第12話 え、そんなことできるんですか?
「――マジでさあ、お前みたいなのがよく学校に来れるよな。他人に迷惑掛けてまで生きてて楽しいのか? 俺だったらソッコー自殺するね」
「ぶはっ! ちょ、お前それ言いすぎ。ぶはっぶはっ」
死体を更に傷つけて楽しむように、二人の男子生徒は笑って言葉のナイフを振り続ける。それでもやはり、黄泉路蜜は無表情だ。
そんな二人の会話を中断するように、短髪金髪の肩を後ろから叩く手があった。
「あん?」
何だ、と思って不快感たっぷりに後ろを見る二人。するとそこにはニコニコと満点の笑顔の蒼海がいて、その口が開かれた。
「おいおい。そんなこと言いながら自分のムスコおっ立ててんじゃねえよ。このムッツリスケベ。好きなら好きっていいなよ。今時好きな子を苛めるなんて流行らないぜ? ん? 大丈夫か? 相談乗るか?」
教室の空気が凍った。先程とはまた別の意味で。
そう言われた方の男子生徒二人も急のことで自分が今何を言われたのか整理できず、固まっているようだ。しかし今この状況を一番理解できていないのは、誰でもない、それを言った蒼海本人だろう。
「……あれ?」
自分の言動に相手が良い反応をしないことに違和感を覚えたのだろう。蒼海は自分が変なことを言ったのかな、とようやく気が付いた。
次の瞬間、ガッと、短髪金髪が蒼海の胸倉を掴んだ。やっと自分が挑発されたことに気が付いたのだろう。
「あん? お前今何つった? おい。もっかい言ってみろ」
相手が何故怒っているのか理解できず、蒼海は胸倉を掴まれながら自分にそうすることが正義だと教えた黎の方を見た。
「あ……あれ? 黎? 何かこの人たち怒ってません? 平和的解決策では?」
しかし彼の救いを求める視線の先にいて見守っているはずの当の黎たちは、
「おい。美登里。今朝の株価チャート、チェックしたか?」
「ああ。あれね。ほんと凄かったよね。ぐわーって感じ。権利落ちかな?」
全く蒼海のことを見ていなかった。普通に何も無かったかのように会話を続ける。しかもまさかの株の話だ。
「えぇ!? 嘘だ! その会話は絶対株なんかやってない会話じゃん! さっきまでの二人は俺の幻なのか? 勇ましく悪に立ち向かっていこうとしたあの二人はどこに!?」
「何わけわかんねえこと言ってんだ! あぁん!? もう一回言ってみろっつってんだよ! おいッ!」
「ど、どうしてこんなに怒ってんの? ウェ、ウェアー?」
「そこは『
はい、馬鹿です――と、ツッコんでしまいそうになる自分を諫める黎。
「あれ? じゃあ『
「『どこ』、だ! つうかお前5
「し、知ってるよそれくらい! ごーだぶりゅ、いちえいち、だろ? 5がダブルで、55だから、551H……551の
「無ぇよ! 『Who』『What』『When』『Where』『Why』『How』で、5W1Hだ! ていうかなんで俺がそんなこと説明してんだよ! ちくしょうッ!」
「おお。あんた頭いいな」
「なんで褒められなきゃいけねんだ! ふざけんなボケッ!」
当然そんな面白コントにいつまでも付き合ってくれるわけもなく、短髪金髪の方が怒りに限界が来たらしい。彼は蒼海の胸倉を掴みながら、もう片方の拳を大きく振り上げる。
ガンッと、その拳が蒼海の顔面を捉えた。
蒼海は胸倉を掴む手から離れ、一歩後ろによろめいた。そして少しの沈黙のあと、
「……殴ったね……」
「あん? なんだよ」
短髪金髪は何か文句でもあるのか、と威圧的にそう言った。しかしそんな相手に臆せず、蒼海は声を張り上げて言い放った。
「殴ったね! 親父にしか殴られたことないのに!」
「あんのかよッ!?」
しかしこの状況でふざける蒼海の精神力も凄いが、それだけ嘗められているのにもかかわらず、反射的にそのボケにツッコんでいる短髪金髪の精神もなかなかに凄い。
「あれが噂の突発性ツッコミ症候群ってやつか……」
「そんなの無いからね」
ぼそりと呟いた黎の言葉に、美登里が的確にツッコむ。
しかし短髪金髪は至って真面目に怒っているらしく、そんな蒼海の一見ふざけた態度に怒りを我慢できなくなってずんずんと距離を縮め、再びその胸倉を掴み、「死ねボケがッ!」と、その再び振り上げた拳を蒼海目掛けて振り下ろした。
再び教室全体に緊張が走る。
しかし、その拳が蒼海の顔面をとらえることはなかった。その拳を蒼海本人が、片手で制したのだ。しかも弾いたりしたのではない。しっかりと、相手の拳を包み込むように止めた。
「死ね……だと?」
そう言う蒼海の声は珍しく落ち着いていて、その静けさがはっきりと彼の怒りを示していた。そう、彼は今怒っているのだ。
死――それは簡単に発していい言葉ではない。それは一言で人をどん底に落としかねない危険な言葉。蒼海は馬鹿だから、馬鹿で単純だから……だからこそそんな大して重みもなく勢いだけで放った死という言葉も、彼には許せなかったのだろう。
許せなくて、許せなくて……。
「ふざけんなッ」
蒼海は掴んでいた相手の手を振り払い、しっかりと、一言一言を噛み締めて言った。
「死ねじゃないだろっ! 死んで下さいだろっ! 俺は先輩だぞっ!」
「「なんでやねんっ!!」」
ビシィッ――と、黎と美登里が同時にツッコミを入れる。
ツッコんでから、ついツッコまされてしまったことに気付いた黎と美登里は、引きようのないなんでやねんの手を見て、二人で顔を見合わせた。
黎は頭を抱え、
「やられた。まさか今の状況でまだボケてくるとはな……」
「完全にやられたね。まあ蒼ちゃんは至って真面目に言ってるんだろうけど……それにしても今のは完全に、心無い言葉にキレる流れだったんじゃないのかな」
「なんだよ! 二人ともやっぱり聞こえてたんじゃんかよ!」
「あん? お前らがこいつにやらせたのか?」
短髪金髪は蒼海から手を離し、今度はこちらを睨みつけてきた。同じ鋭い刃物のような目つきだが、黄泉路とは違う。黄泉路が日本刀なら、彼の目はノコギリのようだ。
こうなっては仕方が無い、と黎は立ち上がって教室の後ろへと移動した。
「蒼、お前今のは、『死ねなんて簡単に言うんじゃねえ』って言って殴り返すところだろ」
「え? まあそれはいいんだよ別に。黎も良く言うし。それより上下関係ってのをしっかり教えてやらないと、こいつらのためにならないだろ?」
「蒼ちゃん、多分それは先輩だよ」
自分だけ席に残っていた美登里が苦笑い気味にそう言った。自分は直接関わるのを避ける気だ。黎の睨みつけに、美登里は肩をすくめた。
「ええっ! 先輩なのこれ? 早く言ってよぉ!」
「ていうか蒼、お前自身には上下関係を尊ぶ気はないのかと問いたい」
あきれ気味に言って、黎は先輩である短髪金髪に体を向けた。堂々と、ためらうこともなく。その視線を敵に向ける。
「あん?」
その挑発的な態度に、短髪金髪は更に眉間に皺を寄せた。
「あん? じゃないですよ。さっきからあんあん言って……なんかキモイですよ」
「おい……あんま調子乗ってんじゃねぇよガキが」
後輩の挑発に、短髪金髪ははっきりとした敵対心で答えた。
「ガキって……ただの一つ違いでしょ。やめてくださいよ。小学生じゃあるまいし。よし、先輩のダストっぷりは想像以上みたいだから、ランクを上げましょう。今からムッツリダストだ。ま、ビジュアルは所詮ダストAの色違いですけど」
「はっ。やっぱりガキだな。ゲームのやりすぎだ。オタクかよ。気持ち悪い、話しかけないでくれ」
挑発に意外や意外、今度は乗ってこなかった。
しかしそれで黎が刀を納めるわけもなく、彼はさらに挑発を続ける。
「ん? 不満ですか? ふむ、その上にはメタルキングダストってのがあるんですが、先輩には勿体無いでしょ。ちなみに経験値はベルマーク一万点です」
「あん? 聞いてんのかよ。話しかけるなオタクが。気持ち悪いっつってんだよ」
「また言った。あんあんあんあんと、それが鳴き声ですか。ああもしかして、求愛の鳴き声ですか、それ」
「はあ? なんだその想像力に乏しい例えは? はっ、だったら嬉しいな。俺があんあん言えば女が寄ってくるのか?」
「「え? そんな事できるんですか?」」
「できねえよっ!?」
黎と蒼海の振りに、短髪金髪は見事にツッコミ返した。あまりに絶妙な返しに、周囲からくすりと笑いがこぼれた。
「いちいちうぜえな! お前がそう言ったんだろうがよ!」
「え? 何がですか?」
「だーかーらー! 俺があんあん言うと女子が寄って来るって――」
「「「え? そんな事できるんですか?」」」
「できねえっつってんだろうがよッ! ああもう! めんどくさいなッ!!」
今度は遠くから美登里も便乗した。
一方、短髪金髪はむしゃくしゃして自分の頭をガリガリ掻いていた。しかし、何かを思いついたように顔を上げ、「そうだ。おい、そこの馬鹿」と言って蒼海を指さした。
「ん? 誰?」
「お前だよ! お前、俺がさっき言ったこと、言ってみ?」
「さっきって?」
「だから、俺が、何て言うと、何が、寄ってくるんだ?」
「ああそれか。えーっと」
何も疑わず、相手の誘導に乗る蒼海。
それを見て、短髪金髪がもう一人の仲間に目で合図を送った。な方も、それを見てその意図を読み取ったのか、ニヤッと笑いうなずいた。蒼海に同じ事を言わせて、やり返すつもりなのだろう。
ゆっくりと蒼海が思い出して、言った。
「ああ確か、俺が、あんあん言うと、女が、寄ってくるらし――」
「「え? そんな事できるんですか?」」
二人の先輩は、待ってたとばかりに声を合わせてそう言った。
しかし――。
「え? いや……無理……」
蒼海は至って真面目に返答した。その顔は少し引いている。
「ノッてこねえのかよッ!?」
蒼海なら誘導すれば簡単に罠に嵌ってくれると思ったのだろうが、蒼海がそう簡単に予測どおりに返してくれるわけもなかった。馬鹿とは予測不能なのである。
「ちっ、なんだよノリ悪いな」
そしてそのまま短髪金髪は鼻で笑いながら言葉を続けた。
「つかなんなんだよ。俺があんあん言うと女が寄ってくるって――」
「「「「え? そんな事できるんですか?」」」」
「もういいよッ!!」
三度目のボケに、短髪金髪は苛立ちのあまり、地面をばんばんと踏みつけた。
今回はもう一人分声が多いな、と思ったらアホな方の先輩も一緒に言っていた。
「馬鹿! お前まで何便乗してんだよ! お前はこっちの味方だろ?」
短髪金髪は、アホな方の先輩を指さしながら怒鳴った。
「え? だってこの状況でもう一回言うから、さすがにそれは誘ってるのかぁ……と。友達が誘ってるならおれも親友として、ツッコんでやらないわけにもいかねえし」
「ごめんねえ! 気ぃ使わせてッ!」
そして最後に苛立ち気味にそう叫んだ。
そんなこんなで即興コントを楽しく可笑しく営業していると、廊下から二つの近づく足音が聞こえてきた。誰かが教師を呼んできてくれたのだろう。
「ちっ、面倒くせぇな」
その音に敏感に反応した先輩二人は、マズイと判断したのだろう。さっさと教室をあとにしようとした。
先輩は最後に扉で立ち止まって振り返り、黎を睨みつけ、
「おいっ! てめえらマジで覚えてろよ!」
「え? なんて?」
「聞き返すなよ! 雰囲気ぶち壊しだ! 覚えてろって言ったんだよ!」
「あーはいはい。当たり前でしょ。そんな簡単に忘れられるか――ってあれ? 何だっけ?」
「早ぇよッ! 言ってる側から忘れんなッ!」
「ここはどこ? 私は誰?」
「そこまで忘れたのッ?!」
「ここは誰? 私はどこ?」
「何かもう末期だなッ!!」
なんてノリのいい男だろう。教室にいた誰もがそう思い、彼への愛着をわずかばかり持ち始めた。そうしてようやく二人はドアの向こうに消えた。騒がしかった教室に沈黙が走る。
「あー楽しかった」
ほぼ自爆的に消えていった先輩たちと入れ替わりに、女生徒が連れて来た教師が教室に入ってくる。見慣れた白いスーツに眼鏡の教師は、日本史の
よりにもよって。黎がそう思っていた矢先。教室で先程まで何かよからぬことがあったのであろう雰囲気を感じ取った橙堂は、そのぎょろついた瞳を教室中に巡らせ、最後は黄泉路で視線を止めた。おおよそ何があったかを把握したのか小さく鼻で笑った後、声を張り上げて「静かに机に座って食事しなさい」とだけ言って、教室を後にした。
「ちっ」
黎から、舌打ちがこぼれる。
何故橙堂は何も訊かないのだろう。今ここで何か良くないことが起こっていなことはわかっているはずだ。ならば、何故それを訊かない? どうして見て見ぬフリをする? 黄泉路が、関わっているからか?
「おい待てよ」
黎は堪らずそう言葉を漏らした。呼び止めて、何故逃げるのか、教師なら聞くべきことがやるべきことがあるだろう。そう言ってやろうと思って。
「皇子代ぉ。教師に向かってなんて口の聞き方だ?」
その挑発にあえて乗るように、橙堂はおもむろに振り返った。
「黎ちゃん!」
危険をいち早く察知した美登里が黎の前に入り、制止する。このままだと殴りかかってしまいそうだったから。
「あまり図に乗らない方が良い。そこの君もだ転校生」
橙堂は、後ろの扉からスマホカメラを向ける三彩希を睨んだ。隠れて撮影していた三彩希ははっとして少し体をびくつかせる。
「法や民意が貴様らを守る? そうだろうな。しかし貴様らに必要なのは目先の成績や推薦だろう? 私の気持ち一つで、君たちの人生などいくらでも決めることができるんだ。攻撃的なのは構わないが、その責任だけは忘れるな?」
得意気に言って、橙堂は踵を返し教室を出る。しかしその直前に一度立ち止まって振り返り、その長く白い指で黎を指さした。
「皇子代。貴様は最後通告だ。授業の妨害。度重なる遅刻。教師への反抗的な態度。次、教師に向かって舐めた態度を取ったら、内申点の問題じゃ済まなくなるぞ」
勝ち誇ったように右の口角を上げ、橙堂は教室を去っていく。
「やってみろよお前……!」
「はいはい。黎ちゃん大人になって」
「そうですよ皇子代さん。私は別にいいですけど、あなたは大学とか就職とかするんでしょ? ここが引き時ですよ」
教室に入ってきた三彩希が、画面の割れたスマホを労わりながら言う。黎はその様子に、さらに顔を険しくした。
「まだ撮ってんのかそれ」
「ライフワークです。使う使わないはさておき、映像に収めておくんですよ」
「そこまでして再生数が欲しいのかよ」
「欲しいですね。それがイコール人気に繋がりますから」
「下劣を通り越して肥溜めみたいな存在だな」
「っ」
「黎ちゃん!」
美登里に激しく咎められ、黎は再度の小さい舌打ちをして自分の席へと戻った。美登里は黎の言葉に傷ついたであろう三彩希に寄り、
「ごめんね。黎ちゃん、熱くなると遠慮がないから」とフォローした。
「いいんです。それも全部分かった上で、こんな仕事やってますから」
三彩希は、振り絞るような声で言って無理矢理笑う。
自席に座る際、黎はちらりと黄泉路に目をやった。彼女の表情は、やはり何一つとして変わってはいなかった。その顔には未だ何も無い。笑っても、怒っても、泣いてもいない。本当に今の今まで自分の事でいざこざがあった風に全く見えない。自分には全く関係がない、そんな表情。
黎にとってそれが、ひどく腹立たしく思えた。
黎はそれを横目に自席についた。すると、彼の机の上からは自分用に買ってきた総菜パンが無くなっており、二つのコッペパンがだけが置いてあった。
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