魔石グルメ 魔物の力を食べたオレは最強!/結城涼
<不思議な世界と不思議な本>
気が付くと、そこは王立キングスランド学園の中庭だった。
近くには級友たちと足しげく通った食堂。その近く、小鳥たちに餌をやっていた一本の木だってある。アインはそこで横になり、青空を見上げていた。
季節は春の見慣れた空だ。
すべてが見慣れた光景ではあるが――――。
(なんだろ)
少し違和感があった。そもそも自分はどうしてここに居るのかも分からないし、つい数分前まで何をしていたのかも思い出せない。
夢心地というのだろうか。不思議と非日常感が漂っていた。
「こんなところで寝ていたんですね」
聞きなれた声の主は間違わない。間違いなくオリビアだ。
「お母様! 俺たちはどうして学園……に…………」
上半身を起こして振り向くと、そこに立っていたオリビアの姿がいつもと違う。
簡潔に言うと、制服を身に纏っている。
それも、王立キングスランド学園に通う女生徒のものに。
「んんっ!?」
「そんなに私を見て、どうしたんですか?」
アインの視線を受けて、オリビアは照れくさそうに身体をよじる。
彼女の制服姿をアインははじめて見た。
スカートから覗く白い太もも。ジャケットを押し上げる豊かな胸元には湛えんばかりの艶がある。
されど、聖女と名高いオリビアの清楚さは失われていない。
シルクのような髪の毛が日光を反射した姿は聖画に描かれた天使のようで、春風に靡く髪の毛を指先でそっと整えた仕草には、王女らしい気品に溢れていた。
一言でまとめると、それはもう似合っていたということだ。
「っとと」
アインは不躾に見てしまったことを「すみません」と謝罪して。
心からの疑問を口にする。
「何というか……どうして制服を着ていらっしゃるのかと思って」
「あらあら、私が生徒だからに決まってるじゃないですか」
「ああ、道理で」
さっぱり分からん。
記憶が確かならばオリビアは学園なんてとっくに卒業していたし、彼女が通っていた学園はリーベ女学園で、王立キングスランド学園ではない。
虫の知らせというにはまた違うが。
心のうちに宿っていた違和感は、きっとこれを予兆していたのだろう。
もはや何も言うまいと。
アインはこの非現実的な光景を受け入れつつあった。
「授業まで時間がありますし、お話ししませんか? アインさえよければですが」
「何なら授業が終わるまででも大丈夫です」
「私もやぶさかではありませんけど、生徒会長の私がサボっちゃったらダメですもの。だから授業が終わるまでで我慢しますね」
そう言ってオリビアが隣に腰を下ろす。
さて、王立キングスランド学園に生徒会長という概念はないのだが……。
「俺っていつも何てお呼びしてましたっけ」
「あら、今日はオリビアさんって呼んでくれないんですか?」
なんて気恥ずかしい呼び方だろう。生まれ方もあって彼女を母というよりは、親戚、あるいは近所のお姉さんのように見ることの方が多かったが、急に呼び方を変えるのは躊躇する。
だが、この不思議な世界のアインはオリビアさんと呼んでいたようだし。
「すみません、ちょっと春の陽気でボーっとしてました。……そういえば、オリビアさんはどうしてここにいらしたんですか?」
「アインの姿が見えたから、お話したくて来たんです」
「なるほど、分かりやすくて助かります」
今一度、彼女の髪の毛が春風に靡いた。
甘い、花のような香りがアインの鼻孔をくすぐる。
実は少しだけ緊張していたが、こうして隣り合って話していると、やはりオリビアはオリビアだった。呼び名と互いの関係性が変わっているだけで、いつもと同じように話せたことがありがたい。
――時間が過ぎるのが早く感じる。
もう少し話していたい、アインの方が名残惜しさを感じだしたところへと。
「こーこに居たのニャァァッ!? オリビア! 私がどれぐらい探したと思ってるのニャッ!?」
不意に現れたカティマにより空気が変わった。
猫によく似た種族のケットシーである彼女はヒゲを立て、興奮した様子である。
「お、お姉さま?」
「ほりゃ! 早く私の手伝いをするニャ!」
「急にどうされたのですか!? 私はアインとお話を――――それに、もうすぐ授業があるんですよ!?」
「二人は毎日昼休みに話してるニャろッ! 授業は私が教官権限で免除するから、さぁさぁさぁ! 早く私の研究室に来て手伝うのニャッ!」
あっという間の出来事だ。
オリビアは急に現れたカティマに連れられて、カティマの研究室とやらに連れていかれてしまう。最後、唇を尖らせて、力なく腕を伸ばしたオリビアには、さすがのアインも哀愁を感じてしまった。
「…………もう、誰が来ても驚かないな」
カティマが教官だとしたら、次に出てくるのは誰だろう。
自由授業制の学園のはずなのに授業参加が義務付けられている。オリビアの言葉からそれを予想したアインはどうしたもんかと思いつつも、とりあえず、自分の教室だったはずの場所へ向かって行った。
◇◇◇
教室はいつもと同じで、バッツにレオナード、そしてロランの姿もあった。
ただ、少し落ち着けたと思ったのも束の間。
「おいアイン、お前の席はあっちだろ」
バッツに言われ、そして彼が指さした席に目を向ける。
……次はこう来たか。
もうどうとでもなれと考えて、アインはその席へ足を進める。一歩、また一歩と近づくにつれ第一声はどうしようかと考えて、席に座ってからは何も言わず教壇の方を見た。
すると。
「ギリギリだったのね」
と、彼の隣の席に座る少女が声を掛けてきた。
「ちょっと色々あったんだ」
「知ってるわ。カティマ教官がオリビア先輩を探して駆けまわってたもの」
「目立つよねあれ。……えっと、クローネ?」
名を呼んで、隣の席のクローネを見た。
やはり、制服は王立キングスランド学園のもの。
ついでに言うと、彼女の名を恐る恐る呼んだのは、この世界での呼び名が呼び捨てで正しいか自信が持てなかったからである。
「ええ、クローネよ」
「何て言うか制服、似合ってるね」
「ふふふっ、ありがと。アインも凛々しくて素敵よ。急に褒めてくれるなんて、何かあったのかしら?」
「特にないけど、ここでしか言えない気がしたからさ」
「もう、変なアインね」
冷静に讃えてみたものの、アインの胸は密かに早鐘を打っていた。
このシチュエーションは夢でも見た記憶がない。クローネと同じ学園に行ってみたいと願ったことはあるが、まさかそれが同級生で、しかも隣の席になれるなんて。
すぐ隣の席から、横目でくすっと微笑みかけてきた彼女はいつも以上に眩かった。
オリビア同様、制服が似合っているのは言うまでもない。
いや、実際には口にして褒めたのだが。
何にせよいつもと雰囲気が違い、オリビアにしたようにまじまじと見てしまう。
長い睫毛も、そして色艶が良くてアインを誘って止まない唇にだって。
すぐ隣の席とあって、くすみ一つない白磁の肌も良く見える。瞳は精緻に整った容姿の中でも更に際立ち、宝石のよう。
可憐さの中にも凛として、この教室の中でも、彼女の周囲は舞踏会のような華やかさが漂っていた。
「ねぇねぇ」
クローネがアインの目線に気が付いて、そっと椅子を近づけた。
「急に情熱的な目で見つめてきて、どうしたの?」
「ごめん、ちょっとボーっとしてただけ」
「ほんとに? その割には熱がこもっていたみたいよ」
「き、気のせいじゃないかな」
「どうかしら、心なしか頬も赤らんでるみたい」
たった数センチだが、距離が詰まる。
呼吸をする音すら聞こえそうなほど近く。
長い睫毛を数えられそうなほどに。
すると――――。
扉が大きな音を立てて開かれる。
「さーて、ガキンチョ共! 午後の授業の時間だニャァァッ!」
駄猫の襲来にアインは心から感謝して、ほっと胸を撫で下ろす。
「残念。時間切れみたい」
「俺は安心してるよ」
「ふふっ、なら授業が終わったらまた聞かないとね」
藪蛇だったか。
アインは苦笑してからカティマを見る。
「私は自分の研究で忙し――――じゃニャくて、急用なので自習とするニャッ! 教科書の50ページから――――」
果たして教官としてその対応でいいのかという疑問は残るが、どうせ現実世界ではない。
ツッコむことをよしたアインは「教科書?」と小首を傾げてしまう。
「もしかして、忘れちゃった?」
察してくれたクローネはそれ以上聞かず、更に椅子をずらしてアインに近づいて、そのまま教科書を広げた。
「ありがと、後で何かお礼をするから」
「いいの? なら今度の休日、一緒にお出かけしてくれる?」
「そのぐらいでいいなら喜んで」
悲しきはその約束が現実世界のものではないということぐらいだ。
やりとりはこのあたりに。
アインはクローネが広げた教科書に目を向け、自習の範囲というページを眺める。別に難しいことは書いていないが、教科書以外に気になることがあって……。
(ち、近い)
一冊の教科書を二人で見るのだから、そりゃ近くて当然だ。
が、これは近すぎやしないだろうか?
肘なんてもう擦れるぐらい近くて、二の腕なんかは既に密着していた。
これでは自習どころではない。何か打開策でもないかと考えているところにクローネの視線を感じ、彼女を見てみると。
「ふふっ」
小さく笑い、いつの間にか取り出していた可愛らしいメモ帳にペンを滑らせる。
そうして書かれたのはアインへの問いかけで、アインはそれを見て敗北を悟った。書かれていたのは「ドキドキする?」という単刀直入な問いかけだ。
(……そりゃ)
してるよ、こう答えられたらどれほど楽だろう。
でも、全面的な敗北を喫するのも気に入らない。だから逆にからかいたい。クローネが書いた字の下へ「二の腕越しに鼓動が聞こえる」書いてみる。
「ッ――――!?」
すると、クローネはハッとして身体を揺らしたが。
間もなくはったりであると察して、アインにだけ聞こえる声で「……意地悪」と呟いた。
『お互い様だよ』
『ふぅん、ドキドキしてるのが?』
『意地悪なのもね』
『…………顔、少し赤くなってるわよ?』
筆談を交わして、最後は互いの顔を見て笑い合う。
『それもお互い様だから、気にしない』
クローネの白い肌を彩る仄かな紅は決して気のせいではない。
――――髪の毛をかき分けたとき、実はうなじまで紅く彩っていたのだから。
◇◇◇
放課後のアインがそろそろ現実世界に戻れないかなーと学内を彷徨い歩いていたところで、連絡通路のベンチに座ったクリスの姿に気が付いた。
例によって彼女も制服姿である。
茜色の夕暮れを背に、自慢の金糸の髪の毛が彩られる。
先に目にしていた二人と同じで、彼女の制服姿も確かに似合っていた。
スタイルの良さは言うまでもなくて。オリビアに劣らぬ気品に加えいつもと違う服装も相まってか、クローネのような可憐さだって漂わせる。声を掛けることを躊躇わせるほど、精緻に整った美貌。一見すれば女神のような荘厳さもあるが、見守りたくなるような小動物らしさを共存させていた。
それは今の彼女が菓子パンを手に、幸せそうに頬張る姿が保護欲を刺激したから。
「……あっ」
ふと、彼女の手元から転がり落ちてしまう菓子パン。
包装に使われていた紙から滑って、重力に従うままに地面へと向かう。無意識のうちに駆けていたアインが菓子パンを救えたのは、地面に届く寸前のことだった。
「ありがとうございますっ! ……って、アイン君!?」
(すごい新鮮な呼び方だ)
アインはこう考えながらも、菓子パンをクリスに返した。
彼女の呼び方は何となく予想できた。
「クリス先輩のおやつですか」
「あはは……実はお昼ご飯なんですよ、コレ」
「あれ、昼休みはどうされたんです?」
「カティマ教官に連れ去られたので、ご飯を食べる時間が無かったんです。おかげで授業中、お腹が鳴らないか心配で心配で……」
「耐えられたんですね」
「いいえ、授業が終わった瞬間に鳴っちゃいました。恥ずかしくなってここに逃げて来たんですよ」
頬を掻いて明後日の方向を見た彼女は羞恥心に耐えるので必死だった。授業が終わってからは、それはもう顔を真っ赤にして逃げて来たに違いない。
この世界でも他人に迷惑をかけるなんて、さすがカティマと言ったところか。
「あっ、そうだ! アイン君も一つどうですか?」
クリスはベンチに置いていた鞄を開けると、同じ菓子パンを取り出した。
「ご飯を救ってくれたお礼にお一つどうぞ」
「では遠慮なく」
「良かったです。実は一人でご飯を食べるのも寂しかったので、アイン君が来てくれて助かりました」
「もしかして――――」
「むぅ、何ですかその目は! ちゃんと友達は居るんですよ! ただ今日は恥ずかしかったので、私は脱兎のごとく逃げてきたってだけなんですから!」
そう言うと菓子パンを頬張った。
横顔は本当に幸せそうで、空腹を満たせている現状への喜びが凄まじいようだ。
アインはアインで、受け取ったばかりの菓子パンに目を向ける。
甘い香りはカスタードに似ており、思わず生唾を飲み込んだ。
「いただきます」
溢れんばかりに詰め込まれたクリームで自然と頬が緩む。
「アインくーん、頬にクリームが付いちゃってますよー?」
「えぇー……どこですか?」
「下唇の近くです。この辺です」
と、クリスは自分の頬を指さした。
アインは取り出したハンカチで拭き取ろうとするが、どうやら場所が違うらしい。
「仕方ありません、さっきのお礼です」
すると彼女の手が伸びてアインの頬に届く。
あまりに自然な動きだったため、つい、アインも大丈夫というのを忘れ、思わず彼女の手を受け入れた。
細い指先が頬を滑るように動いて、付着していたクリームが拭き取られる。
「はい、綺麗になりました」
「っと……ありがとうございます」
「あのあのあの、アイン君!? はにかまれると私も恥ずかしくなりますってば!」
「そんな理不尽な……」
今更、大胆さを自覚されてもすでに遅いというのに。
照れ隠しのため、菓子パンの残りを一気に頬張りだしたクリス。頬がまるでハムスターのように膨らんだ。
(なんか、新鮮な光景ばっかりだったなー)
皆と同じ時代に同じ学園に通っていたら、そして関係性が違ったらこういう世界もあったのかもしれない。
現実世界の良さは否定できない。
しかしこの世界が現実だったとしても幸せだった――――こう確信を抱けたと同時に、アインの視界が急な揺れに襲われる。
隣にいたはずのクリスの声が遠ざかり、いつしか自分の意識も遠ざかる。
……きっと現実世界に戻るのだ。
この世界に名残惜しさを覚えるも、アインはそれからすぐに意識を手放した。
◇◇◇
目が覚めるとそこは城内の自室。
机に向かったまま、仕事の最中に寝落ちしていたらしい。
時間は……深夜の二時を回った頃だ。
(夢か)
妙に現実味に富んだ夢だった。
うんと背筋を伸ばし、強張った身体をリラックスさせてみると。
「ニャ? もう起きたのかニャ?」
何故か部屋にいたカティマがソファの上で声を発した。
「なんで俺の部屋に?」
「覚えてないのかニャ? 面白い本が手に入ったからって来てたんニャけど、アインは私が手洗いに行ってる間にその本を開いて、勝手に寝落ちしてたのニャ」
「言われてみればそんな感じだったような……まだ少し寝ぼけてるからあれだけど、そんな気がしてきた」
机には見慣れない本が一冊あった。
表題には『短編集:五周年祝いを共に』とある。
しかし、開かれていたページは白紙だ。
「白紙じゃん」
「でも魔力が宿ってたのニャ。不思議な本もあるもんだニャーって思ったから、アインにも見せに来たってとこニャ」
「へぇー……良く分かんないね」
「ま、不思議なものってそういうもんニャ」
「あれ、でも他のページが急に光りだしたような」
「ニャニャニャッ!? 本当かニャ!?」
カティマが勢いよくソファを飛び跳ねて駆け寄る。
アインが座る椅子の後ろ側から本を覗き込んできた。
「五周年……何の記念だろうね」
「周年って言葉には、重要な情報の香りを感じるのニャッ!」
年月を積み重ねてきた事実にカティマの知識欲がくすぐられた。
「お、おう……そうかもね」
「面倒な反応をする甥っ子だニャー! ったく!」
「でもさ、カティマさんが騒いでるのはいつものことだし」
と、アインが半ば呆れて言い返す。
「うにゃァーッ! いいから! さっさと本を読むのニャッ!」
耳元で叫ばれたことに文句は言わず、アインは本に手を伸ばした。
すると本が極彩色の強烈な光を発して二人を驚かせる。
「なんかワクワクしてきたかも」
「私もだニャ。いやー、何が書かれてるのか楽しみニャ」
タイトルには短編集とあったはず。
光る本に描かれた物語なんて考えるだけで気分が高揚する。ついさっきの不思議な世界での出来事を思い返すと、期待せずにはいられない。
――――本に描かれているのはきっと、心躍る物語ばかりだろうから。
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