第3話 なれそめ

 僕とさいが出会ったのは、一昨年おととしの梅雨の日のことだった。ねっとりとした湿気に、僕はすっかり滅入っていた。

 商談先の最寄り駅に降り立ったが、改札を出た途端に雨が激しく降ってきた。うっかり傘を忘れた僕は、スマホで雨雲レーダーアプリを起動させた。すると、ほんの十分ほどで止むと分かったので、しばらく待つことにした。

 ふと横を見ると、一人の若い女性が立ち止まって時折雨雲を見上げていた。彼女も傘を忘れてきたらしい。

「大丈夫ですよ、もうすぐ止むみたいですから」

 僕が気を利かせて言うと、彼女は安心した表情で微笑み返した。やがて雲の切れ間から漏れ日の光が、彼女の微笑みを一層魅力的なものにした。

「止みましたね。しばらく雨雲は来ないようですよ」

「親切に教えてくださってありがとうございます。これで安心して保育園に子どもたちを迎えに行けますわ」

 ……子どもたち、既婚者? 僅かながら心をときめかせていた僕は、少しガッカリした。それが、僕とさいとの出会いだった。


 その夜、僕が寝る時も彼女のことを忘れることができなかった。どうしても彼女のことが気になって仕方がなかった僕は、あの時と同じ時間に、あの駅に通いつめた。偶然を装って彼女に会おうとした。実際、時々彼女と会うことが出来た。彼女は僕を警戒するでもなく、いつだって素敵な笑顔を向けてくれた。嬉しかった。同時に、既婚者に恋心を抱くことに後ろめたさも感じていた。

 そうして、もうこんなことはやめようと思いながら、ある日これが最後だと決めて件の駅に行った。すると、さいが抱っこ紐で乳幼児を抱きながら、小さな男の子の手を引いて現れた。

「こんにちは」

「こんにちは」

 互いに挨拶を交わす。これが最後だと思うと、寂しくて仕方がなかった。ところが、男の子がタタタと駆け寄って来たかと思うと、「パパー!」と足にしがみ付いて来た。

「え?」

 戸惑う僕にさいは苦笑しながら説明した。

「実は……あなたが亡くなった主人にそっくりなんです。それでこの子、父親に会えたと思って……」

 そう言うさいの目が潤み出した。「ねえ、輝。この人はね、パパじゃ……」と言おうとしたさいを、僕は止めた。そして小声で囁いた。

「今日だけは、僕にパパでいさせて下さい」

 そうして、しばらく〝親子水入らず〟のひとときを過ごした。それから僕たちは互いに自己紹介し、家族ぐるみで会うようになった。そしていつしか、僕は本当に彼らの父親になり、さいの夫となった。

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