第17話 ポシェ
ヴァンはグランが運んでくれた食事を済ますと、アリサに付き添われ、テントの外に出ることにした。
空は晴れ渡り、草原には心地よい風が吹いている。風になでられ一様に同じ向きにお辞儀をしている草原の草は、上等な馬のたてがみのように黄金色にキラキラと輝いていた。二日振りの日差しは目にまぶしく暖かかった。
もう大丈夫なのかとコルヌとポシェが近寄ってくる。草の民も興味ありげに集まってきて、周りでは子供たちがキャッキャと騒いでいる。
遠くからポシェ、ポシェと叫びながら一人の男の子が走ってきた。呼ばれたポシェは鬱陶しそうに眉をひそめる。
「ポシェ、先生の許可は貰ってきた。だから早く教えてよ」
ポシェよりいくつか年下だろうか。少年というには大きく青年と呼ぶにはまだ幼い、そんな年頃だ。ダダンが進み出て、少年の首根っこを摑まえて持ち上げる。
「丁度いい。ヴァンにも紹介しておこう。息子のオルドだ。やんちゃ坊主だがよろしく頼む」
そう言うと首をつかまれてバタバタしていたオルドを適当に放り投げる。なんとも乱暴だ。何すんだクソ親父と不満そうに文句を言うが、まだ父親が恐ろしいのか近くには寄らない。一通り言いたいことを言うと、気を取り直して再びポシェにまとわりつく。
「なあ、なあ。あの空に向かってポーンと上がっていって、パアァと光って、太陽みたいに明るくなる、あの玉のようなやつは何なんだ。頼むから作り方を教えてくれよ」
「いやだってば。そんな簡単に人に教えるものじゃ無いんだよ。お前は長の息子なんだから、騎馬とか弓とか剣とか、そっちを頑張ればいいだろう」
ポシェは素っ気なく返す。オルドは年の割には体つきが良く、顔立ちも精悍だ。ポシェにまとわりつく様子を見て、草の民の女子は気が気じゃない様子で、こそこそと小声で話している。
ポシェはそういう誤解や嫉妬も嫌そうだった。面倒くさい。ただ、どうも理由はそれだけでは無さそうだ。すぐに人と仲良くなるポシェがこんなに冷たくあしらうのも珍しい。
「なあ、教えてくれよ。先生も良いって言ってたし」
「だったら、その先生に教えてもらえばいいでしょう」
「だから、先生がポシェに教えてもらえって言うんだよ。ポシェだって一緒に聞いただろう。知りたいことがあればな何でもポシェに聞けばいいって言ってたじゃないか」
コルヌやグランがその様子をみて笑っている。腑に落ちないのはヴァンだけのようだ。先生って誰のことだ。
ポシェはまとわりつくオルドを無視して、ヴァンの腕を掴むと引きずるようにして歩き出す。一つのテントの前に到着すると、ここだというように顎をしゃくる。中に入れということか。ヴァンが、テントの幕を開け中に入ると壮年の男が一人立ってこちらを見ていた。見覚えがある。
「クローゼ?まさかクローゼか」
そこにいたのは、ポシェの父親であるクローゼだった。
「おお、ヴァンか。懐かしいなぁ。傷はもう大丈夫なのか」
「ああ、おかげさまで。ところで、なんでクローゼがここにいるんだ」
「ここ最近は草の民にお世話になっていてな。一緒に生活している」
「錬金術は辞めたのか」
「いや、錬金術を辞めたわけではないが、どちらかというと今は薬剤師に近いかな。主に薬の調合をしている」
クローゼはポシェの父親である。なるほど、不機嫌な理由が分かった。ポシェも難しい年頃だ、懐かしく嬉しい気持ちのはずが、どう応対して良いか分からず、冷たく突き放すような態度をとってしまう。オルドはそのとばっちりを受けているということで、可哀想にほとんど八つ当たりだ。
「へええ、薬剤師か」
「そうなんだ。知っていると思うが、草の民もギルドと同じように魔法をあまり使わない。それに相手をしているのも魔法の効かない野生の獣たちだ。肉体同士のぶつかり合いだからいつも生傷が絶えないし、魔法では治せないような大怪我もしてくる。そのくせ、草の民は森で生活したことがないから、薬草の知識がほとんど無い。それで私がたまに森に行って薬草を調達してきては、ここで調合しているということだ。なかなか重宝がられてな、皆からは先生と呼ばれているよ」
適材適所ということか。クローゼにとっては居心地の良い場所なのだろう。
ヴァンはクローゼに歩み寄り肩を叩きあいながら再会を喜び合った。コルヌとグランには既に面会済みのようだった。
ギルドの里にいるときは、クローゼは専用の作業場に籠って何か実験をしていることが多かった。それでもポシェの父親なので、ヴァンは一緒に食事をしたり、風呂に入れてもらったりと何かと面倒を見てもらうことが多かった。里を後にしたとき以来だから本当に懐かしく様々な思い出が甦る。
なんともこの旅は懐かしい人との再開の旅になってきた。自分がこれまで歩んできた人生を再確認しているようである。この先も旧縁のある人に会えるかもしれない。そして、いつかブルーノにも。
それからヴァンの傷が癒えるまでの数週間、それぞれが思い思いに草の民と共に過ごした。
コルヌは羊や山羊の放牧を手伝いながら、空いた時間は草の民の伝統的格闘術である相撲の技術を学んでいる。草の民で最も強いと言われる相撲取りに弟子入りし日夜修練した。草の民の相撲は投げ技が中心で、一般的な格闘術とは力の入れ方が違うのだと、新しい技術の習得に嬉々として取り組んでいた。
ポシェは相変わらずオルドにつき纏われていたが、いつの間にやら仲良くなり、馬の乗り方や弓矢などをオルドに教えてもらっている。ある時など、乗馬の訓練だといって二人だけで遠征に出掛け、夜半まで帰ってこないこともあった。また新しい道具の開発と称してオルドに実験を手伝わせたていた。実験に失敗したのか、二人して傷だらけで帰ってきたこともある。
そうこうしているうちに、よほどポシェを気に入ったのか、オルドは嫁にすると言い出す始末である。オルドの嫁と言えば、将来の族長の嫁である。ポシェはギルド仲間から散々からかわれた。
グランはヴァンのためと言って、クローゼについて薬草の調合を学んでいた。また、二人して遠くの森まで薬草を取りに出掛けて行った。先日は、クローゼの一番弟子と言って憚らないオルドと、オルドに歎願されたポシェと四人でわざわざ泊りがけで遠方の森まで行き、大量の薬草を取って帰ってきた。グランは久しぶりの父娘の旅になったし、ポシェにとっては良い機会だったんじゃないか、と言っている。
グランにしても、草の民の中にいる間はアリサの身も安全だろうと、随分と羽を伸ばしてきたようである。それだけ普段は気を張っているのだろう。
当のアリサは、女性たちの雑用を手伝ったり、子供にちょっとした魔法を披露して見せながら、楽しそうに過ごしていた。山羊の乳搾りをしたときは、初じめての体験に興奮したのか子供のように一日中はしゃいでいた。その上、これは私が絞った乳だと、ヴァンやコルヌに配っては無理やり飲ませていた。
それ以外は、ヴァンの傍らにいて看病を続けながら、魔法教典を読み続ける日々であった。いつの間にか、ヴァンの看病はアリサの役目だという暗黙の了解ができ上がっていて、他の者は二人の邪魔をしないよう遠巻きに見守るだけにしていた。
そうしている間に、ヴァンの三角巾もはずれ左腕も普通に動かせるようになったので、皆で話し合ってそろそろ旅に戻ろうと決めた。
その日の夜、ヴァンとアリサは揃って長であるダダンのテントに向かった。テントの中に入ると、馬乳酒を勧められたが丁寧に断り、用件を話し始めた。
「ダダン、本当に世話になった。感謝している。ただ、俺たちにも大切な目的があって、そろそろ旅に戻ろうと思う。もっとここに居たい気持ちもあるが、明日には出発したいと思っている。何と礼を言ってよいか分からない。感謝してもしきれない。俺にとっては皆が命の恩人だ。いつかお礼はしたいと思っている。ただ、それも目的を果たしてからということで勘弁して欲しい」
ヴァンはそういって深く頭を下げる。ダダンも薄々は気付いていたようである。
「承知した。今までのことは気にすることはない。これも何かの縁だ。俺たちもヴァン達の仲間であるクローゼには世話になっている。まだしばらくは一緒にいるとも言ってくれている。ところで、お前たちの旅の目的というのは一体何なんだ。差し支えなければ教えてもらえないか。もちろん、我々に出来ることがあれば協力する」
黙って話を聞いていたアリサが口を開く。
「ごめんなさい。詳しいことは言えないのだけれど。いま、この国では何かが起こっているのは確かなの。そして魔道教会はそれを秘密にしている。私たちをその秘密を明らかにしたいの。そして教会が計画していることをやめさせる、それが私たちの目的」
「なるほど。何か良からぬ噂があるのは我々の耳にも届いている」
「それでね。ちょっと聞きたいのだけど、ダダンはエデンという土地を知っているかしら」
「エデンか。ああ、聞いたことはある」
ヴァンとアリサは、遂に端緒を捕まえたと目を輝かせた。
「ここからずっと南に行った所にある。楽園と呼ばれている場所だ。お前たちは雪中の旅路だったので分からなかっただろうが、北の丘陵地帯は今は荒れ果てている。作物の収穫は少なく、村を棄てるものも多いと聞く。そういう棄村者たちが、ごぞって目指す先がそのエデンだ。水は澄み土地は肥えている、作物は実り食べ物には困ることがないという」
「ダダンは詳しい場所を知っているの」
「あくまで人伝てだがおおよその場所は聞いている。街道を南にまっすぐ進んでいけばいずれ着く。大陸の南の端のあたりに森がある。その森を抜ければエデンとよばれる広大な土地が広がっている。人も大勢住んでいると聞く。ただ、森に着くためには、”セシュ”と呼ばれる乾燥して生き物も住まないような不毛の大地を通っていかなければならない。雨は降らず水に乏しく、食料となるようなものもない。大地は砂と石でおおわれ、草木もまばらにしか生えていない。常に風が吹き砂が舞い上がり息をするのも難しい。多くの人が目指すが、また途中で息絶える人も同じぐらい多いと聞く。行くのであれば覚悟が必要だ」
「大丈夫。覚悟はできている。私たちはエデンに行きたいのではなく、行かなければならないのだから」
「分かった。行くのなら早いほうが良いだろう。草原が暖かくなる頃には、あの大地は灼熱の地獄と化す。とても人が往来できるところではなくなるらしい。水と食料は充分な分を用意しよう」
「本当に何から何までお礼の言いようもない」
「大丈夫だ。我々が水や食料に困ることはまずない。この広大な大地があれば生きていける。途中まで見送りも出そう」
「ありがとう。でも見送りは大丈夫。私たちでだけで行けるわ」
「いつ出発する」
ヴァンとアリサは二人で目を合わせ、言いづらそうにしていたが、ダダンなら分かってくれるだろうと、意を決してヴァンが答える。
「急で悪いが明日の早朝には出発したい。俺たちも皆と別れるのが辛いから、まだ寝ている間に出ていこうと思う。失礼なことだとは思うが、見送られると心変わりしてしまいそうで。皆にはダダンからお礼を伝えてもらいたい」
「お前たちの気持ちは分かった。正直に話してくれて良かった」
ヴァンとアリサは、ダダンと力強く抱擁する。アリサは泣いているようであった。草の民は本当に素晴らしい人々だ。余所者の自分たちを温かく迎えてくれ、同族と分け隔てなく接してくれた。また来よう、と心に固く誓った。
テントの外に出ると、少し離れた小高い丘の上に、クローゼとポシェが並んで座っているのが見えた。
「父さん。みんなで話し合ったのだけれど、明日には出発することになったの」
「ああ。ヴァンの調子も戻ったみたいだから、近いうちに旅立つと思っていたよ」
「また、父さん一人にしてしまうけど、ごめんね。私にはやるべきことがあるの」
「分かっているさ。お前にも仲間が出来たんだ。その仲間のために尽くせばいい」
「うん、ありがとう。私、草の民と暮らしてみて少し考えも変わったの」
「考えが変わったとは」
「今までは、私も父さんみたいに錬金術師になろうと思っていた。ルブニールの街でそれなりに頑張っていたのよ。錬金術師になって、人々の役に立つようなものを発明して、どんどん生活が便利になって・・・。そういうことを想像していたのね。
でも、草の民と暮らす父さんを見ていて、錬金術ではないけれど、私たちのような人間を必要としている人が世の中にいるかもしれないって思うようになったの。自分だけであれこれ考えて、いつか画期的なものを作って、みんなに喜ばれてというのも悪くは無いけれど、すぐそばに自分を必要としてくれる人がいて、その人達のために自分の技術を使うというのも大切なことなんだと感じたの」
「そうか。そんなこと考えていたのか。ポシェも大人になったんだな」
「そうよ、もう立派な大人よ。ただ、どちらが正しいとか優れているとかでは無いと思うから、今後どういった道に進むかはまだ決めてはいないけど。ヴァン達と旅を続けながら、多くの人に会って沢山話を聞いて、ゆっくり考えようと思うの」
「そうだね。とても良いことだと思う。私は、ポシェには子供の頃から辛い思いばかりさせて申し訳なく思っていた。親として不甲斐ないと。正直、すっかり嫌われているものと思っていた」
「確かに、ちょっと鬱陶しく思った時もあったわ。でもそれは思春期ってやつで・・・」
「自分でも分かってるじゃないか。でもポシェの考えを聞いて安心した。もう立派に一人前だ。私もポシェに負けないように自分の人生を精一杯生きようと思う。ポシェも頑張れ」
「分かった。お父さんも頑張ってね」
遠くから眺めていても仲睦まじい父娘でしかなかった。何かに阻まれていた水が堰を切って流れだすように、幸せに包まれて話す二人の姿はなんとも微笑ましく心温まるものであった。
ダダンはあまり話が広がらぬよう信用がおける数名にだけ事情を話し、夜の間に手際よく水や食料を馬車の荷台に積み込んでくれた。翌朝、まだ暗い内に一行は出立した。ダダンだけが近くの丘まで見送ってくれた。
後ろ髪をひかれるような思いではあったが、それ以上に皆の意思は固く、表情は明るかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます