12+3才の幽霊少年
ぼくが死んでから、もう三年ほどの月日が経ってしまった。ぼくは誕生日に川に溺れて死んだから、誕生日イコール命日であったりもする。十二才で死んで、三年ちょっとが経ったわけだけど、この場合ぼくは何才というべきなのだろう。十五才というには、身体は成長していない。十二才というには、精神はそのままとどまってはいない。三才というには、ちょっと無茶がある。
そんなわけで、ぼくは十二プラス三才とでもいうべき幽霊なのだ。
久しぶりに、ぼくは生まれ故郷へと帰ってきた。死んでしばらくは自分の家の近くをうろうろして、家族の生活を見守って幸いを願ったり、自分の遺影を見て笑ったりしていたのだけど、好奇心もあってか、だんだんといてもたってもいられなくなり、他の街、他の県へと、ふらふらふらふら、三年間、いろんなところをさまよい歩いてきた。三年といえば、短いようでも長いようでもあるけれど、やっぱりそれはなかなかの年月だ。ぼくはもう眠りを必要としないし、しなければいけないこともないから、生きていたときよりもさらに一日の時間は長い。その悠久の三年間が過ぎ去ってから、自分の生まれ死んだ街を訪れてみると、やっぱりとても懐かしいものがあった。
そうしてぼくは、ぼくが死んでしまったその懐かしい川を橋から見下ろしながら、しばらくぼんやりと春風にあたっていたのだけど、そのとき後ろから声をかけられた。
「きみ、死んでからどれくらい経つの?」
振り返ると、ぼくと同じくらいの年の、野球帽をかぶった子どもがいた。ぼくが見えてぼくに話しかけているのだから、もちろん向こうも幽霊だ。チャンネルがうまく合ったのだろう。それでもたまに、彼の身体にノイズが走るのが見える。
「三年くらいだと思う」
「へえ。じゃあおれより年上だね。おれ、死んだばっかりでまだよくわからないんだけど。この世界には、幽霊っていっぱいいるんだよね?」
「生きている人たちよりも大勢いるんじゃないかな」
「そのわりに、あまり見かけないんだけど」
「なんていうのかな。ぼくも詳しくわかっているわけではないんだけど。生きている人たちに幽霊が見えないように、幽霊にだって、幽霊が見えるとは限らないんだよ。ぼくらはみんな階層の違う世界にそれぞれ散らばっているんだ。でも、たまにチャンネルが合うと、いまのぼくときみのように、会って話したりすることができる」
「ふうん。チャンネルね。おもしろい言い方だね」
「きみはどんな風に死んだの?」
「車に
「この川で溺れた」
「苦しかった?」
「うん、苦しかった」
そんな挨拶もそこそこに、ぼくらは一緒に遊ぶことにした。ふたりきりの鬼ごっこで走りまわった。調子に乗って道路に飛び出したりしていると、何度か車に轢かれてしまった。運転手にはぼくらは見えていないので、生きていたときよりもなおさら轢かれやすいのだが、もう死んでいるので、どうということもない。
一緒に公園に行って遊んだ。一緒に人の家に入って遊んだ。一緒に図書館に入って遊んだ。いたるところで遊んだ。
公園で遊んでいる子どもたちに勝手に混じり、家の中でゲームをしている子どもたちに勝手に混じり、図書館で本を読んでいる子どもの後ろからページを眺めた。
ぼくも自分で本を取ってきて読みふける。幽霊だけど、物に触れることはできるので、それはありがたかった。まあ、物に触れられなかったら、ぼくはいまごろ地面に立つこともできずにずぶずぶ沈んで、地球の裏側に出ちゃっているかもしれないから、それはそれで笑える。
触れられはするけど、うっかり本から手を離すと、本はたちまち消えてしまい、もとの場所に戻ってしまう。ぼくが物を動かしても、なんというのか、それは仮の姿なのだ。生きた世界では動いていないのだ。
野球帽の少年は、本棚から本を片っぱしから投げたり、読書中の大人をぺちぺち叩いたりして遊んでいたが、すぐに退屈してしまったようだった。
「ねえ、まだ出ない? おれ、本って苦手なんだよな」
「そうなの? ぼくは大好きなんだけど。本って、死んだように静かだから」
とはいえ、彼がそういうのなら、それで別にかまわない。ぼくらは図書館から外に出た。もう夕暮れだった。空は赤く赤く染まって、だれかの泣き顔みたいに哀しかった。
「夕方の空って、なんでこんなに綺麗なんだろう」
「おれは昼間の青空の方が好きかな。天が透けているようで」
「そうなんだ。まあ、そういう好みもあるよね」
「同じように子どもで、同じように幽霊だけど、違うところはいっぱいあるみたいだね」
「それはそうさ。だからおもしろいと思わない?」
「うん、おもしろい」
そんなことを話しながら並木道を歩いていると、野球帽の少年のノイズがひどくなってきた。向こうから見ると、ぼくもだんだんかすれてきているらしい。
「もうそろそろ限界みたいだね。チャンネルが合わなくなってきている」
「ふうん。じゃあ、これでお別れなのかな」
「そうみたいだね」
「さようなら。元気でね」
「さようなら。きみも元気でね」
野球帽の少年は、夕闇に溶けてしまったように、見えなくなってしまった。せっかく仲よくなっても、友達はこうしてすぐにいなくなってしまう。ぼくたちはこの世界ではひとりきりなのだ。だから、人と出会って、気持ちが通いあうというのは、それだけで奇跡みたいなことなのだろう。
ぼくは夕風にあたりながら、下手な口笛を吹いたりして、空が暗くなっていくのを眺めていた。
街灯がともる夜道を歩いていると、いつのまにか、後ろからひたひたと足音がついてくる。振り返ると、今夜もかわらずに死神がついてきていた。死神はぼくと同じ顔をしている。同じ背丈で、同じ服装。片手に刃物を提げているところだけが違った。
「こんばんは。今夜も、ぼくを殺しに来たんだね」
幽霊になった初めての日の夜から、死神は毎晩かならず現れる。それが死神だということはすぐに理解できた。
ぼくは彼から一定の距離を保ったまま、夜道を歩く。彼も別に走って追いかけてきたりはしない。ただゆっくりと永遠についてくるだけだ。
死神につかまってしまえば、ぼくはどうなるのだろう。あの世に行くのか。生まれ変わるのか。消滅するのか。幽霊になったいまになっても、あの世なんてあるのか、生まれ変わりなんてあるのか、ぼくはいっこうに知らない。
幽霊として存在するのが嫌になったら、死神につかまってしまえばいい。そうすればたどるべき道をたどることができる。
いまのところぼくは、まだ死神につかまる気はない。そうして死神に追いかけられながらずっと歩いていると、やがて夜が明けた。
次の日もわが生まれ故郷を歩いていると、公園で、ぼくと同じ年くらいの、無表情な女の子に出会った。チャンネルがうまく合ったようだ。
「こんにちは。いい天気だね」
「こんにちは。雨でも降ってほしいわ」
なんだかその女の子は憂鬱そうだった。
「ぼくはこの近くの川で溺れて死んだんだけど。きみはどんな風に死んだの?」
「わたしは殺されたの」
「ふうん」
ぼくは幽霊に会うと、挨拶がわりに、どう死んだのかきくことにしている。その死について話したがる幽霊もいれば、話したがらない幽霊もいる。この子はあまり話したくなさそうだった。
「生きている人間ってバカだと思わない?」
女の子はそんなことを言った。
「特に大人はね。自分たちで作った歪んだルールで動いて、どうにもならなくなって、お互いにこころを
「別にバカだとは思わないけど。不思議ではあるね」
「そう。あなたは恨みがましくない幽霊なのね」
「殺されたわけではないからね」
「わたしは、この世界が許せないわ。わたしを殺したこの世界が。死神につかまってなんかやらない。このままとどまりつづけて、永遠に呪いつづけてやるわ」
その無表情な女の子は、淡々と憎悪を込めて語る。
「ぼくも死神につかまる気はないけれど。それよりも、一緒に遊ばない?」
「悪いけど、そんな気分じゃないの。一人にしてくれない?」
「そう。わかった。無理にとはいわないよ。なんにせよ、ぼくはどんな幽霊も応援することにしているから。きみの呪いに幸いがあるように祈っているよ」
「ありがとう。あなたの好奇心にも幸いがありますように」
「さようなら」
ぼくはその憂鬱そうな無表情の女の子の幽霊と別れて、公園から立ち去った。
生きている人たちは、たしかに不思議なルールに従っている。でもぼくたち幽霊にだって、ルールはある。生きた人とは違う在り方だから、それがバカに見えたり不思議に見えたりするのだろう。
そんなことを思いながら歩いていると、道の向こうから、ぼくと同じ年くらいの子どもたちが歩いてきた。みんな手に黒い筒を持っている。きっと卒業証書だ。いまは春で、そんな時期なのだ。
その華やいだ、生きた子どもたちのあいだを、幽霊のぼくは通りすぎる。
「……ん?」
ふと、その一団の一人に見覚えがある気がして、振り返った。その見覚えのある後ろ姿。あれは、ぼくの妹ではないか。
「卒業おめでとう、
妹も、いまでは十二才か。そして生きている妹は、そのまま十三才となるのだろう。死んでいるぼくは、ずっと十二プラス幽霊の年月だ。
ぼくはもう終わってしまったけれど、それでもここに存在していることだけは確かだった。どんな在り方だろうと、それならそれで楽しむだけだ。
さて、今夜は死神から逃げ延びることができるだろうか。そして幸運にも明日を迎えたら、明日はどんな幽霊と出会えるだろう。
桜並木のあいだを歩きながら、ぼくはそんな風に、凪いだ未来を夢みていた。
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