Ep Ⅰ‐8 死体置場の希望たち

 その日、ククイとエリクは街の外れにある大きな廃屋に居た。その場にはこの街の住人たちも集まっている。これで街の人間の七割にはなるが、エリクとククイの二人を合わせても11人だった。


 彼らの中にはエリク以上に年齢を重ねた者は居ない。一番大きい者でも十六ほど、一番小さい者で十に届くかどうか。勿論、全員の肌には黒い斑があり、体の少なからぬ面積を占めている……だけでなく、皆『体の何かが』足りない。


 この光景を見る度にエリクは胸を痛めた。体の出来上がった青年や女性の奴隷はこんな場所には来ない。使い道があるからだ。つまりやって来るのは生まれつき出来損ないの子供か、役立たずの老人。


 老人がこの場に居ないのはもう動けないか、子どもを生かす為に自分を犠牲にしたからだろう。エリクもここへ来た際、そんな光景を見ていた。


 住人たちはエリクを取り囲むようにして膝を抱え座っている。ククイもそれに交じっていた。こうして皆を集めたのは、彼らに言葉を教えるためだ。


「よし、それじゃあ始めるか」


 その言葉に反応して、幾人かが「はーい」と元気に声を上げた。当初は何を言うでもなく見つめ続けていた彼らだったが、回数を重ねる事で徐々に感情を見せる様になったのだ。エリクはそれを微笑ましく思っている。


 これが子供というものだ。何も考えずに死体を漁り、食べ物と見るや食いつき、何をしても表情一つ変わらないなんて、そんなことがあってはならない。


 ただ、ここまで来るのには随分と苦労した。


 彼らを集めるのは簡単だった。皆エリクに協力することで食べ物を得られると理解していたから、常に近くには居たのだ。けれどいざ教えるとなると、意図がうまく伝わらない。町を練り歩いて物を指さし、名前を口にしても彼らは表情一つ変えない。時には指をさした場所へ走って行ってしまうこともあった。


 その結果、どうすることにしたかといえば。


「さあ今日のご褒美はこれだ! じゃん! パン五つになんと干し肉が12切れ!」


 結局、食べ物だった。


「「「きゃー! エリク大好きー!」」」


「あいしてるー!」


 生徒たちから歓声が上がる。それはもう尋常ではない盛り上がりだった。彼らにとってまともな食料ですら貴重なのに、見る事も稀な『腐敗していない肉』が現れたのである。中には言葉を失っている者すら居た。ちなみに最後の「あいしてるー!」はククイである。


「もちろん、今日も全員が正解しないと報酬はなしだ。さあ頑張れよお前ら!」


 そうして彼は商人達からの報酬の一つ、紙を差し出した。紙には今回の課題、計算問題が書き込まれている。生徒たちは一斉に近づき、それぞれ紙とにらめっこを始めた。ちなみに答えは紙へ書いたりしない。それぞれが細い棒で地面に書く。


「ねーエリク、これ僕わかるよ!」


 みんなの間から覘いていたククイが、得意げな顔で手を挙げていた。


「ああ、お前はやったことがあるもんな。しばらくは見てるだけにしてくれ。みんなが困ってきたら、ヒントを出してやってもいい」


「わかった!」


 応えて輪の外に出たククイは、ニコニコしながら皆を眺め始める。問題に向き合っている彼らはそれらに言葉も視線も向けることなく、真剣に紙を見つめていた。


 その様子にエリクは眼を細める。彼の胸に充実感が満ちていく。何を持つことも叶わなかった子供たちに、ささやかながらも言葉を与えることが出来た。それによって仲間を作ることが出来た。笑顔を見られるようになった。


 それは本人たちの努力によるところが大きいし、全てが彼の功績というのはあまりにも傲慢だろう。それでも、エリクはこの結果に誇りを持つことが出来る。過ちばかりを繰り返し、自分の価値を自分の手で貶めてきた彼でも、こうして彼らの力になれたことで、それを少しばかりは払拭できたのではないかと思うのだ。


 しかし全てを贖えた訳ではない、と自重もする。もし彼が全てを許される日が来るのなら―――それはきっと、この小さな子供たちが自立した時なのだと彼は思う。


「エリク、出来たよ!」


「……ん、おう、よし見せてみろ」


 地面を指さしていた黒い腕に一瞬目が止まり、いけない、とすぐに意識を反らす。


「……よし、不正解だ!」


「ええー!」


「やり直し!」


 意地の悪い笑顔を向けて、エリクは腕で大仰にバッテンを作って見せた。


「どうする? ヒントいる?」


「あー…いい、いらない。考える」


「うん、大丈夫」


「ありがとうククイ」


 ククイの申し出を皆は笑顔で断った。エリクは笑っている。ククイは出番を失くしてつまらなそうだ。そうしてまた会議が始まる。あーでもない。こーでもない。たまにククイが顔を出してうずうずしているが、前に口を出して怒られた事があるからそれ以上は何もしなかった。


「ねーエリク、僕には別の何かないの?」


「ん? あー、そうだな。じゃあ……」


 エリクは問題を入れたカバンを引き寄せ、何か無いかと探り始める。


「あー、ずるい! ルインぬけがけ!」


 それに気づいた一人が声を上げた。


「しょうがないだろ。僕はそれ知ってるんだから」


「でもずるい!」


「こらこら、まあ待て」


 このままだと口論になりそうだと感じたエリクは、彼らに提案をする。


「今ククイへ渡そうと思っている問題は、いまお前たちがやっている問題が出来ないと解く事はできないんだ」


「そう、なの……?」


 途端に彼の言葉が寂しそうに沈む。


「そこで、こうしようか」


 対してエリクは努めて明るく言葉を放った。


「今やっている問題をククイに教えてもらって、ククイと一緒に次の問題をやる」


 それが彼らへ魅力的に映ったかどうか、些か自身がなかったエリクだが、子供たちの反応はそれほど悪くはなかった。ならもう一押し。


「そしてこれが解けたら、なななんと!! 最初のご褒美にプラスで、こーのー……チーズもつけよう!!」


「「「チーズーーーーーー!」」」


 エリクが思った以上の食いつきだった。


「よし、じゃあいいなお前ら、まずはククイに教えてもらうんだ」


 全員がもろ手で肯定する。そしてすかさず教えを乞う。さっきまでのプライドらしきものはどこへやら。しかし、彼らが団結して目標を目指す、という姿勢を覚えてくれるのならそれに越したことはないだろうとエリクは笑う。


 今は食欲につられての事だとしても、いずれはそれぞれの目的の為に他人と共存を図る、という事も覚えてくれると信じている。そしてその中で、他人の気持ちを推し量ることも覚えていってくれれば良い。


 誰かに優しくするというのはとても難しい。彼らの様に、恵まれず満たされない境遇にあれば尚更だ。だからこそ慈愛を手にして欲しい。優しくあってこそ人は自身に誇りを持てる。


 少なくともエリクは彼らからそう教えて貰った。今度は彼らにそれを教え、自覚させる番だ。決して君たちは不必要な存在ではないのだと。誰かに必要とされる存在になれるのだと。そう教えたいと、エリクは常に願っている。

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