6.モモ : はなれない
真子(まこ)と依子(いこ)。
舞子を分裂させようとは直ぐに思い付いたのだが、どちらを選択するかで迷った。
世話になる、かつ、二人を姉妹となぞらえると、姉的存在なのは土日舞子であるから、こちらを真子にすべきか。
世話になるからこそ、依るべき存在として、依子にすべきか。
悩んだが答えが出ず。本人たちに決めてもらう事にした。
『ん』
『…んこがいいのか』
『いや』
『ならちゃんと選べ』
『任せた』
『私は依子がいいです』
一人は答えを出さず、一人は答えを出したので、平日舞子を真子、土日舞子を依子と呼ぶ事にした、土曜日となる昨日。
店の奥、家と店と隔てる扉の延長線上となる右の白い石壁に埋められているかのように設置されたTVで、月曜から金曜まで溜め込んだ花に関する映像を、休憩を取りながらも夕飯時まで見続けた。
あの花の香りはどのような匂いがするのだろう、肌触りは滑らかなのかざらついているのか、粘つくのか。蜜の味、舌触り。葉茎の感触はいったい。
と、視覚的にも十分に満たされ、かつ、おのが浮かべた想像も語り合えた至福の時間であったのだが、客は誰も来なかった。
依子にこれまでどのように過ごして来たのかを詳しく問えば。
土曜日は、今日同様に視覚を楽しませ、想像を膨らませて客を待つ。
日曜日は、店の前に山の中にいるので連絡先をお願いします、と紙を貼った看板を置いて、午後に山の中へ入り、植物を探索する。
買い物はその都度その都度で決める。
今日(土曜)は何も用意していなかったが良かったのかと問えば。
一見の客には、どのような菓子を所望するか子細に訊き、後日、受け取りに来てもらうのだが、その予定が入っていなかった事。
ほとんどは仕上がったものを所望するらしいが、極偶に、自分も一緒に作りたいと申し出る者もいる事も教えてもらった。
それが、日曜に必ず来る常連客らしい。もう一年も通っているとか。
だからこそ日曜日となる今日。
その必ず来る常連客を迎えるべく、朝六時から準備をしていた。
小豆と水、黒砂糖、塩を焦げ付かないように加熱しながら作った黒餡。
蒸したかぼちゃと生クリームを滑らかになるまで混ぜたかぼちゃ餡。
白玉粉に白砂糖と水を加えて加熱して練って一口大に成形した求肥。
薄力粉とバター、卵黄、塩、冷水、そして初めに作った黒餡を混ぜて作った生地を小丸型に敷き込み、オーブンで焼き上げたタルト六個。
市販の抹茶ときんかんの橙と桃色パウダー、ポッキー、クルミ。
白餡に梅酢、求肥を使った煉切餡で作られた五枚の花弁を合わせ仕上げられた桃の花。
そうして、甘い匂いが店中に広がり、準備すべきものを準備し終えた頃。
「舞子ちゃんよろしくね!」
突風が甲高い声音で喋ったかと思えば、眼下にいるのは三分の一ほどの高さ、四、五歳ほどの童子。
依子に向かって一拍一礼。
俺に向かって一礼凝視。のちに、目を爛漫とさせて、肩に掛けている小さな黄色のバッグから折り畳まれた一枚の紙を差し出す。
「愛人三号さんにしてあげる!」
サンダーソニア。
巾着状で可愛らしいベルの形をした黄色の花。
細くて頼りない茎。
先端が巻きひげになっており、近くのものに巻き付き身体を支える被針形の葉。
(大名か名の知れた商人の出、か。こんなに幼いのにもう世継ぎの心配をしているのか……不便な)
天真爛漫の笑顔に丁重な断りを入れつつ、差し出された紙を広げると。
「…外人のくせのある胸毛を球形に丸めたものか」
描かれていた絵の感想を口にした。
「違うよ。花だよ」
「……何の花だ?」
「おねえさんに贈る世界にたった一つしかない名前のない花。おねえさんのものだからおねえさんがつけて?」
(……さすがだ。弁は立つ。所作も、まぁ、狙っているのだろう。末恐ろしいな。しかし、画力の方は要修練だな)
首を傾げ見つめる童子の所作は一つ一つが滑らかで、不便なと嘆息した。
「…舞子が愛人一号か二号か?」
「私は蒼太(そうた)くんのお眼鏡に適わなかったみたいですね」
朗らかに笑う依子はしゃがんで童子、蒼太の目線に合わせた。
「蒼太君。愛人一号にしてあげるとか言っちゃ駄目でしょ」
「なんで?ドラマで言ってたよ。好きな人にはそう口説くんだって」
「蒼太君はそう口説かれて嬉しい?」
下唇で上唇を覆った蒼太が口を閉じで数秒。ううんと首を振った。
「好きだって言われた方が嬉しい。でも、おとなの人はそれじゃだめだと思ったんだもん」
「大人も好きだって言われた方が嬉しいよ。それで、お嫁さん後補になってってお願いするの」
「じゃあ、いいなおす」
片膝を立てて尻を浮かせた状態の蒼太は目線を上げて俺の目を見つめた。
本当に童子かと疑うべき色気を伴う熱っぽい視線だ。
「おねえさん。なまえは?」
「ひびな」
「ひびなさん。すきです。およめさんこうほになってください」
「ならん。諦めろ」
ズバッと引導を渡すも。
頬を膨らませたり、口を尖らせたりと、童子らしい不満顔になる事はなく。
「あきらめないよ。何度だってすきだって言うもん」
「…おい」
自信満々の笑顔に。
何とかしろと、依子に目線で訴えても。
「好意には誠意で応える、ですね」
にっこり笑って、解決しない常識を口にするだけ。
(まぁいい。この年の頃の童子よりも大人びているとて童子は童子。いつか飽きるだろう)
「菓子を作りに来たのだろう。さっさと目的を果たせ」
「うん」
嬉々として手を洗いに行った蒼太の小さな背を見つめ、作った材料が並べられた客席用の丸いテーブルに向かった。
黒餡入りのタルトに軽く砕いたクルミを混ぜたかぼちゃ餡を敷き詰める。
その真ん中に求肥を埋め込む。
子ども用綿菓子機で作った綿菓子を二等分して、キンカンのパウダーと抹茶のパウダーを別々に降りかけ、求肥の右側に突き刺した一本のポッキーにキンカン、抹茶の順に綿菓子を巻き付ける。
求肥の左側に煉切餡で作った小さな一輪の桃の花を添える。
桃の木、そして、地面に落ちた桃の花。と庭の一部を表したお菓子らしい。
苦味、苦味、仄かな甘みと続いて、辿り着いたかぼちゃ餡の甘み。口直しに酸っぱい桃の花。
舌触りも雪解けのような綿菓子。歯応えのあるポッキー。舌触りのいい餡に弾力のある求肥、歯応えのあるクルミ、タルト。
見た目、味、感触共に飽きさせない、かつ、ほっと一息付ける優しい菓子であった。
「画力は無いようだが、整形力はあるのだな」
綺麗に整えられた菓子に感心の言葉を贈ると、
蒼太はようやく取り繕った様な動作を外し、
照れ臭そうに笑った。
(あらあら。ますます惚れられていますよ)
くすくすと微笑んだのち、意味ありげに目を細める依子と、その顔が観たかったと言わんばかりの微笑に、蒼太が見惚れているのをよそに。
(…しかし、参ったな)
(丸まった胸毛が頭から離れぬ)
俺は困惑に困惑を重ねていた。
モモ:花言葉 わたしはあなたのとりこです
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