第19話 エデンへ

 ヴァンたちも移動を再開する。アッシュは自分の馬に騎乗している。

 馬車の従者席にグランとポシェが並んで座り、何かこそこそ話している。

 ねぇ、グラン、アッシュって何者なの。よく見るといい男じゃない。私ヴァンから乗り換えようかな。などと、アッシュがラグ隊長であることなどお構いなしに楽しそうに話している。


 セシュと呼ばれる荒野を進むと徐々に風が強くなってくる。舞い上がる砂塵が容赦なく顔に当たる。ヴァンは口元に布をあて、ケープマントのフードを被り馬上に座る姿勢を低くして前進する。息苦しく碌に会話もできないが仕方ない。


 日が傾いてきたので、進みながら野営の場所を探す。その辺で適当に野営しては強風で焚火の火も起こせないだろう。


 セシュの大地には何処からもたらされたのか、大きな岩が点在している。崩れる崖もなければ、運ばれる川も無く不思議である。強風の中、その岩陰ならばと野営に適した場所を遠目から探す。


 日が沈み切る前に、いくつかの大岩が集まっている場所を見つけたので、今夜はそこで野営をすることにした。到着してみると風除けには十分であった。火を起こすとと囲んで夕食をとった。


 身体を冷やさぬようにと、温めたワインを飲みながらアリサがアッシュに質問をする。


「アッシュ。あなたは村の惨劇を見て何か感じた」


「あれは村人を一箇所に集めた後で一斉に殺している」


「それで教会は何か掴んでいるの」


「分からない。ただ、シェーブルに戻って少し調べたが、周辺の村がいくつか無くなっているのは事実だった。全ては村人が村を棄てて逃亡したものとして処理されていた。麦の収穫時期である初夏にかけて集中していて、収穫量の少なさに悲観した村人が、なけなしの食料だけを持って逃げたという見立てだ」


「でも、今は冬よ。あの村は何故この季節に粛清されたのかしら」


「実はあの村はシェーブルでは有名らしくてな。シェーブルの魔導士に聞いたところ、収穫量の減少を補填するため春蒔き麦も作っていて、丁度、収穫の時期だったそうだ。教会でも区画を分けるか、休耕期間を取って畑を休ませるよう指導はしていたが、言うことを聞かなかったらしい。無理をするから余計に土地が痩せてしまって、悪循環だったと言っていた」


 背に腹は代えられないということか。ただ、あの村のように無理をしている所が多いとは思えないので、ヴァンの不安は少しではあるが払拭された。

 

 ヴァンいたセレス村と違って、丘陵地帯では、秋に麦の種を撒き初夏に収穫する。


 通常であれば、今年の収穫はまだ先である。今後も粛清が続けられるとしても、今年の夏までは大丈夫かもしれない。夏の収穫を迎え、自分たちの畑の危機的な状況に困惑した人々が、教会を頼って司祭の派遣を依頼する。


 その時に、手の施しようがないと判断されれば、派遣された司祭よって粛清が行われるだ。あの村もそうだったのだろう。ヴァンも、セレス村で事件が起こった時、という司祭の言葉を聞いた記憶がある。



「ラグは誰の犯行だと考えているの」


「ラグというより私の考えだが、強力で広範囲の魔法が使えるやつの仕業だと思っている。それに訓練も積んでいるだろう。教会を離れた元魔導士か、あるいは魔族と呼ばれる連中か」


「私も同意見だわ。ただ、寓話の世界じゃないのだから魔族という選択肢は一旦捨てましょう。その上で、さっきも言った通り、私は教会の指示だと確信しているの」


「アリサは何故そう思う。我々は魔族とは言わないが、そういった噂の元になる強力な魔法を使える種族や集団がいるかもしれない、という考えは捨てていない。アリサが教会の指示だと、そう確信する理由を教えてくれ」


 アリサはヴァンに向かって申し訳なさそうな顔で歎願する。

 ヴァンは暫く黙考していたが、やがてサルセ村で起こった出来事を話し始めた。


 アッシュは所々で信じられないと呟き、苦渋の表情で頭を左右に振りながら聞いている。我々が抱えている問題、つまりアリサが教会の秘密といっていることは、そんなに昔から起こっていたのか。それが真実なのであれば、今まで教会は、ラグは、一体何をしていたんだとのそしりも免れられまい。


「その時の司祭の名前は分かるのか」


「分からない。でも顔ははっきりと覚えている。会えばわかる」


「そうか。それで、一人だけ生き残ったというわけか」


「そうだ。いずれ分かると思うから先に言っておくが、おれは魔法が使えない。その代わり魔法が効かない。魔法の影響を全く受けない体質なんだ」


「なるほど。さっきの戦闘で私の火炎が効かなかったのもそのせいか」


「そうだ。だから俺を殺そうと思ったら魔法ではなくナイフで刺したほうが確実だ」


「そんなことはしない。それは約束だ。ところで、不躾な質問だがお前は魔族なのか」


「知らん。そもそも魔族がどんな連中かも知らない。お伽噺のように角や尾が生えているのが魔族なら、おれは魔族ではない。逆に魔族がどんなやつらか知っているのであれば教えてほしい」


「いや、すまない。興味本位で失礼なことを聞いた。私も魔族のことは全く分からない。ただ、魔族には魔法が効かない、と昔どこかで聞いたことがある」


「そういう噂があるのは知っている。ただ、魔法が使えない魔族というのは聞いたことがない。それに、仮に俺が魔族であったとして、だから何だとも思う。俺は俺だ。ただの刀工職人の見習いだよ」


「それにギルドだよな」


「ああ、ギルドだ。正真正銘のな。そういえば、ラグはなぜ急にギルド狩りを始めた。俺たちがアリサを連れ出したのがきっかけだというのは分かるが、ギルド狩りにしても大規模すぎやしないか。手配書が回るのも異常に早い。随分前から準備していないとこうは行かないだろう」


「言われてみれば確かにそうだ。ラグというより司法院としては、だいぶ以前からギルドの調査はしていた。民衆は必要悪と言って庇いだてするが、犯した罪は罪だ。取締りの対象にはなる。だから、ある程度の名簿とか居住地のリストがあるのは聞いていた。後は誰がどんな技術をもっているとか。」


「技術というと、個々の得意技ということか」


「そうだ。私も少しは知識がある。例えば、そこのコルヌは先ほどは投げナイフを使っていたが、基本は体術だ。以前、密告屋が誰かに両肩の関節を外された事件があったが、私はコルヌの仕業じゃないかと睨んでいる」


 そう言って横目でコルヌを見やる。コルヌは知らん顔をして黙っている。


「とはいえ、隊長である私も似顔絵つきの手配書まで作っているとは聞いたことがない。確かに用意周到すぎる」


「そうなんだ。アリサを連れ出した時も、夜半に逃走して翌朝には俺は街に戻ってきた。ただ、その時点でギルド狩りは始まっていた。朝になってアリサの逃走に気付いたというのであれば、動き出しとしては早すぎる。まるで、おれたちの逃走をどこかで見張っていて、わざと見逃してそれを口実にギルド狩りを始めたみたいにも思える」


「あの日、我々は夜が明ける前に招集がかかり、ギルドの手引きによりアリサが逃走したと聞かされた。ギルドを一斉に取締り、その行方を探せとの命令だった。言われてみれば確かに早すぎる。思い返せば、一人の三等魔導士が逃げたぐらいで、ギルドを一斉に取り締まらなければならない理由も思い当たらない」


 ヴァンもアッシュも考え込んでしまった。

 傍らで黙って成り行きを見守っていたグランが何か思いついたように口をはさむ。


「ギルドが目当てなんじゃなくて、アリサの逃走をギルドに依頼した人物を探し当てるのが目的なのかも。ギルドの動きをある程度は事前に知っていて、依頼主だけが特定できていない。だから、まとめて捕まえて拷問でもしようとしてたのかもしれないし」


「教会は拷問などしない」


 皆にすればいつも通りのグランの皮肉だが、それを知らないアッシュは直情的に憤慨する。


「あら、まだ教会を信じてるの。って考え方は一度リセットしたほうが良いと思うんだけど」

 

 悔しいが言う通りだ、アッシュは反論できず押し黙った。


「もう一つ質問があるの」


 アリサが思考のめぐりが一巡したとでもいうように、適度な間を空けてて続ける。


「旅の途中で聞いたのだけど、ルブニールの南に広がる丘陵地だけど、すごく荒れ果てているって。麦の収穫量もどんどん減っていて、村を棄てて逃げる人も多いとか。アッシュはこのこと知っているの」


「ああ。理由は分からないが、丘陵地の半分ぐらいは耕作放棄地だろう。種を植えても芽吹かず、成長しても実が入らないと聞いている」


「それで、教会は何かしていないの」


「しているさ。現に各地に原因調査や農耕技術の魔法指導として・・・」


 そこまで言ってアッシュは言葉に詰まる。


「アッシュどうしたの」


「原因調査や魔法指導として、各地の村などに司祭を送っている・・・」


 ヴァンからサルセ村の事件を聞いた後である。アッシュの頭の中でばらばらだった糸が一本に繋がるように、その答えが閃く。


「まさか指導員として教会から派遣された司祭が・・・」


「それはまだ断言できないわ。真面目にちゃんと指導している魔道士だっているはずだもの」


「ああ、その通りだ。ただ、その中に一人でも教会から特別な指示を受けている魔導士がいるとしたら・・・」


 アッシュは言いながら今までの自分の行いを反芻はんすうする。


 教会の指示通りに動いてきた。密告による犯罪者の取り締まりも正義だと信じて疑わなかった。今まで教会に疑念など抱いたことはない。アリサを軟禁しろと言われれば、それはアリサに罪を受けるだけの理由があるのだろうと思うだけだった。従順に過ぎた。そして何も疑わず、言われるままに行動したことを恥じた。


 裏があるとか秘密があるとかそういうことではない。理由を知ろうとするべきなのだ。その上で、その理由が正義に基づくものであれば何ら問題ない。恥ずべきはそういうことを、今まで考えもしなかった自分自身だ。


「そのこともあるんだけど。それ以前に、何故、畑が荒れ果ててしまったのか理由が知りたいの」


「理由は分からない。何人もの調査官が調べたが原因は分からずじまいだと聞いている」


「そう。それではやはり行ってみるしかないのね」


 アリサは取るべき選択肢が他に見当たらないことを再確認して吐息する。


「そう言えば、アリサたちはどこに行こうとしているんだ」


「大陸の南の端にあると言われているエデンと呼ばれる場所よ」


「エデンか。神の教団だな」


 一同が顔を上げてアッシュを見つめる。

 なんとアッシュはエデンを知っているのか。


「今なんて言ったの。アッシュはエデンを知っているの。神の教団ってなに」


 つい先ほど手掛かりなしと気落ちしたばかりのアリサは、突然目の前に現れた光明に勇んで訊ねる。


「お前たちはそんなことも知らないで、エデンに行こうとしていたのか」


 アッシュは呆れて全員を見回す。皆、反論もせずに黙っている。

 やれやれとばかりに説明を始めた。


 昔の話なので伝承でしかないのだが、元々この国には神を崇拝する宗教があった。神は一人だからただ”神”と呼ばれていただけで名前はない。神に名前がないので、教会もただ”教会”と呼ばれていたそうだ。各地方都市にある魔道教会の建物の一部は、この”教会”が建設し利用していたものだったらしい。聖イブルスが神託を受けたというのもこの”神”からなのだろう。”教会”は神の教えとしてその教義を世の中に広め、人々はその”神”を信仰していた。


 聖イブルスが人に魔法を与えた後、人々に魔法の正しい使い方を教える必要もあり、教会の活動の中心は必然と魔法指導になった。そのため、本来の教会の司祭よりも魔導士の力が強くなっていった。そうして時代が経つにつれ”教会”は魔道教会になり、信仰の対象は”神”から”聖イブルス”へと変わっていった。


 ただ、それでも魔道教会の中に信仰の対象はあくまで”神”であるべきだという一派は残った。聖イブルスも神の神託があっての存在だからだ。しかし、残ってはいたが徐々に勢力は弱体化していき、魔導士の影響が一層強くなってくると、遂にその一派は魔道教会を離脱して神の教団という団体を新しく設立した、とそういうことらしい。


 魔道教会は既に信仰に基づく教会ではなく、魔法の管理や魔法を中心とした国の運営を行う集団へと変化していたため、両者には決定的な溝ができてしまったわけだ。


 そして、ここからは噂だが、その神の教団が、この国の南端へ移民していき、新たに開拓した土地がエデンと呼ばれているということだ。食べるに困らない楽園という噂が広まり、生活に困った農村の人々はみなエデンを目指すといわれている。


 ただ、その実態といえば、正邪合わせて様々な噂があるが、実際にエデンを見たという人もおらず、半ば想像の産物と思っていたほうが良い。


 一同はアッシュの話に聞き入っている。

 そんな伝承や噂は今まで聞いたことが無かった。

 

 神の教団が作った楽園と呼ばれる土地エデン。

 確かに行けば何かが分かるかもしれない。


 少なからず頭の中の靄が晴れたようであったし、同時にアッシュに対する皆の評価も少し変わってきていた。


 アッシュの教会への盲信は正直さの裏返してあり、自信に満ちた不遜ともとれる態度は、余計な先入観を排除し、あくまで道理の上に立って断片を丹念に積み重ねて全体を図ろうとする、その慎重で論理的な思考からくるものであろう。


 そうでなければ、未だに一行を虚言に満ちた悪道だと決めつけ、意固地に教会を守ろうとしていただろう。事実と論理を重ねれば、見えているものと見えていないものが判別できる。見えていないのであれば、見たいと欲す。そういった好奇心や探究心もアッシュは兼ね備えているようだった。




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