第9話 指令

 アッシュはギルド狩りの報告という名目で、ブランダート枢機卿から高等法院への出頭を命じられていた。しかし、報告が出来ることなど何もない。結局はギルドのメンバーだと目されていた者を、誰一人として捕まえられずに取り逃がしていた。

 自分の不甲斐なさに落胆し、重い足取りで執務室に向かう。


 前室で秘書官の許可をもらうと、扉をノックしブランダート枢機卿の部屋に足を踏み入れた。枢機卿は窓際にたたずみ窓外を眺めている。昨夜の内に雪は止み窓からは陽光が差し込んでいた。枢機卿は直立姿勢のまま沈痛な面持ちで待機しているアッシュを振り返ることもせず、話を始めた。


「ご苦労さまです、アッシュ君。ギルド取締りの件はあまり首尾が良くなかったようですね」


「申し訳ございません。事前に計画が漏れていたのか行く先々の隠れ家が一様にもぬけの殻で」


「漏れるもなにも、あれだけ街中で騒ぎが大きくなりますとねぇ」


「返す言葉もございません、我々の不手際でありました。引き続き連中の行方を追っております」


「まあ、良ろしいでしょう。少なくともルブニールからはギルド連中が一掃されたようですから、少しは平穏になるでしょう」


 真意だろうか皮肉だろうか。アッシュは測りかねて黙っていた。


 アッシュはギルド狩りよりも、その原因ともなったもう一方の案件に対する枢機卿の裁定を気に掛けていた。今日の呼び出しもそちらが本題であろう。ラグ隊長としての信用が失墜するだけでなく、自ら築いたその地位さえ失う覚悟はしていた。


「何より、アリサ魔導士を逃がしてしまったことは大変な失態ですね」


「大変申し訳ございません。教会が手配した世話係がまさかギルドの手先とは思いもよらず。衛兵の怠慢もございまして」


「アッシュ君、責任転嫁は良くないですよ。理由はなんであろうと、私が警備を任せたのは貴方なのですから、責任者として結果を重く受け止めていただかないと」


「失礼いたしました。責任は十分承知しております。どのようなお咎めも受ける覚悟です」


「ならば良いですが」


 そういうと机上に置いてあった一枚の書面をアッシュに手渡す。


「ラグ隊長としての職務は一時的に解任とし、貴方には新しい任務を命じます。

 紙にあるのは司法院で把握している、ギルドの隠れ家とされる施設の一覧です。全てでは無いと思いますが、まずは街から最も近い場所から捜索してください。任務の内容は分かりますね。アリサ魔導士を探し出し、教会に連れ戻すことです。決して殺してはなりませんよ」


「御意」


 アリサ魔導士というのは何者であろう。どこにでもいそうな若い三等魔導士で、特に重要人物とは思えない。アッシュは枢機卿に問い掛ける勇気もなく受諾の返事だけをした。


「逃亡にはギルドが数名同行しているようです。あなたもラグの一団を率いていくことを許可します。数名を選抜して本日中に出立してください。期限はアリサ魔導士を連れ帰るまでです。それまでは帰るに及ばず、です」


 言い終わって作り笑顔でアッシュを見つめる。これ以上は用件はありませんよという合図だろう。憂慮していたことは何も起こらず、ひとまずは無事に解放されたと安堵して、アッシュは執務室を辞去した。


 高等法院の最高位から直接に強いプレッシャーをかけられた格好だが、アッシュはアリサ魔導士がどれのほどの重要人物なのか、そちらに興味があった。かくなる上は自分の目で確かめてみればよい。その実、ギルド狩りの失態もあり、教会内にいては肩身が狭かったので、信頼できる部下と城外で活動できるのであれば都合がよかった。


 ラグの詰め所に戻ると副官のクロケットに同行者数名の選定と旅の準備を命じた。それと長旅となるであろうから、選抜されたものには明朝までの休暇を与えるように指示した。準備が整い次第すぐにでも出発すべきなのだろうが、急いだところで結果は変わらないだろうと思い隊員への配慮を優先した。


 アッシュは指令を終えると、その足で修道院の院長の元へ出向いた。折よく在籍しているとのことだったので、今からの面会をお願いした。院長室に入るとすでにお茶の用意がされており、思いのほか好意的に迎え入れてくれた。


「これはこれはアッシュ隊長、ようこそおいでくださいました。アリサ魔導士のことですかな」


「お忙しいところ失礼いたします。ことの次第はご存じなのですか」


 こうも簡単に用件が伝わるとは驚いた。昨日の件、つまりはアッシュの大失態が想像以上に早くそして広く伝搬しているのか。それともやはり彼女に何か特別なことがあるのだろうか。


「ご存じと言われても、私は何も存じておりませんよ。アリサ魔導士は枢機卿から特別な任を受けて数日職務に励んでいたところ、ギルドの甘言に乗せられて職務を放棄して逃亡してしまったとか。アッシュ殿はそれを連れ戻しにでもいかれるのですかな」


「お察しの通りです。探しにいくにしてもアリサ魔導士が、いったいどういった人物なのか、少しでも知識を得ておいたほうが良いと思い、不作法ながら院長に急な面会のお願いをした次第です」


「そうですか。どういった人物かと言われても、ごく普通の三等魔導士としか言いようが無いのですがね」


 修道院長は手元のお茶を一口すすり、落ち着いた物腰で語り始めた。




 なんといっても真面目で優秀な子ではありますね。

 学業も優秀な上に、その魔力は修道院にいる三等魔導士の中では随一でしょうな。魔法の使い方も上手い。普通は高慢になったり修習を軽んじたりするものですが、彼女は心根が真っ直ぐで魔法に対して常に真摯に励んでおりました。


 そもそも、教会には魔道士としてではなく、孤児として預かられたそうです。母親と二人で暮らしていたようなのですが、その母親が病気でお亡くなりになりまして、縁戚もなく天涯孤独だというので教会の孤児院で預かることになったそうです。父親は知らないそうで、早世されたのか、失踪か、あるいはどこぞの庶子だったのか、その辺りは分かりません。ともかく教会の孤児院で生活していたところ、頭の良さと魔力の強さに気付いた養育係が私のところに相談に来ましてね。魔導士の道に進ませたいと。きっと教会のお役にも立てるだろうと。


 私も直接面談しましたが、なるほど非常に優秀であったので、そのまま修道院に迎え入れたということです。


 魔法修習を真面目に励んだおかげか、見る間に成長しましてな、わずかの間で成績は最上位になりました。修道院は魔法体系と属性ごとの魔法の技術的なことを教えるのであまり実践的ではないのですが、本気で実践魔法を覚えたら、アッシュ殿でも太刀打ちできないかもしれませんよ。それだけ魔力が強いということです。


 お気づきになられましたか。

 アッシュ殿もお分かりのように、そもそも聖イブルス様のお導きで魔法を使用している我々人間は、向き不向き程度の差こそあれ、各人の魔力自体に大きな差はないのですよ。実践で使われる魔法の強い弱いはあくまで修練で会得した技術力に寄っております。


 唯一、その点においてはアリサは特別と言っていいかもしれません。

 ただ、そのこと自体は特に秘匿していたわけでもありませんし、アリサの魔力の強さが教会にとって何か影響があるのか見当もつきません。枢機卿から命じられた特別任務というのも仕事の内容については私は存じておりませんし。




 院長は人懐っこい笑顔でアッシュを見つめる。それでいて鋭い眼差しは、枢機卿との間で何があったのか、それについては貴方のほうが詳しいのではないですか、と問うているようである。

 アッシュは院長を正視したまま、適当に思いついた言葉でお茶を濁す。


「有難うございます、大変参考になりました。なるほど、縁戚の方がいればそちらの方面から探してみようかとも思っていたのですが、孤児だったのですね。」


 アッシュもアリサ魔導士を別の指示があるまで軟禁しろという命令は貰っていたが、その理由までは聞いていない。軟禁する場所や食事の準備、世話係や衛兵の手配なども総べて教会側がやっている。アッシュにはラグを通じて間接的に見張りをすることで万一に備えるという中途半端な役割でしかなかった。ただ、軟禁が二週間目に入り、多少気が緩いんでいたあの雪の日のことである。まんまとギルドにしてやられた。理由がなんであれ万が一を防ぐための役割において最悪の失態だ。


 アッシュはしばらく会話を続けてみたがこれ以上は何も出てきそうになかった。アッシュの疑問を解くような答えも、興味をそそるような裏話も最後まで出てこなかった。諦めて修道院長に面会の礼を言い院長室を後にした。


 ともかく明日だ。


 ラグの詰め所に戻り副官のクロケットから進捗の報告を受けると、後事を託す部下に明日からの期間未定の不在を告げ、簡単な引継ぎを終えると、早々に帰宅することにした。

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