悪役令嬢レベル99 ~私は裏ボスですが魔王ではありません~/七夕さとり


  <5歳から変わらず七夕はティラノサウルス>



「将来の夢」。小学生のとき、皆の前で発表した記憶がある。何よりも尊く、希望で満ち溢れ、どこまでも漠然としていたそれは、いつしか「進路」と名を変えていた。


 大学生になれば「就職活動」だ。業界分析やインターンなど、どこまでも現実的な言葉が並ぶ。

 昔、クラスのみんなの前でメジャーリーガーになると宣言した彼は、もういなかった。お花屋さんになると屈託のない笑顔を見せた彼女は、もう消えてしまった。

 何百人といる私の大学に、宇宙飛行士を目指す人は存在しなかった。三十人程度の4年2組には二人もいたのに。


 大学時代の私も、給料が少なくてもいいから、定時で帰れる安定した仕事に就きたいと考えるツマラナイ人間だった。私にも夢はあったのに。


 夢が無くなるのは二種類。夢に失望するか、夢を諦めるかだ。


 一つ目の「失望する」、私はこのパターンが多かった。夢見ていた憧れの職業が、想像と違った場合だ。

 私が小学生のときになりたかったケーキ屋さんも、中学時代の夢であったプロゲーマーも、高校時代になりたかった銀行員も、その実情を知り、なりたいとは思わなくなった。


 ケーキ屋さんは無限にケーキが食べられると思っていた。しかし、店に並ぶケーキは商品であり、お金を払ったお客さんのものであり、従業員が就労中に口にしてはいけないものだ。

 小学三年生、世界の暗澹たる真実に辿り着いてしまった私は、ケーキ屋さんに失望した。将来の夢を無くしたのである。


 同じように、プロゲーマーは好きなだけゲームが出来る職業ではなかったし、銀行員は三時になったら即帰れる仕事ではなかった。

 私の夢はことごとく、現代社会に消されてきたのだ。……私が世間知らずだったという異説もあるが。


 そして、夢を無くす二つ目の理由である、「諦める」。

 実際はこちらの方が多いのではなかろうか。プロスポーツ選手を目指す少年が、自らの才能に限界を感じてしまう。科学者を目指すも、高校物理で躓いてしまう。


 夢の輝きは失われない。しかし、輝く秘宝が、手の届かない場所にあると突きつけられる。


 私に二つ目のパターンの夢は無かった。……本当に?


「本当に、無かったの……かな?」


 私は、乙女ゲームの悪役令嬢ユミエラ・ドルクネスに転生するという、寝るときに見る方の夢みたいな状況になっている。

 異世界転生してからは、日々の生活……というよりレベルを上げることに無我夢中で、将来の夢なんて考える暇が無かった。


 ……はて? なぜ私は将来の夢について思いを馳せているのだろうか。唐突にもほどがある。

 私は空を見ていただけだ。


 雲のない夜。ドルクネス領。領主の屋敷。今の我が家。その窓から、ふと見上げた星空。街の灯りが無いからだろう、前世に日本で見たものよりずっと美しい。

 日本では見られなかった天の川もハッキリ観測できる。天の川と言えば……。


「七夕祭りだ」


 分かった。私が柄にもなく夢について夢想していた理由が。

 七夕祭り。天の川に引き裂かれた織姫と彦星が、年に一回だけ会える日。短冊に願いを書き記して笹飾りに吊るす日。

 記憶の奥底、最も古い七夕の思い出、私は5歳だった。一緒に思い浮かぶのが幼稚園年中の先生だから間違いない。


 先生はペンと短冊を手にして、私に尋ねる。「――ちゃんの将来の夢は?」

 問いかけに対し、私はピンと来なかったのだった。「将来の夢?」

 無知蒙昧なる園児の相手に手慣れた先生は優しく教えてくれた。「――ちゃんは大きくなったら何になりたい? お花屋さん? ケーキ屋さん? その夢が叶うように、織姫様と彦星様にお願いするの」


 そう。5歳の7月7日は、初めて七夕祭りを知った日であると同時に「将来の夢」について初めて認識した日なのである。


 確か、あのときの私は――


「……あった。私の夢」


 連鎖的に記憶が蘇り、思わず出た私の声は、誰にも聞かれずに消えていく。


 なぜ忘れていたのだろうか。天の川を見て、無意識で七夕を思い出し、将来の夢まで連想するほどなのに。

 今の今まで失念していた、初めて胸に抱いた夢を。


 私は、その夢を諦めてしまったのだ。無いと思っていた二つ目のパターン。

 諦めてしまったけれども、他の夢のように、現実を知って失望したわけではない。かの存在に対する憧れの光は、未だに心を燦然と照らしている!


 幼稚園の先生は言った。「大きくなったら何になりたい?」

 私は答える、純粋な願いを。私は叫ぶ、人生を賭して何を為すかを。私は、私は、私は――


「大きくなったらティラノサウルスになりたい!」


 私の魂の雄叫びは、夜空に輝く天の川へ吸い込まれていく。

 柄にもなく大声を出してしまった。普段の私は、無表情で冷静でクールでリアリストなキャラでやっているのに。

 でもいいや。私の人生の目的がやっと分かったのだから、キャラ崩壊も厭わずに、もう一度だけ叫んでおくか。


「ティラノ! サウルス! に! なり――」

「夜にうるさい」


 怒られちゃったぜ。

 振り向くとパトリックが立っていた。彼は私の恋人で、ティラノサウルスと同じかそれ以上にかっこいい。

 しかし乙女の部屋にノックもなしに入ってくるなんて、とんだ狼である。

 狼は噛む力が強いが、ティラノサウルスほどではない。よって、ティラノサウルスになることが宿命づけられた私は、パトリックに襲われることもないのである。


「パトリックは襲う気かもしれないけれど残念。私の方が強い」

「ユミエラの方が強いのは知っているし、襲うつもりも無い」

「だよね。私の方が強いよね……噛む力とか」

「かむ……ちから?」


 コイツは何を言っているんだ? という目でパトリックに見られるが、いつものことだ。

 彼は噛む力については言及せず、大声について尋ねてきた。


「……それで? 夜中に大声を出してどうしたんだ。窓も全開じゃないか」

「それはごめん。夢を思い出しちゃって」

「ユメ?」

「うん、将来の夢。私は何になりたいのか、何を成したいのか、何を目指しているのか。ずっと前に諦めて、今日まで忘れていたけれど、それが分かったの」


 私は小学生になる頃に、ティラノサウルスになるのを諦めてしまったのだ。

 生物学的に、人間はティラノサウルスになれない。そんな、至極当たり前の常識を悟ってしまったのだ。

 いや、生物学に責任を押し付けるのは止めよう。私はティラノサウルスになる才能が無かったのだ。才能を理由に、なりたいモノになれなかった。よくある話だ。


 しかし、今は状況が違う。私は魔法がある世界に転生したのだ。

 前世、日本の常識ではあり得ないことが起こっている。前の世界の常識に囚われるのはおしまい。

 この世界なら、人間がティラノサウルスになることも可能だ。


 心が清々しい。基本は無表情な私も、嬉しさが顔に出てしまったようで、パトリックも少し笑う。


「良かったな、夢を思い出して」

「うん」

「ユミエラは何になるつもりなんだ? ユミエラ・ドルクネスはどんな偉業を成し遂げるつもりだ?」

「パトリック、私ね、ティラノサウルスになるって決めたの」

「ティラ……ん?」


 どどーんと、ティラノサウルスになると発表したが、彼の反応が薄い。

 どうして? 男の子はみんなティラノサウルスが好きなのだから、私がティラノサウルスになるって言ったらパトリックも喜ぶと思ったのに。

 彼は戸惑い顔で言う。


「その、ティラノ……?」

「ティラノサウルス」

「ティラノサウルスとは……何だ?」

「アロサウルスを大きくした感じの、白亜紀に生息した獣脚類の恐竜」

「出てくる単語が全て分からない」

「ギガノトサウルスよりはちょっとだけ小さくて、トリケラトプスと戦ってるイメージのあるアレ」

「アレと言われても」


 うーん、話が通じない。ティラノを正しく説明できたならば、パトリックも私の夢に賛同してくれるはずなのに。

 しかし困った。恐竜という言葉が通じない人に、ティラノサウルスを説明するのは些か難しい。

 何か、パトリックでも分かるティラノサウルス的な物は……。


「ドラゴン! 土属性のドラゴンがいるでしょ?」

「ああ、中央の軍所属に一頭いるな」

「あの子は四足歩行で草食っぽいけれど、二足歩行で肉食って感じにしたのがティラノサウルス。大きさも多分あれくらい」


 我ながら上手い説明ができた。

 パトリックの脳内にティラノの想像図が出来たことだろう。彼は目を瞑って考えこみ、すぐに開いて言う。


「ユミエラは、ドラゴンになりたい……ということか?」

「ドラゴンじゃなくてティラノサウ…………あっ、ドラゴンになるのもアリかも」

「しまった失言だった」


 そっか。いっそのことドラゴンになるという手もある。例に出した土属性以外のドラゴンなら空も飛べる。

 うーん、悩ましいぞ。ティラノサウルスも魅力的だが、ドラゴンも捨てがたい。初心を忘れるようだが、私は昔からドラゴンも好きなのだ。裁縫セットもドラゴンだったし。


 私の脳内で、ティラノ原理主義派とドラゴン急進派が論争を繰り広げる。


「ドラゴンは飛べる!」「ティラノは顎のパワーがある!」「顎のパワーはドラゴンもある」「でもティラノほどじゃない」「スピノサウルスに負ける癖に!」「あれは運が悪かった、インドミナスには勝った」「それはモササウルスの手柄でしょ」「ティラノは前足が小さくて物が拾えなさそう」「ドラゴンは飛べるフォルムではない」「高等遊民になりたい」「今の誰?」「ティラノは最新の羽毛が生えた姿がダサい」「ドラゴンはリュー君だけで十分でしょ」「やーい、ティラノは腐肉漁りのハイエナ恐竜」「はぁあ? ティラノは走って狩りをしてましたぁ」「じゃあ証明してよ!」「証明するからタイムマシンを出してよ!」


 ティラノ派35億人、ドラゴン派35億人。70億のユミエラ大論戦は波乱を極めた。

 各々が好き勝手に話すので、どちらの意見かすらよく聞かないと分からない。しかも一部では乱闘が始まった。

 局所的な戦闘は全体に波及し……ああ、もう全員が拳で主張を押し通す気だ。

 脳内にいる70億のユミエラたちが全力で殴り合う。いや、これは戦争だ。条約も何も無い、末期の殺し合いだ。

 同数のユミエラは同じだけ数をすり減らしながら戦い続ける。


「ユミエラ? ユミエラ? どうしたぼうっとして」

「……ああ、ごめん。私が187対191で戦ってるところなの……ん、6対7になった」


 70億人いたはずのユミエラはもう一桁まで減ってしまった。戦争ってこわいね。

 そんな私の脳内を露知らず、パトリックはため息交じりに口を開く。


「人間はドラゴンになれない。ティラノとやらにもなれないだろう」

「そうやって決めつけるのはやめてよ。人の可能性を信じようって気になれないの? 私なら出来る。今すぐでもティラノサウルスに変身する」

「……ユミエラは、本当に出来てしまいそうで怖い」


 彼はゲンナリとした顔だった。なぜ? 私がティラノやドラゴンになったら嬉しいでしょ? だってパトリックは男の子だもん。

 どうしてパトリックは嬉しそうに見えないのだろうか。少し不安になり、彼の名を口に出す。


「パトリック?」

「どうして、どうしてユミエラはドラゴンになりたいんだ?」

「え、好きだからだけど」


 好きなものになりたい。それは当然の心理だ。

 ティラノサウルスが好きだから、ティラノサウルスになりたい。ドラゴンが好きだから、ドラゴンになりたい。

 私はティラノサウルスがどうしようもないほどに、好きで好きで堪らない。

 胸の内にあるティラノ愛を伝えると、パトリックは真面目な顔で私に一歩近づく。

 え? あれ? 顔が近い。どうしよう、くっつきそう。


「俺は、ユミエラが好きだ」

「え、えぇ? なんでいきなり――」

「俺はユミエラを愛しているが、ユミエラになりたいとは思わない」


 なんで? どして?

 吐息がかかるほどの近さ。恥ずかしさに顔を逸らそうとするが、彼は私の顎を掴んで引き寄せる。

 筋力では勝っているはずなのに、抵抗ができなかった。

 更に至近距離になったパトリックに聞かれる。


「俺はユミエラが好きだが……お前はどうだ?」

「……すき」

「じゃあ俺になりたいか?」

「……なりたくない」


 パトリックは好きだけど、パトリックにはなりたくない。だって私がパトリックになったら、今の状況もイケメン2人がイチャイチャしているだけに……ん? アリか?

 …………いいや、無しだ。眺める分には楽しいかもだけど。男の片方が元は女だと、些かややこしいことになる。


「好きなものは好きでいい。だからと言って、自らが、好きなもの自体になる必要は無いんじゃないか?」

「そう……かも?」


 確かに。私がティラノサウルスになっても、ティラノサウルスを眺めたり一緒に追いかけっこをしたりはできない。大きな鏡を用意しなければ、自分の全身を見ることすら難しい。

 そうなるとティラノサウルスになるメリットは、噛む力が強くなることと、姿がかっこよくなって男子に大人気になることと、鋭い牙が手に入ることと……結構あるな。

 でも、何としてでも手に入れたい、という程ではないかな。


 ドラゴンは既に身近にいる。ハイパープリティーな息子、私が手ずから卵を孵した、真っ黒なドラゴンのリュー君だ。

 リュー君に抱きついて撫で回して匂いをスンスン嗅ぐことで、私のドラゴン欲は解消されている。

 だからこそ、今日に至るまで私はドラゴンになりたいと言い出さなかったのだ。


「うん、そうか。私がティラノサウルスになる必要はないのね」

「そうだ、ユミエラはユミエラのままでいい」

「わかった」

「……ふぅ、助かった」


 パトリックは私からスルリと離れて、ほっと息を撫で下ろす。

 んー。もう少し、近くにいても良かったんだよ?


「ねえパトリック」

「どうした?」

「何だか子供が欲しいなあ……って」

「きゅ、急になんだ!?」

「リュー君の弟か妹だね」

「そういうのは、結婚してからだな――」


 弟がいいかな? 妹がいいかな?

 ティラノサウルスは雌雄で大きさが変わるのだろうか。もし変わるなら大きい方がいいな。まあ、元気に成長してくれるならどちらでもいいか。


「私、今の忘れないよ。結婚したら……ね」


 顔を僅かに赤くしたパトリックは無言で頷く。

 よし、パトリックの許可も取れた。

 結婚したら、ティラノサウルスを養子に迎える準備を始めよう。


 白亜紀でも変わらず輝いているであろう天の川を見上げて、私はティラノサウルス座を探す。


 世界と時間を飛び越えて、ティラノサウルスを探しに行くのは、少しだけ将来の、夢みたいな、おはなし…………かもしれない。

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