第17話 馬鹿の事情聴取

皇子代みこしろさん皇子代さん!」


 いつも通り妹の小春といちゃいちゃして時間をたっぷりどころか過度に使い果たした黎が、登校で自転車に乗って土手を走っていると、すでに聞き飽きた甲高い声に呼び止められる。視線の先には、道をふさぐように虹倉三彩希が立っていて、こちらに向かって手を振っていた。

 うざ、と肩を落とすれいだったが、轢き殺すわけにはいかない。自分は上級国民でも老い先短い高齢でもないんだから、と黎は自転車を止めた。


「ちょっとなんですかそのうざさ100%な顔は!」

「朝からはキツイわ」

「朝から揚げ物だされた旦那、みたいな!」

「一日胃もたれがすごい」

「まだ若いんですから爺臭いこと言わないでください」

「よかったら隔週で会わないか? 俺も自分の生活があるからさ……」

「なんですかそのセフレみたいな扱いは!! 違いますよ一つ重要な手がかりを得たんです!」


 ビン、と人差し指を立てて黎に見せつける三彩希。


「それ今じゃないと駄目なのか? 学校でいいだろ」

「駄目です! 情報は魚と同じで、ぴちぴちの生きのいい時に扱うのが鉄則です! あと学校だと話しにくいですし」


 隠すことなく大きなため息をする黎。


「だったら俺も一個手がかりを見つけた」

「え、ほんとですか!?」

「当時の黄泉路をよく知っていそうなやつのことだ」

「え、そんな人がいたなら真っ先に教えてくださいよ! いの一番にインタビューするべきでしょう! 助手失格ですぞ!」

「でもな~。ん~。な~」

「何をわかりやすくうんうん悩んでるんですか」

「正直気乗りがしないんだよな~」

「勿体ぶらないでください。誰なんですか」


 黎は少し悩んだ後、三彩希を指さした。


「私?」

「いや、昨日の黄泉路の部屋にあった寄せ書きあったろ?」

「ええ、撮ってますが、それが何か?」

「あれ、中学時代の同じクラスのやつらからの寄せ書きみたいだけど、名前見てみろ」

「名前ですか」


 言われてスマホの写真を漁る。寄せ書きの写真を見つけ、それをズームする。右上から名前を見ていくが、どれも見覚えのない名前ばかりだ。


「……ん?」


 その真ん中右に、青いペンで大きく書かれた文字。一瞬英語か何かだと思うほどに、ミミズがのたうち回ったようなその文字。よく見れば「大丈夫!」と書かれていることに気が付いた。そしてそれを書いた人物の名前に注目すると、しかしやはり同じような汚い文字で読めない。右へ左へ回して見るが、やはり解読できそうにない。


「えーっと、これは……?」

「俺はそのパスタをこぼしたような汚い文字をよく知ってる。強敵だぞ、覚悟しろ」


          〇


一時間目。古典。


「え~っと、じゃあ次の問題を答えてもらうのは……蒼海おうみか」


 と、国語の教師は眠そうにそのしゃがれた声で言った。


「ういっ!」


 黎の前に座る蒼海清水きよみずは、教師に当てられるとそれはそれは大きな声で返事をして、立ち上がった。ちなみに席を立つ必要は無い。


「蒼海。じゃああれだ。あ~今何ページかわかるか?」


 教師は一度大きくため息をついた後、呆れ気味にとても失礼な問題を出した。


「八十三ページですっ!」

「よし、大正解だ。じゃあ次は嘉山だな。嘉山、次の問の答えは何だと思う?」


 あまりにもひどい扱いだ。しかし国語の教師は知っている。いや、この学園に通うすべての人間が知っている。蒼海清水という生徒は、こうでもしないと進まないのだと。

 国語教師の英断もあり、スムーズに進行した授業はすぐに終わりを告げるチャイムが鳴り響く。みんなが解放されたように立ち上がる中、黎は前の席――蒼海の座る座席――の椅子の裏をがつんと蹴り上げた。


「わっ、地震か!?」

「脳内太平洋プレートかよ」


 よくわからないボケに、よくわからないツッコミ。しかし少なくとも、蒼海のそれはボケではない。いつだって彼は真面目なのだ。

 ただ、馬鹿なだけで。


「蒼。ちょっといいか」


 黎は隣で待っていた三彩希を見遣りつつ言う。三彩希はすっと体を寄せて聞き耳を立てた。


「おお、どうした黎。授業の内容なら全くわからないぞ。何を言ってるか理解できん」

「だろうな。それをお前に尋ねる時は俺の死ぬ時だよ。お前に聞きたいことがある」

「おおっいいぞ。 ど~んと来い! いや、ど~んとカム!」

「そのネタまだ引っ張ってたのかよ。蒼、お前黄泉路蜜とおんなじ中学の同じクラスだな」

「ん? まーにゃ。それがどうかしたか?」


 そう。あの寄せ書きに書かれていた青いペン文字は、蒼海のものだった。黎はその見覚えのある字で、それに気がついた。


黄泉路よみじの両親が殺された事件について何か知らないか?」

「ちょっと!」


 黎の品のない質問に、隣で聞いていた三彩希がぎょっとして肘で突く。しかし黎は問題ないと言いたげに、寄せる三彩希の顔をその手で押し返した。


「蒼はオブラートに包んでも、包み紙だと思ってそれをそのまま飲まずにオブラートを剥がそうとするんだ。結局、包むだけ時間の無駄なんだよ」

「どんだけ馬鹿なんですかそれ……」


 蒼海に聞こえないように小さな声で言ったつもりだったが、おそらく聞こえていたのだろう。蒼海はむっと眉を怒らせる。


「噂だろ、それ」


 しかし蒼海は三彩希の発言に怒ったのではなかった。


「黄泉路ちゃんは何もしてない! 絶対してない!」


 と、能天気な顔をした蒼海が一転、肩を怒らせて立ち上がった。これまで見たことのない様子に、黎と三彩希は圧倒される。


「落ち着け落ち着け」


 蒼海の両肩を押して座らせる。衆目にさらされるのだけは勘弁だった。


「お前がそんなに怒るなんて珍しいな」

「だってひどいんだぞ。みんな黄泉路ちゃんを犯人だ人殺しだって言うんだ」

「でも違うんだろ? 警察がそう判断した」

「警察とか関係ない! 黄泉路ちゃんはそんなこと絶対しない! わかるんだ!」

「わかるって、具体的には? その話を本人としたとか?」


 たまらず三彩希が質問を重ねる。


「話したことない!」

「じゃ、じゃあどうしてそう思えるんですか?」

「笑顔が可愛かったんだ」


 蒼海が一転、満面の笑みで言った。当然、訳が分からないと三彩希は黎に助けを請うように視線をやった。黎は「な? 強敵だろ?」と小さく言って目配せした。


「でも、世の中にはサイコパスという人がいまして、普段は問題なく人間社会で生活を送っていますが、ふとした時にスイッチを切り替えて人殺し、しかも猟奇的な殺人を犯す人はごまんとしますよ」

「いや、俺にはわかる。あんな笑顔のできる人が、人を殺せるわけない」


 蒼海は言い切ってやったと言わんばかりに両腕を組んだ。こうなったら、頑として意見は曲げないだろう。黎は彼のこういった頑固さをよく知っている。


「ここで優秀な解説役が必要かな?」


 聞き覚えのある声が割って入ってきた。蒼海の背後で、衣笠きぬがさ美登里みどりが得意気な笑みを讃えている。


「すみません。人違いですよね?」

「いっつも入りが他人行儀すぎない?」


 黎の言葉に、かくんと肩を落とす美登里。だがそれを気にも留めず近くの席へと座る。


「なんだよ美登里。今込み入った話をしてるんだ」

「黄泉路さんの事件に関してでしょ? 僕結構知ってるよ」

「本当ですか!?」


 ぐいっと、前のめりに食らいついたのは三彩希。


「三彩希ちゃんがそのネタを追いかけてるって聞いてね。僕も役に立てたらと思って、仲のいい子に聞きまわってたんだ」

「なんとっ! 衣笠さんはやり手ですね!」

「そこのワトソンくんより僕の方が助手にふさわしいんじゃない?」


 美登里が言って黎に目配せすると、黎は心底うざそうに視線を逃がす。


「言われてるぞ、虹倉にじくら

「ワトソンはあなたのことでしょう。木偶の坊」

「お前みたいなチビがホームズに見えるか? 背が高くないと」

「それ言いますけど、ホビットがチビなのはCGであって、ワトソンは本当にホビットサイズじゃないですからね」

「てことはお前に出番はないわけだ」

「あぁん!?」

「なんか、入る余地なさそうだね」


 黎と三彩希が言い合っている様子を、美登里がにこやかに見つめている。そこでようやく夫婦漫才みたなことをしていることに気がつき、三彩希ははっとして美登里に向き直る。


「いいです。衣笠さんの聞いたことを教えてください」

「当時の事件概要については、三彩希さんがアップした動画で語っていた通り」

「動画見てくれてるんですか!? 嬉しい!」

「話を止めるな」と黎がすかさず突っ込む。

「わかってますよ。それで?」

「話を聞いていて気になった点は一つ。確かに犯人は捕まっていないし、警察は黄泉路さんを犯人だとしていない。一時的に容疑者にはなったみたいだけどね」

「だったら何が」

「黄泉路さんが否定しないらしい。自分がやっていないって」

「「は?」」


 黎と三彩希が揃ってそんな間抜けな声を漏らす。その後先に黎が口火を切った。


「どうして? 黄泉路の過失で家族を死なせてしまって、責任を感じているからとか?」

「違うと思うよ。あれは事故とかじゃなく、完全な殺人事件だったらしいから」

「じゃあどうして」

「黄泉路さんが事件後目が覚めて、警察の事情聴取の際に言った言葉は『覚えていない』だそうだ」

「覚えて、ない? 気絶してたってことですから、記憶が曖昧だったのでしょうか」

「そう。警察もそう考えて黄泉路さんの気持ちが整理されるまで待ったんだけど、でも覚えていないと言ったのは最初だけで、後は『自分がやったかもしれない』の一点張りだったらしい」

「自分がやったかもしれない……何か精神的な暴発で無意識下で殺してしまったとかでしょうか? いや、実は二重人格でもう一人の自分が殺したーとか? こっちの方が面白そうですね、次のサムネはそれで――んにゅ」


 面白いネタに、喜々として再生数アップの算段を立てる三彩希に、黎が黙らせるように顔をその手で押さえた。


「警察はそれに対してなんて言ってるんだ? 妄言だと?」

「黄泉路さんは両親に思うところがあったみたいで、それが自分がやったかもしれないという罪悪感に変換されてるんじゃないかって。そもそも、黄泉路さんには無理な犯行だったらしいし」

「「無理な犯行?」」


 また言葉を重ねる黎と三彩希。

 美登里は周囲に聞こえないように、少し声量を落として言った。


「現場の近所の人が言うには、黄泉路さんの家から悲鳴が聞こえてきて、駆けつけるまでがほんの数分。つまり少なくとも犯人が両親を殺すのに使った時間は二、三分だってことになる」

「うんうん」

「でもたった数分じゃ物理的に無理、なんだって」

「何が?」

「二人の人間の五体をことが」


 そう言った美登里の顔はいつもの奇妙な笑みではなく、わずかな悲痛さが宿っていた。こんな残酷なことを言うことすら憚られると言わんばかりの、そんな表情。


「これは公式には発表されてないんだけど、黄泉路夫妻の遺体は全身穴だらけで五体がバラバラに刻まれていたらしい。でも

「はい? 熱中症って、あの熱中症ですか? 暑くて死んじゃう?」

「そう。変でしょ? 明らかにおかしいってことで、発表が控えられてたみたいだよ」


 三彩希と黎が顔を見合わせる。しかし三彩希はまだしも、黎はそういったことには門外漢なため、横に首を振るうだけだった。


「漫画やアニメなら、人の身体が一瞬でバラバラにされるなんてよく見るけど、リアルだとそうはいかない。人の身体は思ったよりも硬いんだよ。それをたった数分で二人の人間をバラバラにして、そして証拠を残さず逃げるなんてことは無理だ。いくら人を殺すことに全く躊躇のない精神の壊れた人間でも、物理的に時間が間に合わない。犯人が複数人いたのではって可能性も考えたみたいだけど、そんな人数で誰にも見つからず逃げられるとは思えない」

「衣笠さんって、詳しいんですねそういうこと」

「詳しい知人がいてね。あとノンフィクションの本を読むのが好きだから」

「だからって、黄泉路が犯人か」


 黎の冷たい声が割って入る。見れば、案の定黎はどこかいら立ったような表情をしていて、空気が少しだけピリついた。


「そう周囲が警戒するのも無理はないでしょ」


 美登里はそう言って場を和ませるよう爽やかに笑んだ。それは仕方がない、そういうこと。


「被害者の娘だぞ? 親殺されてどん底なのに、周りからそんな風に見られて……そんなのまともでいられるはずがない」

「だから、周りを無視してるんですね」


 黎の感情をフォローするように、三彩希が言う。

 彼女が無表情で誰とも会話しないのは、それが理由だった。


「そっちの方が楽ですから。下手に関わって傷つくくらいなら、関わらない方がいい」

「そういうことか」


 黎はぐらりと椅子の背にもたれ掛かり、天井を見上げた。


「ん~でもそれが変なんだよなぁ」


 今度はずっと黙って話を聞いていた蒼海が話を切り出した。


「何がだ?」

「事件の後さ、黄泉路ちゃんは最初は皆から優しくされてたんだ。退院して登校してきた時も、皆から話し掛けてもらってて、寄せ書きなんかも書いたりしてたし……でも、その時はもう笑わなくなってたんだよなぁ」

「笑わない? 笑顔とかそういうのにこだわるんですね」

「そらそうだよ。黄泉路ちゃんって、いっつも笑ってたから」


 やっぱりこの人の言うことは意味が分からない、と三彩希は黎に助けを求める。


「お前、そりゃあだって家族が殺されたんだろ? そんな笑える気分でもなかったろうよ」

「そうなんだけどさぁ。でも黄泉路ちゃんってそういう時こそ笑って大丈夫って言うような人間だったから、意外だなって思ったんだ、その時は」

「でも周りは黄泉路のことを犯人だと思ってたんだろ? 周りにそう思われてるって思ったら、周囲の優しさなんて偽善にしか思えないだろ。そりゃ笑えないって」

「だからあの時は違うよ。あの時は警察が黄泉路ちゃんの潔白を証明したところだったから。だから退院して、学校に来たんだもん。みんな本当に別に犯人がいる思ってたんだ」

「だったら、やっぱりショックだからじゃないか? 家族殺されてんのに、ニコニコしてるのも悪いと思ったんだろ」

「そうなのかなぁ。でも黄泉路ちゃんが最初に登校してきた時思ったんだよなあ。あれは黄泉路ちゃんじゃない、って」

「黄泉路じゃ、ない?」


 不思議な事を言う。

 三彩希は蒼海という人物をよく理解していないから、言葉があっちへこっちへ飛ぶというか、言葉足らずな部分を補うことができなかった。だからこそ、尋ね返す。


「黄泉路じゃないって? どういう意味ですか?」

「ん~難しいな。いつもみたいに笑わないからなんだろうけど、あれはなんていうか笑わなかったんじゃなくて、笑えなかったと言うのか……そう。笑い方を忘れてたんだよ。黄泉路ちゃんは。笑いたくても笑えない、そんな感じ。失くしたって言った方が正確なのかな」

「……笑顔を、失くした?」


 そんなものを普通、失くすわけがない。あくまで蒼海は比喩として言ったのだろう。

 その言葉の意味を理解する前に、二限目の始まりを伝えるチャイムが鳴り響いた。自然と一同は自分の座席に戻り、三彩希も次の授業の教科書を机の上へと並べる。

 ふと、静かになった黎を見遣る。普段ぶっきらぼうな顔を浮かべているその横顔は、気のせいかいつもより少し厳しく見えた。

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