加護なし令嬢の小さな村 ~さあ、領地運営を始めましょう!~/ぷにちゃん


  <彼の声>



 温かい日差しが降り注ぐなか、ツェリン村で大樹のお世話をしている少女が一人。大樹はぐんぐん育ち、今では彼女の背を越してしまった。

「ふふ、これからもっと育つだろうから……楽しみ!」


 そう言って大きく伸びをしたのは、ツェリシナ・リンクラート。

 プラチナブロンドの綺麗な髪と、ローズピンクの瞳。父親から第二地区の領主代行を任され、ツェリン村の運営をしている乙女ゲームの悪役令嬢だ。


 ツェリシナが笑顔で言うと、隣にいたヒスイとトーイも頷いてくれた。


 執事見習いの、ヒスイ。

 以前、ツェリシナが街でスリに遭った際、助けてくれたことがきっかけで執事見習いとして雇っている。


 神獣のトーイ。

 ヒスイと一緒にいた神獣で、ツェリン村を守護してくれている。

 外見はもふもふした真っ白い犬で、首につけているリボンがお洒落で可愛い。


 ヒスイは大樹に触れて、その幹を撫でる。

「ついこの間まで種だったのに、大樹の成長は驚くほど早いですね」

『さすがツェリ様、すごい!』

「ええ。わたくしも、大樹には驚かされることばかりで――え?」

 まったく知らない第三者の声が聞こえ、ツェリシナは目を瞬かせる。いったい誰が? と声のした方を見ると……そこにいるのはトーイ。

(え、トーイが喋ったの? ……いや、まさかね)

 ツェリシナがじっとトーイを見つめていると、ヒスイが「お茶にしましょう」と大樹の前にシートを敷いた。

(今の声はスルーしちゃうの?)

 それとも、自分の空耳だったのだろうか。

 ツェリシナが悩んでいると、トーイがヒスイの方へ歩いていく。

『僕もお茶の準備手伝うよ』

「やっぱり喋ってる……!」

「ツェリ様?」

 喋るトーイのことを言ったのだが、ヒスイは不思議そうな表情をしている。

(ええぇぇっ)

 もしかしたら、ヒスイにはトーイの声が聞こえていないのかもしれない。

 どうしようと戸惑っていると、トーイがバスケットの中から器用にマドレーヌを取り出してくれた。

『はい、ツェリ様。このお菓子、好きでしょ?』

「……ええ。大好きです」

 思わずフリーズしかけつつも、どうにか返事をしてマドレーヌを受け取る。

(間違いなくトーイが喋ってる……)

 これは本当に、ツェリシナにしか聞こえていないのだろうか。ちらりとヒスイを見ると、まったく気にしていない様子で紅茶を淹れている。

(やっぱり私にしか聞こえてないんだ……!)

「トーイ、わたくしの言葉がわかる?」

『ん? わかるよ!』

 ツェリシナの問いかけに応えながら、トーイが尻尾を振った。どうやら、本当に会話ができるようになっているみたいだ。

「すごいです! トーイと会話をできる日がくるなんて、思ってもみませんでした……」

「え?」

 ツェリシナの言葉に、ヒスイが「何を言ってるんですか」と笑う。

「トーイなら、いつも喋ってるじゃないですか」

「えっ!?」

 思ってもみなかった返しに、今度はツェリシナが驚く。てっきり、トーイの声が聞こえると言ったらヒスイが驚くとばかり思っていたのに。

 ――というか。

「いつも喋ってるとは、どういうことですか……!?」

「どうもこうも、そのままの意味ですけど……ツェリ様こそどうしたんですか」

 当たり前のことに何を驚いているのだと、そう言われてしまった。

(ヒスイはトーイの声が当たり前に聞こえていたということ?)

 だから別に、トーイの声を聞いても特別反応しなかった……と。

(ああもう、どういうことなの……っ!)

 ツェリシナの頭の中は大混乱だ。

「トーイもお菓子を食べるだろう?」

『うんっ!』

(普通に会話してる……)

 すると、さらにたくさんの声が聞こえてきた。

『あ、ツェリシナ様だ』

『こんにちは!』

『今日もいいミルクが出たので、たくさん召し上がってくださいね』

 声の主は、ツェリン村で飼育されているヤギたちだった。とても丁寧にあいさつをし、自分のミルクまで勧めてくれた。

「えええぇぇっ、ヤギが喋ってる……!!」

 すると、またもヒスイが不思議そうな顔をする。

「やだなあ、ツェリ様。喋らない生物なんていないじゃないですか」

「え、えええぇぇぇ!?」

 さらりと言ったヒスイの言葉に、ツェリは驚きの声をあげるしかなかった。


***


 数日が経ち、本当にこの世界はすべての生き物が喋っているということがわかった。

「いったいどうなってるのかしら」

 ついこの間までは、まったくそんなことはなかったのに。

 まるで、自分だけ別世界に来てしまったかのようだ。パラレルワールドのような、並行世界に。

(とはいえ、元々が乙女ゲームの世界だし……)

 そんなことを考えていると、『ツェリ様~』と部屋の外から自分を呼ぶ声がした。

「どうしました? トーイ」

『あはは、ツェリ様ってばおしとやかな喋り方になってる』

「――っ!!」

 トーイの言葉に、まるで雷に打たれたかのようなショックを覚える。そういえばいつも、トーイの前では猫をかぶらず素だった。

(わーん、まさか私の素がばれてたなんて!)

 トーイに語りかけていた自分の言葉をすべて理解されていたことへの羞恥で、顔から火が出そうだ。

『僕は、普段のツェリ様の方が好きだなぁ』

「トーイ……」

 優しい声で言うトーイに、思わずきゅんとなる。

 お淑やかではなく、素の自分を受け入れてもらえていることが嬉しい。けれどそれ以上に、トーイと話ができることが嬉しい。

『今日はお日様が気持ちいいから、ツェリ様の部屋で日向ぼっこをしようと思ったんだ』

「そうだったの。……ねえ、トーイ。私に、様なんてつけなくていいのよ?」

 むしろ、神獣であるトーイにこそ様をつけるべきだ。ツェリシナがそう伝えると、トーイは首を振った。

『ヒスイと同じ呼び方だから、これがいいの』

「……でも、私がトーイって呼び捨てなのも……って、これを考えだしたらきりがないわね」

 前にも、ヒスイと同じようなやりとりをした記憶がある。

 トーイがラグマットの上に座ったのを見て、ツェリシナもクッションを持って隣に座る。今は誰もいないので、行儀が悪いと怒られることもないだろう。

 ツェリシナはトーイの頭を撫でながら、ずっと聞いてみたかったことを口にする。

「ねえ、トーイ。……ツェリン村は、どうかな? 私なりに頑張ってはいるんだけど、上手くいかないことも多くて」

 もしかしたらいつかみんなに愛想をつかされてしまうのでは……なんて不安も、たまに浮かんでくる。

 トーイはツェリシナをじっと見つめて、ぱっと笑顔になった。

『僕はツェリン村が大好きだよ』

「本当?」

『うん。みんな優しいし、動物たちも仲良くしてくれるし。警備兵の人たちは夜中でも村を守ってくれてる。あと、作物も美味しいし!』

 トーイが嬉しそうに話すのを聞き、ほっと胸を撫でおろす。

「そういえば、トーイはジャガイモを美味しそうに食べてたもんね。生だったけど、大丈夫だった?」

『うん、美味しかったよ! 僕は毒が効かないから、何でも食べられるんだ』

「ええっ!?」

 まさかそんな切り返しをされるとは思わず、ツェリシナは焦る。しかし効かないからといって、ほいほい毒物を食べられたらたまったものではない。

「でも、ひとまず大丈夫でよかった。もしかして、調理した方がいい?」

『んー……どっちでも大丈夫! でも、自然の素材そのままの味が好きかも』

 だから別に調理はいらないのだと、トーイが言う。

「そうなのね、わかった」

 なら、今度は生で美味しく食べられる野菜を育てようとツェリシナは思う。村で育てたい作物は、まだまだたくさんある。

『ヒスイもだけど、ツェリ様も頑張り屋さんだね』

「え?」

 ふいに投げかけられたトーイの言葉に、ツェリシナは目を瞬かせる。そういったことは、あまり人に言われたことがない。

「そうかな……。私は、まだまだ足りないことが多いんじゃないかって考えてばっかりだよ」

『えぇぇ、ツェリ様はツェリン村のみんなの顔を見てないの?』

「顔?」

『そうだよ。みんな、ツェリ様に会うとすっごく嬉しそうな顔で笑うんだよ。ツェリ様のことが大好きだもん』

 トーイはツェリシナに顔を近づけてきて、『僕も好きだよ』と頬にすりすりしてくれる。もふもふが触れて、とても気持ちいい。

「ありがとう、トーイ! …改めて言葉にして言ってもらえるのって、すごくいいね。私、ちゃんとみんなのために頑張れてたんだね」

『そうだよ』

 トーイが肯定し、ツェリシナの頬をぺろりと舐める。そのくすぐったさに、ツェリシナは身をよじる。

「あはは、トーイったらくすぐったいよ~!」

『えへへ~』

「そうだよね、私は普段お淑やかなことばっかで、二人きりじゃないとこうやってじゃれたりできなかったもんね」

 ツェリシナはトーイを撫でまわし、抱きしめてそのもふもふを堪能する。ふわふわで、まるで綿に包まれているかのようだ。

「ふふっ、気持ちいい」

『今日はいっぱい僕をもふもふしていいよ! もふもふは癒しなんでしょ?』

「あ~~~~っ、それも聞かれてたのか!! 恥ずかしい!!」

 トーイは喋れないからと、抱きついてもふもふは癒しだと言ったことを思い出す。

『あとは、なんて言ってたかなぁ~』

 にやにやするようなトーイの言葉に、ツェリシナは「やめてー!」と必死に叫ぶ。これ以上、恥ずかしい過去を掘り返さないでほしい。

 そして一つ、重要な案件があることを思い出す。あれはトーイの前で、食べてしまったもののことだ。

 ヒスイが楽しみにしていたが、間違えて食べてしまった……。


「お願いだから、うっかりヒスイのプリンを食べちゃったことは内緒にしてええぇぇっ!」



 自分の出した声に、ハッとする。

 そして自分の置かれている状況を確認する。ラグマットに座っていたはずなのに、ソファに移動している。

 トーイもいない。

「……もしかして私、居眠りしてた?」

 息をついてソファから立ち上がって、ぐぐっと背伸びをする。なんだか、不思議な夢を見ていたような気分だ。

「っと、そうだ今日はツェリン村に行くんだった!」

 すぐに準備しなければと思い、ヒスイを呼ぶ。すると、トーイも一緒にやってきた。

「荷物はもう準備できていますよ」

『おやつも持ったよ!』

「そう、ありがとう……って、夢じゃなかったー!!」

 屋敷に、ツェリシナの叫びがこだました。

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