第18話 襲撃


 あまり音を立てないよう草原の間はゆっくりと走り、街道に出ると速度を上げた。ヴァンの傷を癒すためとはいえ、かなりの日数を過ごした。もう、どこで追手と遭遇してもおかしくない。早く進めるなら進んだほうがよい。


 街道の先に低い山が見えてくる。山はまだまだ先にあるように見えるが、かなり手前から道は緩やかな上り坂になる。周囲は草原から木々が目立つようになり、徐々に密度を増して山裾の森へと続く。新葉が芽吹くにはまだ早く、枯れ木が連なる荒涼とした景色が、馬の速さに合わせて流れていく。


 山の麓に着くと、いよいよ勾配が急なつづら折りの山道だ。乗馬していたものは馬を降り、手綱を引いて馬の負荷にならぬようゆっくりと時間をかけて登っていく。坂を登りきると山の頂上は開けており、彼方まで見渡すことができた。山を越えたその先は、想像以上に荒漠とした大地であった。


 地平線の先には薄っすらと森のようなものが見える。あの森を越えた先に目的地であるエデンがあるはずだ。荒れ野を目印もなく走るよりは、目指す先が見えている分だけ気持ちが楽になった。それでも、まだまだ相当な距離がある。ヴァンは覚悟をあらためるように大きく深呼吸すると、馬に跨り鞭をいれた。


 直後、後方の馬車で周囲を観察していたポシェが、ちょっと待ってと声を上げる。慌てて手綱を引いたヴァンは馬から落ちそうになった。


 ポシェは遠眼鏡で先ほど通って来た林間の街道を見ている。


「土煙が見える。馬が数頭こちらに向かって駆けてくる。追手かもしれない」


 みんなは一斉に言われた場所を注視する。馬の数までは分からないが、確かに土煙が見える。そう遠くはない。


「なんだ。草の民か。誰か忘れ物でもしたか、それともオルドが追っかけてきたのか」


 わざとらしく冗談を言うコルヌに対して、ポシェが、違う、と厳しく言い返す。


「黒い祭服キャソックを着ている。ラグに違いない。追手だと思う」


「何人いる。正確に数えてくれ」


 ヴァンがポシェに並んで遠方を眺めながら言う。


「ちょっと待って。えっと、五人。うん、馬が五頭で人が五人だね」


 驚いて、ヴァンとコルヌは顔を見合わせる。

 コルヌは肩透かしを食らったように、緊張を解いて全身の力を抜くと、ポシェから遠眼鏡を奪い取って覗き見る。


「本当だ。たったの五人とは、随分と見くびられたもんだなあ」

  

 不満顔で遠眼鏡をポシェに返す。予想外に追手の人数が少ない。こちらは実戦経験も豊富なギルドだと言うのに舐められたものだ。


「ヴァンは左腕はもう大丈夫なのか」


「ああ、完全に元通りだ。普通に使える」


「どれだけの魔導士か知らないが、五人なら二人だけでも大丈夫じゃないか」


「さあ、どうだろう。とにかく、こんな狭いところでは分が悪い。坂は下ってしまおう」


 ヴァンはそういうと馬車を先に行かせ、再び自分の馬に鞭を入れる。


 ヴァンとコルヌは最後尾で並走しながら算段をする。

 逃げ続けるのもいいが、いずれ追いつかれるのは目に見えている。二人はこの人数なら対処できるという意見で一致し、坂を下りきって平地に出たところで迎え撃つことにした。


 平地に下り、ある程度の距離を走ったところで一行は足を止める。追手はまだ山の頂上にも着いていないようだ。ヴァンはこの場所で迎え撃つと皆に伝え、短い休息をとらせた。ヴァンは皮袋の水を飲み気持ちを落ち着かせ、腰の両脇に下げている二本の短剣を確認する。コルヌも投げナイフの準備をする。


 ポシェは取って置きだという魔道具を手にしている。鏃の先に筒のようなものがついていて、そこから紐状の導火線が伸びている。導火線は先日の光玉についていたものと同じだ。


 風除けの着いた真鍮の皿の上に麻を束ねた火口ほくちを置き、魔法で火を着けて火種を用意する。導火線の先端という点に火をつけるには、このやり方が最善らしい。直に魔法を使うと間違えば筒ごと燃えだすこともあるのだという。


 グランは、馬たちが暴れぬように、ヴァンとコルヌが乗っていた馬を引きつれて、馬車ごとさらに後方に離れていく。アリサはその場にじっと立っていたが、先日の狼の一件以来妙に度胸がついたのか、山の頂上を見据えながら不敵な笑みを浮かべている。もしかすると仲間の中で一番根性が座っているのかもしれない。


 一団が山の頂上に到着したのが見えた。向こうも一旦足を止めて、こちらを見ている。先頭の馬に乗っていたものが周りのラグに何やら指示をすると、一気に坂を降り始めた。平地に出ると並びを縦列にして向かってくる。縦列だと先頭の馬以外は隠れて見えない。矢を放っても先頭にいるものにしか当たらないし、奥の馬を的にしようとしても距離感がうまくつかめない。なるほど訓練がされている。


 ヴァンの背後では、そんなラグの動きを気にも留めず、ポシェが導火線に火をつける。導火線がチチチと音を立てる。弓を大きく引き絞り、馬群に向かって打ち込んだ。


 矢は先頭の馬を飛び越え一団の後方に落ちる。落ちた途端に地面から轟音が響き、火炎とともに爆発する。後方二頭の馬が驚いて後ろ足で二足立ちになり、馬上のラグは直下に落馬する。これで隊は分断された。コルヌが、こりゃすげぇなぁ、と驚きの声を上げる。


 前の三頭は後ろを振り返ることもせずそのまま向かってきた。


 先頭の馬に乗っていた男が、右手を差し出すと、ヴァン達に向かって火炎を打ってきた。すかさず、一団の前方にアリサが魔法障壁を作る。火炎は障壁にぶつかり跳ね返されるが、先頭の男は気にせず連続で火炎を放つ。障壁は簡単には破れないが、その間にラグが至近距離に近づてくる。


 前の三頭が横一列に並び変わる。常道だが単純すぎる。すかさずコルヌが左側の隊員に投げナイフを風魔法をかけて倍速で投じる。相手が避ける間もなくナイフが左腿に命中し、隊員は足を抱えてそのまま落馬する。コルヌは素早く近づいて組み伏せ、腕を首に回して引き絞る。男はしばし呻いたあと、意識を無くし昏倒した。


 ヴァンは距離を測り、中央の馬が目前に来たところで馬上に飛びかかった。相手は至近から火炎を浴びせる。ヴァンにはそんな魔法は効かない。馬上の男は目を見開き驚愕の表情になる。ヴァンは何事も無かったかのように男に組み付き胴体に手を回して馬から引きずり下ろすと、短剣の柄の部分で鳩尾みぞおちを殴りつけた。相手は倒れこみ呼吸が出来ずに悶絶している。


 右側を駆けていた三頭目の馬は、弧を描くように外側に膨らむと、大回りして背後からアリサに向けて突撃してくる。コルヌとヴァンが同時に駆け出す。ヴァンは短剣を順手に持ち変え、いつでも刺突できるよう構えた。コルヌも右手に投げナイフを握ると、タイミングを測っている。二対一の場面である、お互いに邪魔にならないよう視線で会話をする。


 そんな二人の連携をよそに、アリサは冷静に障壁を解除し、馬ごと突撃してくる男に右手を向けると、一閃、雷撃を食らわせた。男はそのまま後方に吹っ飛んで馬から転げ落ちる。コルヌとヴァンは自分たちの戦闘距離に入る前に敵を倒し、何食わぬ顔で二人に笑顔を見せるアリサに驚嘆する。


 後方の分断された二頭が遅れて追いついてくる。ただし、先の三頭の顛末を見てか距離を詰めずに様子を窺っている。そんな二人に対して、アリサが躊躇なく雷撃を落とす。


 呆気なかった。コルヌは、なんか物足りねぇなと呟いている。元々二人でも大丈夫とは思っていたが、アリサの活躍で、思った以上にあっさりと片が付いた。何よりもアリサの暴君ぶりには皆が仰天している。アリサを本気にさせたら誰よりも恐ろしい。味方で良かった。


 コルヌとヴァンで手分けして五人を縛りあげると、そのまま地面に転がした。雷撃をくらった三人はまだ意識が朦朧としている。グレンがコルヌに投げナイフ投じられた男のところに行って、傷を治療をしている。男が痛い痛いとあまりに騒ぐものだから、男のくせにだらしないと言って思いきり頭をこずいている。


 ヴァンに馬から引きずり落された男だけが、こちらを睨みつけている。ヴァンが以前ルブニールの街中の騒動で見かけた、隊長と呼ばれていた男だった。


 治療を終えたグランがその男の前に立ち声をかける。


「あら隊長様じゃない。久しぶりね。こんな遠くまでご苦労様」


「貴様は世話係の。お前の手引きか。衛兵を眠らせたのもお前か」


「ご名答」


 グランは得意げに笑っている。

 アッシュはヴァンを睨みつけると吐き捨てた。


「お前は何者だ。卑怯な魔法を使いやがって、魔族の生き残りか」


 また魔族かとヴァンは吐息する。


 ヴァンはもやは恒例となった道化顔で威張って見せる。


「残念だが魔族ではない。おれは偉大なる魔王だ」


 後ろでポシェが噴き出している。

 なによ、案外、気に入ってんじゃない。今回は私はやれって言ってないからね。


 アッシュは戯言に付き合ってられるかとばかりにヴァンを問い詰める。


「お前たちは何が目的なんだ。アリサを連れ去ってどうするつもりだ」


「旅をしている。それだけだ」


「ふざけるな。おれは真面目に聞いているんだ。お前らがしていることは誘拐だぞ」


「何を言っている。アリサを軟禁したのはお前らの方だろう。俺たちは気の毒なお姫様を助けただけだ」


 アッシュは、ヴァンの的を得ない返答に苛立ち、くだらぬ問答をしたいわけではないと、歯ぎしりする。


「はぐらかすな。私は目的を聞いているんだ。旅というならどこへ行くつもりだ」


「そんなことお前に言う必要はない」


 アッシュは益々直情的になるが、ヴァンは一向に真面目に取り合わない。

 アリサが前に進み出て、ヴァンの人を嘲った態度を遮るように割り込む。


「アッシュ。あなたこそ何をしているの。なんで私を監禁したの」


「理由は知らん。枢機卿の命令に従っただけだ」


 今度はグランがアッシュの前に仁王立ちになり、侮蔑を込めた表情でアッシュを見下す。


「それはそれは、従順な枢機卿様の犬だこと」


「なんだと、貴様、愚弄する気か」


「あら怒ったのかしら。ごめんなさいね」


 アリサが二人の間に体を入れる。

 もう、これじゃ一向に話が進まないじゃない。

 

 よっぽどアッシュが嫌いなのか口を出さずにいられないグランを無理やり制して、アリサは真面目な顔で続ける。


「アッシュ。あなたも粛清された村は見たはずよね」


「ああ、見たさ。シェーブルに戻り、調査と犯人の捜索を依頼した」


「そう。我々の見立てではあれは教会の仕業よ」


「ふざけたことを。何故、教会がそんなことをする必要がある」


「それが分からないの。それが分からないからその秘密を明らかにするために旅をしているの」


「貴様が言っている意味が分からない」


「いいわ、事情は後でゆっくり話してあげるから」


 考えは決まったとばかりにアリサは皆のほうに向き直る。


「ねぇ、この人も連れて行ってもいいかしら」


 投げナイフに着いた血を、刺した男の衣服を切り取った布で丁寧に拭っていたコルヌが答える。


「危なくねぇか。道中何されるか分からんぞ」


「大丈夫よ。この人はラグの隊長でアッシュというのだけど、教会の裏側については何も知らずに隊長をやっているの。少し前の私と同じよ。今回の件も明らかに巻き込まれてる感じだし」


「そうは言ってもなぁ。面倒はご免なだよな」


「うん、でも、例えば何か教会の秘密を知ったり、真実の一端が分かったとしても、誰にも取り合ってもらえないはず。それならいっその事、ラグの隊長にも同行してもらって、一緒に真相を究明してもらえばいいかと思って」


「どうだかなぁ。ただ、こいつら、このまま帰れって言っても素直に帰るわけないし。どこかでまた襲われても、それはそれで面倒だしなあ」


 言うは道理だが心底は納得できない、なんとも渋々という風である。だがコルヌの意見も最もで、このまま縄を縛った状態で放置しておくわけにもいくまい。


 旅を通じて何時からか、こういうときはヴァンの判断に任せるという空気が出来上がっている。


「俺たちが請け負っているのはアリサの旅の同行と護衛だ。アリサが誰と旅を一緒にするかは、俺達には決められない。アリサが連れていくというのであれば、それに従うってことでいいんじゃないか」


 ヴァンの決断は明快だった。アリサがヴァンを目を見つめながら、ありがとうと礼をいう。見つめ合う二人を快く思わないポシェは、ヴァンの腕に手を回して抱き着くと、私はいつでもヴァンの言いなりよと甘え声で言う。ヴァンはやめろと言って逃げようとするが、なかなか離してもらえない。


 グランがアッシュのほうに向かって、今度は茶化すことなく確認する。


「あんたはどうするの。私たちと一緒に行く気はあるの。ただし私たちに手出ししないことが条件だけど」


 アッシュは考えている。予想外の事態になった。捕縛の任を負い今まさに追跡している罪人連中と一緒に旅をするだと、考えられない。


 だが・・・。


 そもそもアリサが何故軟禁されたのか理由を知らないのは事実である。誰かに粛清された村人を見たのも事実。村の惨劇をみて、アッシュの頭の片隅に”教会”という二文字が浮かんだのも未だに消せないでいる事実。

 教会はアッシュの知り得ない何かを隠している。事実が積み重なって頭の片隅に生まれた疑念は己自身も拭えないでいる。


「教会は何か隠している、というのだな」


 アリサはアッシュを真正面から直視する。


「そうよ。多分、何か秘密がある」


「それを見つけに行くと。当てはあるのか」


「分からない。でもとりあえず進む道は分かっている」


「ならば、私も同行しよう。条件も飲む。その代わり、他の者は解放してくれ。これ以上の手出しはさせないと約束する」


 アッシュは決意して承諾した。

 縄を解いてやると、アッシュは隊員を集めて説明する。


「私はこれからアリサ魔導士と同行することになった。傍について監視を続ける。皆はこのままルブニールに帰還してくれ、命令だ。」


 隊員たちは口々に抵抗していたが、最後はアッシュに説得されて命令に従った。

 そして副官のクロケットに向かって指示する。


「私のことは引き続き単独で追跡を続行していると言っておいてくれ。この荒れ果てた大地を越えるには、全員の命は保証できない。水と食料を全て隊長の私に託して、戻るように命じられたと。そう報告すればよい。」


 クロケットは苦渋の顔で頷いた。確かに追跡を続行したところで、この一団に勝てる気はせず、力不足の自分に悔恨の念しかなかった。ラグたちは、アッシュに水と食料を渡すと、後を託しますと告げて、帰途についた。


 アッシュは去っていくラグを見送り、その背中に向けて詫びた。彼らとて司法取締官のラグである。任務があるなら結果を残したい。あるいは、調査すべき謎があるなら共に解き明かしたいと思っているはずだ。それをこんな中途半場な状態で放りだすとは。


どこまでも未熟な隊長で申し訳ない。

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