第33話 ウズメの夢
ワラのお母さんに会ったその日の夜、私はおばあちゃんと共に山を登る。
「ウズメや。本当に良いんだな」
「うん。私高校で気づいたの。自分は何をしたいんだって。せっかく農業高校に来てこういうのはダメなんだと思うけど作家さんになりたい。えっと、絵本作家の方だけど」
「ふむ。確かにウズメに似合っているよ。ウズメは小さい頃から絵が描くのが好きだったからねぇ。一度家の教えだと言ったらとても楽しそうに覚えたからねぇ。まぁ、動物の声を聞けるだけでこうなるとは思わなかったが……」
「——お婆ちゃんの時はどうだったの?」
「飼い犬や飼い猫の捜索にかなりありがたいとお礼を言われていたよ。まぁ、ウズメの行った幼稚園は新参者どもが開拓した村だからしょうがないよ」
お婆ちゃんはため息混じりに口に出す。
しかし、思えば私は動物の声を聞くのは今は無理だけど小さい頃は楽しくて仕方がなかった。お絵描きも楽しい。多分私は小さい頃から妄想癖みたいなのがあったから動物の声を聞くのが楽しかったのかもしれない。
「だけど私が絵を描く仕事をしたいって言ったらどうしてこんな夜遅くにどこに向かうの?」
「ふむ。母親から知らされてないのか」
お婆ちゃんは山道の先を指さす。
「ワシら天河は上狛村に天河組という組合に所属していてな。女系の長を中心に運営している。今の長はワシが勤めているから色々と過去に天河の者たちが作ってきた作品の資料があるから是非目を通して欲しくてだ」
「資料?」
「ワシら天河は昔より絵を描いたり陶器を作ってきた。やがて技術が進歩して時代遅れになろうと言ったところで映画を作ったりもしているし出版業にも進出した。ウズメみたいに絵本を書いているものもいる。だからこそ先人たちの遺産を見てほしいのだ」
「ふーん。え、もしかしてうちの家って実はお金持ち?」
「ウズメの場合は母が稼いでいるからワシは少ししか援助してないねぇ」
「実はお母さんとお父さん凄かったんだ……」
よくよく考えてみると両親が同人作家で私学の高校に行けている時点で多少は疑いをかけるべきだったとは思う。
確かにお母さんに高校に行くのを相談した時大丈夫だって言っていたとは言えこれからはなづべく感謝しよう。
それからしばらく坂を登ると上狛村が見えてきた。この村は私が住んでいる下狛村とは違いとても大きい。その村の大通りを進んでいくと大きな神社が見えてきた。境内に入り右に曲がると本殿とは雰囲気が違うまるで作業場の二階建ての木造の建物が立っていた。
「お婆ちゃん。この神社はどういうところ?」
「ここが徳田神社だよ。天河組はあの境内にある建物を一つ借りているんだよ」
「え、それ良いの?」
「天河と徳田は昔から縁があるから祭りの企画運営をこちらが請け負うことを条件に許しを得ている。とは言っても安雲市に本社を置いているからここは実質開発棟だね」
お婆ちゃんはそう言って建物の鍵を開け、私はお婆ちゃんに続いて中に入った。
中は畳が敷き詰められ床には先ほどまで作業して放置しているのか紙が散らばっている。そして奥に進んでいくと資料室と書かれた札が掛けられている部屋に入ると遠部悦庵は棚を開けて調べた。
「ほれ、これだね」
「これ?」
私はお婆ちゃんから資料を受け取ると中身を見る。そこには意外ち私が小さな頃読んでいた絵本が載っていた。
「この絵本って出版されているものなの?」
「うむ。三十年前から今に至るまで出版してきたものだね。どれも売れたわけではないが、長く語られるほど面白い作品を手がけてきた自信はあるよ」
確かにこの資料の中には学校の授業にでも出てきた絵本も載っている。だけどどれも流行っていたのは二十年も前のものばかりで、続編も出ているのはあるけどこれ以降は初めて見る題名の絵本が多い。
「あの、誰かいるんですか?」
「ん?」
後ろを振り向くと寝巻きを纏っているどこか見知った顔の同い年ぐらいの女の子が立っていた。お婆ちゃんはしばらく考えた後「あぁ、徳田さんの子かい?」と口にした。
「えっと、そうですけど——。え、ウズメさん?」
「——チヒロさん?」
よく見るとその子はチヒロさんだった。
マロちゃんが変装したチヒロさんではなく、おそらく正真正銘のチヒロさんだろう。いや、念のため確認しておこう。万が一マロちゃんが手の込んだ悪戯を計画していたらただ私が恥をかくだけだから少しばかり仕返ししないと!
「そういえば今日特撮ものの特番だけど良いの?」
「——え?」
チヒロさんは少し固まるとすぐに我に帰った。
「いや、今日じゃなくて明後日です!」
「あ、本物のチヒロさんか」
「もうっ! ——いや、まずどうしてウズメさんは私が特撮好きなの知っているんですか!?」
「だって夏休みの宿題の自由研究の本気度がすごかったからそうかなって」
「何しとるんだお前たちは……」
お婆ちゃんは呆れた声でそう言った。いや、偽物だと思ったんだもん。
その後私はお婆ちゃんから資料を読ませてもらった後、建物の外で待っていたチヒロさんと合流した。
お婆ちゃんは私に友人の家にひさビザに泊まってみたらと言われて私を置いて帰っていった。
「え〜と。チヒロさんは良かったの?」
「問題があるとでも?」
「いや、特にないけど……。いきなりで迷惑かなって」
「迷惑だったら先に言ってます。それに今神社には本家様と私しかいないので問題はないはずです。——けど、一度顔だけは出しますか」
チヒロさんはそういうと本家の方々が住んでいる家に案内された。ここは境内の森の入り口付近にあり、社務所のすぐ隣にあった。
私はチヒロさんに中に案内され一室に入るとそこには眼鏡を掛けて一人で将棋を指している。そう、サトミさんだ。白鬼の時はだいぶお世話になったけどつい忘れてた。
サトミさんは私を見ると眼鏡を外した。
「——まだ白鬼は消えておらんのだな」
「——やっぱり分かるのですか?」
「うむ。ほれチヒロも入ってきなさい。その様子じゃ何か訳ありだね」
「え? で、では失礼します」
チヒロさんと私は中に入ると正座した。
「えっと、サトミ様。友人を泊めても——」
「構わん」
「ありがとうございます」
サトミさんはあっさり許してくれた。もしかしたら怖い見た目だと思っていたものはただの年の功で本当はすっごく良い人かも。
するとサトミさんは私に胸に手を当てた。
「え、えっとサトミさん?」
「なるほど。お主の魂は面白いな。藍姫の亡霊と源氏の亡霊、さらに白鬼まで飼っているとはな」
「それ笑いどころなんですか?」
「いや、正直言って笑えないな。対立する例がここまであると逆に寿命を縮めかねない。できることなら一つは追い出せたら出してみようか。それはお前に任せよう。まぁ、姉に聞いたら何か助言は言うだろう。お主の姉は腕がいいからな」
「えっと、ありがとうございます」
次にサトミさんはチヒロさんを見た。
「ほら、この子を部屋に案内しておやり。で、ご飯は食べたのか?」
「はい。食べました」
「そうか。なら今日はゆっくりお休み」
「ほらウズメさん。行きますよ」
私は部屋から出る前にサトミさんに頭を下げるとちひろさんの部屋に案内された。チヒロさんは二階の一室を借りているみたいで、中はとても質素でまるで名家のお嬢様という気風を感じさせている。一応本当の名家だけど。
「あ、そう言えばウズメさんお風呂入りました?」
「え、ううん。まだだけど」
「なら一緒に入りましょうか」
チヒロさんはとても嬉しそうな顔でそう言った。
その後チヒロさんに体を洗われたり尻尾をモフモフされたりと散々な目に遭いながらもなんとか生きて帰ってくることが出来た。
私は部屋に入ると布団の上に寝転んだ。
「ち、チヒロさん触りすぎ……」
「ごめんなさい。少しふざけました。だけどウズメさんこちらにどうしていらっしゃるのですか?」
「えーと私が引っ越す前に住んでいた場所が下狛村なの。中学の途中に引っ越して今はお婆ちゃんが家に管理をしているの」
「なるほど。そうなんですね。私はここは生まれ育った場所ではないんですが、家の近さで言えばひいお婆ちゃんの家になりますね。そして分家は分家で定期的に誰かがこの神社の神事のお手伝いをしないといけない慣わしなんです」
「ということは今年はチヒロさんだった感じかな?」
「はい。それに研究で土を採取したかったので」
それから私はチヒロさんと色々話し。布団の中に入った後も色々と話した。
久々のお泊まり会では学校で見ているチヒロさんの違った側面が見ることができた。まずチヒロさんは将来は姉のチヨさんと同じく映像関連の衣装制作に努めたいこと、さらに高校では危険物の資格を取って現場でも働いてみたいらしい。
そして現在電気を消してそろそろ眠ろうとした時、ふと頭に浮かんだ。
「え、大学は——」
私の声に反応したのかチヒロさんは体と顔を私に向けた。
「芸術系志望ですかね。けど、農業高校に来てこの進路は別に後悔してません。なんなら身の回りに真面目に農業関連できている人はいますよ」
「え、誰?」
「ヒビワラさんです。一応神職に準じた地位みたいですが農業も営んでいるので多少は勉強したいから見たいです」
「そうなんだ。——それに比べたら私の夢でも大丈夫な気がしてきた」
「どうしてですか?」
「私の夢は絵本作家なんだけど、夢見すぎかなって。実際に誰かに見せたわけでもないし自分が面白いと思っただけの自己満足の作品なの」
「——そうとは思いませんよ」
チヒロさんは低い声でそう口にした。何か気に触ること言ってしまったのかな?
「私、ウズメさんの書いた絵本。読んだことあります。ほら、喧嘩した時ウズメさんのお母様が同人誌を私に来たでしょ? あれ、全部ウズメさんが描いた絵本です。もちろんお母様が書いたものもありますが。大体はウズメさんが書いた絵本も含まれてましたよ」
「——そうなの?」
チヒロさんは私の耳に触れた。手のぬくもりが私に直接伝わる。
「読んでみてとても楽しかったです。それに、自分のやりたいことには何事も挑戦ですよ」
——そうだよね。やりたいことがあるのならそれに全力で尽くそう。やらないで後悔するぐらいなら色々と挑戦しよう。
「うん。私は諦めない」
「えぇ、そうです」
「絵本の勉強もだけど高校の看板娘としての勤めも頑張る!」
「そうです——は?」
その時のチヒロさんの「何を言っているんだこいつ」という顔は一生忘れないと思う。
翌日、私はサトミさんに泊めてもらったお礼を言った後家に向かって歩いた。そばにはチヒロさんが歩いていた。
一応看板娘の件は理解してくれたけどどこか不満げな顔で歩いていた。
「えっと、チヒロさん?」
「別にいいですが危ないことになりそうだったら言ってくださいね。ほら、あの林にいる——熊?」
当然チヒロさんは私の後ろを指を指して冷や汗を流し始めた。どうしたんだろ。後ろを向くとそこには大きな熊が不自然に宙に浮いていた。熊は私たちに気づいたのかゆっくりと振り向き始める。
するとチヒロさんは私の着物の袖を握る。
「ウズメさん。警戒してください! 目を逸らしたらダメです! 熊には死んだふりは無駄骨です!」
「——え、う、うん!」
熊が振り返った先には白い髪に赤い目。その姿はよく夢で見る人物にそっくり——。
「大夜……! え、あ、いや。ワラ?」
不思議と歴史上の人物の名前を同じ部活動で同じ組のワラに向かって口にした。
ワラは熊に頭をかじられながらも平気なのか私とチヒロさんを交互に見た。
「——何してるの?」
「いや、ワラこそ……なんで?」
「この熊。人里に近づいてたから母に調理して貰おうかと」
「——あ、食事用なんですね」
チヒロさんはまだ困惑しているのか苦笑いで応対した。うん。これ誰だって困惑するよ。そしてワラは熊を頭から離すとそのまま慣れた手つきで締めた。ワラ曰くササ先生直伝らしい。
ワラは汗を拭うと私を見た。
「どうしてチヒロと?」
「——あれ? ワラチヒロさんのことそう読んでた?」
「あ、あー説明してなかったですね」
チヒロさんは反応に困る顔で言葉を選んで喋り始めた。
「サトミ様に聞いて知ったのですがヒビワラさんのお爺さんの弟さんが私のお婆さんのお婿さんみたいで……。要するにはとこですね」
「ワラは知っていたの?」
「四歳の時に一応それっぽい話は聞いていた」
「意外と小さい頃から……。あの、だからウズメさん。別に付き合っているとかそうじゃなくて親戚だからよそよそしくしないでおこうとヒビワラさんが言ったんです!」
チヒロさんは必死に首を横に振って説明してくれた。別に怒っていないんだけどね。
「いや、別に気にしてなかったけど。ただ驚いただけ」
「そう言えばウズメ。さっきどうして先祖の名前を口に」
「——あ」
そう言えばサトミさんから言われたんだった。私の魂にはまだ亡霊がいるって。
「ワラ、落ち着いて聞いて欲しいの」
私はもう一人じゃない。決して誰かを信じないということはしない。
「分かった。なら今家に親いないから来る?」
ワラは私の意図を察してくれたのか家に招待してくれた。問題は早いうちに解決しよう。隣を見るとチヒロさんがワラを少し軽蔑した目で見ていた。
「不潔ですね」
チヒロさん、言い方きつい。
私はワラの後ろに続いてワラの家に向かった。
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