百魔の主/葵大和


  <学園ひゃくま>



 ここはとある異世界にある学術都市。

 世界各国から王侯貴族の子弟が集まるその都市に、一風変わった生徒を集める学園があった。

「はい、では授業をはじめまーす。まずは『英雄と魔王』の歴史からー」

 かつて世界に存在した名のある英雄たち。そんな彼らがある時から畏怖と共に〈魔王〉と呼ばれることになった。

 時代が進み、そんな魔王たちも次第に姿を消し、最後に彼らの子孫や血縁たちが残った。

 その一風変わった学園は、〈百魔学園〉と呼ばれ、そんな魔王と呼ばれた者たちの類縁を集めた学園だった。

「サルマーンせんせー! 山に教科書忘れました!」

 雪のように白い髪をもった青年が威勢よく手を挙げる。

 名はメレア・メア。

 嘘かまことかわからないが、未練ある霊が集まると言われる雪山の山頂で生まれ、霊と化したかつての英雄や魔王たちに育てられたという。そのため、頭に入っている常識や知識が非常に古臭く、化石とすら称されることがある。

「はい、メレア、廊下」

「あっ、はい……」

 しゅんとうなだれる姿はどことなくわびしい。

 ――あれ……なんかメレアの背後にこっちを睨んでる薄い人影が見える。

 歴史の講義を務める講師、サルマーン=ゼウス・フォン・ルーサーは眼鏡をずらして目をこすった。ちなみにこのサルマーンもまた、その拳に宿る未知の悪魔の力で国を滅ぼしたと言われる〈拳帝〉と呼ばれた魔王の末裔である。

「……」

 やはり、なにかいる。魔術があるこの世界において半霊体の召喚物そのものはさほど珍しくないが、そういった魔術生成物と比べてもやや異質な感じがした。というか、そもそもメレアに魔術を発動させた形跡がない。

 メレアの背後にいる霊体は次から次へと入れ替わった。あるいはメレアを指さして爆笑し、あるいは頭をひっぱたき、あるいはメレアをかばうようにこちらを睨んでいる。

 ――くそ、本当に廊下に出したらなんか呪われそうだ……。

「い、いや、やっぱいい。歴史の話なら頭に入ってるだろ。ていうか教科書に載ってない世紀の大発見レベルの史実とかその裏話とか知ってるもんな。どっから仕入れたのかわからねえけど……」

「本人たちから聞きました」

 霊の集まる雪山――リンドホルム霊山のうわさはかねがね聞いているが、実際にそこで霊を見たことはない。しかし、こうしてそこから下りてきたというメレアを見ていると、やはり本当に霊はいるのではないかという気にもなる。――いや、いる。でなければメレアの背後に見える影に説明がつかない。

「メレア、くん。よかったら、一緒に、教科書、見る?」

 すると、メレアの隣に座っていた長い金髪の少女――アイズが声をかけた。

 ――この曲者ぞろいのクラスにあって唯一の良心……。

 小柄ながらよく皆の様子を見ていて、的確なフォローをする姿はもはや小さな女神に等しい。講師以上にクラスメイトの手綱を握れる存在なので、講師にとっても女神に等しい。

「お、ありがとう、アイズ。助かる!」

「ふふ、どう、いたし、まして」

 天からすべてを俯瞰する特異な魔眼〈天魔の魔眼〉を持つ彼女はこの学園へ来るまでその力のせいでつらい生活を送ってきていたらしい。今、こうして優しく笑えるようになったのは、あるいは魔王の血縁ばかりが集まるこの学園だからこそかもしれない。

「よし、じゃあはじめるぞー」

「センセー! 教科書忘れた!」「忘れたー!」

「お前らは廊下!」

「えー、なんでー」「サルセンセーのばかー!」

 あきらかに十歳にも満たない見目そっくりの少女たちが抗議の声をあげている。ちなみにこの学園の生徒に年齢制限はない。そのため、彼女たちもこのように同じクラスで講義を受けている。

「そりゃあカオスになるってもんだ……」

 講師陣の胃痛も当然の帰結といえよう。


       ◆◆◆


「はあ……今日の講義も疲れた……」

 サルマーンはその日の午前の講義を終えて講師室へ戻っていた。

「お疲れのようだな」

「ああ、ハーシム、この苦労をわかってくれるか」

 すると先に講師室で紅茶を飲んでいた一人の美青年が声をかけてくる。明るい茶色の髪に理知的な碧の瞳。百魔学園において同じく講師をしているハーシムといった。

「あのクラスは個性的というかなんというか、普通の基準がそれぞれでずいぶんズレていることが多いからな」

「ああ、おかげで講義の内容に毎回苦心する。特にメレアの知識の偏りがひどくてな……」

「こちらが感心させられるような歴史的考察を述べたかと思えば、今の時代の一般常識をまるで知らないこともあるからな」

「魔術概論の講義でも似たような感じらしい。……ああ、ちょうど今は魔術概論の講義やってるところか」

「リリウム女史の腕の見せどころだが……」


       ◆◆◆


「リリウム先生! できました!」

「……」

 リリウムは〈炎帝〉の名を継ぐ魔王の子孫である。歳は若いが聡明な頭脳と豊富な知識を買われて百魔学園で講師をしている。

「なんで?」

 特に術式全般の知識について造詣が深く、主に魔術系の講義を受け持っているが――

「えっ、なんで、って……」

 リリウムは真っ赤な長髪をイライラしたふうにかきあげながら、目の前で巨大な術式陣を展開させているあの白髪の青年、メレア・メアを見た。

「どうして、あんたは、誰にでもできるような簡単な術式を編めないのに、こんなバカげた、机上の空論でしかなかったような魔王の秘術レベルの術式を編めるわけ? なに? わざとやってるの?」

「えっ? い、いや、できないものはできないし、できるものはできるというか……いや、どうしてできるのかって言われると俺もよくわからないときがあるんだけど……」

 当のメレアはわけがわからないといった体で首をかしげている。

「わからないのにできるってのは魔術において結構危険なことだって理解してるわよね?」

「ま、まあ、それなりに」

「……はあ」

 先月のメレアの魔術概論のテストは五点だった。十点満点中の五点ではない。百点満点中の五点だ。奇跡の点数である。

「基礎がなってない」

「はい」

「なのに超高難度の魔術は成功させる」

「は、はい」

「はあ……」

 人の住まない霊山で、かつての英雄や魔王の霊たちに育てられた。そんな彼の生い立ちを信じなければ状況が説明できない。そうでなければこんないびつな育ち方をしないだろう。

「まあいいわ。じゃあ、これから先月の講義の復習をかねて、抜き打ちテストをします」

「えっ」

「最初から出来ろとは言わないけど、二度目なら多少違うわよね?」

 リリウムは笑顔だったが、その笑顔にひどく恐ろしい気配をメレアは感じた。


       ◆◆◆


 ――さて、と。

 テストがはじまった。

 かちかちと時を刻む時計の音が響く中、リリウムはテストを受けている生徒たちの様子をうかがう。

 ――お、優秀優秀。

〈天魔〉の号を継ぐ少女、アイズが小さく息を吐いたのを見た。彼女はすでに答案を終えている。ちらりと内容を見ると、ぬかりなく満点だ。やはりこのクラスの良心。リリウムはひとまず心の中で安堵の息をもらす。

 ――ん?

 すると、そんな彼女の隣に座っていたもう一人の生徒が、奇妙な動きをしたのをリリウムの目は捉えた。

 ――怪しい。

 隣に座っているのは磨き抜かれた金貨のような髪を持つ一人の青年。名をシャウ・ジュール・シャーウッド。このクラスにあってやや歳はいっているが、〈錬金王〉の名を継ぐれっきとした魔王の末裔だ。

 リリウムはアイズの傍を離れるふりをして、少し離れたところから二人の様子をうかがった。

『アイズ嬢、アイズ嬢』

『えっ?』

 押し殺した声でシャウはアイズを呼んだ。

『取引をしましょう』

 次の瞬間。シャウは目にもとまらぬ速さでアイズの机の上になにかを置く。

『これで答案を見せてはくれませんか』

 アイズの机に置かれたのはきらきらと輝く一枚の金貨だった。

『えっ……えっ?』

『落ち着いてください、大丈夫。これはわいろとかではありません。互いに対価を求める、正当な取引です』

 それをわいろと言う。リリウムは眉間をつまむ。

『だ、だめだよ、シャウ、くん。リリウム先生に、怒られ、ちゃうよ』

『大丈夫です、バレなければ問題ありません。それに、金の力は偉大なので、アイズ嬢がこの取引に応じてしまうのも致し方ないこと。誰もとがめはしません』

 ――間違いない。こいつの思考回路はどうかしている。

「シャウ」

「あっ、はい」

「廊下」

「あー……」

 バレてましたか、と苦笑を浮かべたシャウは、ふと一瞬考えるそぶりを見せて、そっとリリウムにあるものを差し出す。

「これでなんとかなりませんかね……?」

「なるかーッ!!」

 シャウの先月のテスト結果がやたらと満点が多かったことを思い出しながら、リリウムはシャウが差し出した金貨を叩き落とした。


 シャウを廊下に立たせたあと、気を取り直してクラスの様子をうかがう。

 すでに答案を終えたアイズ。

 しきりに唸っているが一向に筆が進んでいないメレア。

 そしてその隣でひらひらとわざとらしく答案紙をメレアの方に押し出しているメイド服の女。

 ――どうして、このクラスは、普通にテストを受けられないのか。

 リリウムはまた足音を殺して二人の近くに寄った。


『メレア様、メレア様、どうかわたくしの答案を参考にしてください』

 学園にあって奇天烈なメイド服に身を包んだその女は、マリーザといった。その見た目からは想像しがたいが、〈暴帝〉と呼ばれ多くの人に恐れられた魔王の末裔である。

 眉目秀麗にして品行方正。文武どちらにおいても非常に高い能力を誇る学園の才媛であるが、メレアに陶酔しているため日々判断を過つ。今のこれもその過ちのうちの一つである。

『待ってくれマリーザ。がんばれば解けそうなんだ』

『はぁうっ!』

 突然なにかに打たれたように嬌声をあげたマリーザに、むしろ後ろに立っていたリリウムの方がびくりと肩を揺らす。

『なんと、なんと素晴らしい心意気でしょう。その姿勢は何物にも代えがたい宝でございます。……では、もしどうしてもわからないときはわたくしに聞いてください』

『うん、ありがとう』

 ありがとうではない。こいつらはテストをなんだと思っているのか。リリウムはまた眉間をつまむ。

 ――まあ、結果的に何事もなかったし、ひとまずこのまま放っておこうかしら……。


       ◆◆◆


「……はあ、疲れた」

 抜き打ちテストを含む講義を終え、ようやく講師室へと戻ったリリウムはどっと椅子に腰を落とす。

「大変だったようだな」

「ああ、サルマーン、あなたもね」

 片手に紅茶の入ったコップを持って声をかけてきたのはサルマーンだった。

「ほら、これでも飲めよ」

「ん、ありがとう」

 サルマーンから紅茶を受け取ったリリウムは再度大きなため息をついた。

「テスト一つ実施するのも一苦労だわ……あなたも先月のテスト結果はよく精査したほうがいいわよ」

「ああ、わかってる。シャウのやつが金で他クラスやつを買収してたからな……」

「こんなんで学園対抗戦に勝てるのかしら……」

 この学術都市にはいくつもの学園が存在している。そしてその学園同士で学術の成熟度や各種実技の練度を競う祭典があった。

「まあ、実技関係は……大丈夫だろうな……」

 当初こそ厳格な色合いを持っていた学園対抗戦は、若人たちの遊び心も混じり徐々にお祭りの様相を呈してきている。無論中心となるのは各種学問やそれに付随する術式実技の比べあいだが、中には大食い競争など到底学術とは関係のない種目も存在した。

「実技系はメレアがいる」

 メレアは学術方面にこそ疎いが、体を使う種目にはめっぽう強い。

「山を三つ越えてここまで通ってるだけはある」

 どうかしている。

「術式実技に関しても、前の対抗戦では青薔薇の学園の才媛たちが作った連係術式を二秒で反転、対消滅させた」

 それのせいで青薔薇の学園の生徒たちが心折られ、集団で実家に帰った事件が発生した。

「知識系はほかのやつらが補うだろう。アイズは無難に優秀だし、マリーザも性格はアレだが基本優秀だ。そんでもって――」

 そうだ、思い出した。

「たしかほかの学園の生徒たちが思った以上にテストの点を伸ばせなかったんだっけ」

 そこまで難しい問題ではなかった。本来ならもっと高い点数を取れていたはずだ。だが――

「あれは……たぶん……買収されていたな……」

「ええ……」

 学園対抗戦の少し前、学術都市の市場相場が高騰した。基本的に流通する通貨量が安定しているはずの学術都市で、その日のうちに多くの『金貨』が動いたのだ。まるで、突然に大金を手にした都市の人間たちが、その欲望に負けて散財してしまったかのように。

「根本的に戦い方を間違えている……」

「そうね……」

『金の力は偉大なのです!』と叫びながら高笑いするシャウの顔が二人の脳裏をよぎった。

「そんなこんなで一位だったわけだが……」

「なにか、間違っている気がするわね……」

「ああ……」

 講師陣の胃痛は深まるばかりであった。


       ◆◆◆


 昼時。

 午前の講義が終わる瞬間が近づいていた。

 魔王たちが所属するクラスでは、昼の合図は鐘ではなく別の音で代替されている。

 それが――

「今日も、エルマの、おなかの音、すごい、ね」

 まるで巨大な獣でも飼っているのかと言わんばかりの空腹音である。

「エルマ嬢、頭を使うのが苦手な上に燃費が悪いので、今日のリリウム女史の抜き打ちテストあたりから気絶してましたね。――直立不動のまま」

「答案用紙が白紙だったよ」

 アイズの苦笑交じりの言葉にシャウとメレアが答える。

「そういうメレアはさっきの問題解けたんですか?」

 シャウが訊ねるとメレアが嬉しそうに笑った。

「解けた!」

「ほう。やっぱりあなたバカではないんですね。常識が化石レベルなだけで」

「し、失敬な」

 だが事実です、とシャウは肩をすくめて答える。

「まあ、学園対抗戦ではまだ使い物にならないでしょうから、今回も適材適所でいきましょう」

「そうだね。悔しいけどそのほうが良いと俺も思う。まあそのあたりはシャウとかアイズに任せるよ」

「御意のままに、総長」

 学園対抗戦では各クラスに総長を置くことになっている。そして学園対抗戦で最も盛り上がるのが、総長ほか二名を選抜した総合戦闘競技だ。相手方の陣地に立てた旗を奪うか、相手選手をすべて制圧することで勝敗が決する。

 このクラスでは常にメレアが総長を担い――そして一度たりとも戦闘競技で負けたことがない。

 知識や常識が化石と呼ばれるメレアだが、ひとたび戦闘競技になったとき、その実力は講師陣にすら桁が違うと言わしめるものがあった。

「まあ、あなたと〈剣帝〉の末裔であるエルマ嬢がいるかぎり戦闘競技で我々が負けることはないと私も思いますよ。おかげで買収する手間がなくて助かります」

 すると、ようやく正午を知らせる鐘がなった。

 その瞬間だった。

「飯だッ!!」

 机に突っ伏して盛大に腹の獣を鳴らしていた黒髪の美女――エルマが体を起こす。

「メレア!! 今日は裏山で赤鱗大蛇を取って食うぞ!!」

 その日の食事は現地調達。学園に来る前まで傭兵業を営んでいたというエルマは、その習慣がここへ来てからも消えていない。

「よし! 昨日覚えた優しめの火炎術式で焼いてみよう!」

 そして山暮らしが長いメレアもまた同じたぐいの生物である。

「今日は炭にするなよ! メレア!」

 剣を片手に教室を飛び出すエルマとメレアを見送るのがこのクラスの定例行事でもあった。

「おい、昼飯のこともいいが今日の内容あとでテストに出すからな。ちゃんと覚えておくように」

 そんな二人を見送るのは講師もまた同じである。先刻サルマーンと言葉を交わしていたハーシムが二人の背を見ながら言った。


「そういえば、さっきはなんの講義してたんだ?」

 教室を飛び出して廊下を走っていたエルマがふとハーシムの言葉を思い出してメレアに訊ねる。

「えっと、俺もテストにやられて半分寝てたんだけど――」

 ああそうだ、とメレアは手を打ってエルマに言う。

「クーデターの起こし方、だ」

「……」

 毎度〈魔王〉の血を引く自分たち生徒のほうがやり玉に挙げられることが多いが、講師陣もたいがいであるとエルマはげんなりしながら思った。

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