捨てられ白魔法使いの紅茶生活/瀬尾優梨


  <絵本が教えてくれたこと>



 行商人が子ども向けの絵本を持ってきたので、見に来ないか。

 田舎の集落ポルクで唯一の雑貨屋を経営するブルーノにそう言われたアマリアは、財布を手にすぐさま店に向かった。

 アマリアは回復魔法を得意とする白魔法使いで、二ヶ月ほど前からこのポルクで暮らしている。

 アマリアの家族は、息子のユーゴと同居人のレオナルド。

(ユーゴは文字が読めないけれど、絵には興味があるみたいだし、絵本を買ってあげたいな)

 ユーゴは見た目こそ五、六歳程度の少年だが、その正体は金色の鱗を持ち、ほぼ全属性の黒魔法を操る黄金の竜である。ひょんなことから彼に助けられたアマリアは、「人間界を見てみたい」と言うユーゴのお願いを叶えるため、血のつながりこそないが、親子として生活していた。

 ユーゴはまだまだ人間界の常識に疎く、何事に関しても勉強中だ。おそらく数百年は生きているだろう竜の彼だが非常に好奇心旺盛で、人間の子どもが使うおもちゃや家具、食べ物や飲み物、何にでも興味を抱いている。絵本を買って読んであげたらきっと、とても喜ぶだろう。


「お邪魔します、アマリアです」

「ああ、よく来てくれたな。絵本だろう?」

「はい!」

 ブルーノはアマリアを見ると満足そうに微笑み、棚から数冊の絵本を取ってくれた。

「都会の方でよく読まれている、幼児向けの絵本だ。少し古いものだから表紙はくたびれているが、十分読めるだろう」

「ありがとうございます」

 早速アマリアは絵本を手に取り、いくつか読み比べてみた。

 ユーゴは何にでも興味を抱くが、やはり男の子だからか、可愛いものよりは格好いいものが好きみたいだ。

 まず目に入ったのは、表紙に赤い鱗を持つ竜の絵が描かれたもの。竜本来の姿になったときのユーゴとはあまり似ていないが、この物語ならどうだろうか。

(……あ、だめだ。これ、邪悪な竜を討伐するお話だ……)

 国を滅ぼそうとする竜を人間の英雄が倒す物語なので、表紙は格好いいがこれはまずいだろう。

 次に手に取ったのは、表紙に可愛い動物たちが描かれた鮮やかな色合いの絵本。中をぱらぱらと見てみたが、森の動物たちが一緒に仲良く暮らすという、心温まる話のようだ。

(悪くはないかも。……いや、でもまさか、このウサギや鳥を見て、「おいしそう」って言わない……よね?)

 ユーゴは肉食で、小動物でも鳥も魔物でも、おいしければ何でも食べる。この絵本に描かれた可愛い動物たちは全て、ユーゴにとっては「食料」だ。そんな彼からすると、この絵本は色々な意味で、まだ少し早いのかもしれない。

(……あっ。これは――)

 アマリアが手に取ったのは、表紙に剣を持った少年の描かれている絵本。これも竜退治の話だろうか、と思ったらどうやらそうではなく、気弱だった少年がめげずに努力を重ねて、魔物を追い払うという話だった。

 ざっと読んでみたが、子どもが読んでも大人が読んでも楽しめそうなストーリーだ。絵も丁寧に描かれていて、格好いいもの好きの男の子の琴線にも触れそうだ。

 すぐに、会計をする。

 書物はそもそも高価で、絵本となるといっそう値が張る。だが、可愛い息子のためにお金を払うことを惜しむ気持ちは、全くなかった。


 家に戻るとちょうど、ユーゴとレオナルドも散歩から帰ってきたところだった。

「ママ、おかえり! ただいま!」

「おかえり、ただいま、ユーゴ。レオナルドと一緒にしっかり遊べた?」

「うん! おれたち、追いかけっこをしたんだよ!」

 そう熱を込めて語るユーゴの金色の髪は、外遊びをしたからか少し撥ねている。きらきら輝く金色の目はよく見ると、普通の人間よりも瞳孔が縦に長い。しかもアマリアとは一切の血のつながりを感じさせないほど整った容貌をしており、彼が人外であることがそれとなく分かる。

 だが、興奮して今日の出来事を語るユーゴの姿は、普通の子どもと何ら違いはない。ぎゅうっと抱きしめると葉っぱと土と、太陽の匂いがした。

「あ、おかえりなさい、アマリアさん。お買い物でしたか」

 そう言いながらアマリアたちがいるリビングに入ってきたのは、レオナルド。普段はギルドの傭兵として働いている彼は剣術の才能があるだけでなく日頃から非常に頼りがいがあり、ユーゴの面倒もよく見てくれる。

「ただいま。ユーゴと一緒に遊んでくれて、ありがとう。今日は雑貨屋で、絵本を買ってきたの」

「えほん……って、もしかして、おれ用の?」

「そうよ。もしまだ元気があるなら、この後お茶でも飲みながら一緒に絵本を読まない?」

「読む! レオナルドも、一緒に読むぞ!」

「はは、了解」

 レオナルドはユーゴの相手をするのにもすっかり慣れっこのようで、アマリアがキッチンでお茶の仕度をする間、ユーゴを膝に乗せて遊んでやっていた。

(……二人とも外遊びから帰ってきたばかりみたいだし、冷たくておいしいお茶を淹れようかな)

 アマリアには白魔法だけでなく、お茶作りの才能もある。茶葉を蒸らして作る普通の紅茶も好きだが、果実やハーブから作る自家製のお茶もよく作っていた。

 食料庫から果実やハーブを取ってきて、下ごしらえをする。先日ブルーノの店で買ったポットに材料を入れて湯を注ぎ、しばらくの間蒸らす。

(私とレオナルドの分はそのままで、ユーゴにはちょっとだけ蜂蜜を入れてあげようかな)

 アマリアたちの数倍は生きているだろうユーゴだが、甘いものに目がない。竜も虫歯になるのかは疑問だが、好きだからといって食べすぎないように注意していた。

 茶ができたら材料を取り除き、リビングに持っていく。そしてユーゴの氷属性魔法で一気に冷やしてもらい、グラスに注いだ。

「おいしそう! ママ、蜂蜜は!?」

「一杯だけよ」

「うん! おれが入れる!」

 ユーゴが慎重な手つきで――おそらくアマリアに言われた「一杯」のルールを守りつつ、少しでも多く入れるために――蜂蜜を掬う姿を、アマリアはほっこりした気持ちで見守っていた。

 それはレオナルドも同じだったようで、向かいに座る彼と目が合うと、灰色の目を細めて優しく微笑まれた。

 まずは冷たいお茶で喉を潤してから、早速絵本のお披露目だ。

 これまでにもユーゴに絵本を読んであげたことはあるが、どれも近所の人から譲ってもらったおさがりばかりだったので、比較的きれいな絵本を見てユーゴは目を丸くした。

「うわぁ! ねえ、ねえ、この表紙の人が主人公!?」

「どうかしらね? 読めばきっと分かるわ」

 アマリアは絵本を手にマットに上がり、ユーゴはあぐらを掻いたレオナルドの足の間に座った。レオナルドの太ももをぽこぽこ叩いて「早く、読んで!」と急かすので、レオナルドが「ちょっと痛いよ」と苦笑していた。

 ユーゴにも絵がよく見えるよう、レオナルドの隣に腰を下ろしたアマリアは、表紙を捲った。アマリアはかつて養護院で子どもたちのために絵本を読んであげていたので、読み聞かせは得意な方だ。

「それじゃ、始めるね。……むかしむかし、ある村に、とても臆病な痩せっぽっちの男の子がいました――」

 ――その村には勇敢な戦士たちがたくさんいて、男の子なら皆、剣を習っていた。しかしその男の子は小柄で痩せていて、武術の腕前もなかなか上達しない。

 他の男の子たちと訓練をしても、いつも負けてばかり。弱虫、怖がり、と馬鹿にされても男の子は何も言い返せず、悔しい思いをしていた。

 そんなある日。村の戦士たちが出払っている隙に、恐ろしい魔物が村を襲った。これまでは強気だった男の子たちは勇敢に剣を取って戦いに出向くが、頑丈な甲羅を持つ魔物にはちっとも効かない。

 もうだめか、と思ったそのとき、あの弱虫の男の子が飛び出した。彼は力が弱くて小柄だったけれど、一生懸命努力してきた結果、誰よりも足が速くて、身のこなしが軽くなっていたのだ。

 男の子は小さな体を生かして魔物の懐に飛びこみ、柔らかい腹部を攻撃した。いつも甲羅で守っている弱い部分を攻撃されるとは思っていなくて、魔物は悲鳴を上げて逃げていった。

 そうして、弱虫と言われていた男の子は皆に感謝され、いじめっ子にも謝られた。

 男の子はその後、大きくなっても小柄で、細いままだった。

 しかし他の戦士たちにも負けないくらい勇敢な剣士として、皆に頼りにされ続けたのだった。

 ……という内容が、子どもにも分かりやすい言葉遣いで書かれていた。絵もなかなか豪華で、男の子と魔物の戦闘シーンでは、ユーゴも絵本に見入っていた。

 アマリアが読み終えると、ユーゴは「ほおぉ……」と感嘆のため息をついた。

「すごい、格好いい! 力だけが強さじゃない、ってことだよね!」

「そういうことね。ユーゴも主人公の気持ち、分かった?」

「うん。おれはすっごく力が強いけど、力で押し切るだけが戦いじゃないんだよね。そういう経験もあるし……あ、そういえば」

「うん」

「この主人公、レオナルドみたいだね」

 魔物と主人公の戦闘シーンのページを開いたユーゴに言われ、思わずアマリアはレオナルドの方を見やった。同時に、それまでは穏やかな表情で成り行きを見守っていたレオナルドも、はっとしたようにアマリアを見てくる。

「ぼ、僕に似ている……?」

「うん、そう思う。……ほら、レオナルドも人間の男にしては小さいし細いけど……おれより足が速いし、すごく身のこなしも軽いんだ。別に、弱虫とか、そんなことは思わないけど……なんだかレオナルドみたいだな、格好いいな、って思って……レオナルドも、主人公みたいで……」

 いつもレオナルドに対しては素直になれないユーゴにしては珍しい、素直な褒め言葉だ。

 だがその言葉はだんだん間延びしてきて、ふあっとあくびをした。外で遊び、おいしい茶を飲み、絵本を読むうちに眠くなってきたようだ。

「ユーゴ、眠い? お昼寝する?」

「うん、そーする……レオナルド、眠いから、ベッドに行きたい……」

「はいはい、ほら、掴まって」

 レオナルドは苦笑いし、ひょいっとユーゴを抱えた。ならば、と絵本を抱えたアマリアも立ち上がり、一緒に二階に上がる。

 寝室のベッドに寝かせる頃には既に、ユーゴは夢の世界に旅立っていた。

 アマリアたちはしばしユーゴの寝顔を見ていたが、つとレオナルドが「アマリアさん」と小声で呼んできた。

「……あの絵本の主人公が僕に似ているって、自分では気付きませんでした」

「私もユーゴに言われて、確かにそうかも、と思ったわ」

 ……だがもしかすると、アマリアも無意識のうちに、レオナルドにそっくりな主人公が描かれているから、いっそうこの物語に惹かれたのかもしれない。

 大切なのは、強さだけではない。この絵本はきっと、これから長い時を生きていくユーゴにとって重要なことを教えてくれただろう。

「……ぁれ」

 ユーゴが、何か寝言を言っている。

 アマリアとレオナルドは、さっとユーゴの方に顔を寄せた。ユーゴの唇の端は少しだけ緩んでいて、楽しい夢を見ていることがすぐ分かる。

「……がんばれぇ、レオニャ……ド。たおせ、たおせぇ……」

 二人は、顔を見合わせた。そして同時にくすっと笑うと、無言のまま立ち上がる。

 アマリアはベッドサイドのテーブルに絵本を置き、レオナルドと一緒に寝室を出た。

「おやすみ、ユーゴ」

 よい夢を。

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