第3話 胡蝶の夢
すると、豚の異形がよそよそしく、
「……陛下はお疲れになってるようです、ぶひっ。ですから、休戦交渉の席は私達が準備するとして、そろそろ陛下には休んでいただくべきかと、ぶひっ」
……願ってもない提案だけど、流石にそんなことは、
「その通りだな、ボルマン。私もそれが言いたかった」
不意にランプが芝居くさく豚の異形――ボルマンを指差して言った。そして、それに続く形でぱらぱらと他の異形達が頷き始める。
本当は発してないのだと思うが、僕は異形達に同調圧力のようなものを感じ、無意識に唇を噛み締めた。これも異形達の外見が異形であるからこそ、だ。
……仕方ない、そう思おう。不憫なファルケンハインには悪いけど僕はとりあえずこの空間を出る。しかし、それも一時の間。次こそは僕の本当の気持ちを発言してやるぞ、きっ……いや、必ず。
僕は溜息交じりに、
「分かった、そうさせてもらおう」
そして、ゆっくりと立ち上がり、さっと身を壁によせる異形達を横目に木製のドアに手をかけて部屋を退出した。
バタン。この音と共に僕は一人ぼっちになる。そして、さなぎから孵ったアゲハ蝶は万物を恐れずに世界を見て回るが、僕にそんな精神力がないことは自明の理なので、とりあえず誰かを探そうと思った。しかし、僕の眼前に続くのは寂寥感が降り積もる廊下であり、少なくともそこを少し進んだ先にある十字路までいかないと誰にも出会えなさそうだ。
なので、僕はよろよろと足を運んでいく。やはりと言うべきなのだろうか、身体が上手く動かせず、感覚としてはゲームのキャラクターを操作しているような感じだ。いつか慣れるのかな。
とぼけた足遣いで十字路にたどり着くと、もちろん選択肢は、そのまま真っ直ぐ、右に曲がる、左に曲がる、の三つに増えるわけだが、さてどちらに行こうと何気なく右を向いたらそこには……うん、異形だね。やはり人間じゃない。
しかし、顔に目が六つも付いている『バイオハザード』のクリーチャーみたいなのはともかく、そいつの隣にいる異形はコミケとかにいるであろう女性コスプレイヤーを現実化させたような感じで少なくとも今までの異形よりは親近感が持てる。
とりあえずあの人に話しかけてみるか。……それじゃあ、少しは気分を変えないとね。よしっ、行こう。
僕はその異形に足を向かわせながら心中にあった曇り空を吹き飛ばした。
「ちょ、ちょっと、いいで、かな?」
王という位を一時的にもらっているがこれは生まれついてのものではないのでどうしても喋り方に困る。
「は、はい、なんでしょう?」
女性は見た目にも関わらず酷く怯えて言った。しかし、僕は深く疑問には思わず、
「と、ときに君は私の部屋を知っているかな?」
普通に考えたらかの有名なバカゲー『Trollface Quest』にも出てきそうな質問だが、この時の僕の精神状態は普通ではない。
「…………」
そしてやはりと言うべきか何なのか、女性はポカンとした表情を浮かべ、居心地の悪い時間がそれなりに経ってから口を開く。
「それでしたらあちらの道を真っ直ぐ行かれたら良いと思いますが……」
なんだ反対の道だったのか。へぇ、さっきの書斎のような場所と近いんだね。
「ありがとう、君の協力に感謝する」
僕はそう言って振り向いた。その時、女性の表情が今度は驚きを表していたような気がするが、あまり気にせずに僕は自分の部屋へ向かっていく。
ドアは銀色のメタリックな仕様で不思議なことにドアノブがない。そのため、僕は自然に出かかった手をいったん戻し、少し観察する。けれども、『シャーロックホームズ』などではない僕には何がどうなってるかさっぱりで、思い切ってドアに触れると、
「えっ、えっ、ちょっと」
ドアがしゅんと消えた。だがそれに驚くのつかの間、僕がおどろおどろしく部屋に入ると、
「なっ、戻った⁈」
ドアが再び現れた。
あ、ありのまま今起こった事を話すぜ! ドアが消えたと思ったらいつのまにかドアが現れていた。な、何を言っているのかわからねーと思うが、僕も……というところで常套句は止めておこう。
この世界も典型的な異世界転移系ラノベのように魔法が当たり前の世界なのかな。
部屋は王のものと思ないほどわびしかった。灰色がかった石造りの壁が剝き出しになっており、窓は一つもないので唯一の明かりは中央にある蠟燭のみだ。家具はクローゼット、机、椅子、ベッドのみでそのどれもが痛んでいる。しかし、それでも今の僕にとっては随分と落ち着ける環境だった。
僕はゆっくりと椅子に向かい、腰を降ろして感情を吐露し始める。
「『胡蝶の夢』という、夢の中で胡蝶としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのかっていう中国の話があるんだけど、僕もその状況に似てるなぁ」
そこで僕は軽くため息をつき、
「でもこの状況が本当に夢だとしても僕にはそれを確かめる手段はないわけで、せいぜい今の状況を現実として認識しながら元の世界に戻る方法を探すくらいしかできないよ」
まぁ、元の世界には何の
「さて、まぁそれは置いとくとして、僕は異世界転移したわけだがいくらなんでもこの状況はちょいとおかしいんじゃないかなぁ⁈」
僕の声が自然と大きくなった。
「僕は王になった。それはいい、しかし何なんだこの国は! 戦争で首都が包囲されているとかいう失敗国家で、さらに住んでいる人たちが謎の異形ばかり。まぁ、まぁ、僕にチートじみた能力があればそれも看過しよう。だがしかし、そんなものはまったく感じられない。もし、あるのとしたらどう証明するんだ!」
僕はそう言うとともに、恐らく無理だろうという浅はかな考えと今の激動の状況に対する怒りから机に拳を振り下ろす。
バキバキっ!
耳の痛い音が僕の拳から鳴り、眼前の机は香港アクション映画のように崩れていった。瞬間、僕は胸が冷たくなっていくような感覚に襲われ、机の破片を慌てて拾い上げようとすると後方から、
「あっ、今は机も貴重なのに……」
僕は勢い良く振り返り、凍り付いた心は直ぐに夏の厳しい暑さを迎える。
「オーマイグッネス!!」
僕は思わず叫んだ。
そこには異形……いや、可愛らしい少女がいた。異形と言いかけたのは頭に獣耳と腰に尻尾が生えているからだ。そしてなぜか男性用の正装を着ている。僕の趣味か⁈
違う、違う、そんなことはどうでもいいんだ。まさか、今までの僕のひとり言を全部聞いていたのか? だとしたらまずい! あの異形らに僕の正体がばれてとんでもない事態になるぞ。恐らく、あのファルケンハインもこれに対しては同情なんかしないだろうな、だって王への忠誠心は高そうだからっ! くっそ、そんなことになれば、いよいよ僕はこの世界で本当に一人ぼっちになる……。
僕は三文芝居を演じながら、
「あ、いや、あの、ごほん! 一体いつから聞いていたのかね?」
「さ、最初からいました……」
獣少女は身をよじりながら言った。そして、僕の体は硬直していき、喉元にランボーナイフを突き付けられている上こめかみにデザートイーグルの銃口を向けられているような感覚に陥った僕は頭の回転のギアを急速に上げる。
そして第一次世界大戦直前のイギリス議会の満員ぶりを思わせる脳内会議は一つの答えをはじき出す。
そうだ。これはチャンスだ。この世界をまるで理解していない僕が意味も分からず右往左往するより、この獣少女に色々と協力してもらった方が合理的だし……それに、可愛いし。いやいや、とにかく、僕はこの娘に自分の正体を明かす!
そうと決めたら僕の行動は早く、硬直していた体に油を注し込んで動かし、芝居がかった動作で獣少女に待ったをかけた。
「ど、どうしましたか?」
「僕の話を聞いてください!」
獣少女は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、
「ふぇえ、いきなり何を……」
しかし、僕はまったく構わず、
「いいですか、僕は僕じゃない。正確に言うと、僕の精神は別世界からやってきたもので、あなたが普段接している王とは全く違う精神と今あなたは話しているんです。何を言ってるかわからないと思いますが、僕も分かりません。しかし信じてください、事実です」
自分の感情を伝え終わるころには既に僕は息を切らしていた。それほどまくしたてたのだ。打って変わって、獣少女は顔を曇らせながら視線を下に向け、しばらくするとそのしなった獣耳を僕の顔から天井に向けた。
「さっきの独り言を聞いてる限り、おかしいなぁ、大丈夫かなぁ、とは思っていましたが、それでもやはりそんなことが……」
獣少女は目をぱちくりしながらそう言い、小さい拳を握り絞めて胸をたたくと話を続ける。
「ひ、一つ、聞いてもいいですか?」
勇気を振り絞りながらそう言う獣少女に僕は何かを答えることができず、固唾を飲みながらこくりと頷いた。
そして、獣少女は震える息を吐きだしながら目を瞑って一言、
「へ、陛下の先代はパウル・ブランデンですよね?」
何の脈絡もない話だった。
僕にはそれの意図が全くつかめず、真っ白な更地と化した脳は、
「……えっ?」
というアホな言葉を出す始末だ。しかし、獣少女は嬉しいような悲しいような曖昧な表情を作り、そっと桃色の唇に手を当て、
「そう……ですか、でもどっちにしろいい気分ではありませんね」
さらに獣少女は顔を何度かパチパチと軽くたたき、少し引きつった笑顔で、
「私はユニティ・ハーミット。陛下の第一秘書を務めています」
これは……つまり、そういうことだよね? 理解してくれたってことだよね? 獣少女、じゃなくて、ハーミットの中でどんな心境の変化があったかはわからないけれどさ。ふぅ、変人扱いされなくて良かった。
僕はほんのりと温かくなった胸をなで下ろし、
「ハーミットさん、僕の本当の名前は――っていうんだ。よろしく」
すると、ハーミットは一気に頬を紅潮させ、
「へ、陛下のお姿で私に敬称なんて使わないでください! ユニティで構いません!」
あっ、これもしかしてランプと同じタイプ……。
「それと、陛下は大イリオス帝国第8代魔皇イシュメール・ブランデンです」
「イシュメール……ブランデン」
僕は一文字ずつ確認するように言った。
「はい、とても素敵な名前ですよね。あ、あと、――さんのことは陛下と呼ばせてもらいますよね。失礼ですけど少し読み慣れない文字の並びですし、その、お身体は陛下ですから……」
そう言うとユニティは肩をすくめた。
僕としてはもう少し話したいことがあるのだが、ユニティの顔には愛くるしさの中に哀愁が漂っている。やはり敬愛する人の精神だけがいきなり消えてしまっているのは辛いのだろう。しかもその代わりにやってきたこの僕に何の恨みも向けることなく、自分の心の中だけで悲しみを完結させているとは。見かけによらず、僕なんかよりもよっぽど精神が強い。
すると不意にユニティが愛おしくも切ない表情で
「……何か私に話したいことがありますか?」
「えっ、あっ、あり、ますけど……」
まったくの予想外なことだったので僕は歯切れ悪くそう言った。そして、一息ついてから話を切り出す。
「あ、えーとだな。ぼ、私には腹案があってだな」
「腹案、ですか。それは一体?」
「仮に、の話なのだが、私が元の世界に帰れたらユニティが敬愛する本当の王が戻ってくるのでは?」
ユニティは僕の言葉を聞いたその刹那、ぱっと無類の宝石のように目を輝かせ、
「なるほど! それだったら私達の陛下が戻ってくるかもしれません!」
「え、あ、あぁ、そうだろう。そして、だからこそ私に協力してほしくてね」
僕はユニティのテンションのギャップに戸惑いつつ言った。ユニティは両手を合わせた上表情筋を思いっ切り緩ませて、
「喜んで!!」
ユニティはそういった明るい声が一番似合っている少女だ。悲しい顔を見ていると僕まで胸が締め付けられる。
「ありがとう、では二人の協力の証に」
ユニティの明るい表情にすっかり弾んだ僕の心は自然と握手を差し伸べていた。
「はい、よろしくお願いします」
ユニティは和やかな笑顔と共に僕の握手に応える。
がしかし、ユニティはすぐさま手を引っ込め、林檎のように赤く染まった顔で、
「はわわわ、陛下の手に触れるなんて、私は……」
これには恐ろしく複雑な気持ちになる。orz。
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