第23話 黄色い真実①
一人きりになった薄暗い美術室は、思ったよりも心地良かった。今のこの教室のような世界に私は行きたい。本気でそう思う。
しかし今の私は現状とは裏腹に、想像以上に清々しくない気持ちだった。自分に好意を抱いてくれた人間をバッサリと切り殺し、一度持ってしまった疑念を振り払ったというのに、私の心はもやもやしていた。
自分が願ったことなのに。自分が求めたものなのに。今までこうして生きてきたのに。
そしてこれからもこうしていくと、決めたのに。
最悪な、気分。
それもこれも、全てあの少年のせい……いや違う、自分の心の弱さだ。
そんな時、カラカラ、と誰かが教室に入ってくる音がした。空が少し暗くなった教室の窓、そこに映った人を見て、あの男子生徒、皇子代黎が教室に入ってきたのがわかる。
こんなところに何を。その理由はなんであれ、ここにいるのは私しかおらず、昼休みのことを考えると、彼が私に何も関わらずに出て行くとは思えない。このお節介は、おそらく何かを話し掛けてくるだろう。
身構える。
今度こそ、彼を突き放さなければならない。そして、思わせる。私とあなたとの間に、関係は成り立たない、と。だから二度と構うな、と。
そうか、そうだったのだ。おそらく今のこのもやもやはそうしないと晴れない。彼との間に中途半端にできてしまった関係を断ち切ることでしか、今の私は落ち着けない。無視をしても、彼は一人で話し続けるだろう。そして彼のリズムに持ち込まれる。それは昼の短い関係でわかる。だから彼が話し掛けて来たらしっかりと言葉でもって、突き放そう。
窓の反射越しに見ると、彼は腕を組んで少し考えたあと、何かを思いついたようにもう一度こちらを見直した。
やはり何かを言うつもりだ。話し掛けてくる。しかし何を言われたとしても、私の心は決まっている。私はこの関係を断ち切る。もうどうしようもないくらいに、ぶち壊す。
それが、私の背負うべき罰だから。
彼は片手を上げ、ゆっくりと口を開いた。
「邪魔するでぇ!」
「邪魔するなら帰って」
「あいよっ! ってなんでやねん!」
――しまった! やられた!?
私は返事をしてから、すぐに自分の過ちに気が付いた。
彼の言動を見る限り、彼がお笑い好きだと容易に想像がつくのに。今の返答は一番してはならない返答だった。それは私の想いとは真逆の、むしろ好意的な関係にのみ成り立つやり取りだった。
だめだ、心を揺るがしては。落ち着け、落ち着け、彼のペースに飲み込まれるな。
「さすがだな。関西に生まれてて知らないわけがないと思って振ってみたけど、あんたもちゃんと見てるんじゃないか、新喜劇。いつ見ても面白いよな、あれ」
こちらの意思などお構いなしに、皇子代黎は私の後ろの椅子に座りこんだ。そうさせたのは自分のミスだとわかっている。どうにかしてこの過ちを正さなければ。逃げるわけにはいかない。このままだと、この胸のもやもやは消えない。
今ここで、しっかりと彼との関係を絶ってしまわなければならない。後腐れがあってもいい。しかしお節介な彼が私に少しでも関わりたいという気持ちを絶たなければ意味が無い。と、思考を巡らせていると、「あんたモテるな。今、告白されてたんだろ?」と彼の方から話を振ってきた。
「……どうして?」
恐る恐る答える。
私は今、会話をしてしまっている。
「だって昨日も先輩に誘われてたし、放課後にこんな人のいないところで男子と二人ってそういうイベントしか思い当たらない」
「逢引かも、しれないじゃない」
我ながら馬鹿みたいなことを言う。会話に不慣れなせいだ。
「まぁ、あんたくらい美人ならそれであってもおかしくないな」
「……美人、か」
この男も、結局はそういうことか。
――下心。
結局、彼も自分のことしか考えていない。日本史の教師になじられていた時も、昼間先輩に絡まれた時も、無償で助けたのではない。それなりの見返りを求めていた。自意識過剰のいやらしい考えかたかもしれないが、事実、私にはそれがわかる。
何度も、経験してきたことだから。
少し他の人とは違うのかなと気構えていたが、どうやら思い過ごしだったらしい。
得体の知れなかった皇子代黎という存在の底がとてつもなく浅かったことを知り、一気に張り詰めていた緊張の糸が解けた。
「君は、私の噂、聞かないの?」
冷静さを取り戻した私は一気に畳み掛けようと、言葉を急ぐ。
「知ってる」
「そう。私は、人殺し。しかも殺したのは両親」
「で、それを誰が証明するんだ? 警察もあんたは犯人じゃないって結論を出した。だったらそういうことだ」
「そうね。私には両親を殺した時の記憶はないわ。でも、私が殺したんだって、そう確信できる理由はある。そしてそう言われる理由も」
「あんた以外に犯人らしい人がいなかったってやつか? そんなもん理由になるかよ。あんたにだって数分でバラバラは無理だろ。女子なんだし」
別に気にはしないが、人の死んだ両親をあまりバラバラだとか言うものではない、と思う。ちょっとその辺りの配慮に欠ける人の様だ。別にいいんだけど。
「……君は、知らないのよ」
「なにを?」
「そして多分君にそのことを教えた人たちも、誰も知らない。このことを知ってる人は、警察と当時の事を詳しく知る数人の先生たちだけ、じゃないかな。あとさっきの男の子」
それくらい人に言うのも憚れる《事実》。
それが私が両親に告げられた《真実》。
そして私が人殺しであるという事を証明してしまう、そんな《現実》。
それを、この人は知らない。さっきの一年生も知らなかった。そしてそれを告げた瞬間その少年の目は、周りの皆と同じ、私を蔑む目になった。人殺しと疑われる自分が、本当に人殺しだったと確信させるそんな《真実》を知って。
初めからこれを言っておけばよかったのだ。そうすれば、喜んで向こうの方から去っていってくれる。そしてまた私は一人になれる。
罰を、受けられる。
私は初めて彼の方を振り向いて視線を合わせ、ゆっくりとその言葉を紡いだ。
「私の両親はね、二人とも、過去に人を殺してるの」
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