第3話

 朋彦は自宅の二階にある自室で、かばんの中から《視覚透過装置》を取り出す。教科書程の大きさで厚さは十㎝ほど。かばんの中にゆうに入る大きさだった。


 わかりやすく図示される開封ボタンを押す。若干の機械音がして、なめらか、かつ自動化された動きで内部があらわになる。表面がスライドして内部を支える斜台の一部になる。ケース内部はここ最近流行っている、淡いLTGライトの青色と緑色が光る。


 朋彦は、子供のころ簡便な《視覚透過装置》を搭載したおもちゃで遊んだことがあった。子供たちの間で流行したのだ。いかにも子供が好みそうなゴーグルと、いかにも子供が好みそうな味と色のグミが付随していた。


 技術の出発点は、空港等にあるX線の検査装置だという。グミを噛みながらゴーグルつけてスイッチを入れれば、モノを透かして、その向こう側や中身を見ることができる。子供向けのおもちゃでもテレビやパソコンの内部にある複雑な機械を眺めることができたし、簡単な造りの壁の向こうにいる友人を透かし見ることができた。子供だから、お互いに《視覚透過装置》を付けて壁越しに対面して、お互いに透かし見て、お互いに変な動きや格好をするだけで楽しめた。そのうちに、当たり前だが飽きたけれども。


 本物の《視覚透過装置》は、そんなヤワな代物では、もちろんなかった。朋彦が知り得る情報では、かなり随意的に視覚情報を強化し、モノの透かし見が可能になるということだ。


 朋彦が読んだ新書の中には、先進医療に関するもの、世界の紛争を解決する特殊部隊とその活躍に関するものがあった。そこでは、こうした錠剤で脳の電位を測って人間の動作を補助したり感覚を拡張させるデバイスが頻繁に紹介されていた。その一環で、日本の消防隊にもこうした装備が備わっていることを知っていた。テレビでもたまに番組やるし、ね。


 近ごろの住宅は不燃性の素材が用いられる分、一酸化炭素中毒で亡くなる人が大変多くなっている。そのため、《視覚透過装置》を用いてどこに人がいるのか即座に把握する必要が高まっていた。だから消防には最新式のよく手入れされた装置が配備されている。そして、それの一つが今、朋彦の手元でスタンバイの状態にあった。


 起動後、すぐにGPS追跡装置がどうなっているか確かめる。オフになっていた。サッカー部の仕業だろう。すでに追跡をできなくしてあったわけだ。サッカー部はどこでこれを手に入れたのかといえば、ボヤ騒ぎのあとだろう。


 次に、錠剤の数を見る。


 四個ある。一個は使用されたのだろう。ボヤ騒ぎの際に消防隊員が用いたに相違ない。人がいなくても、建物内部にどのような物が置かれるか調査することもあるだろう。


 朋彦はパソコンでゲームやSNSをして、風呂に入って少し勉強して、夜には居間でテレビでニュースを見る。


 いつもの暮らしの中に《視覚透過装置》を手に入れたことによる思考のノイズが差し込まれる。その初めの頂点は、夜寝るときに起こった。ベッドで明日のことや他愛ない空想を考える。そのなかに、思考の触媒として《視覚透過装置》は悠然と立ち現れてくる。


 つまり、モノを透かして高解像で見ることができるのだ。一体何に用いるべきだろうか。最も金になる「のぞき」は何だろうか。それで露見しない方法はあるだろうか(あまりないな、と朋彦はすぐに思い直す)。最も世のためになる「覗き」は何だろうか(高校でそのような道徳的行為が推奨される)。よくわからない。この装置を使って卓球で上手いこと出来ないだろうか。全く思い浮かばない。台もラケットも球も、透かして見たところで何にも良いことはない。


 卓球のことを思ったので、頭の中が学校のイメージで満たされる。卓球部には女子も多い。山本晶は女子の主将で、サウスポーで流麗なプレイをするのだが、足の踏み込み音がうるさすぎる。《視覚透過装置》を用いれば、女子の服を透かして素肌を見ることができる。


 眠る前、臥所ふしどでの一時において、せきを切ったように色々な可能性に想いを馳せる。《視覚透過装置》を用いて、こっそり女子更衣室とか女子が大量にいるところを覗けないだろうか。


 少し考えて、存外にそれが難しいことに気がつく。大抵の場合、女子が大量にいるということは、何らかの学校行事なり部活なりがあるわけで、それにはもちろん男子も参加している。抜け出して覗くことはリスクを伴う。覗くにしてももっとばれない方法を考えなくてはならない。


 よく考えると学校生活じゃなくたっていい。


 放課後、こっそり誰かの家に行って、そして覗けばいい。


 女子ってのは普段家では何しているんだろうか。全くわからない。たとえば寝るときはパジャマ着ているんだろうか。おそらく着るんだろうけれど、どんなのを着るのだろうか。


 朋彦は、そこまで考えて、自分は母親の買ってきたパジャマを着ていることに気がついて、突然訳もわからず恥ずかしくなった。でも、みんなそうかもしれなし、あるいはそうじゃないのかもしれない。ジャージやTシャツで寝るのだろうか。まさか何も着ないってことはないだろう。とにかく、全くわからないのだ。


 じわじわと、朋彦の心の中に誰かの秘密を探りたい心が膨らんできた。相手に知られず、無防備なところを覗き得るのだ。昼間、サッカー部の連中を、彼らが知らないところで覗いていたことを思い出す。相手に知られず相手を観察する旨味。女の子の色々を想像する。そしてその内に心地よくなってきて、朋彦は眠りにいざなわれていった。



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