第2話 降伏しよう……ねっ

そのため、この部屋では沈黙の波紋が広がりつつあるが、グライムが一言、

「陛下……正気ですか?」

 僕はおもむろにグライムの顔を一瞥し、それと共に異形達の様子を確認する。


 ふむ、たしかに僕は正気じゃないかも。だって、もしかしたら僕は異世界に来てるかもしれないんだよ? それも精神だけ。仮に今の状況がもっと開放的だったら、きっと僕は人間らしかぬ行動を取ってるだろう。しかし、時間の経過のおかげで、もうそこまで焦る必要はないね。雀の涙ほどだけど心に余裕がある。

 しかも、だからこそ、異形達の動揺っぷりが僕にはよくわかる。


 さっきも言った通り、ここには8人の異形がいる。そして、彼らは総じて落ち着きを失っている。だけど、落ち着きの失い方にもいくらかレパートリーがあるようだ。


 まず、ファルケンハインやグライム。

 二人の様子はとても嬉しそう、の一言に尽きる。あからさまに嬉しがっているわけではないけど、僕がさっきの言葉を繰り出した瞬間、ぱっとお互いに顔を見合わせ、メロスとセリヌンティウスのように熱い抱擁を交わ――しはしなかったけど、ゆっくりと近づき合い、の握手を交わしていた。

 しまった、鐘の顔をした異形と『ソロモン72柱』の悪魔のような異形の抱き合いなんて想像するもんじゃなかったよ。うえぇ、気持ち悪い。


 続いて、爬虫類の異形やそれに準ずる反応をした異形達

 爬虫類の異形はファルケンハインやグライムにああ言ってたんだから、僕にもきつい言葉をかけるかなぁ。いやいや、僕は王様だぞ、流石に言葉選びくらいするだろう、と楽観的かつ希望的観測気味に考えていると、意外にも爬虫類の異形は口を真一文字に結んだ。

 しかも、顎に手の甲を当てているうえに視線は床だ。これで椅子に座ってもらえば、恰好だけは『考える人』、いや、『考える異形』だね。

 何かを思索しているのだとは思うけれど、僕への口撃だけは遠慮してもらいたい限りだ。


 最後に特殊な反応を取った異形

 そいつはいきなり僕の眼前に現れたんだ。さらに、矢の如くさっと飛び出してきたかと思うと、そいつはだった。いやはや、体型もそうだけど、何より顔だよ顔。これが豚にそっくりなんだ。しかも、トレードマークのようにシルクハットを被っている。

 この豚の異形は荒っぽく息を鼻から吹き出しながら、

「ぶひっ、やっと私達の愚案に耳を傾けてくれるのですね陛下! そうと決まれば交渉の席に着くための準備を。ぶひっ」

 喋り方まで豚じゃないか! もしかして、この異形の名前はナポレオンもしくはスノーボールかな?

 それと、ついでだから言っておくけど、僕には体をのけぞらせる暇もなく、今僕のすぐ目の前に豚の異形の顔がある。このままだと、キスの一つくらいできそうだって、うぇぇ、またまた気持ち悪い想像を……。

「え、あ、あぁ、うん」

 女性でなければ人間でもない奴に迫られている僕はとりあえずそいつに同意しておくことにした。

 すると、豚の異形は目を輝かせ、ホップ、ステップ、ロージャンプの要領で元の位置に戻っていった。

 

 とまぁ、異形達の反応はこういうわけなのだが、とりわけ意外だったのは皆さんお察しの通り爬虫類の異形の反応であり、さらに彼はこんな発言までもする。

「諸君、我々は常に陛下と共にある。陛下が徹底抗戦を望むのなら我々はそれに同意し、陛下が終戦を望むのら我々はそれに同意するまででだ。だがしかし、我々に降伏という歴史の屈辱は有り得ない! 少なくとも戦前の領土で独立を保てるような休戦交渉を行うべきだ。そうでしょう、陛下?」

 これが爬虫類の異形の思索の結果? が好きなのか? あっ、ややこしいけど、ここでのは僕自身のことじゃないからね。

 それで、往時のナチス・ドイツもといアドルフ・ヒトラーは国民を盛大に熱狂させたと義務教育では習うけど、もしかしてはそのクチだったのかな? いやだねー、余計にこの状況が夢であることを願うよ。

 

 まっ、とにもかくにも、質問にはちゃんと答えなけらばならない、がしかし、爬虫類の異形の質問は真っ当な意味での質問ではなく、同意を求めるための手段という意味合いがその大部分を占めていると思うんだよ、これが。

「うむっ、そうだな。私もそう思う」

 つまり、僕はこう出るほかない。

 それと今更ながら口調を調整した。こうするべきなのは元々予想できていたけど、さっきは心身的余裕が薄かったからね。


 爬虫類の異形は僕の言葉に満足したのか、純粋無垢な笑みを浮かべ、僕に敬意を示すように深々と頭を下げた。すると、不思議なことに多くの異形達が首をかしげ始める。

 だが、その中で、僕の肯定を打ち消すように、

「……違う」

 と声が一つあがり、さらにその声は続いて、

「陛下は降伏を私達に勧めたのだ。それに加え、私達の声に国際社会が耳を貸すとでも思ってるのか?」

 もちろん、声の持ち主はファルケンハインだ。


 これを受けて、僕の身にピリッと電流が走る。

 なぜなら、そのファルケンハインの声は、彼が持つ終戦への固い意思を僕に見せてくれるような、怒りと焦りが入り混じったものだったからだ。


 爬虫類の異形はファルケンハインの方にゆっくりと振り向き、顎に軽く人差し指を当てると、

「帝国の血と土を支配しておられる陛下の本心があの言葉にあると思うお前はやはり敗北主義者だ。そして、降伏の回避は、我々の思想的優越があれば何も問題ない」

 直後、ファルケンハインは自分の手の平を部屋一杯の音で叩く。

「貴様の夢物語にはもううんざりだ! 現実を見ろ! 東部前線はずっと前に消失し、今私達が戦っている場所は敵ではなく私達の国の大地、それも首都だ!」

「しかし、西部前線は安定している。何故だかお前も知っているだろう? 陛下の崇高で歴史的なゲヒリカ作戦の賜物だ! つまり、陛下の勝利への意志とイリオス主義の優等性は西部前線で証明されている! もちろん、それ以前からも確固たる事実であったがな」

 そう反駁されたファルケンハインは震える腕で爬虫類の異形を指さしながら、

「ゲリヒカ、あの作戦は……」

 僕にはゲリヒカ作戦なるものがどんなものか分からないが、ファルケンハインの濁った語尾には、彼がゲリヒカ作戦に対して複雑な感情を抱いていることを示しているようだな。


 すると、ファルケンハインに追い討ちをかけるように、

「んまぁ、たしかに降伏は無理じゃわいな。そんなことをすればここにいる者は全員断頭台送り、首と胴が離れ離れよ、ごひょごひょごひょっ」

 その声は枯れ木のようにしわがれた声だった。さらに、僕がその声主の方を向くことはあまりにも順当なことだろう。

 僕はすっと顔を上げ、声主の姿にあてはまりそう姿を探す。

「我が国の未来は我が国の民族によってのみ成るのじゃ! 降伏などして他国の従僕になるのはぜぇったいに断りよ」

 声主が昨今の日本社会を危惧するような発言をしたところで、僕はそいつを部屋の奥の方に発見した。おいおい、声と姿のシンクロ率が400%を超えてるよ。

 声主は木彫りで奇妙な仮面をかぶっており、それの隙間から長い白髪がはみ出ていた。そして、他の異形達の軍服とは違った、胴にでかでかと紋章らしきものが縫い込まれた軍服を着ている。


「ルーデンドルフ老、お気持ちは分かりますが……」

 ファルケンハインは、新卒入社一年目の会社員が超ベテランの先輩に頼み事をするような恭しさを持って仮面の異形もといルーデンドルフ老とやらに話しかけた。

 すると、爬虫類の異形がここぞとばかりに

「ルーデンドルフ老、やはりあなたもそうでしたか。素晴らしい! 諸君よ、ルーデンドルフ老の言葉を聞いたか? この方のような古くから王家に仕える軍人だからこそ、陛下の本意をくみ取れるのだ。我々もそれに倣わなければならない!」

 ルーデンドルフ老は初めてバレンタインデーにチョコを貰った男子中学生のように照れながら、

「ごひょごひょ、ランプくん、未だにわしを軍人と言ってくれるのは嬉しいが、今のわしの身分は退役軍人を兼ねた国防大臣なのでな」

「ふむ、そうでしたな。ルーデンドルフ老の戦功は未だに語り継がれるものですので、ついうっかり」

 そう言う爬虫類の異形――ランプの顔は妙にわざとらしい。


 そして、ランプは僕の方におもむろに近づいてきて、僕に何かを迫るのかと思いきや、途端にくるりと振り返り、僕の目にはトカゲのような尻尾が差し出された。

 ランプは、異形達が完全に黙ったうえ部屋から音というものが消えるまでひたすら直立不動を保ち、そんなランプに異形達は沈黙を義務のように感じたのか、ランプと同じ姿勢を取り出した、ファルケンハインまでもね。

 この静寂は数分続き、やがて特異な緊張感が広がっていった。そして、それが十分に広がったところでランプは深淵に水を一滴落とすように口を開く。


「いいか、諸君。今この時をもって一度決を採ろうではないか」

 何をするかと思えば、何を言ってるんだ?

「無論それは、歴史が我々に差し出す二つの選択肢、講和か降伏についてだ」

 なるほど、改めて、ということか。

「諸君! そこの敗北主義者は降伏を選択するだろう。だがしかし、陛下やルーデンドルフ老、そして私の意志は明確で絶対的に講和にある。さて、ここで問おう。諸君らの意志はどちらにある?」

 その問いに、異形達は沈黙を解き放って目くばせでお互いの意志を確認し始める。

「自由か隷従か。諸君よ、帝国に付き従う者なら直ぐに答えは決まるだろう」

 すると、ファルケンハインが最後の抵抗だといわんばかりに横槍を投げこむ。

「違う! 皆、騙されるな。可能か不可能で考えろ、私達に選択肢は既にない!」

 ファルケンハインの叫びともとれる声に異形達の顔が歪み、グライムの口角がそっと上がる。

「黙らっしゃいっ、お主は帝国軍人の恥じゃ!」

「その通りです、ルーデンドルフ老。……さぁ、そろそろいいだろうか、諸君?」

 ファルケンハインに帰ってきた声はルーデンドルフ老とランプのものであり、異形達は何かを納得したかのように頷き始め、グライムは目を閉じて唇を嚙み締める。

「講和に同意するものは、ハインツ・オゥルゲン、と!」

 ランプはそう言いながら左手を高々と掲げる。

 そして、ファルケンハインの「やめろぉっ!」という声と行動を横に、彼とグライムを除く異形達は息を合わせたかのごとく、

「「ハインツ・オゥルゲン!!」」

 

 再び、部屋は沈黙で包まれた。しかし、これは異形達の自発的な動きによって生まれたものだ。

 あるものは安らかな満足感、あるものは同調による安心感、あるものはひどく暗い失望、あるものは己の不甲斐なさへの後悔、からだろうか。少なくとも僕にはそう思える。

 さらに、これほどのことが起きて異形達にある確執をはっきりと僕は感じると、やっと僕は気づくことができた、自分はなんて発言をしてしまったのだろうと。


 僕は何も知らなかったさ。願わくばそれを言い訳にしたいが、その代償はきっと良心だろう。結果として僕の発言でこうなってるんだから僕にも非がある。それは夢だろうが何だろうが関係ない。少なくとも今の僕にとってはこんな状況が現実だ、とこんな状況をもってして初めて認識できたからね……。

 さっきなんかファルケンハインのことを何も考えずにランプに同意して……あぁ、僕は馬鹿だな。

 

 僕はひっそりと心の中で自嘲的な言葉を吐いた。しかし、この直後に僕はさらに自嘲的にならざるを得ない。


「陛下、それでは最終的な決断を」

 くるりと振り返ったランプが純粋な笑顔で残酷にそう聞いてきた。

 それに対し、僕は一挙に表情を崩す。


 も、もう、みんなわかってるだろ……。なんで僕にもう一度言わせようとするんだ? 傍から見れば、明らかにファルケンハインの方が正論だし、僕もその意見に賛成だ。そして、だからこそ、さっきのランプへの軽はずみな同意に嫌悪感を抱いてるのに……。

 こんな状況でそんなことを言えば、ファルケンハインが僕をどう思うか。彼と会ったのはここと今が初めてだけど、彼が誰よりも物事を客観的に見てることくらい分かるし、気が違ってるのはランプ達の方だと思う。そんなファルケンハインに噓をついてまで講和を通すなんて……駄目だ、あってはいけない。


「陛下?」

「…………」

 僕ははっとランプの顔を見上げた。

 そして、僕はある言葉を口に出さねばならぬと脳の生存本能の部分が定めたような感覚に襲われた。つまり、ランプの声は僕自身でさえたどり着けない深層の意識に刺さり、僕は……それに、それに、ただただ臆したのだ。


「……講和、に、し、よう」

 口調の調整などどこかへと消え、途切れに途切れに僕はそう言った。


 僕は馬鹿だ。自分だけの物語ストーリーなどおこがましい……。

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