第一章 帝国統一編

第7話 旅立ち

Freiheit ist immer die Freiheit des Andersdenkenden.(自由とはつねに、思想を異にする者のための自由である)

             ――ローザ・ルクセンブルク 1871~1919



「…………」

 小鳥の爽やかなさえずりが聞こえてくる。味のある空気が鼻腔に伝わってくる。部屋に差し込む日差しは今日という一日も無事に明るく過ごせることを意味している、まるで一ヶ月前の光景が噓のように……。

「知らない天井だ、ね」

 既に見慣れているのに懐郷の念から冗談交じりに僕はそう言った。そして、僕は寝具から身を下ろし、半壊している壁に寄る。

 少し回想にでも浸ろう。


 あの休戦協定が国内外に知れ渡ると僕たちはハーデス連邦から休戦協定を持ち掛けられ、特に何の問題もなくそれに調印した。これが事実上の平和の到来だ。そして、光陰矢の如しとは上手い言葉なもので、僕が休戦協定を確立させてからもう一ヶ月もたった。しかし、休戦協定の次段階である講和会議はまだまだ先なようで、どういう条件を会議に持ち込むかは国内の右翼と左翼で熱い議論が交わされている。


 ……そして、この一ヶ月の間に、死に体同然となった大イリオス帝国はさらに心臓を一突きされることになった。ハーデス連邦は休戦協定が発効されても軍を撤退させず、思いもよらぬことに彼らはその時ハーデス連邦軍の占領下にあった地域でイリオス連邦共和国なる傀儡国家を建国してから撤退した! さらにその国では大イリオス帝国の有力貴族エーベルト侯爵が国家元首の席に座り、彼らは自分達こそがイリオスの大地の正当な政府だと主張してくる! 国内ではこれに憤慨する者、落胆する者の二派に別れたが、僕は間違いなく前者だ。火事場泥棒的に僕たちから領土を奪ったハーデス連邦にも腹が立ったし、これから挙国一致で戦災復興に向けて頑張ろうとした矢先に足並みを崩したエーベルトら一行の革命政府らにも腹が立った! ……どうにかして解決したい。


 また、この国は魔皇に最高権力がありその下で内閣が組織されているのだが、この一ヶ月の間に僕は内閣にある提案を出した。それは僕があらゆる職から退き、一時的(元の世界に戻れる算段がつくまで)に魔皇の役目を別の異形に任せたいというものだ。これを聞いた内閣や側近は仰天し、僕に泣きついて懇願する異形までいた……ランプのことだね。ごほんっ、しかし、僕はそれを必死に断り、内閣には泣く泣く口約束上で僕の提案を承諾してもらった。こうして、秘密裏に魔皇の権力はラインハルト宰相とシュライヒャー帝国特命大臣の二人に引き継がれ、僕は地下の緊急大本営に代わって王宮で慎ましく暮らし始めた。

 

 なので、周りの者をすっかり遠ざけた僕の間近に残ったのは――


「ハインツ・オゥルゲン! おはようございって、きゃああああっ!」


 ――イシュメールに心酔してるのにも関わらず、の獣少女ユニティ・ハーミットのみである。


「だ、大丈夫か!」

 僕は、部屋に入ってくると同時にすってんころりんしたユニティに手を差し伸べた。ユニティは少し恥じらうもそれに応えて立ち上がる。

 この一ヶ月のところ、いつもこんな調子なんだけど、どうしてイシュメールはこのドジっ娘を第一秘書に任命したのだろう? まぁ、僕にその属性がないわけではないが……。

「はわわわわ、またしても朝から……」

「問題ない、魔皇なのにも関わらず職務を放棄した私より何の問題もない」

「……解答を控えさせてもらいます」

 僕はそれに少し笑うと、

「それで? 何か話があると昨日の夜に君から聞いたが?」

 ユニティともじもじと体を揺らしながら、

「あの、その、失礼な話かもしれません」

「別に君が何を話そうと私は不快になりはしない」

 こうしてあなたみたいな可愛らしい方と会話できるだけで最高です!

 ユニティは体の揺れを鎮めながら、

「では……、ここ一ヶ月間陛下はこの世界について学ばれていましたが、これから一体何をされるのかな、と」

「…………」

 僕は瞬く間に表情を硬くし、ユニティの顔をまじまじと見つめる。

 実を言うと、僕にはただ一つの決心、魔皇としての覚悟を体に縫い付けたあの夜の心持ちで己に課した義務がある。それは、イリオス連邦共和国の領土を大イリオス帝国に取り戻させるというものだ。

 まず第一に革命政府が生まれたのには僕にも責任の一端があると思う、戦争の継続ではなく終結を選択したこの僕に。そして、いくら元の世界に戻れる算段がつこうと、この国の王を経験した僕がこのまま火種を残してこの国を去ることは僕の良心が許せない。これは茨の道で酷く困難を伴うものだ。しかし、一度地獄を目にした僕にとってそんなことは大した問題じゃない。恐怖を乗り越え、勇気を以てして平和を選択した僕にとってもう一度奮い立つことくらい容易いはずだ。あぁ、ウィル・A・ツェペリの「人間賛歌は勇気の賛歌、人間のすばらしさは勇気のすばらしさ」という言葉が輝いて見える。


「あの……、やっぱり失礼でしたか?」

 ユニティが僕の顔をそっと覗いてくる。長い沈黙が気になったのだろう。

 僕は拳を握りしめると、

「私は元の世界に戻る方法を探す……」

 いきなりのことにユニティはとまどいながら、

「そっ、そうですか」

「しかし、その前に私には果たさなければならない使命があるっ! それは革命勢力への革命勢力としてイリオス連邦共和国に征くことだ。この試みはたった一人の軍勢で起こす反革命かもしれない。しかし、これを起こさないことは私自身の人生への反倫理的行動だ!」

 ふっ、この言葉を聞いてもらえば、僕にも魔皇という肩書きが板についてきていることが分かるだろう? 

 ユニティは春のような笑みで、

「ふえぇっ、――さんは、そ、そんな素晴らしいことを成そうとしていたのですか! やはり、やはり、陛下のお身体を賜ったのが――さんだったのは運命なんですね!」

 何かとんでもない勘違いが生まれたような……。

「でしたら、私が随伴してもよろしいですか?」

 ユニティは息を荒くしながら個人的驚天動地に値する言葉を放った。すると、僕は目をきょどろせながら、

「え、な、それはまた一体どうして……?」

「私も国民の一人、民族の一人としてイリオス連邦共和国なんてものを看過できません! それに私は陛下の第一秘書であることを自身の矜持としています!」

「…………」

「そして、それは陛下が――さんであったとしても変わりません」

 ユニティのその言葉が何を意味しているのかは分からなかったが、ただ彼女が僕と共に革命勢力への革命勢力になりたいという意思だけは伝わってくる。だとしても僕はユニティを連れていきたくはない。ユニティの確固たる意思や彼女が僕の正体を知っている唯一の異形だといことは、確実に僕にとってプラスに働くが、わざわざ彼女を争いに巻き込みたくはない。

 しかし、ユニティの顔をもう一度よく見ると、僕の思考は白紙に戻す必要があるなとほとんど本能的に感じ、

「分かった」

 そして、ユニティの目をしっかりと捉え、

「が、魔皇として、一つの生命として、命じておく。私達にあるのは勝利か死かではない。勝利か敗北かだ。命まで投げ捨てる必要はない」


「……はい」



~場所は変わり~


「いやぁ、素晴らしいな。戦争は終わり、権力は私の下へ」

「しかし、彼と同等のもの……つまりは双頭政治です」

「問題外だ。差し当たっての障壁ではない。何にせよ、イシュメール・ブランデンを代償にイリオス主義を残しことは間違いなく英断だよ、君」

 閣下は私をそうたしなめた。

「……私もそう思います」

 私には閣下の考えが読めない。閣下にあるのは国への忠というよりも思想への忠、しかしそれでは陛下の精神を殺す理由にはなり得ない。やはり、戦争の終結が目的か? いや、もしかするとその先……、

「Welcome to this crazy time♪ このイかれた時代へようこそ♪」

 閣下がいきなり見知らぬ歌を口ずさみ始めた。

「おや、聞いたことがなくまた斬新な音調の曲ですね。どこかの民謡でしょうか?」

 すると閣下はニヤリと不敵に笑い、

「どこか……? ふっ、言うなれば、だよ、君」

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