EP.Ⅱ‐ 4 二人目の家族

 目を覚ましたククイが見たのは、不思議な場所だった。

 ふわふわと揺れ、光を纏っている布。とても柔らかく体を包む地面。細かくて綺麗な絵が敷き詰められている天井。ほのかに漂ってくる気持ちの良い香りは、自分が着ている真っ白な服から漂ってくる。感じる全てが優しい世界。こんなものを彼は知らない。


 そもそもどこなのか。確か自分は炎の中で意識を失ったハズだ。

 ああ、それならもしかしてここは――。


「……天国、なのかな」


「あはは! ここが『天国』だなんて、面白いこと言うのね」


 呆けた顔で零した独り言を、誰かに笑われる。ククイは慌てて周囲を見渡した。笑った人間は思いのほか近くに居たらしい。彼の右に置かれたテーブルに、一人の女性が座っている。青のドレスを着ている彼女は、立ち上がるとククイへ近づき、ベッド周りのレースを開いて顔をのぞかせる。二人の眼がしっかり合うと、ククイの胸は小さく跳ねた。


「おはようアークさん。どう? よく眠れたかしら」


 幼い少女は悪戯っぽく笑う。ククイよりも少し年上だろうか。長く美しいブロンドは腰まで流れ、青い大きな瞳がククイを映し込んでいる。釣り目が抱かせる印象の通り、彼女の雰囲気は自身に満ちており、その見た目と相まって高貴な身分にあることは容易に想像できた。それはククイが敵に抱いてきたイメージと同じものだ。


 彼はすぐさまベッドの上に立ち、彼女へ臨戦態勢をとる。


「誰だ、お前……!!」


「そんなに怖がらないでよ」


 ククイが殺意を放とうとも、彼女は全く臆さない。むしろ妖艶に笑い茶化してくるほどだ。それに苛立った彼は、彼女の戦闘能力は低そうだと判断し、覆いかぶさる様に襲い掛かり、その両手を抑え込む。彼女は「きゃ」と悲鳴を漏らしたけれど、その後に怖がる素振は見せない。それが侮られている様に見えて尚もククイは苛立った。


「お前誰だ。僕に何をした……!!」


「そう興奮しないで。ほら、私に害意は無いわ」


 言葉の通り、彼女は完全に脱力している。

 抵抗するつもりはないのか、とククイも理解した。


「まず初めまして、私はエルスベルク……って、ふふ。何なのかしらねこの状況。ふふふ……」


 話している途中でエルスベルクは笑い始めた。ふと今の状況を俯瞰して「組み伏せられているというのに、どうして組み伏せている相手に自己紹介なんてしているのだろう」と笑いが込みあげ、堪えられなくなったのだ。


「……君は変な奴だ」


 そんなものを見せられたククイも毒気を抜かれてしまう。こんな相手が自分に危害を加えてくるとも思えず、彼は警戒心を完全に解き、彼女の上に被さるのを止めた。ククイが退いた後もエルスベルクは仰向けになったまま笑っている。ククイは毒気を抜かれるどころか、呆気にとられる始末だ。


「……ふう。ねえ、あなたは名前あるの? あなたのことを皆「アーク」って呼んでいるけど、それが名前って訳じゃないでしょう?」


「アーク?」


 聞き覚えの無い単語に首をひねるククイ。無駄に豪奢な部屋と貴族と思われる少女からして、ここが帝国のどこかである事、そして自分は騎士にでも攫われたのだという事は理解していた。しかし『アーク』という単語に聞き覚えは無い。そんな名前で呼ばれる理由が分からない。


「意味は知らないけど、ヴァイツ兄さまはそう呼んでいるわよ」


「……誰だその人」


「私の兄さま。格好いいのよ? 優しいし、頭も良いし」


 そこではっとした顔をするエルスベルク。

 ようやく話が脱線していることに気付いた。


「って違う、そうじゃない。私が知りたいのはあなたの名前!」


「僕の名前? ククイだけど」


 不思議な語感と捉えた彼女は、何度もその名前を口にした。


「初めて聞く音。……うん、素敵な名前ね」


 名前を褒められるのが初めてだったククイは、それが非常にくすぐったくて嬉しく感じた。なんならその一言でエルスベルクに好意を覚えたほどだ。


「そう、そうだよね! 僕の大好きな人からもらった名前なんだ!」


 初めて見せたククイの心からの笑顔は、エルスベルクの心を揺らす。「あれほど恐ろしい顔をしていたけど、本当はこんなに無邪気な笑い方をするんだ」と感動にも似た衝撃を受けた。同時に彼がその人が本当に大好きだったんだろうな、とも実感して、思わず微笑んでしまう。


「あ、私の名前長いでしょ。だから呼ぶときはエルスって呼んでね」


「エルス」


「そう。よろしくね、ククイ」


 豪奢で大きな部屋の中、二人は床に座りながら色々な事を話した。先導して話していたのはエルスだ。自分の好きな事、好きな食べ物、家族との旅行の事など、思いつくことをなんでも話した。ククイは全てを目を輝かせて聞いてくれるので、話す彼女も楽しかったのだ。ただしククイが自分のことを話すと、エルスは徐々に眉尻を下げた。


「そんな……」


「僕は楽しかったんだ。みんなと勉強するのも。みんなと物を探すのも。全部、全部、エリクが運んできてくれたんだ……なのに……ッ!!」


 ククイは全て話した。エリクという初めての家族が出来たこと。敵だと思っていた皆と家族の様になれたこと。そんな幸福な日々が騎士たちによって一瞬で消えたこと。それに対してククイが報復したこと、最後には住処一帯を燃やされ、こうして捕まってしまったこと。


「僕には何も無くなって……もうどうしていいか分からないんだ。生きて居たくもないのに……死んだと思っていたのに。どうして僕は生きてるんだろう」


「ククイ……」


 消え入りそうな声で話し顔を落とすククイを、エルスは目を逸らすことなくずっと見ていた。そして胸に感じる痛みに耐えかね、両手を前に伸ばし、優しくククイを抱き寄せる。


「何も無いなんてことないわ。私が傍にいるじゃない」


「……エルス?」


「ククイは独りじゃないよ。だからそんな事は言わないで」


 エルスがそっと離れる。ククイは呆然と彼女を見た。


「私がなんでも教えてあげる。私がずっとそばにいてあげる。だからククイは独りじゃない。今日から私も、ククイの家族なんだよ」


 エルスは自分の言葉に本心を乗せて笑う。


 彼女にはヴァイツから言い付かった役割があった。それにはククイと仲良くなる必要があり、そのため部屋で彼の世話を焼き、今はこうして積極的に会話をしていたという背景がある。


 けれどククイと話しているうちに、彼に心を寄せている自分に気付いた。だからもう自分の役割を意識することなく、自然体でククイと時間を過ごそうと思った。だって彼はあまりにも純粋で、傷ついていて、寂しそうだ。


 それに何より。


「だから笑ってククイ。私、あなたの笑顔が好きだわ」


 彼の無邪気な笑顔が、とても魅力的だったから。

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