帰還

ビリーは山村聡太郎の失踪を知らない。


この情報のアドバンテージを如何に活用するか?

思いを巡らし、視野を広げ、時間が許す限り思索を尽くす。

時間は多くない、直ぐにビリーは私の沈黙に痺れを切らしてしまうだろう。

10秒もない世界で、生き残るための回答を探さなくてはならない。


ビリーの唇が大きく開く、タイムアップか?

まだ決めかねている、回答が私の口から放たれるまで。


「誰だ、貴様ら」怒鳴るビリー、私が予想していた言葉と大きく異なる。


誰とは?私はビリーが凝視する、ラボのエントランスへと素早く視線を移す。


そこには少年が、気を失った少女を横抱きにして立っていた。


山村聡太郎が日下美由紀を連れて帰還したのだ。


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「アリッサ、榎本さん、ただいま」山村が淡々と挨拶をしてきた。


聡太郎は美由紀を抱えたまま、ビリーに話しかける。

「はじめましてビリー、参議を飼い慣らし、煽り、強請り、宥め、空かし、騙し、弄ぶ、稀代の策略家にして、協会の真の支配者にお会いできて光栄です」


世界の全てを手中に収めているが如く王者の貫禄で「お前が適合者、否、山村聡太郎か、態々来てくれたのだな、殺されに」と聡太郎に語りかける。

「滝弁天の有利を捨ててまで、アリッサが大切なのかな?童貞を捨てた女は忘れられないか?」適合者を侮辱する余裕を見せたビリーは、勝利を確信しているようだった。


「僕はまだ童貞です、チャールズは知ってましたよ」聡太郎が珍しく嬉々として嘲笑う。


「チャールズが知っていた?何をだ?えっ?お前の童貞を?」ビリーは虚を突かれて、聞き返した。


聡太郎はそっと、美由紀をエントランスに備えつけられたベンチへ移して「あっ童貞は別の話です、ビリースタインのことを何もかも知っていたという意味です」と回答した。

聡太郎は、その会話中『ビリースタイン』と語りかけたタイミングでビリーを左手で指差す。その動作は少し芝居かかったように見えて、聡太郎らしくない所作に思えた。


「当たり前でしょ、あのチャールズですよ、知らないなんて、ある訳ない、ご存知でしたよ、あの死に損ないは」

こんなに楽しそうに話す聡太郎を、私は初めて見る。


何が起きたのか判らなかった、ビリーもそうだったはずだ。

目の前からビリースタインと狩人たちが瞬時に消えたのだ。

「さよならビリー」聡太郎の別れの言葉は、きっとビリーには届かなかった。

同時に私たちは、風を切る音と風圧を感じた。

ビリーが居た場所の背後当たりから笛の音が聞こえ、周囲には硫黄臭が立ち込める。

硫黄臭と笛の音は、前回ショゴスが現れた時に聡太郎の証言によって確認された現象だった。


私たちには見えない、不可視のショゴスがそこに居るというのか?

ショゴスは狩人たちやビリーを瞬時に消滅させたというのか?

私は聡太郎に尋ねた。

「ショゴスを呼べるようになったのか?滝弁天でなくても」


「呼びますか?」と短く答えながら、黒い手袋を左手だけにつけた。

聡太郎は先程までの嘲笑に満ちた表情や口調は消えて、つまらなそうな何時もの顔に戻っていた。


私には今起きたことの意味が何も判らなかった、でも判ったことがある。それは、やはり私は『予断を持たず、常識を疑う』という自戒がなっていない。


笛の音はもう聞こえない、硫黄臭もしなかった。

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