第9話 ランナーズ・ハイ

 空のスクリーンから、制限時間がある様子はない。

 ステージのクリアの仕方も分からない。


 だが、走り回ってる内に一つ発見したことがあった。


「おかしいと言えば“アレ“しかないか······」


 それは、巨大カモメの下クチバシの先端のやや下。

 そこに、クチバシと似た色の宝石らしき物が埋まっていた。


 不可思議なことだらけの世界だが、それでも、カモメが巨大なのを除けば、観察している敵の様子で際立って不自然なのはそれしかなかった。


「つまり、アレを取れってことか? でもなぁ······」


 速さはこちらになんとか分はある。しかし、それに近付くということはそのまま喰われる危険も増すということ。虎穴に入らずんば虎児を得ずと言えばしっくりくるだろう。


「あぁ······確かに怖えぇなぁ。あんなのに押し潰されてもきっとアウトだろうし、喰われたらどうなることやら······」


 ここまで走り続けている不可思議な理由を信じるならば全滅してもやり直しのきく可能性は高いだろうが、未知のものはやはり怖い。未知でなくとも、あんなでかいクチバシに挟まれるなんて全身の骨を砕かれるんじゃないかと思ってしまう。


「でも――」


 胸を叩いて自分を奮い立たせた。


「やるしかないだろ」


 これ以上の恐怖の思考は行動を鈍らせる。

 そうなっては、いよいよ逃げるだけの情けない始末だ。


「いくぞ」


 深呼吸して、もう一度胸を叩いた。

 そして両足の力を緩め、スピードを奴に合わせていく。


 徐々に近付く白い巨体と黄色のクチバシ。

 つぶらな黒目がこちらを捉えているのがヒシヒシと伝わる。


 クチバシに触れようかという所で並走。奴はその口を数回開閉した。閉じる度、生暖かい野生の匂いが届き、息を止めたくなる。だが、その匂いの元には俺はなんとか連れ去られなかった。


 タイミングを見計らった。

 閉じる瞬間――その後に出来る数秒の隙を狙った。


 心臓がやかましいほどに鳴った。

 だが、息も走りも止まることはなかった。


 一、二、三、と飛び込む瞬間を心の中で数えた。


 奴がクチバシを閉じる。


 今だ! ――と、スピードをさらに緩め、そのクチバシの下で屈むようにしながら走る。すぐさま、クチバシにある宝石に手を伸ばした。


「よし!」


 簡単に触ることが出来た。――が、


「はぁ!? と、とれ、取れねぇ!」


 クチバシに埋め込まれたそれは、両手で掴もうとするも、爪を立てて剥がそうとするもビクともすることはなかった。


「んだよそれっ!? うぁっ!」


 カモメが空へと飛び上がり、風圧でつい体勢が崩れ倒れた。

 カモメのヒレのような脚が起こした風圧だった。


「はぁ······はぁ······あぶねぇ······」


 巨大なピンクの脚はかすりこそしなかったが、触れれば怪我は免れないであろう程の衝撃を感じた。


 背筋に寒気を覚えた。

 だが、もう一度なんとか立ち上がっては走る。


 いける、いける、と自分を嘘で言い聞かせては心を落ち着かせた。なんとか動悸のほうは落ち着いた。


「ったく、おかしいだろ。なんだよ、折角見つけたのが取れねぇって」


 しかし、事態は振り出し。

 いや、それ以上に悪い状態だった。


 ······足が、震えていた。


「くそっ、頑張れよ!」


 なんとか走ってはいるが、心は落ち着いてもいるが、身体は恐怖を覚えていた。


 それ故、走る速度は不安定。

 スピードもさっきより明らかに落ち始めていた。


「どうする······」


 このままだと同じ展開は不可能。

 次こそは喰われるか、蹴り飛ばされるのが目に見えた。


 再び、背筋に寒気を覚える。


 もう足を止めてしまおうかと思った。

 大人しく喰われれば、みんなでやり直して挑める。


 そのほうが可能性は高いと思った。だが、しかし――、


「せめて、一矢報いねぇと気が済まねぇ」


 こんな意味わからない世界に連れてこられて、こんな意味わからない遊びに付き合わされて、こんな意味わからないものに友人がやられて、そんな友人に意味を言われるでもなく後を任されて、もっとこっちのことも考えろよ! と、そんな怒りが溜まっていた。


 立ち止まって、後ろを振り返った。

 悠々と飛んでいた奴は、丁度こちらに滑空してくる所だった。


 俺は自分の魚頭を二度叩く。

 コンコンと、乾いた音がした。

 

「やってやる、やってやる······。折れるなら頭からポッキリ折れてやる」


 考えることを止めて、ただ相手を睨み付けた。


 策があるわけではない。

 もはや自暴自棄と言ってもいい。

 

 逃げることは難しいと判断した俺の、最後の悪あがき。そんな気概で、クチバシを閉じて滑空する敵のほうへ真っ直ぐと走り出す。


 ただただ感情に身を任せて。

 怖いというのを置き去りにするようにして。


 風を裂く弾丸のような敵は、こちらへ真っ直ぐ向かっていた。そして、近付くほどにそのクチバシが開かれる。クチバシの奥に見える闇はどこまでも深い奈落のよう。


「俺はそこには呑まれねぇ。どうせ終わるなら走り続けて砕けてやる」


 奈落の口は完全に開かれる。

 そのまま、その巨大な闇は近付いた。


 肉薄する距離。


 走る俺の足は、もう震えを超越していた。ランナーズハイのように、俺の精神は無我の境地へと達していたのだろう。はたまた、死の淵を前にした悟りか。


「うおおおおあああああーっ!」


 全身全霊、一走入魂の雄叫びを上げた。


「もう――」


 まるで、飛行機と衝突するような一瞬の刻(とき)。

 その刹那にも似た一瞬で、クチバシを屈んで避けた。


「どうにでもなれええええぇーっ!」


 そして、屈んだ勢いをバネのように使って真上へと跳んだ。

 弾丸のような相手の速度と相まって、頭突きは威力を増した。


 だから、バキリッ、と音を立てて砕けた。

 

 ――クチバシの、黄色い宝石が。


 その音を聞いた直後、俺は、正面からきた巨大な風圧に弾き飛ばされた。

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