第4話 無知から始まる休戦交渉①
僕は独り言が多いけれど別に客観的に自分を見ることが得意なわけではなく、とても単純に人間的な部分から彼への怒りが沸き立ち始めていた。もちろん、これはユニティの話を聞いたからだ。
しかし、歴史の教科書に感情移入するなんて経験があったかというとそんなことはなく、現代の政治に対しても取り立て興味は無かった。ただ、ユニティの話は違う。イシュメールの身体を持つ僕にはあの話が身近なことに思えるのだ。そして、だからこそイシュメールへの怒りが沸き立ち始めるのである。
「誰が休戦交渉について説明する? 特に誰も手を上げないのなら私でいいだろうか?」
緊張感が漂う部屋の中、ランプは全員に言い聞かせるように言った。
現在、僕はファルケンハインに呼ばれて自分の部屋から初期スポーン地点に戻ってきているのだが、一応ユニティにも同席してもらっている。安心感を得るのは当たり前の行動でしょ? それと下心がないことは明言しておく、一切とは言えないけど。
ランプは全員の顔を見回すと僕の目をはっきりと捉えて、
「陛下、ご存じとは思いますが、我々は西から血盟国陣営、東からメメント・モリ陣営により攻撃を受けています」
僕は少し間をおいて頷く。
「そして、彼らは我々を共通の敵としていますが、明確な協力関係ではありません。むしろ、互いに潜在的な敵と認識している節があります」
なるほど、敵の敵は味方理論での嫌々協力状態というわけか。
「つまり、どちらかと休戦協定を結ぶことができれば、必ずもう一方と休戦協定を結ぶことができ、無事に今次戦争の講和会議を開くことができるのです」
まぁ、その言葉だけで見れば理には適っている。しかし、ファルケンハインの言葉を借りると、可能か不可能かで考えればそう上手くはいかないと思う。
「具体的にどういう協定を結ぶのかね?」
僕は神妙な面持ちで聞いた。
「えぇ、まず第一に署名または押印後6時間以内の交戦終了、次に血盟国陣営であれば我が軍が展開しているロッテルダム、リエージュ、レムリアからの即時撤退、メメント・モリ陣営であれば我が国の領土からの即時撤退、三つ目に全ての海域からの海軍の引き上げと海賊集団への活動停止命令、最後に我が軍の一時的な武装解除です」
へぇ、意外とまともだ。海賊集団の部分を除けば大体意味は分かったけど、まさかランプがこんな妥協的な考えを示すとは……。
すると、ランプは僕の不思議がる顔を案じたのか、
「陛下、我々の真の戦いは講和会議です。現状打破の休戦協定はこのようなものでも問題ないかと」
いや、そういう意味の顔ではないんだが。あぁ、まったく、講和会議ではどんな条件を要求するのかが途端に怖くなってきたよ。
ランプは二枚の紙を僕に差し出しながら、
「それではこの内容でよろしいでしょうか?」
僕は少しだけ考え込む。しかし、別段何も言うことはないので、
「特に問題はない」
さっきの時とは違って僕の意思をしっかりと伝えようと心に決めてたんだけどね、どうやら今回はそんな嫌な事態はなさそうだ。
「そうですか、ありがとうございます。それではこれに署名を」
ランプは笑顔でそう言いながら二枚の紙を僕の机に置いた。そして、僕は目を見開いて仰天し、
「しょ……めい、か、ね?」
待て待て、署名なんて僕はカタカナでイシュメール・ブランデンと書くしかないから皆に怪しがられるよ! このランプが僕に差し出してる……何この文字? ヒエログリフほど難解とはいかないけど十分に意味が分からない。この文字用のロゼッタ・ストーンはないわけ? フランス軍っ、日本語に訳して持ってきてよ!
などと心の中で叫ぼうとまるで意味がないことは過去の僕が何度も証明しているので、僕は目を回しながら真剣に打開策を考える。
そんな明らかに違和感のある僕の動きにランプは不意に、
「へ、陛下、さぁ、どうぞ、羽筆ならばそこに……」
するといきなりの声に僕はばっとランプの目を捉える。そして、そのおかげで頭上に電球が光るように打開策を僕は思いつく。
そうだ! ランプは言っていたじゃないか、署名または押印と。だから、僕は押印にすることでこの窮地を脱出する!
僕はランプの目を捉えたまま芝居くさいはにかんだ笑顔で、
「今は押印の気分だ。すまないが、私は羽筆ではなく、えぇっと……玉璽? を使わせてもらう」
皇帝みたいな偉い人の印鑑の名称は玉璽で合ってたけな?
「そうですか、それは失礼いたしました」
ランプはそう言って深々と頭を下げる。僕はそれを受けて純粋な笑顔で軽く頷き、次に少し遠慮がちに、
「……それでは、ユニティ、玉璽を取ってきてくれ」
「えっ⁈ そ、そ、そんなことを言われましても……」
法の番人たる裁判官から法を犯せと命じられたような表情と声でユニティは声を上げた。さらに周りの異形達もそれに似た動揺を見せ始める。あれ? もしかして地雷を踏みましたか?
しかし、ボルマンだけは違った。
「ぶひっ、陛下がそうしろとおっしゃるのであればそれがいいのでしょう。ですからユニティ嬢、取りに行っていただけますか? ぶひっ」
ボルマンは公然と言い、ユニティや他の異形たちはそれで納得したようで、
「……わかりました。それでは失礼します」
ユニティはそう言って部屋を退出した。まぁ、ルーデンドルフ老は納得できなかったようで、あからさまな咳を数回鳴らしたが。
とにかく、少々の難はあったものの絶対に避けたかった危機はどうにかなったようだ。
そういうことで、これで話は終わりかな、僕はそう思って安心感と達成感の中で肩をぐるりと回してこりをほぐす。そして、精神世界で肩の荷をよいしょと降ろそうとする。しかし、直後、僕の肩にはメガトン級の積み荷がのしかかってくる。
なぜなら、ランプが右手の人差し指をピンと立ててこう言うのだ。
「それと、既に両陣営とは転送式ケネル文字での連絡交換で休戦交渉の準備の話はついていますが、実際に交渉に向かうのは、陛下、私、ボルマン、グライム、そして4人の親衛隊員です」
僕の顔から血の気が引いた。
その後、ユニティが持ってきた玉璽を僕は震える手で押し込んだ。そして、メメント・モリ陣営と血盟国陣営の順で別々の場所で休戦交渉を行うので移動時間の関係上直ぐに出発することになった。
どうやら僕がいる場所は地下だったようで、僕達は地上に上がって輸送用の馬車が到着するのを待つ。その間僕がどんな状態に陥ってたかというと、僕の目には世界が色を失ったように見え、頭では何かを思考するという気力さえ起きなかった。さらに左手はパーキンソン病を患ったように震えだし、足は一歩一歩進むたびに鈍重になっていった。しかし、そんな状態で僕はユニティの同席の是非をランプ達に聞いており許された……のだが、言うまでもなくこれは無意識だ、下心が心に湧く隙間などがあるなら是非とも教えてもらいたい。
……この事態を予想できなかったわけではないが、そのことを視野に入れてランプと話してはいなかったので余計に辛い。とは言え、事前に予想できていたり、休戦交渉の出発までもう少し時間の余裕があったとしても、僕の反応に大差はなかったんじゃないかと思う。なにしろ、つい数時間前まで保険会社の会社員だったこの僕が、ユニティが説明してくれたあんな状態の国の代表として休戦交渉を行うというのはあまりにも重責過ぎるからだ。
正直なことを言えば……これはあまりにも無責任だけど、逃げ出したくもある。
しかし、そんな僕の気持ちを無視して時は非情に動く。
「なっ、あれはチャリオット? 馬車ではないのか?」
ランプはそう言いながら僕らのところに到着した二台の乗り物に駆け寄っていく。そして御者らしき異形と幾らか言葉を交わすとまた戻ってきた。
「陛下、申し訳ございません。どうやら、馬車は既に尽きているようで、倉庫にあった保存用の旧世代装甲チャリオット、フォックスハウンドで移動せざるを得ないようです」
ランプはそう言った。
「……そうか」
ただ一言僕は呟くように言った。何しろそんなことは些末なことにしか思えず、この二台のフォックスハウンドを率いている未知の巨大な魔獣らしきものにも何の好奇心も持てないからだ。
「で、でもっ、この古風な感じのチャリオットも素敵ですね」
ユニティはとりわけ僕に聞こえるように言った。僕の表情から何かを読み取っているのだろうか。
「まぁまぁ、移動できるのなら大丈夫でしょう。さぁ、乗り込みましょうか」
グライムが場を取り繕うように言って僕らはメメント・モリ陣営との休戦交渉に向かうことになった。……そう言えばグライムもファルケンハインと似たような感じだったかな。
休戦交渉に向かう中、僕は何気なく外の様子を眺める。
「…………」
地上は既に日が落ちており、地下の雰囲気が生ぬるいと思えるほど凄惨を極めていた。ありとあらゆる建物は崩れているか燃えているかで、路頭に迷う異形達は薄い布を巻いているばかりで他には何も持っていなかった。盗みが街中で平然と行われており、人心は荒廃している。道の舗装など夢のまた夢で、街の水路が決壊しているので、陥没した道に水がたまり小さな池のようになっていた。食料が無いからなのか、道端に生えている草を食べたり、土を食べている異形がほとんどだ。自殺を図っている異形も多く、街道に肉体がちらほらと転がっていた。ランプが通れると思っていた全ての門が崩れており、僕らは元は家があったであろう場所を踏み越えていくしかなかった。
思考する気力さえ失っていた僕も流石にこれには感じるものがあった。そして、2時間ほど経過すると、この世の地獄を見ているかのような僕の表情はさらに変質する。
どこからか悲鳴のようなものが多く聞こえてきて、槍兵が女性や老人のような異形を串刺しにしていた。僕は目の前の惨劇に息が止まり「……敵兵?」と声を漏らすと、それに気付いたユニティが「いえ、あれは敵軍ではなく自軍です。恐らく、陛下が立案された国民皆兵計画の一環だと思います。国民といえど今この首都では全員兵士。敵軍から逃亡すれば死刑ですから」と平然と答えた。その言葉に僕は胃の中にあるものをうっと嘔吐しそうになる。
また、一人の背の高い異形に15人ほどの子供のような異形が統率され、農具をもって掛け声と共に炎の中に飛び込んでいき、これをランプとボルマンが「素晴らしい!」とフォックスハウンドから乗り出してほめたたえる姿には狂気を感じ、身体が芯から凍り付いていった。
さらに、僕らがどんどん進んで行くと異形達の阿鼻叫喚が冥土からの合唱のように流れ、ここには異形の屍と文明の瓦礫が横たわっているのだろうなと僕は思った。
そして、不思議なことに、このピカソのゲルニカをそのまま現実にしたような現世のありとあらゆる恐怖の叫びが集約された光景を直視した僕には巡り巡って人間的な感情が再び戻ってきた。
……この惨禍を創り出したのはイシュメールだ。しかし今のイシュメールは僕だ。だから、だからこそ、僕はこの戦争を終わらせることができる、憎きイシュメールの鎖から国民を解き放つことができる。そして、それに繋がる二度のチャンスがこれから僕が赴く休戦交渉なのだ。ならば僕はやってみせる! 勇気と正義の行動を以て大イリオス帝国の国民を救ってみせる! 僕はこの国の王なのだから!
気づけば、僕の目からは涙が零れていた。
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