第29話 直接対決
以前訪れた時よりも、そこは少し暗く感じられた。
それが気のせいだとわかりつつ、三彩希はまるで敵が自分を出迎えるためにシチュエーションを創り出してくれたかのように思ってしまう。
スマホの録音ボタンを押し、それを胸ポケットにしまって玄関横のチャイムを押した。
「はい」
とても弱々しい、しかしそれでいて芯の通った声が扉の向こうから響き、少しして扉が開けられる。今時カメラのついてないインターフォンも珍しい。
家から出てきたのは、黄泉路蜜だった。
改めて見ると端正な顔立ちで、見る者を立ちどころに射止めてしまうようなその美しさに見とれてしまう。黄泉路は宅配でもない予想外の人物の来訪に、その切れ長の瞳を少しだけ大きくした。
「……?」
あの、という言葉を瞳に浮かべる黄泉路。見るや否や扉を閉められると思っていた三彩希は、コミュニケーションを受け入れてくれたことに少し驚いた。
もしかしなくても、あの黎との美術室での対話が彼女の心を少し紐解いたのだろう。明らかに少しだけ瞳に光が戻っていた。
「黄泉路さん。
「……はい」
「あの、よかったらお邪魔してもいいですか? その、お話があって」
こんな夜更けに、黄泉路は少し悩んだように視線を左右へと動かす。しかしすぐに身を一歩引いて、「どうぞ」と室内へと誘ってくれた。
中に入れば、黄泉路蜜の部屋には血痕があり、風呂場には血だらけの制服が――なんて期待していたものの、彼女の部屋は非常に清潔に保たれており、主張しすぎない程度の程よい香りが充満していた。
そうして部屋の中を確認しつつワンルームの中へと誘われる。予想に反して、部屋の中は黄色を基調とした爽やかな色合いで、非常に女の子らしい。わかりやすいクマのぬいぐるみなどがあるわけではないが、家具やベッドシーツの選び方などに、彼女の女の子らしさが垣間見える。
「座って、ください」
敬語。どこか話慣れていないように、黄泉路は言って床に置かれたローテーブルをさした。言われた通り座ると、黄泉路はお茶を用意しようと冷蔵庫の前へと立った。後ろから見てもすらっと長い脚に目が行く。寝ようと思っていたのか黄泉路は寝間着だった。
少しすると、黄泉路はコップにお茶を入れて運んできてくれた。それを私の目の前に置き、向かいに座った。黄泉路蜜はきょとんとした顔で三彩希を見つめている。
「初めまして。黄泉路さん」
「はい」
「急にすみませんお邪魔してしまって。寝ようとしてました?」
「いえ」
まるで機械に話しかけているようで、三彩希は調子を狂わされる。
「ごめん、なさい。あまり人と話すことに慣れていなくて」
三彩希の気持ちが顔に出ていたのか、黄泉路は気まずそうに視線を下げた。
「いえ、大丈夫です。本題に入らせてもらいますと、ここに来たのは一つお尋ねごとがありまして……今しがた、四季創学園の最寄り駅で事件があったのはご存知ですか?」
黄泉路は少し驚いた後、首を横に振った。
「殺人事件があったみたいです」
「そう」
彼女の顔に大きな変化はない。
「被害者はまだわかりませんが、噂によると遺体はバラバラで発見されて血の海だったとか」
不躾にする話ではない。しかし三彩希はあえて畳みかけるように話す。相手の反応を見るために。バラバラ、そのワードに黄泉路はわずかに眉根を動かし三彩希を見た。
「しかも、ご遺体には無数の穴が開いていたとか」
探るようにそう伝えると、黄泉路は驚いたように瞼をひくつかせた。
凄惨な事件に驚いているようにも見えるし、犯人が追い詰められたようにも見える。三彩希にはバイアスが掛かっていてフラットには判断できない。
「すみません。黄泉路さんの過去の事件を知っていて不躾に……」
一応、と遠慮のようなものを垣間見せる。
「犯人は?」
初めての黄泉路の問い。三彩希は首を横に振るう。
「わかりません。今調査中でしょう。ただし、犯行の手口から察するに、黄泉路さんのご両親の件と同じかもしれませんね」
遠慮を見せ警戒心を解きつつ、相手が気を緩めたところで強引に一歩踏み込む。インタビューや交渉というのは、これの繰り返しだと三彩希はよく知っている。
「ところで黄泉路さんは、放課後何をされていたのですか?」
「え?」
「安心してください。あくまで事件の調査です。私、そういうのを生業としていまして」
転校初日に話題になっていたことを思い出したのだろう。黄泉路は小さく声をあげた。どうやら聞いていないようで聞いてくれていたようだ。
「お恥かしながら、私も黄泉路さんと同じなんです。父がいないんですよ、私も」
三彩希の打ち明けに、黄泉路は同情するように眉根を寄せる。
「昔ちょっとした事故に巻き込まれましてね。その時亡くなりました。だから私、こうやって事件を解決する真似事をしてるんです。将来は私立探偵にでもなりたいって思ってて……犯罪に手を染めた悪人は、決して許されるべきじゃありません。そんな人間が、のうのうと日常生活を送っているって考えるだけで吐き気がします。黄泉路さん、今回、真犯人を捕まえる千載一遇のチャンスかもしれません! 是非私に協力させてください!」
引いては押す。そうやって一歩ずつ、じわじわと踏み込んでいく。
「特にはなにも。放課後美術室に行って……それでそのあとまっすぐ帰ってきて、スーパーでお買い物をして帰ってきた」
黄泉路が視線を台所にやったので見ると、たしかに何かを調理している最中だった。空になったフライパンと、まな板の上には卵焼きが載っている。
「あれって?」
「お弁当の準備」
「あれ、でも黄泉路さんって購買部で……」
そこまで言って、しまったと思い至る。尾行調査していたことを自らあけすけにしてしまった。恐る恐る黄泉路を見ると、しかし彼女は特に気にした様子もなかった。
「作ってみようかなって。少し、変わってみようかなって」
そう話す彼女の視線は三彩希を捉えていない。少し穏やかな表情で、テーブルを見つめている。垂れた長い髪が彼女の首筋をすっと流れた。
その顔は、やはり笑ってはいない。
けれど、三彩希は本能でその表情の奥に隠された感情を感じ取った。
どうしようもない、焦燥感。
「皇子代さん、ですか?」
「え?」
その名に、黄泉路はあからさまに素早く顔を上げた。すぐにその反射的な動きが過ちだと気付いたのか、視線を泳がし逃げる。挙動不審のように前髪を触る。
わかりやすい。自分も傍から見ればこんなにわかりやすいのだろうか、なんて考える。
「美術室で何か話していたりと、親しくなったと小耳に挟みまして」
「親しい……のかな。ううん、まだまだこれから、だと思う」
その声は相変わらず薄く消え入りそうで。しかし明らかな艶っぽさが含まれている。
「好きなんですか?」
言ってから、馬鹿だったと反省する。交渉には自信があったはずなのに。どうしてこんな直球ストレートで、何の益もない質問をしてしまったのか。
訊いてから自分の愚かさに後悔した。
そしてその解答を聞いて、さらに後悔する。
「わからない……けど、そういう感情なのかな」
黄泉路はとろんと瞳をうるませた後、胸を押さえて苦しそうに大きく息を吸った。
「で、でもあの人性格悪くないですか? 口は悪いし、すぐ人と喧嘩するし」
「でも優しい。こんな私に気遣ってくれる」
「でもそれって、なんていうか偽善? ですよね。今は優しいけど、いつまでも寄り添ってくれるわけじゃないですよ? 男なんてそんな生き物です」
「うん。知ってる」
その言葉には、口や表情には出ない笑いが含まれていて。
「でも人はみんなそういう生き物だから。だからそれはもう忘れて、目の前のやさしさに飛びついてみようかなって。馬鹿になってもいいかなって、そう思ったの」
言葉を重ねれば重ねるほど、自分の愚かさを垣間見る。
心清らかな黄泉路に対し、自分がとても汚れて見える。
まるで光と影のように。明暗がくっきりと分かれてしまう。
それが眩しくて。目が痛くて。目を開けていられなくて。
「黄泉路さんが犯人ではないという証拠はありますか?」
あふれ出たものは、辛辣な言葉だった。
もはや礼儀も交渉もない。ただ不躾に言葉をぶつける。目の前のそれを否定したくて。
黄泉路は少しだけ驚いた様子だったが、すぐに真剣な面持ちで言った。
「やっていません」
「それをどうすれば信じられますか?」
「信じなくてもらえなくたっていい。彼が、信じてくれているなら、それでいい」
とても丁寧に、ある種突き放すように言った。
負けというのはこういう感情を言うのだろう。悔しいなどというチープなものよりも、圧倒的な脱力感を感じる。まるで魂が抜かれるような。
--と、黄泉路が再び、苦しそうに眉根を寄せる。胸を押さえ、少し息を乱す。
「大丈夫ですか?」
「う、うん……ちょっと」
黄泉路は大きく息を吸い、窓の方へと駆けよった。息苦しいのか、空気を入れ替えようとカーテンを開けて窓を開く。
――と。
「え」
カーテンの向こう。奥に張り出すようにできた場所に花瓶が一つ、添えてあった。
その花瓶には、一本の黄色い花が生けられている。
黄色い、向日葵が。
「……黄泉路さん」
窓際で息を整える黄泉路の背に問いかける。
「黄泉路さんは、いつも何時ごろに就寝されますか?」
「え……? 11時ごろ?」
「では。最近、帰宅後に家を出たことはありますか?」
「……待って、ちょっと静かに……」
黄泉路はさらに苦しそうに、前かがみになった。
「黄泉路さん! 昨晩の8時ごろ、家にいましたか?」
「帰って!!」
三彩希への返答は、怒号だった。
黄泉路はひたすら苦しそうに胸を押さえている。
「お願いだから……もう帰って」
絞り出すような声。
三彩希は慌てて立ち上がり、カバンを持ち上げる。
「すみません。失礼でした。そろそろお暇しますね」
三彩希はそそくさと玄関へと向かった。黄泉路がどうしているかなんて振り返らない。振り返れない。靴の踵を踏んだまま外へと飛び出し、アパートの階段を駆け下りる。
そして逃げるように、走り出した。
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