第5話 もしかして、入れ替わってる?

「黎! 黎!」


 自分の名前を呼ぶ声に、おもむろに顔を上げる。

 その時黎は、今が一時間目の終わりであることに気が付いた。


「一時間目、もう終わりか」

「ソッコーで寝てたよね」


 たまらず美登里のツッコミが入り、黎は大きくアクビで返した。


「国語は嫌いなんだ」

「数学だったけどね」

「え……ここはもしかして別の世界線? 寝ている間にまさか転生してる?」

「だとして今日から黎ちゃんはこの世界線で生きていくんだから何の言い訳にもならないよね」

「もしかして俺、入れ替わってる?」

「誰とだよ。その仏頂面で愛想の一切ない顔つきは黎ちゃん以外出せないよ」

「お前はいちいち一言多いんだよ」


 黎がムッとして伝えると、美登里はくすりと笑った。美登里が少し笑むだけで、周囲の一部の女子がきゃっきゃと嬉しそうにするのが目につく。


「そんなことより黎!」

「さっきからなんだよ蒼。聞こえてる」

「呼ばれてる!」


 ――『2年8組の皇子代みこしろさん。今すぐ職員室まで来てください』


 校内に響き渡ったそれは、黎の担任武村による校内アナウンス。黎はそれを最後まで聞いた後、再度眠りについた。


「あと五分」

「駄目だって黎! 早く行かないと怒られちゃうぞ!」

「用事があるなら、ある方から来るべきだ。じいちゃんが言ってた」

「黎ちゃん思春期特有のそれはダサいよ」

「……ダサい?」

 存外その言葉が響いたのか、げんなりとした顔を見せる黎。それを見た美登里が、畳み掛けるように続ける。


小春こはるちゃん可哀想だなぁ。こんなダッサイやつが兄だなんて……将来学校でいじめられるかもなぁ」

「はぁ? 美登里お前な、小春に限ってそんなことあるかよ」

「でも人は近くの人の背中を見て育つから、きっと小春ちゃんも反抗期が来るんだろうな~。口も悪くて、目つきも悪くなる。そしてダサい」


 黎は胸ポケットに入れた小春特性の紙バッヂを見遣る。

 瞬間、黎の脳裏にセーラー服を着た小春の姿が浮かび上がった。「お兄ちゃんなんてだいっ嫌い!」とそっぽ向かれる様は、黎にとって耐えがたいものだった。


「俺、ちょっと行ってくるます!」


 黎は一転、まるで絵にかいた優等生のようにキビキビと動き出し、教室を出ていった。


          ●


 職員室というものは苦手だった。

 彼はその性格や見た目上、あまり目上の人に好かれるタイプではなく、なんとなく教師陣の視線が悪意に感じてしまう。特に悪いことをしたわけでもないのに、何度か呼び出されたこともある。

 そんな被害妄想を巡らせながらも黎が自分を呼び出した担任の武村を探していると、


「邪魔だ。どきなさい」


 職員室の入口で突っ立っていた黎を、そう言って威圧的にどかせる声。見るとそこには白い上下のスーツを、細長いスタイルに着込んだ眼鏡の男性教師が立っていた。少しほおこけたその顔は見覚えはあるが、誰か名前は思い出せない。


「呼ばれてきたんですが」


 自然と、黎は少しの敵意を向ける。


「知らん。入口に立つな」

「ここで待てって書いてありますし」


 黎の足元にはガムテープで停止位置が示してあり、生徒は不用意に職員室には入らずここで指示を待つのが作法だった。


「ちっ、いちいち口答えを……少しどけばいいだろう!」

「でも、ここって書いてるんで」

「貴様……たしか2年8組の……」


 白スーツの教師は目を細めて黎を睨んだ。


「そうです。僕が蒼海清水です」

「そう。そうだ……ん、そうだったか? まぁいい。蒼海。その反抗的な態度後悔するぞ」


 黎がその脅しに一切萎縮することなく何かを返そうとする前に、その教師は肩で黎を押しのけて職員室を出て行った。


「おい皇子代! こっちだ!」


 間髪入れずに、武村の声が届いた。見ると、職員室奥の小部屋から手招いている。


「なんすか」

「なんすかじゃねぇよ。中入れ」


 担任の武村は、見た目はほっそりとしたスタイルのいい女性でパンツスーツが似あう。しかし中身はどこか男臭い面があり、言葉遣いが時折汚くなる。それがある意味で生徒に好かれているところもあるのだが。

 まるで取調室に入る心地で小部屋に入ると、その中にもう一人、殊勝な態度で座る女生徒がいた。その姿は、見覚えのある。


「あ、マジキチ」

「ミサキチです!」


 今朝校門の前で出会った女子。彼女は、まるで万引きが見つかって親を呼ばれた子供のようなしおらしい態度で座っていた。


「やっぱり知り合いか」


 武村が納得したようにうなる。


「どういう意味ですか」

虹倉にじくら三彩希みさき。彼女は今日からこの学校のうちのクラスに転校してくる――はずだったんだが、あろうことかこいつはその日に遅刻しやがった」


 黎は横に座る三彩希をちらりと見遣った。先の男には面と向かって言い返していた彼女も、少し申し訳なさそうにしている。反省しているのだろう。


「その理由を聞けば、動画だかなんだかの撮影と取材に夢中で忘れていたらしい。そんでその原因の一つに皇子代、お前も関わっていたと聞いた」

「は? なんで俺が……」

「仏頂面で愛想のない、180cm超えの背の高い男子生徒なんて、お前しかいないだろう」


 黎は三彩希を睨みつけたが、彼女は一切黎を見ようともしなかった。


「今朝たまたま逢っただけです。巻き込まれるのは心外です」

「いい。時間もないから議論しない。皇子代、お前だってよく遅刻してくるだろ」

「それとこれと何の関係があるんですか」

「お似合いの二人だ。皇子代、虹倉を頼むわ」

「は?」

「転校生の虹倉を、しっかりと学校に打ち解けられるように面倒見てやれ」

「嫌です!」

「清々しいまでの即答かよ。見てやれ」

「宗教上の理由で嫌です!」

「宗教馬鹿にすんな。見てやれ」

「でも俺は妹以外の女子と会話すると持病の発作が」

「見ろ。死なすぞ」


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