第13話 むかつく
空が黒い帳を下ろした頃、
手にはハンディカメラを持ち、そのカメラはとあるマンションに向けられている。
「午後7時30分。例の女生徒は、家に帰ったっきり全く動く気配がありません。このまま何事もなく就寝してしまうのでしょうか」
三彩希のスマホの画面には、マンションのとある一室、そのベランダが映し出されていた。カーテンの隙間から微かに光が漏れ出ている。そこが調査対象の
「しかし、人通りがないですね」
そのマンションは、大通りから横道に入って数分行った先にあった。ただ少し脇道に逸れただけにも関わらず、そこはまるで俗世から切り離されたかのような静けさを纏っていた。向かいにある神社がより一層雰囲気を醸し出している。
「こんなところで可憐な少女が一人暮らし……何か裏が――あ、消えた消えた」
一瞬気を抜いていると、なんと黄泉路の部屋の明かりが消えた。
「まだ寝る時間には早いですよね……これは、何かありそうです。追ってみましょう」
その時、三彩希以外は虫の音しかしないその場所に、ガラン、と何かがぶつかる音が響いた。反射的にその方向を見るも、しかしやはりそこには誰もいない。
「な、なんでしょうか……何か大きな音がしましたが……」
気を取り直してマンション正面に回ろうと、細い脇道に入る。するともう一度、もはやどこからかわからない音が響いてくる。
怪異調査をしていたら、よくあることだ。妙な物音や耳鳴り。そのどれもが明確な幽霊の存在を示しているわけではないが、特別な場所での特別な現象というのはよくあること。三彩希はそれをよく理解していたが、そのほとんどは過敏になった神経が見せる幻であることも理解しているつもりだ。
しているつもり。なだけで、その現象そのものが恐ろしくないわけではない。
「ちょ、っちょっと! 誰かいるんですか!?」
叫んでみても、当然誰も返事を返してこない。すると何故か、三彩希のスマホカメラの画面がノイズが走ったあと真っ黒になってしまう。
「え、え、え……なんでこんな」
――とその時、三彩希の鼻先をかすめるように、何かが飛来した。
「きゃっ!」
三彩希は反射的に体を後方にのけぞらせ、尻餅をついた。
「……蝶……」
それは漆黒を纏った蝶だった。それはひらひらと脇道の先へと飛んでいく。
「驚かせないでください。チョーむかつきましたよ。蝶だけに」
「今のでバッド評価が1万は増えるな」
「ぎゃあああ!!」
少女らしからぬ叫び声をあげる三彩希は、立ち上がってすぐにその背後からかけられた声に、今度は前のめりに倒れ込んだ。
「おい夜だぞ。静かにしろ」
体を反転させ、声の主を振り返る。
「……み、
「パンツ、見えてるぞ」
三彩希はハッとしてまくれ上がっていたスカートの裾を正す。しかし動画撮影用に短くしていたため、倒れている状態ではどうあがいても見えてしまう。三彩希は慌てて立ち上がった。
「何してるんですかこんなところで……」
「こっちのセリフだ。お前、黄泉路の家までつけてきてるのかよ。さすがにやりすぎだ」
「別に撮影した全部を使うわけじゃないですよ。何が起こるかわからないので、念のため撮影しとくんです。もし使うことになっても、モザイクかけまくってどこかわからないようにしますし」
「お前のそのモザイクへの過度な信頼はどこから来るんだ」
やれやれ、と
「迷惑が掛からなきゃいい、って考えをやめろ。何の罪もないのに晒し者にされて、嘲笑される人間の気持ちを考えろ」
「何の罪もないかどうかはわからないじゃないですか」
「わかる」
「どうして」
「警察がそう判断したからだ」
黎から飛び出た意外な言葉に、三彩希は少し驚く。
「警察ってあなた……国家の犬如きが、本気で捜査したと思います?」
「そんなことは関係ない。法治国家で法がそう判断したんだから、それがすべてだ。それ以上もそれ以外もない」
「あなたからそんなセリフを聞くとはね。意外と、ルールとか規律にうるさいんですね」
「それがなくなったら人は人じゃなくなるだろ」
「何を気取ったセリフを……そんな説教をするために私を探していたんですか? 暇ですね」
「なめんな。俺は家に帰ったら妹の世話で手一杯なんだよ」
「じゃあどうしてこんなところに」
三彩希のその質問に、黎は応えるかどうか迷ったように首のあたりをぽりぽりと掻いた。
「むかつくんだよ、いろいろ」
「黄泉路さんを取り巻く環境がですか? 確かに、今日だけで何度も絡まれてますもんね、あの人。なるほど! そういう可憐でか弱いヒロインを助けたい! みたいな?」
「違う。黄泉路にむかついてるんだ」
「はい? どういう意味ですか」
「こう見えても俺はこの生活を楽しんでる。毎日それなりに楽しいし、この日常が壊れるのは勘弁だ」
「それは……わかりますが」
「正直カリカリしないで、みんな気楽に生きて、気楽にやってけばいいって思ってる」
「あなた一番カリカリしてますけどね」
「うるさい。カリカリしたくないけど、周りがそうさせるんだ」
「そういうことにしておきましょう。それで、黄泉路蜜の何がそんなに腹が立つんですか。むしろ人畜無害すぎて怖くなるほどですよ」
「ずっと無表情だろあいつ」
言われて三彩希は、黄泉路の顔を思い浮かべる。確かに何一つ動かない表情筋は、彫刻を見ているような無機質さともの悲しさを帯びている。
「高校生ってのはさ、やっぱ友達と笑って、青春楽しんで、笑って泣いて怒って、そんでまた笑って。そうあるべきなんだよ」
「……くさいこと言ってます?」
「だから言うかどうか悩んだんだよ」
と、黎は口角を歪める。
「ああやって他人と一線引いて、気取って、孤立をあえて選んでますっていうのが気に食わない。見てるだけでむしゃくしゃする。馬鹿みたいな輩に絡まれるのも、結局あいつが撒いた種だ」
「それについては私も同意見です。類友ってやつですね」
「とはいえ、あいつにどんな過去があって、今に至るのかを俺は知らない。知らないから、知ってから罵ってやろうと思った」
「へぇ、ちゃんと考えてるんですね。それで黄泉路蜜の自宅まで来てみたと」
「まぁ」
「ストーカーじゃないですか」
「お前が言うな」
あははっ、と三彩希は小さく胸を上下させて笑う。
「あと悪かったな、昼間はお前に当たって」
「そんなこと気にしてたんですか」
「肥溜めは言いすぎた。ボロ雑巾くらいにしておく」
「謝る気ないですよねそれ」
しかしそれが場を和ませるための冗談だと三彩希もよくわかっている。
「いいじゃないですか。目的は違いますが、手段は同じ。黄泉路蜜を取り巻く未解決事件の真相を暴く! これは手を組むしかなさそうですね。ワトソンくん?」
三彩希が手を黎に差し伸べる。黎はしばしその手を見つめた後、上から思い切り叩きつけるようにその手をはたいた。
「イッタ!」
「俺がカンバーバッチだ。よろしくな、ホビット」
「それ中の人ネタですよね……私じゃなきゃ聞き逃してましたよ。って、痛い……」
びりびりといまだに痺れる手をさする。180を超える巨体から繰り出されたそれは、その体重以上にこれまでに憂さ晴らしのようなものが乗っかっていた。
「それで、どうする? こんなところで黄泉路の家に張り付いているつもりか?」
「あーいえ。ここは部屋にいるシーンを撮れれば良かったので、実は次も考えているんです」
「どこに行くんだ?」
「そりゃ当然、事件現場ですよ」
三彩希は満面の笑みを浮かべた。
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