フタリなセカイ

芝田 弦也

1曲

 廊下の掲示板に10月開催の文化祭の告知が貼られている。その中でも一際目立って見えたボーカルコンテスト。各クラス1人ずつ自薦他薦問わず募集しているようだ。

 私はその案内文を穴があくほど見つめていた。

 「なに、歌いたいの?」

 いつもの様に突然現れてくる芳樹よしき茶化ちゃかす様に声を掛けてくる。

 私は返事をせず、あごに手を当てて頷く素振りを見せた。

 「俺も出たいんだよー」

 流し目で芳樹を見遣みやると、右手をマイクに見立てて何か歌っているから、見なかった事にして教室へと向かう。

 「待てって! 少しは話聞いてよ!」

 私が相手をしなければ、芳樹はいつだって孤独だ。

 かと言って、私は違うのかと問えば同じなのかもしれない。

 似た者同士、惹かれ合うものがあったから巡りあったに過ぎないんだ。


 6時限目のLHRでクラスの催し物についての話し合いが行われているけど、私には関係のない事と切り捨てて狸寝入りを決め込む。

 様々な議論が飛び交い、最終的には多数決を取って喫茶店を開催する事に決まったみたい。

 馬鹿な男子が女子はメイド服を着てやった方がいいと声高こわだかに叫んでいる。

 私はメイド姿になった自分の姿を想像して、吐き気を催しそうになっていた。

 あんな女の子したふりふりな衣装、死んでも着たくないね。

 内心で悪態をついていたら、担任の長岡ながおかが話を一度打ち切って、ボーカルコンテストの話を始める。

 私はそれにつられて顔を上げてしまい、長岡と目が合ってしまった。

 「なんだ辻。歌いたいのか?」

 私の名前が出された事によって、クラス中でひそひそと密談を交わす声が聞こえて来る。

 その幼稚なやりとりに苛立ちを覚え始めていた。

 私が何も言わないでいると、長岡はクラスメイトに確認するように問いかけた。

 「出たい奴いるなら手をあげろー」

 ひそひそ声が一瞬静まり、誰も手を上げずしんと静かな時が訪れた。

 「いないのかー。なら推薦があるからそいつで良いよな?」 

 変な空気が漂っており、議論を交わしていた熱は何処に行ったのか、誰も何も言わない。

 「おいおい、さっきの勢いはどこいったんだよ。まぁいいわ。沈黙を肯定と捉えたからなー。文句言うなよー」

 長岡は独白どくはくを繰り広げ、推薦者の名前を出して会話を終えようとしていた。

 「辻、がんばれな」

 「は?」

 まさかの自分の名前が呼ばれたから、頓狂とんきょうな声が出てしまった。

 それに合わせる様に、密談の声が息を吹き返し広がっていく。

 私の横に芳樹が立っており、羨ましそうな悲しそうな二つの感情が入り混じった様な複雑な顔をしていた。私はこれ見よがしに舌打ちをしてしまう。


 終業の鐘が鳴り長岡が教室をでた所を見計らって、誰が私に推薦をしたのか問い質したのに、口を開くことはなかった。

 「不服か?」

 「いえ。誰が入れてくれたのか気になっただけです」

 「守秘義務だから応えないぞ」

 長岡は意地悪そうに口元を釣り上げて応え、再び歩みだした。

 私の返事を聞き入れないと態度で示すかのように。


 バッグを取りに教室へ足を運ぶと、芳樹が私の机の前で突っ立っている。

 「コンテスト、出る気?」

 芳樹の存在を全否定して、バッグを手にして教室を後にしようとした所、喚き立てる声が私の心を突き刺すように刺激してくる。

 「おい、無視すんなよ! 俺がどういう気持ちなのかお前なら分かるだろう!」

 「うるさい!」

 もうしないと決めたのに、咄嗟とっさに大声をだしてしまった。

 クラスメイトが訝しむ様に視線を投げ寄越してきているのが背中越しからでも伝わってきたから、その場から逃げるように駆け足で抜け出した。

 その後ろからついてまわる芳樹の声。

 元はと言えば、こいつのせいでこうなったんだ。

 私は唇を噛み締めて、廊下を駆け抜けていた。


 自宅の湯船に浸かりながら、あまりにも不自然すぎる抜擢ばってきに考えを巡らしていた。

 もしかすると誰かに仕組まれて、推薦みたいな形を取られたんじゃないかと言うこと。

 私が大勢の前で失敗を晒け出す所を見たがっている奴が居るのかもしれない。

 でも、出てみたい気持ちがあるのも確かだ。

 ぽかぽかとした湯気が立ち上る中、私が出した一つの答え。

 ――自分の意思でコンテストを乗り切ると言うこと。

 そうと決まれば、開催日までに準備を仕上げるまでだ。


 明くる日の放課後、人がけた教室内で芳樹と面と向かい合っていた。

 「コンテストの練習したいから、付き合ってくんない?」

 「散々シカトしてきた癖に?」

 不満を漏らすように愚痴る芳樹。

 「あんたの相手をすると、私が変に見られるんだから仕方ないじゃん」

 寂しそうに俯いているけど、私は畳み掛けた。

 「するの? しないの? しないんだったら二度と声掛けないで」

 私の掛け声で芳樹は項垂れていた頭を上げた。

 「やるよ。俺が断れないの知ってる癖に」

 気丈きじょうに振舞っているように見えたけど、目元には光る涙。

 少し胸が痛んだけど、無視して質問を挟む。

 「練習するのに良い所ない?」

 「お気に入りの所、知ってるよ」


 私は芳樹に言われるがままに、その後をついていく。

 今では部室として使われ始めた旧校舎へと進んでいき、一階にある音楽室前にたどり着いた。ドアノブを回しても鍵が掛かっていて開かない。

 芳樹は窓側を指差して、さんの所を探すように促してきたから、確認してみると古びた錠が有ったので、それで解錠を試みた。


 ドアを開け放つと、暫く誰も来ていないのか埃とカビの匂いが混じった部屋が出迎えてくる。

 私は鼻腔びくうを刺激してくる匂いに顔をひそめていた。

 立て付けの悪くなった窓を全て開け放って、室内に充満していた淀んだ空気を追い出す様に新鮮な空気を取り込む。

 「最悪な場所だね」

 「そう? いい場所だと思うけどね」

 芳樹は嬉しそうに、呑気に鼻歌を歌いながら室内を見て回っている。

 私はそんな姿を見届けた後、ぐるりと室内を眺め見ていた。

 長らく放置されて埃を被ったグランドピアノ、それを囲むように置かれている学習椅子。窓側のテーブルには日焼けで色褪せたCDデッキ。壁側には本棚があり、近づいて確認してみると、歴代の音楽家の楽譜や、音楽のいろはを教える教本や、歴史書などが所狭しと陳列していた。その一角に空いたスペースがあり、コンパクトCDプレイヤーが有ったのが目に入る。

 それに手を伸ばすと、大慌てで芳樹が駆け出してきた。

 「それよりさ、何歌うか決めたの? まだならさ決めようよ」

 不自然過ぎる位に慌てふためいているから、中身を確認するとCD−Rが入ったままになっていた。手持ちのイヤホンが無いから、窓側のテーブルに置いてあったCDデッキにディスクをセットした。CDを読みこむ唸る音がした後、男性が歌う裏声の甘ったるい声となんとも言えない歌詞が音楽室内に響き渡る。

 『あいあい愛している〜♬ 愛を叫ぶよ〜♬ どんなことも許せるんだ〜♬』

 意表を突く音楽に私は度肝を抜かされていた。

 よくよく聴いていると、芳樹が歌っていた鼻歌と音程が全く一緒な事に気がついた。

 「これ芳樹でしょ? 自分で作ったの?」

 「作詞だけ、した」

 ふと見遣みやると、顔を真っ赤にして体がもじもじと小刻みに揺れている。

 その姿を見ていたら、腹の底から湧き上がってくる笑いを抑えられなくなってしまった。

 「笑うなよ!」

 芳樹が必死な形相で訴えてきたから、更に笑ってしまった。

 少し涙目になって騒いでいる芳樹を尻目に、聴こえてきた歌詞を口ずさんでやった。

 笑うのってこんなに心地よかったんだね。私は笑ってできた涙を拭いながらクサい曲をなぞる様に歌っていたら、芳樹は羞恥しゅうちに耐えられなくなったのか、音楽室を飛び出るように忽然と姿を消していた。

 音楽のリズムとは違う、ドアを叩く音が聞こえてきたので確認してみると、同じクラスで見かけた事のある人が立っていた。確か、りょうって名前だったはず。

 「笑い声が聞こえたから来たんだけど、一人? てかあかねさんてこんな曲聴くんだ。意外だね」

 相手の出方をうかがうように、黙って涼の事を観察していた。

 「勝手に出場を決められて大変じゃない? 手伝おっか?」

 涼はゆっくり歩みながら、埃まみれのグランドピアノの前に立って鍵盤蓋を開け放ち、埃を払ってチェアに腰掛ける。

 私が何も言わないままで居ると、鍵盤に乗せた指がCDデッキから流れてくる旋律に沿うように踊り始めて、芳樹ソングに載せるように音色を紡いでいく。

 「小さい頃から弾いてるから、どんな曲でもすぐ耳コピできるんだ」

 タップダンスを踊るように動いていた指が止まり、柔かな笑顔で振り向いてきた涼。

 「CD音源よりも、生音で歌った方がいいと思わない?」

 純真さが滲み出ているような笑みに、猜疑心が薄れて心が揺られてしまった。

 「悪くないかもね」

 「でしょ?」

 にこっとはにかんで見せた涼。

 「これを歌うって事で良いの?」

 「これは別。まだ決めてないんだよね」

 「それならさ、TLMFの月がきれいとかどうかな?」

 「何それ」

 「知る人ぞ知る隠れ名曲だよ」

 涼はそう言って、鍵盤に指を這わせながら透き通った声で披露してくれた。

 私のささくれだった心を掴んで離さない、美麗な主旋律と哀愁の漂う歌詞が心をときめかす。悔しいから、涼が歌えばいいのにとは言わずにおいた。

 視線を感じて外に目をやると、窓から中をのぞき込む様にして立っていた長岡と目があう。

 「いつからそこにいたんですか?」

 「悪いか? 懐かしい歌が聴こえたから立ち聴きさせてもらったんだわ。頑張れよ」

 長岡は微笑みを浮かべて、聞き覚えのある口笛を吹きながら去っていく。

 突然の担任の登場と意外すぎる褒め言葉に私と涼は見つめ合って笑っていた。

 いつの間にかに戻ってきた芳樹が、笑い声を上げている私と涼の関係を問う様に視線を投げよこしてきたから、私は満更まんざらでもなさそうに頷いて見せた。


 その日から涼との練習は始まった。遠目から混ざりたさそうに眺めてくる芳樹。私は気分転換と称して芳樹の歌も唄い、恥ずかしさで顔を赤く染める芳樹を見て楽しんでいた。

 独りじゃないから、途中で挫折ざせつすることもなく続けることができ、無事に迎える事ができた文化祭当日。


 クラスの催し物である喫茶店の準備には一切手伝わず、当日も参加してないからか、私の態度について話す声が聞こえて来る。私は心を閉ざして、その声を聞かないように努めていた。教室から抜け出そうとしたら、背中に温かい液体が掛けられた感触が伝わってくる。後ろを振り返ると床に広がるコーヒーが見え、申し訳なさそうな顔をして平謝りしてきた同級生。

 「ごめん。つまづいて手が滑っちゃった」

 「なにしてんの!」

 「ごめんてば」

 声を荒げてしまった私を嘲笑うかの様に、悪意や好奇に満ちた視線を投げ寄越してくる同級生共。

 「気をつけてよ」

 私は逃げるように吐き捨てて、その場を後にした。

 着替えどうしよう。内心動揺し始めていた所、芳樹が声を掛けてきた。

 「長岡先生の所に行きなよ。替えの服持ってるの見掛けたから」

 私は芳樹の言葉を信じて、職員室へと向かう。


 あれ程馬鹿にしていたメイド服を着ている私。羞恥で身体が火照ほてってきている中、芳樹がはやし立てるようにぴゅーぴゅーとやかましく口笛を吹いている。

 お前もあいつらの仲間かよと思いながら、はらわたが煮えたぎってきた私。

 鬼の形相になっていたのか、長岡が心配してきた。

 「凄い顔してるけど大丈夫か? 後10分もないし不安にもなるか」

 「え?」

 時刻を確認すると、私の番まで10分を切っていた。

 「そういや伴奏の涼はどうした?」

 「分かんないです」

 「探しておくから、辻は会場に行っとけ」

 長岡の言葉を背に、私は小走りで会場の体育館へと急ぐ。


 控え室代わりの備品庫に入り、壁に掛けられている時計を祈る気持ちで見つめていた。

 「俺がついているから心配すんなって」

 芳樹は私を鼓舞こぶする為に前向きな事を言って励ましてくれてるけど、それ所じゃなかった。

 最悪を想定して、今すぐにでも逃げ出したい気持ちに襲われていた。

 そんな気持ちもよそに、司会者は無情にも私の番を告げてしまう。


 祈る気持ちで舞台に置いてあるピアノに目を向けるも誰も座ってなかった。

 気持ちが焦ってきてしまい、足が竦んできた。

 眩いスポットライトが当てられて、数秒の間だけ白い世界を作り上げる。

 目が慣れてくると、会場に佇む数多の視線の存在に気づいて頭の中が真っ白になっていく。

 何も歌わない私に不満を持った人たちが、ひそひそと声をあげて会場内に響き渡っていく。いつもの日常の一コマみたいで嫌だな。

 涼の登場を信じていたけど、もろくも崩れ去った。

 私の目に飛び込んできたのは、同級生と笑いながら私の事を見つめている涼の姿。やっぱり、私を陥れるために仕組まれた事だったんだ。絶妙なタイミングの裏切りに、悔し涙で視界が揺れ始めた時、私の目の前に芳樹が立っていた。

 必死になって何かを告げようとしている。

 目を凝らして、耳を済ますと聴こえてきた音色。

 「あいあい〜♬ あいしている〜♬」

 あんなにも恥ずかしがっていた曲を、顔を真っ赤にして歌っている。

 その必死な姿を見ていたら心の重荷が少しずつ緩んできた。

 私の頭と心の中は、芳樹ソングで満たされて一杯になっていく。

 気がついたら、口から自然と歌が溢れ始めていた。


 私の声をリードするように、ピアノが艶やかなを音を紡いできたから、弾いている人を確認すると長岡が座っている。

 なんであんたがその曲を弾けるんだよと思いながらも、嬉しくて仕方なかった。

 視線を前に戻すと、ぼろぼろと涙を零しながら嗚咽をあげるように熱唱している芳樹。

 その姿が揺れてしまうのは、私も溢れてくる涙を抑えられないからだろう。

 目の前に立っている、芳樹を愛おしく感じて堪らなかった。

 あんなにバカにしてたのにごめんね。そしてありがとね。

 芳樹が私に。私が芳樹に。心の底から湧き出てくる想いをぶつけていた。

 徐々に芳樹の姿が薄くなっていき、歌い終えた頃にはやりきった顔をして忽然と姿を消していた。去り際に「ありがとう」と言い残して。

 突然やってきたお別れに、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。

 既に辺りは静まり返っていて、観客がまばらな拍手を寄越してきた。

 徐々にその音は大きくなり、体育館に響き渡る盛大な波へと変わって私を包んでくれた。


 「推薦した人って、先生でしょ」

 体育館を背に歩き出した長岡に声を掛けた。

 私の呼びかけで振り向いて、黙ったまま何処か遠い所を見やるように目を細めている。

 何かに思い馳せるようにゆっくりと言葉を紡いで。

 「お前にそっくりな生徒が居たんだよ」

 ピンときた。芳樹のことだ。

 「お前は、大丈夫そうだな」

 そう言って体育館の入り口を見つめている。

 つられて視線を動かすと、涙で顔を腫らした涼と同級生が立っていた。

 「意地悪して、ごめん」

 その姿が私と重なった。こういう時、芳樹なら何ていうかな?

 きっと、許す様な事を言うんだろうな。

 私はこの衣装に合いそうな、とびきりの笑顔をしてみせた。

 慣れてないから、うまく出来たかは分からないけど。

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