星の約束

槇瀬



 機体が震え、轟音ごうおんが聞こえる。



 僕は静かに目を閉じた。





 2053年8月20日。

 17年もの長きにわたる第3次世界大戦が幕を閉じた。


 戦時中の各国の核攻撃により、数十億もの人々の命が失われ、世界人口は約20%まで減少した。

 また、多くの土地が焦土と化し、放射能により汚染された。そのため、地上の95%以上が居住不可能になった。


 終戦以降、為政者や軍事関係者など、ごく一部の選ばれた人間だけが地上での生活を許され、残りの人間は、地下深くの施設で生活することを余儀なくされた。

 僕は、その『残りの人間』で、地下で生活していた。



 地下の環境は、劣悪極まりなかった。

 今でも、思い出すたびに嫌な気分になる。


 地下施設は、終戦直後の突貫工事により作られたもので、換気、水道、発電などの設備は十分に機能していない。

 僕ら地下の住人は清潔な空気を吸うことができず、十分にろ過されていない汚れた水を飲まざるを得なかった。また、節電のため、一日の大半は暗闇の中で過ごさなければならなかった。

 食料の問題はさらに深刻だ。配給される食料は少ない。その不足を補うために育てていた家畜や青果も、太陽光の届かない地下では収穫前にだめになってしまうことがほとんどだった。

 地下の劣悪な環境下で、多くの人間が伝染病に罹り、あるいは栄養失調に陥って死んだ。

 また、そのような劣悪な環境下で子供が生まれることは稀で、生まれてもそのほとんどは長くは生きられなかった。


 一方で、地上に住むごく少数の人間は、放射能汚染を免れた土地で生活することができていた。

 でも、地上でも、土地、水、食料などの資源は当然限られている。

 状況が徐々に悪化する中、地上の人口も急速に減少していった。

 


 専門家たちの意見によると、『遅くとも2060年には人類は滅亡する』とのことだった。


 危機感を抱いた各国の政府関係者は、地球以外の居住可能な星を探すための組織『救世軍きゅうせいぐん』を結成する。

 終戦から約半年後のことだった。




 『救世軍』は当初、各国から志願者を募ることで、人員を確保しようとしていた。

 でも、戦争により人口が著しく減少し、しかも人口の大半を傷病者が占める状況下では、思うように志願者が集まらない。

 志願者だけでは、隊員の数がやや不足した。


 そこで、苦肉の策として、身寄りや保護者のいない孤児のうち、14~17歳の未成年者を『召集』することで隊員の不足を補うことになった。

 

 家族のいない、誰にも保護されない者たち。

 僕もその一人だ。

 2055年、孤児の僕は16歳で、救世軍の隊員として召集された。



 僕は生まれてすぐに孤児となり、しばらくの間は孤児院で育った。

 でも、終戦間際の2053年、僕が14歳のときに、住んでいた孤児院が敵国の核攻撃により焼失する。

 核爆発の際、僕は偶然、爆心地の孤児院付近から10kmほど離れた場所にいたけど、それでも被爆した。

 幸い皮膚がただれたり、吐き気や嘔吐などの目立った症状はまだ出ていない。ただ、遺伝子が損傷しているらしく、現在の限られた医療資源では22歳を超えては生きられないだろうと言われている。

 だから、遅くとも2061年には、僕はこの世にいない計算になる。


 

 僕を含め、救世軍に召集された孤児は、被爆していようがいまいが、除隊を申し出ることが許されなかった。おそらく隊員数の確保のためだろう。

 もっとも、僕にとって、そんなことはどうでも良かった。

 地下の生活と比べれば、召集された方が遥かにましだからだ。


 孤児院という住居を失った僕は、召集されるまでの2年間、地下で生活していた。

 地下が劣悪な環境だったことは言うまでもないけど、何より、僕のような孤児に対する扱いは酷かった。

 他の居住者と同等の扱いを受けられたのは、一緒に爆死を逃れた孤児院のシスターが生きていた最初の1年間だけ。

 シスターが死んだ後は、自分より身体の大きな大人たちに、ただでさえ少ない配給物資を度々奪われた。奪われたときは、捨てられた残飯を漁って食べるしかなかった。



 でも、救世軍に入って、僕の生活は一変する。


 救世軍に入隊すると、地上にある5つの隊員寮のうちのいずれかで生活することが許される。

 これらの隊員寮の敷地は、放射能汚染を免れていた。

 隊員の安全確保と脱走防止のため、隊員が寮の敷地外へ出ることは禁止されていたけど、敷地内の移動は基本的に自由だった。


 寮の環境は恵まれていた。

 地下施設と違って、換気、水道、発電などすべての設備がきちんと機能している。清潔な空気を吸い、綺麗な水を飲み、屋外で太陽光を浴びることもできた。

 配給される食料は、地下のものより質が良い。さらに、量の不足を補うために屋外で家畜や青果を育てていたため、食料が不足することはあまりなかった。

 僕にとっては、まさに天国だ。


 僕ら隊員たちはこの天国で訓練を積んだ後、任務のため、宇宙へと飛び立つ。

 僕らの任務は、人類が居住可能な星を見つけ、その星に生活の基盤を築くことだ。

 隊員たちは、宇宙を長期間漂い、居住可能な星を探す。居住可能な星を発見できても、そこで任務終了ではなく、繁殖に十分な数の人類が移住してくるまで、その星で家畜や青果を育て、生活の基盤を築かなければならない。そして、任務が完了するまで、地球への帰還は許されない。

 遅くとも2060年には人類は滅亡する。

 もし任務に失敗すれば、地球上の人類は死滅し、宇宙を漂う残された人類もいずれ物資が尽きて飢え死にする。



 もっとも、僕にとっては、それもどうでも良いことだった。


 だって、任務が成功しようがしまいが、遅くとも2061年には、僕は寿命が尽きて死ぬのだから。

 

 残された時間、できるだけ良い環境で生活したい。

 ただそれだけ。

 だから、隊員としての生活に、この恵まれた環境での生活に、僕は十分満足していた。




 救世軍の主力組織は、第1軍から第5軍の5編成で、総勢200人程度だ。

 各軍はそれぞれ、第1隊員寮から第5隊員寮の5つの寮のうちのいずれかで集団生活をする。


 各軍は、指揮官をトップとして、宇宙船を操縦・管理する『操縦班』、星に降りて居住可能な星かどうかを確認する『探索班』、星で育てる予定の家畜の胎子や青果の種子の管理をする『管理班』、医療、配給物資の管理その他の雑務に従事する『医務班』の4つの班から構成される。

 隊員の訓練や研修は、基本的にはこの班単位でおこなわれた。


 僕は入隊後すぐに、第5軍の探索班に振り分けられ、第5隊員寮へ移住させられた。

 第5軍の探索班は、僕を含め10人。男が8人、女が2人。

 女のうち一人は、桜井さくらいといった。

 

 桜井は、僕と同じ16歳だった。

 ショートカットで、白い肌に大きく丸い目、細く筋の遠った鼻、小さな唇をしていた。班員の顔合わせで初めて桜井を見たとき、僕は、昔孤児院で飼っていたハムスターを思い出した。

 桜井は、生まれたときから地上で生活している選ばれた人間で、若年ながら専門家並みの宇宙科学の知識を持った、いわゆるエリートだ。

 僕以外の他の班員も皆、桜井と似たようなものだった。



 生まれつき地上の人間だからなのか、桜井は、初めて会ったときから、地下で生活してきた僕に興味津々だった。

 班員の顔合わせが終わった後、僕が、他の班員におくれて会議室から出ようとしたときだった。


 「ねえ、君、ちょっといい?」桜井は、僕に声をかけてきた。「地下に住んでたんでしょ? 地下の生活って、どんな感じなの?」桜井は無邪気に微笑みながら、そうきいた。


 ああ……。

 何不自由なく暮らしてきたお嬢様は、何も知らないんだな……。

 

 生きてきた環境が違い過ぎたからか、桜井に対して嫉妬や羨望といった感情は特に湧いてこなかった。

 ただ、鬱陶しい女だなと思った。


 だから、僕は、包み隠さず答えてやることにした。

 「目の前で人がたくさん死んでいったよ。ここより食料がなかったし、汚い場所だったからね。周りの大人は、平気で僕の食料を奪うような奴ばっかりだったな。食料を取られたときは、ゴミを漁るしかなかったよ。まあ、大変だった。こうして今、生きてるのが不思議なくらい。地上で生活してきた人には分かんないだろうけど」僕は、嫌味たらしくそう言った。


 桜井は、一瞬驚いたような表情をした後、目を伏せた。

 「――ごめん、嫌なこと思い出させて。私……、無神経だったね」桜井は少しの間黙った後、小さな声でそう言った。


 どうやら悪い奴ではないようだ。

 僕は、言い過ぎたかなと少し反省した。

 「別にいいよ。もうあそこに戻ることはないから。今は、十分幸せだし」僕は言った。

 すると、桜井は顔を上げて、嬉しそうに笑みを浮かべた。

 「ありがとう。隊員同士、これから仲良くしようね」桜井は言った。

 「ああ……、うん」僕は、とりあえずそう返す。


 

 桜井は「仲良くしよう」と言ったけど、僕には、そんな気は全くなかった。

 僕は、隊員として残された時間を過ごせれば、それで良かった。

 だから、桜井も含め、他の隊員と必要以上に話をしようとせず、距離を置こうとした。


 でも、桜井は、訓練や研修で僕と顔を合わせるたびに、任務とは全く無関係の他愛もない話をしてくる。

 「昨日の晩御飯、美味しかったね」とか「りんご、もらったんだけど、食べる?」とか……。ほぼ食べ物に関する話題。

 桜井が僕に構う理由は分からなかった。

  

 能天気な女だな……。

 僕は呆れて、適当に受け答えしていた。

 ただ、僕は、桜井と話す回数を重ねるにつれ、なぜか桜井のことが気になるようになった。気が付くと、桜井の姿を目で追っている。

 なぜ桜井のことが気になるのか、自分でもよく分からなかった。




 2056年。

 入隊して1年が過ぎた日。

 

 訓練施設内の巨大プールで、探索班と操縦班の合同訓練がおこなわれた。


 これは無重力環境下での作業に耐えるための訓練で、探索班は、宇宙で着用する装備と同じものを着用してプールに入り、水深約12mの水中で作業をおこなう。

 一方、操縦班は、クレーンに吊られた探索班の班員をクレーンを操作して水中深くに沈めたり、水中の班員の健康状態を機器でチェックするなど、この訓練のサポートに回っていた。

 訓練は、途中まで順調に進んでいた。


 しかし、あと10分で訓練終了というところで突然、桜井が気を失った。

 

 桜井の近くにいた僕は、桜井の異変にすぐに気が付いた。

 クレーンを操作している操縦班に連絡して桜井を引き上げさせ、桜井が身に着けている装備を外し、桜井を抱えて医務室へ連れて行く。


 医者によると、過労による失神とのことだった。

 訓練は中止になった。



 桜井は、医務室のベッドの上に寝かされた。

 僕は、そのベッドの傍にある椅子に腰掛ける。

 しばらくして、桜井は目を覚ました。そして、ベッドから上体を起こして、僕の方を見た。

 「ごめん。迷惑かけちゃって……」桜井は僕に頭を下げた。

 「無理しない方が良いよ。本番で倒れたらもっと大変だし」僕は言った。

 「そうだね。本番、もうすぐだもんね」桜井は呟いた。



 この訓練から約1年後の2057年5月2日、僕ら救世軍は、宇宙へ飛び立つ予定だった。

 人類が住める可能性の高い星の位置は、ある程度特定されていた。第1軍から第5軍の各軍は、それぞれの宇宙船で決められた場所へ飛び、その一帯の星を探索することになっていた。

 遅くとも2060年には人類は滅亡する。

 だから、任務の期限は、宇宙へ飛び立ってから3年。

 新たな星を見つけるまでの時間。新たな星で食料を育てて生活の基盤を築くまでの時間。地球からその星へ、繁殖に十分な数の人類を移住させるまでの時間。

 これらの時間を考えると、3年という期限はかなり厳しいものだった。


 任務を終えて、地球に帰還できる隊員はおそらくいないだろう。

 僕は、当然のようにそう思っていた。



 「私たち、もう地球には帰れないのかな」桜井は医務室の窓の外を見ながら、ぽつりとそう言った。


 まあ、そうだろうね。

 そう言いかけたけど、いつも能天気なはずの桜井が窓の外の光の中に消えてしまいそうなほど小さく見えて、慌てて口をつぐんだ。

 「地球に帰れるかどうかは分からない……。だけど、桜井は僕と違って、志願して入隊したんだろう。どうしても不安なら、体調不良とか適当に理由をつけて除隊すればいい。元々過酷な任務だし、誰も責めたりしないよ」僕は言った。


 すると、桜井は窓の外に視線をやったまま、予想外の言葉を口にした。

 「私、召集で入隊したの。孤児だから。だから、除隊できないの」


 僕は、一瞬脳内がフリーズしたけど、すぐに気を取り直す。

 「でも……、生まれてからずっと地上にいたんだよね? 孤児なら、地下へ移住させられたはずだよ」僕はきいた。


 桜井はうつむきながら、淡々と答えた。

 「元々孤児だったんだけど、2歳のときに裕福な老夫婦の養子になったから、地上で生活できたの。でも、その夫婦が亡くなっちゃって。保護してくれる人が他にいないから、また孤児に戻ったの。地下に引っ越すために家で荷造りしてたら、軍の召集通知が来たってわけ」

 「帰る場所はないし。別にもうどうでもいいかと思ってたんだけど。もうすぐ宇宙へ行くってなると、何か怖くなって……」

 桜井は、今にも泣きそうな顔をしている。


 知らなかった。

 桜井が孤児だったことも。

 桜井がここから逃げたがっていたことも。



 気が付いたら、僕は桜井の身体を抱きしめていた。

 「あ、ごめん」

 すぐ我に返った僕は、桜井から自分の身体を離そうとする。

 でも、桜井に両腕を掴まれた。

 「大丈夫だから。もう少しこのままでいて」

 

 僕は桜井の言葉に驚いたけど、もう一度、ゆっくりと桜井を抱きしめた。


 このまま時間が止まれば良い。

 そう思った。




 その日を境に、僕と桜井は、以前にも増してよく話すようになった。


 僕らはよく、寮の裏にある大きなけやきの木の下で落ち合って、そこで話をした。

 ほとんど人が来ないこの場所で、僕らは並んで座り、好きなだけ話をした。

 僕は桜井に、孤児院での生活、地下での生活や僕の寿命があとわずかであることを話した。

 桜井は、あるときは目を輝かせながら、またあるときは涙を流しながら僕の話を聞いていた。


 桜井も、地上での生活について話してくれた。

 桜井の養父母は、軍に所属する宇宙科学の研究者だった。夫婦の間に実子はおらず、血の繋がりのない桜井のことを我が子のようにとても可愛がった。夫婦と同じ研究者になりたいという桜井の夢を、十分過ぎるほど応援してくれたと言う。

 

 「お義父さんもお義母さんももういないと思うと、すごく寂しい気持ちになる。でも、加賀かがくんと話をしていると、そういう気持ちも忘れられる。加賀くんがいてくれて、本当に良かった。ありがとう」

 桜井は僕を見て、優しく微笑む。


 頭上にいるはずの蝉の声が遠く聞こえる。

 隣に座る桜井の顔には、の陰がかかっていた。 


 この感情は何なんだろう。

 複雑な環境で育ってきた僕には、よく分からない。

 ただ……。

 ただ、桜井を守りたい。

 そう思った。

  

 僕は、桜井の頬に手を添える。

 桜井は一瞬身体をびくつかせたものの、僕の手を振り払うことはしなかった。

 僕はそのまま桜井の唇にキスをした。

 

 時間が止まる。

 そんな気がした。



 僕らは訓練や研修の合間を縫って、欅の木の下でキスをするようになった。

 ただ、隊員間の性的な接触は禁じられていたので、他人ひとに見られないよう注意しなければならなかった。

 僕は、屋外ではなく人目につかない部屋の中で、ゆっくり桜井とキスしたかった。

 でも、それはまず不可能だった。

 

 寮では、隊員一人に一部屋が割り当てられていたけど、男女で階数が違う。男は3階、女は4階。

 そして、それぞれの階の廊下には、常時、隊員の行動を監視する監視員がいる。

 だから、僕が桜井の部屋に入ろうとしても監視員に制止されるし、もしそのような事態になれば、最悪の場合、僕と桜井のうち片方だけが別の軍へ強制異動させられる可能性すらあった。


 外でキスをするのは落ち着かないが、仕方ない。

 我慢するしかない。

 僕は耐えた。




 2056年、夏。

 大雨の夜。


 僕は自分の部屋にいた。

 配給された食料を食べ、シャワーで汗や汚れを洗い流した後、僕はベッドの上で寝転んでいた。


 すると、窓の外から、コンコンと何かが窓にぶつかるような音がした。

 不審に思ってベッドから起き上がり、窓に近付いてカーテンを開ける。

 

 「え!」思わず声が出た。

 


 桜井がいた。


 大雨の中、どこからか垂れているロープに両手でつかまり、風に揺れていた。

 


 僕はびっくりした。

 慌てて窓を開けて、桜井の身体を引き寄せ、僕の部屋に入れる。


 「ごめん。来ちゃった」桜井は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


 どうやら桜井は、4階の部屋の窓からロープをつたって降りてきたらしかった。

 そう言えば、桜井の部屋は、僕の部屋の真上だった……。


 桜井は大雨の中にいたので、身体がひどく濡れていた。寝間着であろう白いワンピースのようなものを着ていたけど、服が水に濡れて肌にぴたりとくっつき、肌着が透けて見えている。

 僕はいたたまれない気持ちになって、近くの椅子の背に掛けていたバスタオルを手に取った。

 「風邪ひくから……、拭いた方が良いよ」平静を装って、桜井にバスタオルを差し出す。

 

 「ありがとう」桜井は笑顔でバスタオルを受け取り、身体を拭いた。

 一通り拭いてタオルを肩に掛けた後、桜井は僕の傍まで歩み寄る。

 そして、大きく澄んだ瞳で、僕の目をじっと見つめた。



 外は、バケツをひっくり返したような大雨だ。

すべての音を掻き消すかのように、部屋の中にまで雨音が響いていた。

 大きな瞳には、小さな僕が映っている。


 僕は桜井の頬に手を添えて、キスをした。

 そして、そのまま一夜を過ごした。




 次の日の明け方。 


 遠くの山際がだいだい色に染まる。

 雨はすっかり上がっていた。


 桜井は、窓の外に垂れているロープに摑まってよじ登り、自分の部屋へと帰って行く。


 上手いもんだ……。

 訓練で慣れているとはいえ……。

 登っていく桜井を見ながら、僕はそう思った。



 部屋には、僕一人だけが残された。


 ついさっきまで傍にいたのに……。

 とてつもない虚無感が僕を襲った。


 死んだ後って、こんな気分なんだろうか。

 僕は初めて、死への恐怖を感じた。




 嫌だ。


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 

 死にたくない。


 ずっと桜井の傍にいたい。

 

 ずっと桜井と生きていきたい。

 



 生きたい。


 その日、僕は初めてそう強く願った。




 2056年、秋。


 班の研修が終わった後、桜井は、欅の木の下に僕を呼び出した。

 欅の木の葉は、すっかり赤く色付いている。

 桜井は、しばらくの間、黙ったままだった。


 様子がおかしい……。

 いつもの桜井じゃない。

 僕は心配になった。


 「どうしたの?」僕はきいた。


 すると、桜井は、重い口をゆっくりと開いた。

 「私……、妊娠したの」桜井は言った。


 僕は、一瞬桜井が何を言っているのか分からなかったけど、すぐに理解した。


 「私、指揮官に除隊したいって言おうと思う。この身体じゃ、みんなの足を引っ張ることになる。それに、宇宙では何があるか分からないから……、地球でこの子を産みたい……」


 僕は戸惑った。


 僕は、どういう言葉をかければ良い?

 どうすればいいんだろう……。


 ただ、胸の中に一つだけ、確かな思いがあった。

 桜井も生まれてくる僕らの子供も、ずっとずっと幸せでいてほしい。


 僕は、桜井を優しく抱きしめる。

 そして、桜井に約束した。

 「僕は、必ず星を見つける。そして、桜井と子供に会うために、必ず生きて戻るよ」


 桜井は、泣きながら微笑んだ。




 次の日の朝。


 桜井は、僕と一緒に指揮官のところへ行った。

 指揮官に妊娠の報告をして、除隊の意思を伝える。


 僕が予想した通り、指揮官は険しい表情になった。

 「なんてことをしたんだ。例外は認められない。どうするつもりだ」指揮官は言った。


 このままでは、子供を生めなくなる……。

 桜井の隣にいた僕は、桜井を庇うように、桜井と指揮官の間に入った。


 「僕が全ての責任を負います。彼女と子供のため、必ず星を見つけます。だから、彼女を除隊させて……、子供を生ませてやってください」僕は指揮官に頭を下げて、そう懇願した。

 

 懇願する僕を見て、指揮官の表情が少し和らいだような気がした。

 指揮官は少し間を置いて、大きくため息を吐く。

 「――上に掛け合ってはみる。でも、期待はしないように」指揮官は言った。



 結局、桜井の除隊は許されなかった。

 ただ、桜井は、第5軍から『宇宙科学研究所』へ異動させられ、宇宙での任務からは外された。

 『宇宙科学研究所』は救世軍の付属組織であり、所属する職員たちは、主に居住可能な星の位置を特定する研究に従事していた。




 2057年5月2日。

 欅の木が一斉に芽吹いた今日。


 僕は、指揮官と他の隊員らと共に宇宙船に乗り込んだ。


 

 桜井は、僕を見送りに来ていた。

 前に会ったときより、お腹は随分と大きくなっている。

 

 子供は、女の子らしい。

 きっと桜井によく似ているだろう。



 宇宙船の窓から外を見ると、桜井が僕の方を見て、笑顔で手を振っている。

 僕も笑顔で手を振った。




 機体が震え、轟音が聞こえる。



 僕は静かに目を閉じた。





 僕は、必ず星を見つける。

 


 そして、必ず生きて戻ってくる。


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星の約束 槇瀬 @maki11

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