22. 大切なことを確かめたいのなら


 カートがリビングをうろつき始めたので、これ以上は身体に毒と逃げるように家を出て行った。くしゃみの他に誤魔化したいものがあったという理由も、まぁ否定はしないでおく。そういうことに、しておきたい。



 今日は八宮waveも定休日。外食をする余裕も無い。カエデちゃんはまだ働いている時間帯。八方塞がりだ。家に帰るしか無い。大人しく電車に乗って最寄りまで着いてしまったわけだが、足取りは果てしなく重かった。


 というより、すばるんはまだ家に居るのだろうか。俺に愛想を尽かして荷物を纏めて出て行ったかもしれない。

 帰るのはゴールデンウイークが終わる二日後の予定だけど、別にギリギリまで居続ける理由は無いもんな。



 ホント、なにやってんだろう。俺。


 たった一人のファンを傷付けて。

 親友の期待にすら背を向けて。

 自分自身を騙して、裏切り続けて。


 こんな調子で登坂スターダムのライブも成功するはずがない。二階堂から何を言われようとも、中途半端なステージで終わる未来だけは見えている。



「……電話?」


 知らない番号ではなかった。昨日連絡先を交換したばかりなのだから覚えもある。二階堂だ。



「はい、もしもし」

『やあやあ篠崎くーん調子はどうだーい? しっかり準備してる~?』

「ええ。まぁ。順調です」

『さっきYourTube確認したらさー、もう15万再生だって~? いやー、まさにスターへの階段を上っている途中って感じだね~!』


 都合の良い台詞を並べ上機嫌に話す二階堂。


 なにがスターへの階段だ。今どき無名のバンドでも一曲だけバズってYourTubeで100万再生とか珍しくないのに。俺なんてその半分にも達していない。

 分かり切った話だ。似たようなことを彼は誰彼構わず話している。ほんの少しでも可能性があるのなら誰だって良いのだ。



『そうそう、さっきメールでセットリスト送っといたから! ちゃんとStand By Youの雰囲気に合う曲セレクトしといたからさ~! 篠崎くんも何だかんだ歴長いし、有名どころなら練習もそんなに必要無いでしょ~?』


 さも当然のことのように話す二階堂。


 勝手に歌う曲を指定されるって噂、本当だったんだな。いや、普通に考えてあり得ねえよ。色んなところでライブして来たけど、こんなの聞いたことねえわ。


 アーティストの個性も尊厳も、全部ガン無視か。本当に売れればなんでも、誰でも良いんだな。よく分かったわ。



『偶々オファー出すのは遅れちゃったけどさぁ~、篠崎くんにはマジで期待してるんだよ~! もうアレよアレ、大船に乗ったつもりでいなって! 絶対にこのライブをキッカケに売れ線乗っかる筈だからさ~!』

「……ありがとう、ございます」

『はいはーい、じゃあ当日は宜しくね~!』


 一方的に通話が途切れる。

 

 偶々オファーが遅れた、ねえ。まったく、何から何まで適当な男だ。その期待の新人の名前を昨日まで知らなかったのはどこの誰だってんだよ。


 いや、まぁ、当然っちゃ当然だけど。スタバが無かったら俺なんて、期待される筈もない無名のミュージシャン擬きに過ぎないんだから。それはそうなんだけどさ。





「…………ギター……?」


 アパートのすぐ前まで到着すると、何やらどこかの一室からギターを弾く音が聞こえる。遅れて歌声にも満たない独り言のようなモノまで。


 俺以外でギター持ってる住民なんか居たっけな。そもそも一階の大家さんと隣の大学生以外、誰か住んでいるのかさえ怪しいレベルで人の気配が無いのに。



(…………俺の、部屋……?)



 窓を開けっぱなしにしていたせいか、近付くごとにギターの音色はより顕著に鼓膜へ響き渡る。間違いない、俺の部屋だ。じゃあ弾いているのは……すばるん?


 駆け足で階段を上がると、歌声の正体もやがて鮮明となった。年頃の女の子にしては少し低いハスキーボイス。疑いようもなく彼女の声だ。



『六畳一間にブル~ス♪ 隣に安いおんなぁ~♪』



 ……俺の曲だ。


 初めてYourTubeに投稿したオリジナルソング『one way blues』を、すばるんが弾き語りしている。


 ドア越しに届いた音色は、それはもう酷いモノだった。コードはロクに抑えられていなくて、あちこちに重なりの悪い不協和音が飛び交っている。女の子が歌うにはキーが低いからか、まるで音程も取れていない。


 そもそも彼女は、楽器の類にはほとんど触ったことが無いらしい。初心者にさえ満たない初心者だ。曲をコピーするより前にやるべきことが沢山ある。



 なのに。


 あれ? なんでだ?

 どうして、こんなことになる?



(……俺の、歌だ……ッ!)



 辛うじて聞き取れた歌詞が、ギリギリのところで『one way blues』という曲を成り立たせていると。そう思っていた。


 こんなの、弾き語りでもなんでもない。音楽にすら満たない。ただ意味の通じない言葉の羅列を、メチャクチャな音に乗せて叫んでいるだけ。


 なのに、分かる。聴こえる。

 これは、俺の歌だ。俺の曲だ。


 俺の、音楽だ————






「……へったくそだなぁ……ッ!」



 まるで意味の無い代物だ。


 彼女は言った。どんな名曲も誰かに耳に届かなければ。心を打たなければ、ただの雑音に過ぎないと。


 彼女は言った。少なくとも自分にとって、俺の音楽は唯一無二で。俺だけが奏でられる音楽が、自分にとっての希望なのだと。 


 彼女は言った。俺が本当に大切にしているものが変わっていないのなら、それだけで十分なのだと。


 彼女は言った。俺にしか出来ないことがあると信じている。俺の歌を。俺の曲を。俺の音楽を、信じていると。



「なんでこうなっちまったんだろうなぁ……!!」


 ドアノブを握る手は離れ、水が下流へと流れるるよう、その身を落としていく。自らの意思で、足で辿り着いた、本当の地獄。


 流れ出す涙を止める方法はついぞ見つからなかった。すべてが溢れ返り、頑丈に固められた何かがゆっくりと解けていくような気がした。



 汚いギターの音色が。

 危うい歌声が。

 聴くに堪えない雑音が。


 誰からも受け入れられない音楽が。

 何故かどうして、こんなにも、美しいなんて。



 ちゃんと、届いているじゃねえか。

 俺の歌が。俺の希望が、絶望が、音楽が。


 少なくとも、俺と彼女には。

 ちゃんと届いてるんだよ。聴こえるんだよ。



「ごめんな……ごめんなッ……ッ!!」


 何に対しての謝罪なのか、俺だって分からなかった。それは自分自身に対してか、それとも彼女に対してか。或いは両方なのかもしれなかった。


 大好きな歌を。心を打つ名曲を。たった一つの希望を。俺だけが奏でられる音楽を。どうして俺は。


 どうして、信じてやれなかったのだろう。

 どうして、諦めてしまったのだろう。



 とっくに諦めた。信じられなくなった自分自身を。彼女は。すばるんはまだ、諦めていない。信じているじゃないか。


 他にどんな理由が必要なんだ?

 俺が俺であり続けるのに。

 理由なんてモノ、必要なのか?



『心だけが美しい ごぞーろっぷよ、犠牲となれ!』



 必要なのは、心だけ。

 金も健康も、清らかな生活も。


 俺にはいらない。

 そんなものが、俺の何を満たしてくれるんだ。


 そうだ。忘れるな。

 俺には、これしか無いんだ。



『このまま行こ~おぜ! ワンウェイブル~ス!』



 すげえな。俺って奴は。

 最初から分かってたじゃねえかよ。


 すげえな。お前って奴は。

 こんなに下手くそに歌えるモンかよ。



 でも、これで良いんだ。

 このままで良いんだ。


 この曲が。この音楽が。たった一つの希望が。

 いつだって俺を救ってくれるんだ。


 その先に見えるのが絶望でも。

 俺は幸せなんだ。この瞬間だけが、俺なんだ。



『おはようございます! 八宮から来ました、シノザキユーマですっ! ジャカジャーン! 一緒にロックンロールしよーぜーっ!』



 楽しそうな声がドアの向こうから聞こえる。懐かしい。もう一年以上も使ってない出囃子だ。こんなことすらも、彼女は覚えているんだな。


 だったら、やってやるよ。

 ちゃんと思い出させてやる。

 思い出してやるよ。



 目を覚まそう。

 声を挙げよう。

 本気で飛んでみよう。

 そして、ドアノブを回そう。


 俺はまだ死んじゃいない。

 例えこの世界が地獄でも。

 絶望の彼方へ置き去りにされても。


 そこが俺の居場所で、世界だと。

 いつまでも、信じている。



 だから、一緒に進もう。

 俺の、俺たちの、俺たちだけの世界を。



 その行く末に。隣に。見上がる先に。

 すばるん。お前も一緒にいてくれよ。


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