第3話 人形小論

 「このアルファベットによって、L Empereur Napoleonという言葉を数字で書くと、この数の総計は六百六十六となる」


―トルストイ『戦争と平和』(米川正夫・訳)


(一)


 結局Dとは連絡がつかなかったと戻ってきたBが伝えた。


「さて……」

 座敷へ招かれる。お茶だけかと思っていたけれど昼食まで用意してくれている。チンするピラフだけれど。上座を確保してしまった私はなんだか気まずい。


  私 A 

   □

  C B

❘出口❘


 卓を囲む我々を更に囲むのは主の趣味・嗜好品。郷士玩具にプラモデルなど多種多様で年代もちぐはぐだ。統一感がない。奥にぽつなんと仏壇があるのも最早コレクターの一つに見えてくる。

最初に来たときは玩具の品は少なかったのに……。

なんだか腰を据えるには落ち着かない場所になっていた。

 他メンバーも同様でCに至っては

「まるで好きなもので結界を張ってるみてえだな。どれのオモチャも埃一つないのも怖えよ」

「そう言うな。それに人形はそもそも大人の為のものだぞ」

「え!? そうなのか」

「ああ。日本だと宗教の祭具だったり。祭祀に必要なくなると子供にあげたりするのが習慣となって現在に至る説が有力とされる。弄ぶなんて言葉も分解すれば持って=遊ぶだしな」 

Cを見ると貧乏ゆすりを始めだした。

気づく風もなくAが話をすすめる。

「そういえば面白い話がある。『玩具』の漢字には『π』が含まれているだろ。これはギリシア語でπaidia《パイディア》=子供っぽさの意味だ。遊びを表す語尾がidiaの元素となる語で併せて πaγviov《パイグニオン》となる」

「何が言いてえ」苛々した低音になってきた。

「つまり東西問わずπが弄ぶ意味で使われてるってことだよ」Cが痺れを切らしはじめてきたので、すかさずBがフォローをいれる。

子供じみた態度が恥ずかしかったのかCが近くに目を落とし「わ、わかってたよ!!んなこと。それよりちゃんと器を持てよ」Bに八つ当たりをする。

テンポが途切れたのを嫌ったのかAが話を軌道に戻す。

「ちなみに印欧語で面白いのは『遊び』を指す言語だけが唯一、後世で作られたものみたいなんだ。遊戯さっきの日本の祭具と似てないか? 」


遊びは―《後》か。

首を切るのも遊戯いたずらではないということか。その前段階には何かの祈りや大人の都合による解釈があるのだろうか。


「おかわりを用意してくるよ」湯呑を引きあげAが中座した。


「案外、あいつが犯人だったりしてな」

突然Cが思いがけない言葉を吐いた。続く言葉にハッとさせる。

「カメラの権限がある。都合よくスイッチを落とせる。それに現にドライバーを用意してきたじゃねえか。文具店なら備品には不自由しねえし。小説じゃあ事件の第一発見者が怪しい人物が多いんだろ。それになんだかんだ宗教とか人形とかに一番詳しいのあいつじゃねーかよ」

「じゃあ仮にAだと仮定して動機はいったい何なんだ。それも含めてでないと矛盾が生まれるぞ」

「これだからミステリオタクは困る。動機動機て動機なんぞ何でもいいだろうが。じゃあ、こうしようぜ。『話題作り』だよ。閑古鳥鳴いてる店を少しでも盛り上げ用って腹だ。少なくとも今日三人はこの奇妙な話奴から聞いてる。事件に居合わせた目撃者を足すなら六人だ。店主も合わせて七人。十分噂を流せる頭数だ」

即興で考えたわりには筋は通っている。

「それを言うなら急に姿を消したDも怪しくないか。自分が犯行に及んだ手口をうっかり口にしそうだと思ったから早々に引き上げたとかも考えられる。Dの場合は動機の線を考えるのは難しいが」

「Bの意見ももっともだ」私は賛同した。

「じゃあまだ話題に昇ってこない語り手はどうなんだ」

「この場合はDと違って動機は思いつきやすいな」

「なんでだよ」

「語り手は僕たちの推理合戦を見たいがために仕組んだってとこだな」

確かにメリットはあるし、今も楽しんではいるけれど。

「私は皆が周知の通り、推理力はないぞ」

「トリックを組み立てる能力はあるかもしれないし、少なくとも家に推理小説はたくさんあるから

流用してるかもしれないじゃないか」

「…………」

Aが湯呑を持って帰ってくる。

「少し席を外しただけで自分やD、語り手がが疑われてるなんて凄い盛りあがりだね。退屈から離れられて嬉しいよ。さっきまでの話から一変だな」

「さっきまでの話……そういやπと言われると円周率を思いだすな」

Bが呟く。そして語を継ぐ。

「コインもカプセルも円形なら、それを取り囲む器も円。そしてそこから出てくるのもπを起源とする……か。その方向で考えてみるのは面白いのかも」などと一人で悦に浸っている。



 そういえば―とBが沈黙をやぶった。

「あの寺は珍しく地図表記以外に『卍』のマークを標榜にしているな」

Aが手近にあったケースに収められた人形を持ちだしてくる。

「心理学の箱庭療法では左に人形を置くことを『退行』右への配置を『進行』を表すという。

寺も実は地図で表される『卍』の左向きのマークは実は『破壊』の意味があり右『卐』だと『光明』となる」

そういえばDが前に話していた。卍の起源は考古学者のシュリーマンがトロイア遺跡からそのマークを発見したと。太陽を象徴するマーク。それは『卐』の向きだった。


話を進めていくにつれその内容は奇遇な現象に思えてきた。陽が沈みかけている。宵闇。底冷えもしてきたのでこの日は解散となった。


(ニ)


うぅ……寒い…寒すぎる。こんな寒い日はラーメンに限る。

「またあんたかい。食事制限くらったって聞いたのに懲りないねえ。ま、ウチとしては有り難いけどよ。ほら食べな」オヤジがすり鉢状の器をカウンターに置く。蒸気が顔へ放散する。思わず目を細めるもお腹は正直にぐぅの音を奏でる。鼻孔が獣臭さで満たされる。箸でチャーシューをつつくだけで、先端がすっと入ってゆく。ほぐれてく感覚が指にまで伝わってくる。そうそう。これこれ。


 数分すると隣に少年二人が座った。

「おまえ今どきそんなふるい曲を演ってんの?いつの時代だよ」

「いいじゃんよー。ブリッジミュートは初心者からしたら有り難いんだから」

「まあループ&ループは今でも聴ける曲だけどねえ。ブリッジミュートってあれだろ? 手の側面で弦抑えるんだっけ」

学生のバンドか。俺にもこんな時代があった。

ASIAN KUNG-FU GENERATION『ループ&ループか。確かにふるい。

その時スープの表面にはりついた幾多の油が幾何学模様に見えてきた。まるで 曼荼羅まんだらだ。既視感ある。なぜだろうか。

すると頭の中で次の単語がくり返し響いてきた。


ループ&ループ 抑える  曼荼羅……。

ループ&ループ 抑える  曼荼羅……。

ループ&ループ 抑える  曼荼羅……。

ループ&ループ 抑える  曼荼羅……。



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