第24話 黄色い真実②

「私の両親はね、二人とも、過去に人を殺してるの」


 その言葉に皇子代黎は呆然としていた。

 驚いているのだろう。しかしそんな彼に、トドメを刺すべく、私は言葉を続ける。


「父親は高校生の頃に同級生の女の子を強姦し、最後に殺した快楽殺人者。母親は中学の頃に友達と遊びで売春をして、その相手に脅されたから殺した売春婦」


 淡々とそう話す私の顔を彼はジッと見ている。

 言葉が出ない。どんな言葉をかければいいのか、それがわからない。そんなところか。


「わかる? 過失や事故じゃないの。はっきりとした殺すという目的意識を持って、彼らは人を殺めた最悪最低の人種なの。救いようの余地もない」


 皇子代黎はそれでも黙って私を見続け、黙って言葉を聞いていた。


「そんな愚かしい二人が、愚かしくも生き延びて、そして愚かしくも互いの傷を慰めあうようにくっつき、そして、愚かしくも私を生んだ……こんな、愚かしい存在を」


 なんて、愚かしい。

 なんて、汚い。

 なんて、醜い。

 私は徐々に自分の声が荒げていることに気付いた。いつのまにか、彼に言っているのではなく、自分で自分の言っていることの恐ろしさに腹が立ってきたのだ。


「そんなどうしようもないくらいの悪。そしてそんな明確な悪意の結晶が、私。私は生まれてきたこと自体が罪深い。だから――」

「だから、あんたも人殺しか?」


 そう彼は私の言葉を奪うように言った。その目からは何を考えているのかは読めない。


「……そうよ。だから、私が両親を殺していたとしても、なんら不思議はない。いや、むしろ私が殺していた方がよっぽど自然。違う?」

「違うな」


 彼のそのハッキリとした言葉に少し身体を強張らせる。

 どうしてそこまで否定できるのか。君はまだ偽善を続けるつもりか。


「なるほど。それであんたは悲劇のヒロイン気取りか?」


 彼はしっかりと私を睨みつけるように言った。


「え……」

「両親は人殺しで、だから自分も所詮人殺し。私は愚かしい人間だから、誰も構わないで。私は一人でいるべきだ。それが自分の背負うべき罪だから……そうやって悲劇のヒロイン気取って悦に浸ってるんだろ? 何か違うのか?」


 何も、言い返せない。

 まだ、彼の畳み掛けるような言葉に頭が着いていかない。


「確かにそうすれば逃げられる。嫌な現実も多少はマシになるかもな」


 次第に私の頭も思考を巡らせ始める。彼の人の心を読み切ったような言葉に、心が揺れる。そしてそれに反発するように、言葉が生まれ始める。

 逃げる? 違う。逃げてなどいない。自分でそう選んだのだ。自ら孤独を選んだのだ。

 そうすることが、自分の贖罪なのだから。


「でもあんたは孤独を望みながら、心の底じゃ、周りに同情されることを願ってる」


 ――違う。違う。

 同情なんか要らない。私は皆から忘れられたっていい。本当に一人になりたい。


「こんな私を見て? どう? 可哀想でしょう? ってな」

 

 ――違う違う違う!


「そしていつかきっと自分を救ってくれる人が現れる。そんな愚かしい願いを抱いてる」

「違うッ!」


 気が付くと、私は叫んでいた。自分の心の声が、制御できずに洩れてしまった。

 でも、それは絶対に違う。そう断言できる。それは彼の言葉を聞いても揺らがない。

 ただ許せなかった。ただ我慢がならなかった。自分が誠実に、そして粛々と行ってきた、唯一の善行。自分の罪を少しでも償うためにと、下心など全く無しに選んだ道。

 それを今、目の前の男に、偽善だと切り捨てられたのだ。悲劇のヒロイン気取りだと。


「君に、何がわかるのよっ!」


 また気が付いたらそう続けていた。しかし怒りはそれだけでは収まらない。自らの言動が馬鹿げていると知りながらも、言葉を叫び続ける。


「勝手に人の心を決めつけないで! 何様のつもりよ! 人の心を読んで頼りになる主人公でも演じてるつもり!?」


 しかし私の言葉に、皇子代黎は何も言い返さない。ただジッと、私を見つめている。

 その迷いの無い澄んだ目がどうしようもなく、私の苛立ちを駆り立てる。


「私は一人にならなくちゃいけないの! それが私の罪の償い方なの! だから救いはいらない! 同情だっていらない! 私の存在は、それくらい罪深いのだから!」


 言いたいことを言った。しかし同時に、こんな事をしている自分が、どこか図星を突かれてそれを隠すために虚勢を張っているように思えてしまう。

 やはり、愚かしい。


「罪ってなんだよ。あんたが勝手に思い込んでるだけだろ」


 必死な反論にも、彼は変わらずの様子で冷たく言い放つ。


「贖罪? 勝手に決めた罪を勝手に償って、それで誰が喜ぶんだ? あんただけだろ?」


 その言葉に、理性が吹き飛んだ。

 自分でも、何を言っているかわからないくらい、頭で考える前に言葉だけが先行する。


「罪よ! 罪に決まってるじゃない! それを教えたのは君たちでしょ? 君たちが人に人殺しってレッテルを張って、蔑んで見たんじゃない! 罪を償えって! だからこうしてその通りに生きてるんでしょ? だからこうして、一人を選んだんじゃない!」


 しかし彼は何も言わず、再びただ私を見続けた。

 私の叫びはまだ止まらない。

 いや、止められない。


「私だってそんなことできればしたくなかった! 愛想笑いでもいいから、ずっと楽しく生きていきたかったわよ! 適当に友達と遊んで! 適当に男の子と付き合って! 適当に結婚して、適当に子供を生んで……でもしょうがないじゃない! 君は自分の両親に自分は人殺しの子供だって告げられたことがあるの? ないでしょ? そんな人間に何がわかるって言うの!?」


 呼吸をするのも忘れ、ただ叫び続ける。

 ずっと誰にも言えなかった不満を、吐露するように。


「ずっと信頼してた人に裏切られて! そして自分の存在が間違ってるって知って! そんな私が何事も無かったかのように生きていける? そんなことを知ってしまったのに? できるわけがないじゃないッ!」


 叫びながら思考する。私は、何を言っているのだろう――と。


「だったら一人になるしかない……周りの人に迷惑かけないように。私が一人になることで、周りの人は救われる! 私だってそんな窮屈な生き方をするくらいなら一人の方がいい! 皆が幸せになれるなら、それでいいじゃない! 私は不幸を受け入れたんじゃない! 私は私なりに幸せを見つけたのッ!」


 言えば言うほど、自らの言葉が言い訳に思えてくる。自らの叫びが、虚しく聞こえる。

 そして彼は、未だ何も応えない。ただジッと。こちらを見ている。

 何だ。

 何だその目は。

 見るなら私をもっと蔑んでよ!

 蔑むつもりがないならこっちを見ないでよ!


「だから、私は何も間違ってない! 私の行為は偽善でも何でもない! 悲劇のヒロインを、気取ってなんていないッ!」


 最後に、投げつけるように、そう叫んで切った。

 疲れで胸を上下させる。いつ以来だろう。こんな大声を出したのは。

 いや、おそらく初めてだ。昔の私も、こんな声を荒げる性格ではなかった。知らぬ間にストレスが溜まっていたのか。怒りに任せて暴れ、そしてそれを終えた後の虚無感に、自身の行為の愚かしさを見せ付けられるように、脱力する。

 そんな私に、彼はようやく口を開いた。


「何だ、あんた怒れるんだな」


 ずっと黙っていた彼から掛けられた言葉は、脈略の無い、理解のし難い言葉だった。


「え……?」


 拍子抜けして、つい馬鹿みたいな声が洩れる。


「あんたって何も言わないし無表情だから、そういう感情失くしちまったのかなあと思ってたからさ。でも、今怒ってんの見てわかった。やっぱあんたは普通の人間だよ。俺だってそんなこと言われたら怒るわ」


 その言葉に、気付く。



 私は、心を動かされた。



 自分で殺したはずの心を、彼に無理矢理動かされた。


「だから、私は、人殺しの娘で……」


 予想だにしないこの状況に、どうすればいいかわからず、何かを取り返すように言葉が出る。しかしそれはすでに遅い。皇子代黎は反撃とばかりに言葉を急かす。


「じゃああんたは俺を殺すのか?」

「それ、は……」

「じゃああんたは俺を、殺したいのか?」

「そ、そんなことは……」

「悪いのはあんたの両親だろ」


 皇子代黎は迷わず、間を置かずはっきりとそう言った。


「……それは……」


 それは、わかってる。でも、だからこそ、その子供の私も、悪なのではないか。

所詮、蛙の子は蛙なのではないか。


「蛙の子は蛙? ふざけんな」


 また私の心の声を読み取るようにして、彼は言葉を吐き捨てる。


「そんな本能だけで生きてる気持ちの悪い両生類と人間を一緒にすんな」


 それは、まるで私の代わりに怒ってるようだった。


「人はそんな下らないものには縛られない。そのための心だろ」


 彼は私をしっかりと見つめて、右手で拳を作り、自分の胸の辺りをトントンと叩いた。

 自分の、心を。


「見て、聞いて、触って、感じて、そして考える。それが人間だ。それがあんただ」


 彼は胸に当てていた手を離し、今度はその手で私を指さした。

 その言葉はゆっくりで、それでいてとても強く、しかしとても優しかった。


「じゃああんたは、見て、聞いて、触って、感じて、そして何を考えた?」


 彼はまるで子供を叱るように、私に語りかける。

 何を、考えた?


「両親と同じ、人殺しになることか?」


 それは、違う。それだけは――。


「違うだろ?」


 再び彼が、私の心を読み取ったかのように、代弁する。


「自分はそうならない。そうなりたくない。そう思ったんだろ? だからあんたは自分を悲観した。自分の存在は間違いだと、そう思ったんだ。違うか?」


 違、わない。


「人よりその罪の重さを知って、他人より悪を憎んで、そして他人よりその辛さを知っているんだろ?」


 知ってる。

 うん。知ってる。


「だったら大丈夫。あんたは誰よりも優しい人間になれるよ。絶対にだ」


 彼は、そう言って最後に優しく微笑んで見せた。

 その笑顔は、昼休みに見せた時と同じ、無理をしていない、自然な笑顔。

 そしてその笑顔は、私自身が忘れてしまったもの。

 ――眩しかった。

 そして何よりそれが自分に向けられていることが、何よりも眩しかった。

 深い深い暗闇で光を忘れて過ごしていた人間が、ある時外に出て、その陽の光を浴びてしまったように。その笑顔は私が潰れてしまいそうなくらい、眩しくて、そして優しかった。しかしだからこそ、彼のその言葉が偽りでないことも真実だった。


「――っ!」


 突如、込み上げる何かを堪えきれず、口に手を当てて抑えようとした。冷え切ったこの心が温められる、この感覚。暖かい。その眩しい光が、心地良く暖かい。私は、こうして誰かに否定して欲しかったのだろうか。彼が言ったように、いつか誰かが自分を受け入れてくれるのを待っていたのだろうか。

 違う――と、言いたい。今までの私は本気で自分を蔑み、諦めていた。でも確かに私の心は、今とても暖かい。それが、事実。

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