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「君、田舎の人間だろ。なんで免許ないの。持ってたよね?」
僕はバカデカい弁当にブルーシートをかぶせながら、鳩くんに聞いてみた。そもそも無免の男が軽トラを運転してきている時点でおかしいのだ。鳩くんは重石代わりのペットボトルを抱いて、平然としている。そして、
「人轢いたんすよ。んで免停。」
彼はサイコパスなのか? 全く知らずに聞いたとは言えなんだかばつが悪くて、僕は努めて軽やかに返す。
「あーそう言えば! ……いや、初耳だな?」
「人、轢いたんすよ。マジで、この前。」
きらきら光るブルーシートの隅に、もっときらきらのペットボトルがどんと乗る。水でいっぱいの2Lボトルを三本、よく抱えていたものだ。鳩くんの声は淡々としていて、少し怖かった。それでも会話は続く。
「なんでよ。」
「相手が飛び出てきたんす。俺に非はない。」
あー、そうなの。災難だね。心を籠めずに返しつつ、僕は助手席に回る。鳩くんは運転席に。僕は今から、人を轢いたやつの運転で道路に繰り出すのか。なんか怖いな。久々に出た外は意外と涼しくて、土を蹴る足元には、少し揺らぎがあった。
ドアを開けて、ちょっと高い足場に乗り上げて、シートに座る。たばこの匂いが染みついた、鳩くんの車だ。正しくは鳩くんの実家の車だが、基本的に彼以外が運転することはないらしい。鳩くんはキーを回して、エンジンになけなしの意思を吹き込んでいる。少し車体が揺れた。僕はシートベルトを締めて、充電がだいぶヤバいスマホを開く。
「海にさあ。」
「行きたいの?」
「うん。マップ出すから……。充電器借りるね。」
「ナビアプリ、食うよねー。」
初めて車に乗せてもらったときはまだなかった充電用のコードをずるずる引き揚げて、挿す前に息で埃を払う。ないと不便だと言って、自ら改造していた姿が懐かしい。ダッシュボードのボックスを外す様はやたら豪快だった。思い出に耽りつつ、スマホの充電を開始する。マップアプリも出して、一番近所の海水浴場(と言っても一時間は優にかかる)を指定した。これで準備はばっちりだよ、鳩くん。そう思って彼を見ると、彼も僕を見ていた。ハンドルに手をかけて。
「どっちすか?」
「とりあえず商店街の方。」
「大通りまっすぐ?」
「うん。」
じゃりじゃりとタイヤが砂を踏む。鳩くんと遠出するのは本当に久しぶりだ。僕が出不精なのもあって、ここ一年くらいは近所でウロチョロしてばかりだった気がする。
足元には袋にまとめたごみがあって、ペットボトルがたくさん入っている。これ、前はなかった。そりゃそうか。マップアプリに目線を戻して、ぐりぐり動く矢印を眺めてみた。そして考える。鳩くんは、なんで僕に優しいんだろう。逆に僕は鳩くんに優しくしていないはずだし、特に恩恵とかもなかったと思う。僕といる理由なんて「たばこ吸っても怒らないから」くらいしか思い付かないんだけど、実際はどうなのかな。過ぎてゆく景色なんて、ろくすっぽ見ちゃいない。
ちらりと確認したが、鳩くんはまっすぐ前を見て、普通に運転している。この運転で人を轢くとは思うまい。片手ハンドルだけど。でもそれは元からだし、なんて言うか、片手ハンドルだから人を轢いたわけではないと思う。デカい態度はいただけないかもしれないが。鳩くんは金髪で、今は美容院をさぼって根元が黒くなっているので、ガラの悪さが際立つと言えば、そうなるのかも、しれないが。
「免停、ほんとはいつまでなの?」
鳩くんはこちらを見ずに答える。普通だ。
「明日。俺悪くないからすぐで……明日で免停明けなんだけど、やっぱね、善は急げかなって。てか一日くらい……?」
「あ、ここ右。」
「っす。」
半ば廃れた商店街、大通りをある程度進んで、十字路で曲がる。ここからまた、しばらくはまっすぐだ。単純すぎて怖いくらいの道。マップアプリは「道なり」と表示している。僕たちは少し黙った。ラジオも何もついていないので、本当にだんまりだ。沈黙が苦になるような関係ではないけど、あえて僕は口を開く。黙りたくないのではなくて、ただ、彼と話していたかった。
「あのさ。」
再び始まった会話に、鳩くんは「ん?」と言った。僕は、合わないことを知っていながら鳩くんの目を見てみた。やっぱり合わない。当たり前だった。言葉を続ける。
「人、轢いてどう思った?」
「なにそれ、なにその質問。こえー。」
「答えてよ。」
鳩くんは黒目だけで僕を見たが、すぐに進行方向に目線を戻してしまった。彼はちょっと引いているみたいだ。だけど、僕は返答を待った。ぐんぐん、エンジンが鳴っている。また少し黙ってから、鳩くんは観念したように話し出した。
「普通に、殺したかと思いましたよ。生きてたけど。こっち発進しかけで、全然、ちょっと打ち身くらいだったけどさ。」
「どきっとした?」
「したよ。怖かった。」
「よかった。僕もだ。」
勝手に安心する僕を気にせず、信号は変色する。鳩くんもさすがに懲りている(?)のか、きちんと減速し、止まる姿勢を見せている。そして僕に、「たばことってください。」と言った。
「僕ももらっていい?」
「いっすよ。」
ドリンクホルダーにぶち込まれているラッキーストライクをぶっこ抜いて、ドアについている収納からライターを掘り出す。鳩くんは車の管理が適当で、その上いろんな人を乗せてあげちゃうので、この辺の収納はいつもごちゃごちゃしている。手を突っ込んだ結果、出てきたのはBigのピンクだった。たばこの箱も歪んでいるし、なかなかどうして粗雑なやつだと思う。僕なら絶対にやらないことだ。ドリンクホルダーにたばこを突っ込むと言う発想に、まず至らないだろう。車が完全に停止した。
「麦原さんてさあー。」
「ん?」
「俺と違って几帳面だよ。」
「え? そうだね。」
たばこをくわえながら答えると、彼はそうだねって、と笑った。
「そのポケットさあ、誰も整理しねーから、そうなっちゃって。」
「ごみばっかだ。」
「ごめん、触らして。」
「いいよ。汚いの慣れてる。て言うか、慣れた。」
ライターを擦りながら皮肉っていると、信号の色が戻った。鳩くんはアクセルを踏みながら少し考えて、
「うーん、そうだね?」
と言ってきた。たぶんだけど、僕の真似だ。
「似てないよ。」
「自分でわかんすか。すげー。」
むかついたので黙って火をつけた。ごめんごめんと軽く謝る鳩くんの声。そう言えば、最初にたばこ吸いたがったのは彼だった。僕はぼうっとしていたし、もう車は再発進していたので、口にくわえていたたばこを鳩くんに差し出した。普通ならやらない。鳩くんはこちらを見ていなくて、ただ雰囲気と気配だけで受け取っている。火がついていることに気付くだろうか。
「あれ、ん?」
口にくわえているからあんまり喋れないの、バカっぽいな。僕はもう一本に火をつけながら、横目で鳩くんを見る。顔の前で揺らめく炎がほんのりと熱い。送風状態の前方から守るように手で囲って、息を吸い込んだ。鳩くんにあげた方も、こうやって付けたんだろう。自分のことなのによくわからない。舌先に苦みが当たって、びりびりする。それが妙に気持ちよかった。煙を吐き出すと、足元でふわっと回って、顔に帰ってくる。目が痛くてすぐに窓を開けた。
「これ、火つけてくれたの?」
目線を戻すと、鳩くんはもう右手の指にたばこを挟んでいた。少し動揺しているみたいだった。
「うん。なんかつけちゃった。」
「なんか、ええ? ありがとうございます?」
なんだろう、少しじゃなかった。思ったより動揺してる。
ふとマップアプリを見ると、次の信号を右折と書いてある。割とすぐだったので、僕は会話をほっぽって業務連絡をすることにした。隣から、窓をちょっとだけ開ける音が聞こえてくる。
「次の信号も右ね。」
「あ、はい。」
流れで頷いた鳩くんはなんだか不服そうで、しばらくは「なんかヤクザみてえ。」とかなんとか、よくわからないことを言っていた。だけど少しして、もうどうでもよくなったのか、「ちょっと音楽かけて、俺のスマホで。」と言ってきた。彼のスマホはインパネのくぼみに突っ込まれている。相変わらず雑だ。僕はそれを取り出して、操作する。くわえたばこはしんどいので、手早く。短く呼吸を繰り返して、ほとんど出ない煙を吐く。
鳩くんのスマホのパスワードは「2580」、キーパッドの縦一列を追うだけだ。覚えやすくていいんだとか。なんとも彼らしい数字たちを入力して、アップルミュージックを開いた。ずらっとアルバムのジャケットが並んでいる。大体どれも知らないものばかりだ。あ、でも、嵐があるのはなんか意外かも。
「なにかける?」
「プレイリストあるっしょ? 適当に選んでいいすよ。」
その言葉に従ってプレイリストを見てみると、確かに3つ存在していた。大変簡素に「1」「2」「3」と番号が振られている。僕は音楽に詳しくないので、ジャケットを見ても何もわからないし、選ぶのも面倒だったので普通にプレイリスト1をかけることにした。さすがにBluetoothは搭載されていないこの車内では、スマホの備え付けスピーカーが頑張る他ない。初っ端から全く知らないアーティストがかかったため、僕は鳩くんのスマホへの興味を完全に失った。鳩くんは吸った煙を吐き出すと、目を細めながら付け足した。
「充電挿しといてください。」
「うん。」
「これはね、BENEEって人の曲。」
そして僕の無知を察したのか、丁寧にそう教えてくれた。残念なことに全く伝わらない。そもそも日本語じゃない時点で、僕はお手上げなのだ。
「ああ、全然知らないねえ。」
「知ってそうなノリで言うなよー。カッコいいでしょ?」
「えー、どうだろ。おしゃれだとは感じる。」
「全然刺さってねえじゃん。」
そう言うわけじゃない。でもなんか、なにを言っているかわからないし、でもすごくファックって言っているのはわかるし、とにかくなんか、そう言う感じだ。妙なところばかり耳について、素直にいいと思えない。あんまり悪いとも思ってはいないのだが、なぜだろう。僕が黙って曲を聞いていると、気を使ったのか鳩くんが「変えてもいっすよ。」と言ってきた。別に、だから、そう言うわけではないのだ。鳩くんのたばこはほとんど終わっていて、指が熱そうだった。僕は灰皿を開いた。シケモクの嫌な臭い。でも、あの部屋よりはましだ。
「いや。」
「好きな曲とかねーの?」
「ないねえ。あ、YUKIは好きだった。」
「あるよ。YUKI。探して。」
「いいよ、そこまでじゃないから。次の交差点、左だね。」
「はーいー!」
なぜか騒いでいる彼を横目に、勝手に燃えてしまっていたたばこに口をつける。ちまちま吸ってはいたが、ラッキーストライクは苦味も辛味も強くて、僕にはちょっときつい。日頃愛飲しているのはキャビンなのだが、生憎今は切らしているのだ。だから文句も言えまい。そもそももらっている身なのだから……。喉の手前でとどめていた煙をゆっくり逃がして、いつの間にか変わっていた曲に耳を傾ける。
「あ、日本語だ。宇多田ヒカル?」
「うん。」
「やるじゃん。」
「なにがあ?」
鳩くんはちらちら僕を見ながら、吸い切ったたばこを灰皿に押し付けている。迫ってきた交差点は、なんだか、海に続く道って感じがする。広がりつつあるアスファルトの幅なんか、特に。川崎にも海はあったな。汚くて嫌いだった。職場からは天王洲アイルが近かったけど、一回も行かなかった。今後も行くことはないだろう。
「女性ボーカルが好きなの?」
「えー、うん、そっすね。好きかなあ。」
「ふーん。」
「出た、麦原さんの聞いといて「ふーん」て言うやつ。それマジでひどいって。」
「ふーん。」
僕がふざけると、鳩くんは「泣くぞ。」と言ってハンドルを叩いた。マップアプリは右折を促していた。
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