7.スイートピー : やってやる

 菓子の材料を作っている最中、手と、足と。動かしながら、語られた依子の正体。真子の過去。



『ぶっちゃけ、何とかせんといかんばいと生命危機を感じた身体。細胞の一つ一つが産み出したのが、私ですね。持ち主がこんなんじゃ、わしたち器の寿命も縮むわー意識を乗っ取れ―って』



 あの子、刹那に生きるものだから。と、依子は苦笑した。



『三歳からですね。知らない事を知る楽しみを知って』



『もうね。すごいんですよ。何千億ってある細胞の一つ一つがお花を咲かせるみたいに高揚させて。うれしかったです。すごく』



『それから、知った事を身近な人に伝える楽しみを知って。情報を組み立てて求める誰かに提供する楽しみを知ってこうやって生きるんだって。七歳でもうこの道を決めていたんですよ』



『学生の間は、学校という集団組織の中で生きて行かなければいけませんし。近くにお母様がいましたから、かなりまともな生活を送っていたんですけど。一人暮らしを決めて自由の幅が広がる大学に入った辺りから、徐々に。と言った具合で』






『あのね。お花屋さんで働いているひびなさんを見て好きになったんだよ。お花が好きな人なんだって。おくりものをするなら、お花がいいって』



 菓子を食べて、後片付けをして、午後から蒼太もつれて山の中、と言うよりは、木々の多い草原の中を、見上げたり、しゃがんだり、質問攻めに遭ったり、サンドイッチを食べたり、寝転んで少しの間眠っては、歩き回った。



『大人になったら、会いに来るね』



 母親の都合で遠くに引っ越すらしい蒼太。

 無邪気な、それでいて、将来の姿を垣間見せるような、思わず見惚れてしまう笑顔と想いの詰まった絵を残して、礼を告げに来た母親と共に去って行った。




(…他の為でなければ産み出せないと言う事か)


 夕刻。宛がわれていた部屋の真ん中に突っ立っていたのだが。

 思わず掲げていた絵を握り潰しそうになって、慌てて手の力を抜いた。



 童子なら誰でも描きそうなその毛むくじゃらな球体の絵。

 なのに頭から離れない―――。



「まいちゃーん!!まだ無事—!?」


「…今度は何事だ」


 小さく嘆息し、絵を机の上に広げて置き、どすどすと地響きを立てながら階段を上って来る相手を向かえんと、取っ手を回して扉を開けた。


 途端に、猪が突進してきた。




「ごめんねー。感激のハグのつもりやったんやけど。強烈過ぎたわ」


 依子に誘導され、舞子の寝室、カーペットの上に円を作って座ったところで、改めて謝った、高低の差が激しい音程での口調と、全身が目に痛い紫色をまとっている高齢の女性に、当てはまる花が思いつかないと悔しがりながら、内臓が飛び出したかと思いましたよ、と本音は言わずに大丈夫ですと答えた。



「舞子のお母様、桜子様です」

「まいちゃん!!消えるってほんまかいな!?」

「な!?」



 依子から紹介された母君は弓弦を弾くように長閑な笑顔を一変させ、依子に詰め寄った。

 同様にそうしようとしたが、母君の威圧感が半端なく近寄る事は困難であった故、その場に座ったまま依子を厳しい表情で見つめる。


 四つの目が集中する依子はそれでも困惑することなく、向けるのは、いつもと同様、否。


 清々しい笑顔。


 それを最初は母君に。そして、俺に固定させる。

 母君は依子に顔を向けたままだ。



「私が意識を乗っ取っているのは舞子の身体を護る為。ですが、諸刃の剣なんですよ。通常よりも細胞を活性化させていますから、その分、寿命が縮んでいるんです」


「…今を生かす為に、将来の時間を削っていると言う事か」


 思わず低くなる声音に、はいと頷いた依子の表情に曇りが滲み出た。



「言いましたよね。舞子は刹那に生きている」


「この子。いつ死んだっていいって思っている」


「満足はしちゃっているんですよ」


「ばかな子…そんでも、それがこの子の決めた道ならって、死んでもしょうがあらへんって。もお、私の手は離れたんや。あんま、口を出さんとこ、思おたんやけど」



 慈愛の感情を多分に含んだ優しい声音。

 母君は両の手で優しく、顔の輪郭をなぞって撫で続けた。

 ゆっくり、ゆっくりと、沁みこませるように。



「いつ倒れてもおかしくない状態やったから。まいちゃんが現れた時は、やっぱ、感謝したで。今も。目を覚まさせてくれて、ありがとうなあって」


 依子はそっと母君の両の手の甲に、己の手を重ね。

 向けられ続けていた目が母君に向けられ数秒。

 俺に戻って来た時には、違う色を宿していた。



(こいつは…)



「舞子は一輪のユキヤナギで満足しちゃっている」



 挑戦的な目。

 このままじゃ悔しいでしょうと語りかけているそれに。

 額に手を当て、恨めし気に見つめ返す。



「今の舞子は…そうですね。百輪と言ったところでしょうか。まだまだお子ちゃま」



 口元が痙攣する。



「桜のようなユキヤナギ、見たくないですか?」



(こいつ)



 眼を付けて後。

 いつの間にか向けられていた二つの目に気付いては顔を逸らし。

 行き場のない思いをどうにかせんと、ぐわしぐわしと頭を掻き回す。



 真子が咲かせているユキヤナギは。

 確かに、依子の言うように、若花。

 綺麗だと形容はされるが、青臭いそれは、物足りずに頼りない。

 


(だからと言って)



 数年の話ではない。

 真子が生きている限り、だ。

 そこまで長居をするつもりは……



(くそ)



 ちらつく毛玉。

 想像しても見えるのは。


 朧月。


 満月が見たいと。

 渇望する―――。





(くそ)


 幾度も幾度も毒を吐き。

 硬く瞼を閉じた時点でそれを止め。

 小さく息を吐いて覚悟を決め。

 乱れた髪を整え。

 座を律し。

 見据え。

 頭を下げる。



「舞子をもらいうけうけたい。いかがくわぁ!!!!」



 猪、もとい母君の突進により上半身強打。

 起き上がろうとしても、腹にしがみ付く母君によって叶わず。

 そうして上半身だけ仰向けの状態のまま。


 耳と腹に響くのは。

 ありがとうの言葉。

 目に映り、心に沁みるのは。

 嬉しそうな笑顔。



(…二人の了解を得たとて、本人が何と言うか)



 この申し出を形容するなら、不本意ではあるが結婚となるのか。

 世話を邪魔されたくないのだ。

 結婚相手など望めないだろうが、万が一もある。

 そいつらを一掃するにはこの肩書が似合いだろう。



(まぁ、拒んだとて。勝手にやらせてもらうがな)



 クックック、と。

 鬼を発揮させる笑い声を立てながら。

 母君と依子に女神のいる花屋へと連れ出されていった。













スイートピー : 花言葉 デリケートな青春の喜び 別離 微妙 門出 優しい思い出

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