縮した青々しさ。




 後日。あらゆる検査を受けたらしい舞子の診断結果は。

 優良健康人で、あらゆる面で平均値を叩き出したらしい。


 不摂生な生活を耳にしている医師は首を傾げながらも、生き甲斐がある事が何よりの健康法ですかねと笑いながら、双方共に無理はしないでくださいと優しく見送った。



 そうして一日入院した病院を後に、二人並んで無言で家路へと辿る道中。


 グルルルルルと鳴る腹の音。


 首を傾げて舞子を見るも無表情で無言のまま。


 口よりも雄弁な身体に苦笑を溢し、早く帰るかと手を取って歩き出した。













キンギョソウ:花言葉 憶測ではやはりNOです でしゃばり 清純な心

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