3


 アイスを食べ切った僕たちは、早々に暇を感じつつあった。狂気的に暑い部屋で、若い男二人が時間を持て余しているなんて、とてもじゃないが地獄だ。しかも今っぽい。隣の鳩くんは、胡坐をかいて、ソーダ味になった手首をべろべろ舐めていた。

 僕がぬるぬると皮膚を滑る舌を眺めていると、それに気付いたらしい鳩くんと目が合った。ちょっとだけ見つめあって、だけどすぐ、彼の方から目を伏せられてしまった。鳩くんは嘘っぽく明るい声で言う。


「この部屋臭い。外行きません?」

「暑いよ、外。」

「ここもあちいよ。」


 それは確かにそうだ。


「ほら、麦原さん、べたべたでしょ? 着替えて行こうって。今日俺、車だから。」

「えー、うーん。」

「なんでだよー! それ、なに渋り?」

「めんどくさい……なにもかも……。」


 キッチンについた窓は、ダンボールで覆い隠されている。母も昔、こうしていた。僕がぼうっと遠くを見ていると、鳩くんは妙に不安そうな顔で言葉を足した。


「麦原さんさ、なんか熱中症っぽくない?」

「どうだろ。最近ずっと不健康だから。」

「冷たいシャワー浴びて来いって、マジで。俺待ってるから。」

「でもさあ。」

「外行かなくてもいいから。」


 鳩くんが前のめりになって、僕の腕を掴んだ。もう片方の手を畳にぎゅっとついて。痕になるだろうなあと思った。なにをそんなに、焦っているんだろう。普段の彼とは、明らかに目の色が違った。僕は気圧されてしまって、首を縦に振る。


「わかった、わかったよ。」

「おー。髪もちゃんと乾かせよー。」

「うち、ドライヤーないよ。舐めんな。」


 なんでだよー、と言われながら、僕は立ち上がる。寝るか座るかばかりだったので、膝が軋んでいる。妙に脱力してしまって少しよろけたが、鳩くんが下から支えてくれた。転ばなくてよかった。


「大丈夫すか? 肩貸す?」

「や、平気。ずっと座ってたせい……。」


 僕はすぐ横の収納から着替えを引っ張り出して、風呂場へ向かう。なんだか久しぶりに感じたのは、たぶん気のせいだろう。

 僕が脱衣所に入り、えっちらおっちらしていると、鳩くんがなにやら活動を始めた。扉の向こうから、ゴソゴソ音が聞こえる。音の内容と全貌が少し気になったが、僕はすでに八割裸で、なんか彼には見られたくなかったので、おとなしくシャワーに専念することにした。


 シャンプーがなくなっていたので、ボディーソープで頭を洗う。洗いあがりは、普通に最悪だった。次に顔を洗いつつ、髭を剃る。顎と首の間? がカミソリ負けしたようで、痛い。そのまま、手足の爪の間まで体を洗って、風呂場を出た。

 脱衣所に踏み入れた瞬間気付いたのだが、ドアが若干開いている。そしてその隙間から、鳩くんが覗いていた。


「えっ!? 最低!」

「いや、死んだかと思った。」

「生きてるよ。見んなよ。」

「やたら長かったんで、すんません。」


 鳩くんはそう言うと、ドアの隙間をそっと閉めて行った。僕は言葉ほど怒ってはいなかったが、結局見られるのかよ、とは思った。

 服を着て畳の部屋に戻ると、ここがいかに暑く、そして臭いかがよくわかった。部屋中生ごみ置き場の臭いがする。三角コーナー臭とでも言うべきか。思わず笑いがこぼれる。


「くっさ。」


 鳩くんはキッチンで水を飲んでいたが、僕が戻ってきたのを見て軽いためいきをついた。なんだか安心しているようにも見える。


「いやほんとに。ほんっとーにくせぇ。」

「うん、外行こう。すっきりした。すっきりしてやる気出たから。」

「気付いたんでしょ、この異臭に。鼻バグってたんすよ。」

「まあ、四日も籠ってたから……。」


 そりゃ感覚も狂うよな、と自分で納得する。シャワーを浴びて正解だった。そう言えば、僕がボディーソープで髪をギシギシにしている間、彼はドアの向こうで何やら音を立てていた気がするのだが、記憶違いだろうか。首にかけたタオルで濡れた頭を掻きまわしながら、僕は彼に聞いてみる。


「僕がシャワーしてる間、鳩くんなんかしてた?」

「え? ああ、冷蔵庫とか漁ってましたよ。」


 この野郎、あっけらかんと言いやがって。それはもう、覗き魔どころかただのコソドロだ。


「なんで? 最低だね、つくづく。」

「いや、違くて。これ、ここに出てる分だけかなって。」

「ああ……。うん、これだけ。」


 僕の顎が上下するのを見送って、鳩くんは少しだけ笑った。それから、ほとんど空だったコップに水を継ぎ足し始めた。黒ずんだシンクに、微かな光が宿る。自然光ではない。室内の明かりが反射しているのだ。


「じゃあ、これも積んでこ。トラックなんで。」

「お弁当剥き出しで?」


 僕が冗談で答えると、少しだけだった笑みが深くなる。鳩くんの頬は素直だ。きゅっと蛇口をひねる音がする。締まりきらずに垂れたしずくが、妙に色っぽい。


「今日はブルシ積んでたと思うんで。」

「準備いいねー。」


 会話とは何ら無関係ながら、差し出されたコップを受け取って、従順に水を飲み干した。普通においしいものだ、水って。おとなしい僕の態度に、鳩くんも満足したようだった。


 僕たちは荷物を引きずり、すぐそこの玄関に向かう。鳩くんの持ってきたビニール袋は捨て去られていた。そして、物語は冒頭に戻る。




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