第8話 旅立
アリサと別れると、ヴァンは近くの農村まで行き船に積んでいた荷を野壺に片付け、予め村に用意していおいた服に着替え刃研ぎ道具一式を背負う。雪は膝下まで積もっており、これでは普通の馬では騎馬を許さないため、仕方なく馬を引いてルブニールに戻る。結局最後まで歩き通しだったので城門に着いたころにはすっかり日も明けていた。
城門では村に研ぎ仕事に行った帰りだと伝えると、何の疑いもなく門を通してくれた。刀工職人ギルドの印を見せると、雪の中ご苦労様と
貸馬屋に馬を返却して家の近くまで戻ると、何やら
てめぇらなんぞ、悪事がなけりゃ仕事もなくなるような唐変木じゃねぇか。街じゃぁ、ラグなんてのは仕事をするために悪事をこさえている半端者だって噂だ。ギルドのほうがよっぽど世の中の役に立つ。お前らみたな
ラグは親方の威勢に気圧されている。薄鈍とは良く言ったものだ。
知らぬ間にヴァンに近寄ってきた男が背後にピタと張り付く。
「俺だ、コルヌだ。どうやらギルド狩りが始まったようだ。昨晩の仕事だが教会の逆鱗に触れたらしい。大将の酒場に雪中でも大丈夫な馬を用意してあるから急いで街から逃げるぞ」
「わかった。だが俺はいま城外から帰ってきて西門をくぐったばかりだ。少し遠回りになるが東門から街を出る。落ち合うのはいつもの隠れ家でいいか」
「了解だ。着の身着のままだが路銀は酒場の大将が用意している。ひとまず急ごう」
ヴァンとコルヌは人目に付かないよう、別方向にばらばらに移動した。
アリサと言ったか。昨日連れ出した女は相当な訳ありなのか。ギルドは魔道教会からすれば目の上の瘤だが、街にとっては必要悪ということで今まで見逃されてきた。単に追跡の部隊を出すなら分かるが、これほど露骨なギルド狩りは初めてだ。ギルドが逃走の手助けをしたことまでお見通しということか。教会は本気なんだ。
ヴァンはアリサに興味が湧いてきた。コルヌと落ち合う場所は、ルブニールの街から一番近い隠れ家で、昨晩グランたちが向かった場所と同じだ。まだグランが動いていなければアリサと再会するだろう。こんな雪だ、きっとまだ隠れ家からは移動していまい。
ヴァンは少し楽しみになってきた。
酒場に到着すると、すでにコルヌは出発した後だった。館の裏の馬寄せにいくと、大将が待ち構えていた。急げとだけ言うとヴァンに路銀の入った袋を渡し、自分は人目に付かないように裏口から店に戻っていった。
都合がいいことに、研ぎ道具一式と刀工職人ギルト印も丁度持っている。請負仕事の帰りで使い慣れた短剣も服に仕込んだままだ。いざとなったら門番を切り付けてでも逃げられる。仕事用のケープマントと面頬は屋根裏部屋に隠したままだったが、まずは見つかることも無いだろう。それにしばらくはギルドの仕事もできそうにない。
ヴァンは馬にまたがると雪の積もる街路を東門に向かって駆けていく。予想通り東門でも手間取ることなく城外に出ることができた。もう半刻も遅ければ教会の手が回って城門の出入りも厳しく制限されていただろう。この街に潜むギルドの仲間たちも大方は逃げおおせたはずだ。大将は大丈夫だろう。直接仕事をすることも無く、なによりも料理人としての信用がある。
城門から街道をまっすぐに雪煙を上げて馬で駆けていく。逃走の決行日をを雪の日と計画したのは正解だった。総てこちらに都合よく回っている。後は落とし穴にはまらぬように慎重に行動すれば何とかなるだろう。
隠れ家には昨夜の半分ほどの時間で到着した。馬小屋に馬を収めに行くとコルヌが先着しているのが分かった。家の表に回り入り口から中に入る。居間の扉を開くと暖炉に火が入り部屋が十分に温まっていた。コルヌとグラン、そしてアリサもいる。
「よう、遅かったじゃねぇか」
そう言うコルヌもまだ着いたばかりのようで、暖炉に張り付き手を温めている。
ヴァンは身振りだけで軽く受け流し、そのまま一直線にアリサに向かう。
「お前はいったい何者なんだ、どこぞのお姫様かなんかか」
アリサは事態がうまく呑み込めず、戸惑い気味に隣のグランに助けを求める。
グランが庇うようにアリサを抱き寄せる。全く乱暴なんだから。
「ヴァン、ひとまず落ち着きなさい。まずはお茶でも飲んで」
ヴァンの前にお茶の入ったカップを差し出す。
「全員集まったら、私が分かる範囲でみんなに説明するから」
ヴァンはカップを受け取ると、適当な椅子を見つけて腰かけた。
「全員って、まだ他にも誰か来るのか」
コルヌが我関せずと気の抜けたような声で訊ねる。
「まあ、もう少し待ちましょう。すぐに到着するはずだから」
グランはアリサの傍から離れようとはせず、優しく背中を撫でている。
もう一人を待つ間、コルヌが朝から起こったギルド狩りの顛末を、皆に話して聞かせた。早朝からラグが街中を駆けずり回り、以前から目星をつけていた家々に片端から押し掛けたそうだ。
「朝っぱらから扉をガンガン叩くもんだから、隣近所の連中がその音で何事かと起き出して、外を覗いてみればそこにいるのはラグの連中じゃねぇか。たちまち騒ぎが巻き起こる。日頃から評判の悪いラグがやることだから、住民も非協力的で騒ぎがどんどん大きくなるだけで一向に収まりゃしない」
コルヌはにやけ顔でヴァンに向き直る。
「ヴァン、お前のところの親方も凄かったよな。この唐変木とか怒鳴ってたし」
ヴァンも親方のラグに対する罵詈雑言を思い出して苦笑する。
それだけルブニールの民衆がラグを疎ましく思っていたということだ。
「奴ら密告でしか罪人を捕まえたことがないから、根本的に取締りってもんが分かってないんだ。気付かれないように静かに家を包囲して、輪を縮めるようにしていかないと逃げ出す隙なんかいくらでも出来ちまう。それを朝からドンドン、ガンガンだもんよ。ラグ様が捕まえに来ましたよ、どうぞ良かったらお逃げなさいってなもんよ。なんとも間抜けな連中だよなぁ」
多少話が大げさな気もするが、ともかく、そんな状態だったから他のギルド連中も易々と逃げ出すことができたらしい。
そうしていると入り口の扉が開く音がした。最後の一人が到着したようだ。
部屋の扉を開け年若い少女が登場する。年齢は十代半ばぐらいでヴァンと同世代だ。赤みがかった髪は短髪で、丸みを帯びた輪郭にはまだ幼さが残っている。服装といえば、スカートではなくズボンを履き、長袖の上にチュニックを着て腰を皮ベルトで縛っている。足元は編み上げの長ブーツとほぼ男装である。
「おお、ポシェじゃねぇか、久しぶりだな」
コルヌが立ち上がって迎える。両手を広げて抱擁しようとすると両腕で突き放し
「もう子供じゃないんだから、気安く触らないで」
と一喝する。目ざとくヴァンを見つけると、今度はポシェのほうが駆け寄り飛びついた。
「ヴァン、会いたかった。何してたのよ連絡もくれないで」
「会いたかったって、先月も会ったじゃないか」
鬱陶しそうにヴァンが答える。コルヌはそれを横目で見て、俺なんか二年ぶりぐらいなのにと悪態をつく。
「なんだよこの違いは。昔はあんなに可愛かったのに、ちょっと見ない間に憎たらしい小娘になりやがって」
「コルヌとは違うのよ。いつでも私を触っていいのはヴァンだけなのよ」
ポシェも里時代からのギルドの仲間だ。ヴァンがギルドに加わってから数年後だろうか。ギルドの新しい仲間だとブルーノがどこからか連れてきた父子だった。父親は錬金術師で教会から目をつけられて逃亡の日々を送っていたらしい。ポシェはその連れ子だった。
当時ヴァン以外にギルドには子供がいなかったし、歳も近かったため、二人はすぐに意気投合して、何をするにも一緒に過ごすようになった。少しだけ年下のポシェとはまるで兄妹のように育った。ヴァンは年頃になると少々疎ましく思うようになったが、ポシェは相変わらずで、いつまでたってもヴァンに纏わりついている。
二年前、都に移ろうかというとき、ポシェの親父さんは教会の近くは嫌だといって仲間に加わらなかった。ポシェはどうするか相当迷ったようだが、丁度思春期で親離れしたい年頃だったこともあってか、父親とは別れてルブニール組に加わり、ヴァン達と一緒に都に移ることにした。
一年ほどは酒屋の大将のところで厄介になっていたが、大将が所帯を持つということでポシェもようやく独り立ちした。女だということで職人ギルドには入れてもらえず、個人で彫金士として髪飾りなどを作って市で売っている。ただ、そちらにはあまり身が入っていないようで、本人も父親同様に錬金術師になることを夢見て、工房で何やら怪しげな実験を繰り返している。そのため生計はまったくたたず、雑用のような請負仕事と大将の店の手伝いをやって何とか暮らしているらしい。本人は大将の店を手伝うのは生活のためではなく、ヴァンに会うためだといって憚らない。
一通りの挨拶が済むとポシェが大声でちょっと聞いてと皆の注目を集めた。
「大将から伝言を預かってきました。新規の請負仕事です」
舞台の幕開けを告げる口上師のように良く通る声で告げる。
「今回の仕事は魔導士アリサの旅の同行と護衛。期限は無期限。依頼先はヴァン、グラン、コルヌ、そして私の四人。まあ、ここにいる全員ってことね。旅の行き先はアリサに聞くように、だってさ」
そう言われて一番に驚いたのはアリサである。何ともこの人たちはいつも唐突だ。
ギルドの四名は、この隠れ家に集まったというか集められた時点で薄々何か感じてたらしく、さほど驚いていない様子だった。
急に旅と言われてもアリサにそんな予定はない。軟禁されていたのを逃げるぞと言って突然連れ出したのはギルドのほうじゃないか。それにギルドにそんな依頼を出すような人も未だに見当もつかない。
隣に座るグランを困惑の表情で見つめる。
グラン助けて、なんとか言って。
「私にも
グランはそう言ってみんなを見回した。まあグランの言う通りだなと三人が頷く。
「アリサ、行き先はアリサ次第ってことだけど、どこか思い当たる場所はある」
そんなこと言われても分からない。行きたいところも無ければ、旅をする目的も理由も無いのだから。教会に追われているのは理解してるし、捕まればまた軟禁状態になるのだろう。そして今度はきっとグランも居ない生活になる。それが嫌なのであれば逃げ続けるしかない。
しかし、目的地があるかと聞かれても。どこだろう私の行きたいところって。私が今したいこと、あるいはしなければならないことって何だろう。必死で考えていると、ふとある言葉が浮かんだ。想像もしていなかった言葉が口をついて出た。
「エデン・・・」
「それはどこにあるの」
グランが優しく問いかける。
「私にも場所はわからない。ちょっと考えていたんだけど、私が追われているのは、魔道教会に何かしら秘密があって、その秘密に私が関係しているかもしれないってこと。だから、さっきから教会に
我イブルスは
神の導きにより青き聖杯に光を集め
その光を人々に分け与えると誓う
我イブルスは
光が闇に包まれしときは聖杯を砕き
与えられし力を神に返すと誓う
エデンの丘を下りし聖なる地にて
グランは皆の前で諳んじて見せた。
エデンの丘を下りし聖なる地。そこに行けば教会について何かわかるかもしれないとアリサは言っているのだ。直接に秘密を暴けなくとも、魔道教会の過去の歴史や世間では余り知られていないような教会の実態など、何か糸口が見つかるのではと期待も込めた思いである。
「いいんじゃないか。難しい文章で俺には良く分からないけど、そのエデンというのがどこにあるか探す旅ってとこから始めればいいんだろ。俺たち他にやることも無いんだし、この仕事はなんといっても無期限だから焦ることもないだろう」
ヴァンはなるべく無邪気に聞こえるように軽い口調で言った。路銀も大将からたっぷり貰ったし。グランやコルヌ、ポシェも同意した。
なんておかしな人たちなんだとアリサは思ったが、総じて好意的に感じていた。
目的地はエデン、やるべきことは教会の秘密が何か調べること。
そう自分に言い聞かせた。
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