EP.Ⅱ‐ 2 マリオネット
馬車の扉がバタンと閉じた。ソレに目もくれず、過去の帝都が無残に燃えていく様をヴァイツは馬車の小さな窓から眺めている。こうして念のためにと距離を置いていたが、遠景の炎は時と共に勢いを増し、その咢をますます広げていく。やがて彼が漏らした言葉は景色にあてられてか憎々しい響きだった。
「流石にやりすぎではありませんかね?」
死にはしないだろうが、ここまでになると探すのが大変だ。
ヴァイツはその特殊な眼で彼の位置をすぐに割り出せる自信があった。しかしこんな惨状では掘り起こすのが面倒だ。もちろん自分でやることはないが、無駄に時間がかかるのはいただけない。彼は小さく舌打ちをした。馬車が小さく揺れる。
「アレが鎮火するまでにも、かなりの時間が必要でしょう。捜索を開始するのはいつになる事やら……全く、私はどれだけここで眺めて居れば良いのでしょうね……テルミア隊長」
いよいよ話を振られたその妙齢の男は、従来は矜持と自信に満ちた彫の深い顔を、殊更に解りやすく歪め、大きく視線を落としていた。今回の作戦を指揮したのは彼である。油の量を決めたのも彼である。戦場では勇猛果敢な実力のある騎士に違いないが、こと指揮に関しては大雑把な物が多く、騎士たちの間では不満が多かった。
「ま……誠に申し訳ありませんヴァイツ卿。私が伝えた内容を、奴ら過剰に受け取ってしまったようで。油を蒔いた連中には、後で必ず懲罰を与えておきましょう」
加えて、その責任を逃れる話し方も最悪だ。騎士団の中では最も嫌われている人物と言っても過言ではない。彼の悪い噂は耳を塞いでも聞こえてくるほどで、やれ貴族と通じ騎士団を私的に使っているだの、やれ商人と通じ騎士を暗殺者代わりに使っているだの、傲岸不遜な常の様子と相まって、良い点を探す方が難しい人物だった。
しかし彼自身、何度も追及されているのだが、その度に上手く証拠を隠すので致命的な話は一切出てこない。噂に関しても「私を貶めるためのデマだろう」と一笑に付す始末だ。その話は高位の貴族であるヴァイツも知っている。
「貴方は知らないでしょうが、私は実に多忙なのです。分かりますか? 時間が、無いんですよテルミア隊長。私にここで尻を温め続けろとでも言うのですか?」
「め、めめ滅相もありませぬ! このテルミア、ヴァイツ卿を深くお慕い申しております。どうしてそのような不遜な事が申せましょうか!」
テルミアは胸に右手を添えて、深く頭を垂れた。本当は膝も着きたかったが、狭い馬車の中ではそれが精一杯だったのだ。彼はなんとしてでもヴァイツに取り入らねばならない。帝国第二位貴族であるヴァイツに目をかけられると言う事は、下位の貴族に比する権威がある。今回の唐突な指名には驚いたが、千載一遇の好機に違いない。
自分の振る舞いにやかましい騎士団長や、気に食わない発言を繰り返す中位の貴族連中を一気に抑えつけるだけでなく……帝国でより一層の財と権力を掴み取るには、この高慢で生意気な青年の信頼を得る必要があるのだ。
彼は焦っていた。
今回の失敗の原因は、明らかに『騎士たちの独断』なのだ。
テルミアだって悪名を積み上げながらも、今日まで誤魔化し続ける程度に知恵はある。当然、炎の勢いを考慮した上で作戦を立て騎士たちに伝えていた。
なのに彼が伝えた内容と比べるまでもなく、あの炎の勢いは強すぎる。指示した量の10倍はなければあんな事にはならないだろう。あまりのショックに騎士たちを叱責することも忘れ、呆然と炎に飲まれる街を眺めて居た矢先……彼はヴァイツ卿の近衛騎士に声をかけられ、馬車の中へ呼ばれたのだ。
正に心胆の凍り付く思いだった。
彼は焦っていた。何度も同じ思いが頭を巡る。どうしてこんな事になった。私の指示は完璧だったのに。こんな馬鹿な事態になる筈が無いのに。予定では今日の昼には作戦を完遂し、夜にはヴァイツ卿と共に晩餐の席に着いていた筈なのに。
私は何も悪くはないのに!
「私にこんな徒労を強いた人間は初めてでしょうか。いやはや全く、称賛に値しますよテルミア隊長。これには笑みも零れるというものです」
「あ……ぐ」
その言葉に顔を上げたテルミアは、ヴァイツを見て息をのんだ。
『笑み』だって?
そんな不気味で底暗い『笑み』があってたまるものか。
「どうか! どうか挽回の機会を! このテルミア、ヴァイツ卿の為ならばどんなことでも致します!」
「……どんなことでも、ですか?」
その瞬間、テルミアの中に奇妙な直感が働いた。
私は今、言ってはならない言葉を口にしたのではないか。
「成程、実によろしい! 降りましょうかテルミア隊長」
「え? は、はッ!」
勢いよく馬車を降りるヴァイツに続き、テルミアは馬車から降りた。
両脇には近衛騎士が立っている。ヴァイツが彼らに片手を上げると、二人は右手を胸に当て、すかさず馬車に乗って移動を始めた。呆然とそれを眺めているテルミア。彼には何が起きているのかさっぱり分からないが、漠然と不穏な物を感じていた。
「着いてきなさいテルミア隊長。貴方の失敗を挽回させてあげますよ」
先を歩いていたヴァイツは振り返り、テルミアに対して両手を広げて見せた。その表情は驚くほどに清々しい笑みである。テルミアは思わず先の歪んだ笑顔を忘れてしまった。そしてまだ彼の信頼を取り戻す機会があることに心を躍らせる。
なんだって致しましょうとも。
私の輝かしい権威の為に。
いざとなれば、部下の命を使ってでも。
「愉快ですね」
ヴァイツが踵を返すと同時に漏らしたその言葉は、テルミアに届いていない。彼の頭にはもう部下をどう使おうか、権威を得たら何をしようかという考えで一杯だった。二人はそれぞれの思惑を抱き、燃え上がる『冥府の街』へと歩んでいく。この時のテルミアはまだ、自身に蜘蛛の糸が絡んでいる事に気付いていなかった。
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