第6話 無知から始まる休戦交渉③

「よくもやってくれたな」

 気づけば僕はランプに詰め寄っていた。ランプは今までにない表情を見せ、額から汗を滝のように流し始めると、

「も、申し訳ございません! ……しかし、一体私は何を?」

「本気で理解してないのか? えぇっ⁈」

 僕がそう聞くと、ランプは先程までからは想像できない小動物のようなか弱しさを見せながら首を縦に振る。

「あぁ、そうか、分かったよっ!」

 僕は投げやりにそう言った。そして、自分の怒りの矛先が何処にも無いという現実を埋め合わせるために、心の中でぐつぐつと煮えたぎっている鍋に氷を投下し始め、しばらくの間僕はランプの前にそういった心境で立ちつくす。


 すると、不意にユニティが空気感をはばかる声で、

「あの、その、そろそろ、血盟国陣営の代表と休戦交渉を予定している場所に向かわないと、その、時間が……」

 ユニティの声は次第に小さくなっており、それはユニティが勇気を振り絞って発言したことの証左だった。

 僕はランプの目を睨み付け、拳を思いっ切り振り上げてランプの顔の前で振り下ろすと、

「その通りだな」

 そして、僕は部屋を退出するためにランプに背を向けつつ、

「ランプ、私は次の休戦交渉での貴様の発言を絶対に許さない」

「ハインツ・オゥルゲン!」

 ランプは声高らかに答えた。

 

 二つあった好機の内一つを自爆という形で消失した僕らは再びフォックスハウンドに乗車し、今度は血盟国陣営の盟主国聖ヨルシカ皇国の代表との休戦交渉に向かった。彼らが竜騎兵で移動してくるために場所は大イリオス帝国議事堂を指定されたらしいのだが、帝国議事堂のような場所に竜騎兵が着陸できるのだろうかということが僕には疑問だった。しかし、次の交渉をどう成功させようかという問題からすればそれは些末なことに過ぎない。

 なので、僕はフォックスハウンドに乗車してからというものずっとそのことだけに思慮を張り巡らしている。そして、良い案が思い浮かばない頭をリフレッシュしようと視線を外から車内に向けると、そこにはどこか落ち着きのないユニティの顔がある。

 実はさっきユニティは僕にこう告げたんだ。


「その、少し話したいことがありますので、二人きりでフォックスハウンドに乗車できるようにランプ閣下らに手配していただきたいのですが……」

 僕には断る理由が無いのでその提案を受諾し、グライムにそれを頼んだ。グライムは少し困った顔で、

「一台のフォックスハウンドに私、ランプ、ボルマン、それに4人の親衛隊員となると、移動速度にやや懸念が……」

 しかし、僕はユニティの声のトーンの重さを考えるとグライムに食い下がれずにいれなかった。

 僕がそう言うと、グライムはさらに顔を曇らせつつも、

「わかりました。陛下のお望みを無下にするわけにはいきません」


 そうして今この状況が出来上がってるわけなのだが、中々ユニティが話を切り出さないのでたまらず僕が口火を切る。

「どうした? 何か話があるのというものだからこの場を作ったのだが……」

 するとユニティははっとし、少し目を泳がせながら膝をこつんと叩く。そして軽く顔を俯かせると、そのままの状態で、

「……私は陛下を敬愛しています」

 ここでの意味はイシュメール・ブランデンだろうな、わかってるよ、そんなことくらい。

「だから陛下の考えに反する行動を取る人には敵意さえ持ちます」

 僕に対して言ってるのだろうか? まぁ、ユニティがそう思うのも無理ないけど……さ、その現実は心にうっとくるよ。

 ユニティはその小さな体全体に行き届くような量の空気を吸い込むと、

「ですけどね、例えばファルケンハイン閣下のような、陛下の考えに反したやり方で国を良くしようとする方々もいらっしゃるのです。私はそんな人達を見ると、こう胸がキュッと締め付けられ、現実から目を背けたくなるんです。陛下もファルケンハイン閣下らも意志は同じところにあるのにやり方が違うだけでお互いに軋轢が生まれるって……そんなの残酷です」

 ユニティは涙ぐんだ顔をそっと上げながら、

「そして、今の陛下の精神はこの国と全く関係のない方のものとなっています。しかし、その方――あなたがこの国を良くしようと考えていることが私にはわかるんです。だから私はあなたの決断を疑いません。あなたが最良と思う決断を迷いなく選んでください」

「…………」

 僕は呼吸を震わせながらおもむろにユニティの手を取り、優しく握手の形を作った。今度はそれが振りほどかれなかった。


「やはり、遅れましたね。陛下、見えますか? あれが聖ヨルシカ皇国の代表、シャネルA軍最高指令官です」

 僕がフォックスハウンドから下車するや否やグライムはそう言った。

 僕らは無事に帝国議事堂に到着した。しかし、グライムの懸念通りに少し遅刻してしまったようだ。それに加えて、そこは帝国議事堂とは名ばかりの焼け野原で、奥の方にファンタンジーとかにありそうな竜も見える。まぁ、それに気を取られている余裕はないのだが。

 僕はグライムに目を合わせると、

「まぁいい、取り敢えず席に着きに行こう」

 僕は得意の遅刻の言い訳を考えながら焼け野原の中央に雑多に用意された席に向かった。すると、先に座っていた女性が……って、人間⁈

「あっははははは! 遅い遅い! まるで東部前線でのお前らの進軍スピードのようだ! おい、イシュメール・ブランデン、お前のことは脳に藁の詰まった心臓のない憶病者かと思っていたがやはりそうだったようだな!」

 その女性――シャネルは清流の中に浮かぶ一輪のハスのような並々ならぬ気品と容姿を持っているくせして開口一番に随分と乱暴な口調を使った。そして、異形を見慣れていたがゆえに突然の人間を前にして僕は少し動揺している。

「も、申し訳ございません」

 僕は焦りながら軽く頭を下げた。

「ふふっ、感じるぞ優越感。素晴らしいぞ、達成感」

 シャネルはそう言い、さらにライン川のように蒼い髪をなびかせると、

「いいか、この私は三日後にお前らの西部前線とやらを突破する予定だった者、オリヴァー・シャネルA軍最高司令官だ!」

 う、うわぁ、元の世界だったら痛い人扱いされてただろうな……。

 僕は営業スマイルを作りながら、

「そ、そうですか。私は――」

「おぉぉっと! 止せ止せ! お前のことはよく知っている。とにかく、座れ。休戦協定を結びたいのだろう?」

僕は営業スマイルを苦笑いに変えながら

「あ、ありがとうございます……」

 すると、何がとは言わないが、シャネルは勢い良くあれが危ないラインで机に足をのせ、

「私は無駄な挨拶やらおべんちゃらが嫌いなんだ。早く条件を教えろ」

 僕は少し顔を赤らめながら、

「……分かりました。休戦協定はこちらの通りです」

 大人しく例の押印済み文書を手渡す。

 シャネルはそれにざっと目を通し、素早く読み終わると、手のひらを僕に向け、

「ふっわはははは! 休戦交渉という時点でもただの茶番にしか思えなかったが、まさか、まさか、対等な関係として休戦状態に入ろうと思っているとはな、この愚か者がっ!」

 シャネルはイルシールと違って自分の気持ちを全面に押し出してきているな。しかし、イルシールよりも説得するのは難しそうだし、そもそも話すこと自体が苦手なタイプだなぁ……。

 僕はそう思ってシャネルの前だというのに目を瞑り、如何にもという風に右手を額に当て、

「だがしかし、いいぞ、この休戦協定受諾してやる」

 そのままぐらついた右手は僕の頭を落とし、僕の顔が机に激突する。

 えっ、えっ、はっ……? 受諾するのか? いや、喜ばしいことだけど、こんな文脈で、さらにあっさりとこの休戦協定を受諾してくれるというのは本当に現実なのか? いやいや、どういうことだ? まるで意味が分からない。さっきのイルシールの時と比べるとますます意味が分からない。もしかして、何かの罠だったりするのだろ――、

「おい、いつまでそうしているつもりだ? 返事がないならこの提案を蹴ってもいいんだぞ?」

 その声が聞こえると僕は瞬時に顔を上げ、

「いいや、違う! ありがたい! 是非ともこの協定で平和を取り戻したい!」

 宝くじが当たったような昂った感情と共に机から身を乗り出した。

 シャネルはそんな僕の勢いに少し圧倒されながら、

「え、あ、だがな、一つ密約を結ぶことが条件としてあるんだが……」

「何を言っていただいても構わない!」 

「そ、そうか、じゃあ、言わせていただこう。条件となる密約はお前らとの講和会議が終わり次第、お前らが我が血盟国陣営に参加することだ」

 シャネルは胸ポケットから一枚の紙を取り出しながら言った。そして、シャネルはニヤリと邪悪な笑顔を見せ、再び僕に口撃を繰り出そうとする。しかし、それよりも僕が口を開く方が早い。

「分かった! それでは、そちらの密約書に私は印を押すのでシャネル閣下にはこの休戦協定に署名また押印を願いたい!」

 すると後方から、

「陛下!」

 ボルマンの鬼気迫る声が聞こえてきた。

 僕はそれにビクッと体を震わせ、一閃を辺りに走らせて振り返った。そして、ボルマンがこちらに向かってくるのが分かる。

 ボルマンは自身の声がシャネルの耳にギリギリ届かず僕には何とか聞こえそうなくらいの位置にやってくると、

「ぶひっ、陛下、理解されているとは思いますが、血盟国陣営に参加しろというのは立派な内政干渉です。このまま、相手の条件をのむことは、独立国家である私達の主権を脅かすことと同義で、一度内政干渉の事例を作ってしまえば、今後もそれが起きる可能性があるかと。ですのでここは慎重に検討すべきかと、ぶひっ」

 ボルマンは僕にそう言い終えると、また元の位置に戻っていき、その様子を目で追うと、どうやらランプも同じ意見を持っているようだ。しかし……。

「ふんっ、年甲斐もなくはしゃぎやがって、とても滑稽だな。それに部下に助けられるとは……まったく、お笑いだ」

 シャネルが忌々しくそう言った。恐らく、話の内容が予想できたのだろう。まぁ、確かにそうだ。少しは舞い上がった感情に落ち着きを取り戻せたよ。ありがとう、ボルマン。しかし、やはり慎重に検討するつもりは僕にはない。ファルケンハインが君らに譲歩して降伏から講和になった。なら、今度は君らが譲歩するのが道理だと僕は思う。それに僕には自分の意思を貫く覚悟がある。これはファルケンハインの時の後悔とユニティの後押しのおかげだ。僕はこの戦争が終わればそれでいい。僕はこの首都での惨劇が止まるのであればそれでいい。となると、僕はどんな選択をするべきだろうか? いや、そんなこと言うまでもなく、答えは直ぐそこにある。

 僕は澄んだ気持ちで、

「いいや、これで戦争は終わりです」



イデア暦1675年6月15日 大イリオス帝国と血盟国陣営代表聖ヨルシカ皇国との間でシュタインベルク休戦協定が締結。



 そして後日にユニティから聞いたことだが、その後グライムがファルケンハインに休戦協定が結ばれたことを連絡し、ファルケンハインはそのことを首都全域に呼びかけたらしい。


「その紋章に対して喋ると首都全域に私の声が届くのか?」

 ファルケンハインは宮廷魔術師に話しかけた。すると、宮廷魔術師はファルケンハインだけに聞こえるような声で、

「閣下、正確には一人一人の心に直接伝えるわけですから、聞いている側としては体の内側から語り掛けられているような感覚です」

「なるほど、陛下やランプの演説の時もいつもこの魔術を?」

「はい、そしてもう魔術効果は発動しているかと……」

 ファルケンハインは紋章にちらりと目をやると、再び宮廷魔術師の方に視線を戻して、

「分かった、ありがとう」

 そして、ファルケンハインは宙に浮かぶ紋章の前に足を運ぶ。そこで彼は万感の思いを胸一杯に広げながら手記をめくるように過去を思い返すと、深呼吸をして紋章から首都全域に己の思いを届け始める。


『全帝国軍兵士及び全国民諸君、諸君らは物資が著しく欠乏した状況下であるのにも関わらず、また自身の抵抗が無意味だという事実を理解していたのにも関わらず、陛下への忠義という一心のために敵連邦軍に対して戦闘行為を敢行し続けてきたであろう。しかし、遂に陛下が血盟国陣営との休戦協定を締結した今、必然的に敵連邦軍の侵攻も停止する。故に、私ヘルムート・ファルケンハインは諸君らにも戦闘行為の停止を命令する。諸君、私は諸君らの今日までに命を落とした者、今日までに戦い抜いてきた者、そして今日からを生き抜く者、それら全てに心からの最大の敬意を表する。1615年6月15日、本土防衛最高指揮官ファルケンハイン。ハインツ・オゥルゲン』


 ファルケンハインはそう言い終えると、膝から崩れ落ちるように地面に倒れ、四日ぶりの睡眠を取った。


 その後、ある者は武器を投げ捨て、ある者は死者を弔い、ある者は生を歓喜したという。そして、焼け野原となった大地には緑が再び生まれ、空には小鳥が飛び回るようになり、戦いで荒んだ民の心は再び豊かなものになっていった。世界はこれらを「終末からの回生」と呼称した。


 こうして、僕の物語ストーリーが始まることになるのだ。


『異世界転移して魔王になったけど、既に国が崩壊しかけてるんですが』


プロローグ ~完~

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