第4話 見るなの座敷

 店長の風当たりはますます強くなり、もはや虐待だった。ある日、バックヤードで僕が店長に叱られているところに、同じバイトの女の子が入ってきた。

「店長ぉ、〝ゴロワーズ〟っていうタバコが欲しいというお客さんがいるんですけどぉ、どれかわからないんですがぁ……」

 店長は「まったく……」とため息をついて、店頭に出た。僕も後から出てみたが……

 なんと、そのタバコを買いに来た客というのは、さいであった。

さい……どうしてここに?」

「ちょっと近くに用がありましてよ」

 僕から一旦子どもたちに視線を移し、その後で店長に微笑みかけた。

「店長さん、いつも宅がお世話になっております。吉永の家内でございます」

 僕を虐待していた後ろめたさか、気まずそうに店長は笑った。

「お、奥様でしたか。こちらこそ、いつもご主人のおかげで助かっております」

 心にもないお世辞に歯が浮きそうになったが、本当に驚いたのはさいの言葉だった。

「店長さん、奥さんが身重でさぞ大変でしょうね……」

「え、どうしてそれを?」

「女ですもの。それくらいのことはわかりましてよ。ところで店長さん、奥さんもなかなかご飯を作るのは大変でしょうから、もしよろしければ、時々私がお食事を作って差し上げたいと思うのですが、いかがでしょうか?」

「え、いや、そんなこと……」

 さいの提案を、店長は戸惑いながらも喜んだ。

「ご遠慮なさることはありませんわ。宅のお世話になっている方がお困りなんですもの」

 さいは目の合図で僕に同意を求めた。

「え? あ、はい、もちろん……」

 僕も店長に微笑みかける。そして店長はさいの提案を呑んだ。

「……それで、おタバコの方は?」

 さいはお茶目な顔でしれっと言う。

「ごめんなさい。宅が禁煙していたのを忘れておりましたわ」

 ちなみに、僕はタバコを口にしたことは一度もない。


 それから、さいは時々手料理をこしらえては、店長の自宅に届けた。そしてその際には、妊婦の先輩として、身重の奥さんの話に耳を傾けたり、相談に乗ったりしたという。

「吉永さんの奥さんのおかげで、ずいぶん家内の機嫌がよくなりましたよ」

 ある日、店長は僕にそう言った。そういう店長も以前と比べて相当機嫌がよくなっている。そして、僕に当たり散らすようなことはほとんどなくなり、僕の労働環境はすこぶる良くなった。それは言わずもがな、さいの機転のおかげだ。


 しかし、彼女はどうして店長の妻君が妊娠していることがわかったのだろう。考えれば疑問は尽きない。

 僕は彼女を妻として完璧な女性だと思う。反面、謎めいた面もあることは否めない。言うなれば、恩返しをしに来た鶴の化身のような……。

 さいはあることに口を固く閉ざしていた。それは、亡くなった前夫の死因であった。病死なのか、事故死なのかはたまた事件か……僕は全く聞かされていなかった。そして、そのことを尋ねようとすると、

「お話しするほどのことではないので……」

 と、お茶を濁してしまう。

 僕も追求しない。好奇心に負けて〝見るなの座敷〟を覗いてしまった老夫婦のように、すべてを失ってしまいそうな気がして怖かったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る