9. 最低限の生活には
「すばるん?」
リビングへ広がるドアを開け明かりを付けると、テーブルに広がる食べかけのコーンフレークの次にに目に付くモッコリと膨らんだ布団。
居るには居るな。一応。やっぱり寝ていたか。ただ見たところ、浴室は乾き切っていてシャワーを使った形跡が無い。特に買い出しに出たわけでもないようだ。
幾らなんでも暑いだろうと布団を退かしてやると、すばるんは片耳に私物と思われるワイヤレスイヤホンを着け心地よさそうに寝息を立てていた。
お腹には俺がアイデア出しで使っているメモ帳が乗っかっている。勝手に読みやがったな、コイツめ。
それにしても幸せそうに眠るものだ。
またラップバトルの夢でも見ているのか。
電池勿体ないだろうし、イヤホンは外してやろう。朝耳痛くなっちゃうしな。
「……俺の曲?」
流れていたのは俺が初めてYourTubeに投稿したオリジナル曲『one way blues』だった。ストリーミングサービスには申請を出していないから、自力でダウンロードしているのか。それ、たぶん違法なんだけどな。まぁいいや。
『六畳一間にブルース 隣に安い女』
『飛び切りの贅沢が必要 煙草の灰が募る』
『心だけが美しい 五臓六腑よ犠牲となれ』
「ハッ」
悪意は無く、ひたすらに嘲笑のみが浮かび上がった。荒いコード弾きに聞き取りにくい声。字幕が無かったら歌詞さえ分からないレベルだ。録音環境も悪い。隣の新築の工事の音が時折邪魔をしてくる。
こんな代物、どこの誰が興味を持つというのだろう。ホントに、どうやって見つけたんだろうな。キッカケとか聞いてみたいわ。
「…………ユーマさん……っ!?」
「おう、ごめんな起こしちゃって」
「どっ、どこ行ってたんですかっ! 心配したんですよ! 起きたらどこにも居なくって、わたし、やっぱり見捨てられちゃったのかと思って……っ!」
イヤホンを外して数秒後。
すばるんは簡単に目を覚ました。
だが様子がおかしい。無駄にテンションが高いのはもはや見慣れたまであるが、どこか挙動不審で目が泳いでいる。ど、どうしたんだ……?
「いやいや、俺の家なんだから見捨てるも何もないだろ。なんだよ急に」
「だっ、だって何も言わずに居なくなっちゃったから……やっぱりわたし、邪魔者だったんだって……ちっ、違いますよねっ!? そうじゃないんですよねっ!?」
「いやだから、友達と飲んでただけだって……あー、あの時まだちょっと眠そうだったもんな、伝わってなかったか……」
なんとか平然を装う俺だが、あまりの変わりように動揺を隠せない。情緒不安定などという軽率な言葉では片付けられない何かが、すばるんに襲い掛かっている。
真っ青に染まった頬。
今にも弾け飛びそうな脆い身体。
根拠の無い自信と行動力で俺を驚かす熱狂的な追っかけ、すばるんの姿はどこにもなく。等身大の中学生、今宮スバル。
「だ、大丈夫だって……ちゃんといるから。逃げ出したりしてねえし、追い出しもしねえよ。安心しろ」
「……本当に、ご迷惑じゃないですか?」
「そう思ってたら朝の段階で追い出してるよ……いやまぁ、そりゃビックリしたけどな。最初は追い出す気満々だったけど」
「や、やっぱり……っ」
「でも今は違う。すばるんが本気で俺の役に立ちたいって思ってるって、ちゃんと伝わったからさ。だったら……まぁ、なんだ。ロリJCのプロデューサーも悪いもんじゃねえなって」
「…………そう、ですか……」
「ごめんな、心配にさせて」
「……ロリじゃないです……っ」
「そこは重要か?」
ようやく落ち着くことが出来たのか、背中越しに伝う心拍数は徐々に昂ぶりを抑えていく。キレのあるツッコミも作用し、一先ず安心といったところ。
ベッドに腰掛けると、甘える子猫のように身体を丸め膝元にすり寄って来る。泣き面を隠しているのだろうか、頭を腰に引っ付けて離れようとしない。
「それにアレだろ。友達んち泊まるっつって一日で帰るとか、恥ずかしいもんな」
「…………違うんです」
「え?」
「何も言ってません……勝手に出て来たんです。二人とも滅多に帰って来ませんから……一週間家を空けたところでなんとも思われません」
震える声色で告白するすばるん。
それって、もしかして。
「家出ってことか?」
「……当たらずとも遠からず、というところです……ゴールデンウィークが終わったら、ちゃんと帰ります。学校もありますし……」
口ではそう言うが、顔には「出来ることなら帰りたくない」とハッキリ書いてあるようだった。どこかボンヤリした素面の癖して、何を考えているかは分かりやすい。
「……なぁ、すばるん。答えにくいなら良いんだけど……普段、家ではどんな風に過ごしているんだ? 何かこう、趣味とかさ」
「……ネットサーフィンが半分、もう半分はユーマさんの曲を聴いて、過ごしています。ノートパソコンを持っているので……カバンに入ってます」
なるほど。そういうことか。
わざわざ問い質すまでもない。
色んなことに興味を持って然るべき年頃だ。そりゃあ音楽にハマることだってあるだろうけれど。
俺みたいな無名ミュージシャンの楽曲を見つけてライブにまで来るようなケースはどう考えたって稀だろう。
「……それがどうかしましたか?」
「いや、なんでも。ところで、どうして俺の曲なんか聴いて寝てたんだ? 安眠には適さない類の音楽だろ。BPM的に」
「…………日課です。というか、ユーマさんの曲を聴かないと眠れないのです。そういう体質になってしまいました」
「ハッ。なんだそれ」
「責任。取ってください」
「無茶言うな」
黒髪を乱暴に撫で回すと小刻みに震えクスクスと笑う。まるで妹みたいだな。お生憎一人っ子なモノで、正しい向き合い方かどうかは分からないが。
どうやら俺が想定していた以上に、すばるんにとって俺の音楽は…………まぁ、それが分かったところで俺のスタンスに変わりは無いんだけどな。
「このまま眠れそうか?」
「……少し目が冴えてしまいました」
「おっけー。子守唄、歌ってやるよ」
「……へっ?」
立て掛けたアコースティックギターを手に取ってベッドへ戻って来る。チューニングを合わせる姿を、すばるんは不思議そうに見つめていた。
「もしかして、私のために……っ?」
「さあ、どうだか。最近ライブでカバー曲ばっかりだからよ、いい加減練習しておかないと忘れちまいそうでな」
「夜中にギター弾いて、怒られませんか?」
「軽く鳴らすだけだし、ヘーキヘーキ」
教則本通りのブルース進行。E7、A7、B7。one way bluesはこの繰り返しで簡単に弾けてしまう。技術もクソも、オリジナリティーもありゃしない。
でも、好きだ。最高だ。
このクソダサい曲を、音楽を。
俺は心から愛している。
『小銭の足りない深夜2時 万札じゃ買えないモンがある 手に入れたのは煙草と、あとなんだっけ そうだ忘れるな 目を凝らせ、ワンウェイブルース』
気付かぬ間に熱が籠って、歌声もギターも次第に響きを増していく。
いよいよ隣の大学生のせいには出来そうもない、大迷惑な真夜中のワンマンステージ。
後ろで横になる彼女は、いま、どんな顔をしているのだろう。
まぁ、気にすることはない。いつもと同じだ。一人ライブハウスの片隅でニヤニヤ笑いながら、誰にも悟られぬよう音に身を任せている。
『心だけが美しい 五臓六腑よ犠牲となれ』
『このまま行こうぜ ワンウェイブルース』
なにがアーティストとファンの境界線だ。
なにがプロデューサー気取るなだ。
独りよがりなブルースとたった一人の観客。
自己満足? 誰かのために?
馬鹿言うな、今までと何も変わらねえわ。
いやホント。マジで。変わりたくない。
なのに、腹が減って仕方ない。どうしても。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます