百花宮のお掃除係 転生した新米宮女、後宮のお悩み解決します。/黒辺あゆみ
<もし舞台が大正ロマンだったら>
いつもよりちょっといい着物を着た
「うわぁ、大きなお屋敷だなぁ」
雨妹が高い白塗りの壁が延々と続く広すぎる敷地に、ポカーンと口を開けて呆けた顔になっている。
けど、いつまでもこうしてはいられない。
ゴンゴンゴン!
「すみませーん!」
雨妹が大きな門の隣にある、小さめの戸にノッカーを鳴らす。
「何用か?」
するとしばらくしてから戸がかすかに開いて、中にいる人からそう問われた。
「あの、私は
雨妹が名乗ると、戸が大きく開けられる。そこに立っていたのは警備らしき制服を着た男だった。
雨妹は一瞬「警察!?」と驚いたが、これだけ広いお屋敷なので、私的警備員くらいいて当然かと考え直す。
「新しい家政婦のことは聞いている、入れ」
警備員にそう言って顎で中を示され、雨妹は戸をくぐる。
――ふわぁ、中のお庭も立派だなぁ。
門の中は、まるで自然の風景を切り取って縮小したような庭園が広がっていて、ココが街中であることを忘れそうだ。
「真っ直ぐに歩いて行けば、お屋敷が見えてくる」
「そうですか、分かりました」
警備員に言われ、雨妹は礼にペコリと頭を下げてから、庭に敷かれた道を歩き出す。
そう、実はまだお屋敷の建物が見えていないのだ。なにせ、小高い丘が丸ごと敷地であるらしいので、どれだけ広いのか知れようというものだ。そこいらの公園よりも広いかもしれない。
門から結構な距離を歩いて、途中でこのお屋敷で飼われていると思われる犬が、夢中になって地面に穴を掘っているのを横目に眺めつつ、進むことしばし。やがて目的のお屋敷の建物が見えてきた。
お屋敷は洋館で、家というより絵で見たお城みたいだ。そしてその洋館の玄関らしきあたりにも、警備員が二人立っている。
雨妹が彼らに門でやったように名乗ると、この場で待つように指示された。
「家政婦というのは、お前か?」
そして現れたのは、長い黒髪を後ろですっきりと束ねた、執事服の青年だ。凛々しい顔つきだが、それが今鋭い視線で雨妹を見下ろしている。
「はい、張雨妹と申します」
「年配の者が来ると聞いていたのだが?」
そう、青年の言う通り、本来ここでの仕事は雨妹が受けるものではなかった。
「楊さんはですね、ぎっくり腰をしてしまいまして。私が代わりに参りました」
「……なるほど、それはお見舞い申し上げる」
雨妹が告げた事情に、青年は一瞬目を伏せた。
「では張雨妹であったか、入れ」
青年に導かれて、雨妹は洋館の中に入る。そして移動しながら聞かされた内容によると、どうやらこれまで長く勤めた家政婦がそろそろ身体がきつくなってきたと引退したらしく。雨妹はその補充要因であるそうだ。
「仕事は基本、館内の掃除だ。小さな塵一つ見逃さないように。分からないことは私に聞け。私は
「承知しました」
そうしてあらかた説明されたところで、控室として使っていいという部屋に到着した。仕事内容も聞いたことだし、雨妹は早速仕事に取り掛かることにする。
――掃除は得意だよ、私は!
持ってきていた割烹着を着物の上から被り、掃除道具を借りたら早速作業開始だ。前職者が年齢による衰えが理由の退職なこともあり、目立つ所は綺麗にしてあるものの、目につきにくい箇所は結構埃が溜まっていた。これは掃除のし甲斐がありそうだ。
これから勤務する挨拶のために台所を訪れたところ、そこで働く美娜という女性におはぎを貰ってしまった。おはぎは好物であるので嬉しい限りだ。
甘味でやる気注入したところで、まずはお屋敷の顔である玄関ホール付近を掃除しようと、雨妹がせっせと仕事に励んでいると。
「おや、見ない顔だね?」
玄関ホールから続く階段を、スーツ姿の青年が降りてきていた。立彬情報だと、確かこのお屋敷の主の跡取りで、
雨妹は掃除の手を止めて、ペコリと頭を下げる。
「本日から働いております、張雨妹と申します」
「そう、雨妹か。掃除ご苦労様」
若旦那は軽く微笑みを浮かべると、そのまま通り過ぎて行った。
身なりはもちろん、姿も格好良い男だ。そして金持ちオーラを背負っている気がする。まさに、雨妹とは別世界の人間だろう。今流行のロマンス小説だと、使用人の娘とただならぬ仲になって駆け落ちする役が似合う気がする。
「……ボーッとしていないで、掃除だ掃除」
しばし意識を飛ばしていた雨妹だが、現実に戻って掃除を再開する。
その様子を、陰から密かに見つめる視線があるなんて、これっぽっちも気付くことなく。
大きな窓というものは、拭くのは大変だが、綺麗になった後の爽快感は格別だ。
雨妹が居間にある大きな一枚ガラス丁寧に拭いていると。
「キャアーッ!」
外から悲鳴が聞こえた。
――声のした方って、離れがあるんじゃなかったっけ?
立彬情報を思い出す。確か、主の母君が住まう建物だったか。そちらから悲鳴がしたとあれば、なにか事件の匂いがする!
生来の好奇心が抑えられない雨妹は、窓を拭いていた布を割烹着のポケットに突っ込み、離れへと駆けていく。
離れではテラスのある部屋で、お団子頭の女中がオロオロとしていて、床に豪奢な衣装を着ている夫人が倒れていた。
「奥様、しっかりなさってくださいまし奥様! ああ、誰か早くお医者様を……!」
「あの、どうかしましたか?」
泣きそうな顔で狼狽える女中に、雨妹は離れを囲む柵の外から声をかける。
「それが、奥様が突然倒れられて、あなた、早くお医者様を!」
「何事だ!」
女中がパニックになっていると、そこへ立彬がやってきた。
――あ、掃除をサボってここにいるのがバレる!
慌てる雨妹だが、時既に遅しだ。立彬は雨妹に気付いてジロリと見てくるが、こちらを叱るよりも、女中に話を聞くことを優先したようだ。
「一体なにがあった?」
「わからないんです、本当に突然倒れられて、もしかして、毒を召し上がってしまわれたとか……!?」
物騒なことを言い出した女中だが、金持ちは毒の心配を日常的にしているのか? そんな日常は嫌だなと思いつつ。
「ちょっと失礼」
雨妹は着物の裾をからげてから柵を登り、離れの敷地に入り込む。この場面を楊に見られたら、「はしたない!」と叱られそうだが。
「なにを……!」
急に侵入してきた雨妹に、立彬が野次馬かと思ったのか注意しようとするが、それをまるっと無視して夫人の傍らに膝をつく。
「奥様? 大丈夫ですか?」
雨妹が夫人の肩を叩きながら大きな声で呼びかけると、「う……」と微かに反応がある。そして手を取ったり顔を触ったりした後で。
「脈も呼吸も正常、貧血もなさそう……気絶ですかね」
倒れた時に頭を打った様子もなさそうで、雨妹は夫人の体勢を楽な姿勢に動かすと、呼吸が楽なように締まった襟元を少し寛げる。
「緊急性はないようですが、念のためにお医者様に見てもらうと安心ですね」
「あ、はあ、そうなんですか」
雨妹の見立てに、女中が目を丸くしている。こんなに騒いでいるので、多分もう誰かが医者を呼んでいるだろう。
「雨妹よ、手際がいいな」
「ちょっと、看護の知識がありまして」
こちらも驚く立彬に、雨妹は夫人の横から立ち上がり、すまし顔で応じる。
「それにしても、奥様は卒倒するようなショックなことでもあったのですか?」
「あ、はい。奥様が大切になさっている指輪がなくなってしまっていたんです」
そう告げた女中が視線を向けた先に、空っぽの指輪ケースが絨毯の上に転がっていた。
「指輪がなくなった?」
立彬が怖い顔になる。普通に考えたら盗難事件なので、当然の反応か。
「いつからだ?」
「えっと、朝はあったと思います。奥様が愛でてましたから」
その指輪を暇があれば愛でるのが、夫人の日課であるそうだ。
そんな話をしていると、夫人が気付いて目を覚ました。そして開口一番に言ったことはなにかというと。
「わたくしの指輪が……!」
起き上がりながらそう言った夫人は、そして女中をキッと睨む。
「さては鈴鈴、お前が盗んだのね!」
夫人は何故か、女中を盗難犯だと言い出した。
「そんな、私はそのようなことはしません!」
女中は真っ青な顔で首を横に振る。
一気のこの場が緊迫したものになるのだが。
「お待ちください、奥様」
しかしそこに、雨妹が割り込んだ。
「なに? 会話に勝手に割り込むとは失礼な!」
「申し訳ございません、今日から雇った新入りでして」
鋭い目でこちらを睨む夫人に、立彬が雨妹の横に立って謝罪すると、こちらの頭を掴んで強引に下げさせた。
「失礼しました」
雨妹も会話に割り入ったことを謝ってから、「ですが」と続ける。
「指輪を持ち去った犯人は、こちらの女中さんではございません」
そう告げる雨妹に、婦人の眉間にギュッと皺が寄せた。
「なにゆえ、そのように言い切れる?」
立彬も、雨妹の発言に疑問を述べる。
「それは、別に犯人がいるからです」
雨妹が断言すると、その場の全員が驚く。
「雨妹よ、では誰が犯人なのだ? 即刻探し出さねば」
「そのためにですね、やっていただきたいことがございまして」
勢い込む立彬に、雨妹はとあることを頼む。
それから場所を移動し、雨妹は立彬と共に広大な庭を歩いていた。
さらに立彬は手にリードを持っており、その先に犬が繋がれている。雨妹がお屋敷に向かって歩いている道中、見かけた犬であった。
お屋敷の防犯を兼ねて、数匹の犬が放し飼いにされているそうで。その中でもこの犬を連れてきてもらったのだ。毛足が長いので、警備のためというよりも愛玩犬としての用途であるみたいで、特に夫人が可愛がっているという。
その犬をとある場所へ連れて行くと。
「ワン!」
犬は尻尾をブンブン振りながら、穴を掘り始めた。
そう、ここは雨妹が穴掘りを目撃した場所だ。
「……あ!」
すると、穴の中に光るものが見えて、立彬が犬を押しのけて手を伸ばす。
果たして、その手の中にダイヤの指輪があった。
「やっぱり、絨毯に足跡が残っていたので、こんなことだと思いました」
これであの女中の濡れ衣も晴れることだろう。
「よく気付いたな、感謝する」
「これって、特別手当が出ますかね?」
真面目な顔で礼を述べる立彬に、雨妹は聞いてみる。自分の仕事は掃除であって、探偵の真似事は業務外であるからして。
「……考えておこう」
立彬は渋い顔ながら、考慮してくれそうであった。
そんな二人を、遠くから眺める視線があった。
「父様、わざわざ手を回して初恋の君の娘さんを呼んだのでしょうに。堂々と正面から行って話せばいいではないですか」
「いや、そうは言っても緊張してだな……」
そんな男二人の会話が交わされているなど、雨妹には知る由もないことである。
***
雨妹がハッと目を覚ますと、まだ夜明けには程遠い時刻であった。
ここは百花宮の、自分の部屋だ。
「なんか、変な夢を見た……」
洋館で家政婦をするとか、前世でドラマを見過ぎたのだろうか? 立彬くらいに立ち姿が良かったら、きっと洋服も似合うだろうにとか、ちらっと思ったのも良くなかったのかもしれない。
まだ少し寝れそうなので、雨妹はもう一度寝直すことにする。
その後、夢は見なかった。
fin.
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