EP Ⅰ-1 死体置場の少年
新月の夜。帝国民が忌み嫌い近づくことすらしない死者の街に、音もなく滑る影があった。それらは『死体置場』までやって来ると、引いてきた荷車から死体を下ろし投げ捨てる。死体は斜面を鈍重に転がり、やがて十数メートル下に積み上がったヒトの山、その側面へと落ちて、そこから更に転がり落ちる。
彼らは全て投げ終えると素早く踵を返し帝都へと戻っていく。彼らの動きは淀みなく、手慣れているように見える。全員が袖の長い衣服を纏い、フードをかぶり、目元以外の全てを隠し、息を切らせて荷車を引く。ふいに突風で露になったその顔はしわだらけの老人の物であり、その顔は半分、夜と同化していた。
日々繰り返される日常的な光景の――その片隅。
とある廃墟の物陰に、一人のやせ細った少年が居た。
全身が『呪い』に侵され斑色になっており、ぼろ布を見様見真似で体に巻いただけの身なりで、ガタガタと震え、芋虫のように体を丸めている。比較的温暖なこの国だが、窪地に位置するこの街の冬の外気は二桁を前後する。まともな服さえあれば問題はないが、その辺で拾ったゴミにも等しい布では余りに心許ない。
ひもじい。さむい。くるしい。
名前すら持たない少年は同じことを繰り返し感じ、そしていずれ訪れる眠りに救いを求める。やがて来るだろう明日に希望はない。どう苦しみから逃れていくか。ただそれだけだ。
この『死体置場』という、帝国の中で最も忌み嫌われる場所にも人はいる。
それは貧民層の更に下、人にすら見られない非人たちだ。
少年はその日その日を死体漁りでやり過ごしている。鼻が腐り落ちそうなギトギトの腐肉を掻き分け、その中にある『使えそうな物』を身なりの綺麗な商人へ持っていくのだ。商人はいつも街の入口へ現れ、鐘を5回鳴らしている。
もちろん少年はそれが誰で、何のために鐘を鳴らし、何のために来ているのかなんて何も知らない。ただ『持っていけば生きていける』と、それだけを知っていた。
同じように死体を漁る住人たちに成果を横取りされながらも、それでも必死で何かを見つけて、商人へモノを持っていく。すると彼らは斑色の彼を見ていつも大きく歪んだ顔を向けた。やがてモノの物色を終えると、少年に三口程度のパンをちぎって捨てる。この時、彼らに近寄ってはならない。近寄りすぎると、商人は持っている棒で思いっきり叩いてくるからだ。
殴られると痛い。血が出る。血が出ると体が酷い色になって、更に痛くなる。だから殴られる訳にはいかない。物を彼らの前に置いて、少年はパンを与えられるまで下がって待つ。殴られるのは嫌だ。棒を見ると痛みを思い出してしまい、思わず身がすくんでしまう。
やがてパンを投げられると少年はすぐに拾って食べる。持って帰ると誰かに取られるからだ。口に入れて飲み込んでしまうのが一番良い。投げられるパンは少なく、到底満たされないが、味を感じられれば気は紛れるし、凶悪な飢餓が一時は和らいだ。
そうして少年はそれを一日繰り返す。
商人は大体、朝と昼の二回現れた。
少年はその度に人目を盗みながら、物を持っていく。
夕方以降になると帝国から無数の死体が運ばれ、捨てられる。でも他の住民たちがそれを目当てに群がるから、少年はそこへは行かなかった。腕も体も細すぎて、競争しても勝てないのを彼は知っている。
彼はまた同じ場所で腐った肉を掻き分け、売り物を探す。夜が来ると寝床の廃墟へ戻り、飢えと寒さと終わらない痛みから逃げる為に、芋虫のように丸くなって寝る。それを毎日繰り返していた。
何も食べられない日や、どうにも空腹を我慢できない日は、他の人が寝静まってから死体の投げ込まれる辺りへ行って、あまり匂わない死体に噛り付く。ヒトの肉はとても不味いし、彼のボロボロの歯では噛み切れないし、よくお腹を壊した。
でも飢えは一時凌げる。だから耐えられなくなった時はいつも人を食べる。口の中に広がる鉄の臭いは、死体の物か自分の物かよくわからないので、大分前から気にしなくなった。それが普通の人間にとってどういう意味を持つのか、なんて少年は知らない。言葉も文字も持ち合わせていないのだから。
彼が知っているのは体から止めどなく湧き出す、避けようのない苦しみを緩和する方法と、この身が危機に陥るであろう状況、その躱し方と、そして『眠ることが何よりも幸福である』という事実だけである。
―――これは、そんな少年の物語だ。
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