第2話
校舎から少し離れたところにある校門で、卓球部の十数名が集合している。今日は体育館が遅番の日だ。
北海道立富良野高校の体育館は手狭で、バスケットボール部・バドミントン部・バレー部・卓球部とがローテーションで使用する。この日はバスケとバドが先に使う日だから、卓球部は通例のランニングをすることになっていた。
主将の落合信康は朋彦より上背で、卓球部らしい筋肉が発達した男だ。いつも通りの練習にも拘わらず大声で今日の行程を部員に伝えている。顧問の森繁先生は老輩で卓球の経験はない。練習に姿を見せることはほとんどない。
やがてぞろぞろと走り始める。高校の周辺にぐるりと戻ってこられる道がある。三キロほどの、大したことのない距離だ。競うわけでもない。ただ走るだけ。
この時期はもう大分寒くなってくる。アホな部員がいて、体育館のなかで練習するだけの衣服しか持ってきておらず「寒いーー!」とか言いながらダッシュしていく。
ランニングコースの一部は河川敷の堤防を通る。河川敷にはトラックがあり陸上部が練習している。また長距離の選手たちなのか、卓球部と同じコースを走る集団もある(スピードや意識は全然違う)。朋彦は一年半ほど繰り返しているこうした練習に、いつもどおりに参画する。
堤防からは、高校のグラウンドを望むことができる。変わり映えしない風景。不良の巣窟のサッカー部が練習? している。一人ひとりは悪い連中でもないのだが、集まることで何か引力が働く。
堤防の湾曲した道を走り進むと、焦げた倉庫が見えてきた。近ごろ変わったことと言えばこれで、学校の裏側にある古い倉庫でボヤ騒ぎがあったのだ。
朋彦も、学校の大体の人間もが知っていることは、ここは不良たちが煙草をよく吸っているところだということ。そして不良がいるのはサッカー部。色々な噂が立っている。
校門から体育館の玄関前に立ち戻る。体育館が空く時間まで、まだ五十分以上もある。主将の落合が大きな声で「体育館空くまで自主練!!」と、いつも通り騒いでいる。
落合以下数名は、ランニングなり筋トレを継続しにどこかへ去っていく。残りは三々五々、思い思いにトレーニングしたり、つかの間の休息を親しい者と楽しんだり。やがて時間になれば、下級生を中心に卓球台やフェンスを出す。
朋彦はこの手持ちぶさたの時間、普段は本を読んで過ごしていた。表向きは卓球の技術や理論の本を読んで、日々の練習に活かすため。だが実際にはその題目は緩んでいて、テスト勉強をすることもあれば、その他漫画や新書を読むことも多くなっていた。
夏の暑さや陽の高さや明るさと言った類のものはすでに遠のき、季節は秋にどっぷりつかっている。体育館の男子更衣室に人気はない。大抵の生徒は、校舎に付属する更衣室を利用していた。カーテンは多くの場合閉められていて、太陽の光は半分ほどだろうか、さえぎられて更衣室に入りこむ。
朋彦はこの静かなところを気に入っていた。薄暗さが好ましい。本を読むには光量は充分だった。室内用の練習着に、Tシャツ含めて着替えて快適になる。そして本を手に取る。小説は読まない。なんだか借り物みたいだからだ。今は現代文の授業の評論で出てきた作者が書いた、社会学に関する新書を読んでいる。
窓の外で人の声がすることに気がついて、ページを繰る手を止める。
複数の人物がいるようで何やら騒ぎ立てている。窓の外は体育館裏の通用口になっていて、そこはほとんど利用されることはない。学校からは完全に裏手になるし、どこかへ通り抜けられる便利な通路というわけでもない。この読書の時間に外に人がいたことは今までなかった。
朋彦は静かに立ち上がり、カーテンをわずかに開き、外を慎重に覗き込む。通用口の近くには大きな木が何本かあり、草むらと言うか茂みになっている。
そこに、サッカー部の連中がいた。
いかにも何か秘めごとをしているような動き。同じ学年の連中六名が茂みをかき分けたり、脚で払ったりしている。何かを探しているようだ。
安全なところから相手を観察するのは何とも言えない高揚感がある。その高揚感を保持していくために、朋彦はちょっとだけ振り返り、改めて更衣室の扉が閉まっているかどうかを確かめる。誰か来たとしても、すぐに読書に戻れるような心構えだけしておく。
サッカー部たちはずっと同じように辺りを探したり、一人に説明を求めるような動きを見せていた。何か言葉を発しているのは聴こえるが、皆まではわからない。彼らが何を探しているのか? その答えが覗きだけから分かればいいのだけれど、それは叶わなさそうだ。しばらく眺めるも、さしたる進展はなさそうだ。
もう覗きを止めようかと思ったその時、大きな声がして、サッカー部の顧問の
朋彦は本を数行読み進めて、先ほどの所に何があったのか気になって立ちあがる。練習開始時間までまだ十五分あった。通用口には誰も来ないのは日々の読書で知っていた。
内履きのまま古いコンクリートで固められた通用口に出る。縁が壊れた三段の階段を下りる。左手に茂みがあり、サッカー部員の捜索の跡が見える。とある木の根元を丹念に探したようだ。そこは瞥見するにとどめる。なぜなら、そこには何もないことをサッカー部員たちが示していたからだ。
この近くになにかある。それは間違いない……のかもしれない。だがあの木の根元にはない。朋彦は、この静かな通用口の辺りを一人ぶらぶらすることがあった。近ごろは読書や勉強で更衣室にこもりがちだったが、卓球部に入ったばかりのころ、時を持て余してこの体育館の裏庭を巡ったことがある。
サッカー部の探していたところと通用口を挟んで逆側に、体育館の壁に取り付けられた、錆びた金属の扉があるのを思い出した。
まさか、と思いながら扉へ歩みを進める。開けようと試みたことはない。閂状の取っ手を手に取る。思うよりたやすく動き、扉が開く。なかには忘れられた砂袋が見える。冬に通用口が凍ったときに散布するための砂だったのだろう。その陰に、この空間には相応しくない真新しさのケースがあった。
ケースの表面には、《内務省消防庁規格 視覚透過装置》と刻まれている。
朋彦はケースを更衣室に持ってきて、誰も見ないような棚の上に置く。気付けば練習まで五分前だった。主将の落合が声を出している。
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