満月の夜に、彼は宴を開く。

ありま氷炎

*



 その昔、大いなる龍神が現れ一人の子を人に授けた。

 神の子は大陸を一つにまとめ、黄国(きこく)として支配下に置く。皇帝となった子は黄龍と姓を名乗り、それから千年ものの間、子孫代々、黄国を治めた。


 第百六十代皇帝・黄龍天(きりゅうてん)の妻であり、皇后・蓮(れん)が身ごもった知らせは国中を沸かした。唯一人、桃(とう)を除いては。


「……大丈夫よ。お父様はあなたのことも愛しているから」


 桃(とう)はお腹を摩りながら、腹の子に言い聞かせた。

 

 ――それから数月が流れ、人々の間で世継ぎ誕生の知らせを待つ機運が高まる頃、彼女の元へ客が訪れた。


「やめて!連れて行かないで!この子は私の子よ!」

「いいえ、この子は陛下の子です。相応しい生活を送るべきです。次期皇帝として」

「じ、き、皇帝?」


 桃(とう)は男の言葉に首を傾げる。

 その手からも力が抜けたようで、男はすんなり赤子を取り上げた。

 とたんに赤子が泣き始める。


「十分な金子をこちらに用意いたしました。この事は、陛下も承知しております」

「連れて行かないで!お願い。こんなお金いらないわ!」


 桃(とう)は産後まもない体で立ち上がり、男に縋りつこうとした。

 だが、彼の傍に控えていた兵が彼女を払いのける。


「龍華(りゅうか)、龍華(りゅうか)!」


 床に体を打ち付けても、桃(とう)は必死に体を起こして男たちを追おうとした。


「殺してしまっても?」

「それはならない。陛下の怒りを買います」

「ならば、静かにさせるまで」


 兵士は素早く桃に近づくと、その腹部を殴りつけた。


「な!」

「死んではおりません。気を失わせただけです」


 男は崩れ落ちた彼女に背を向け、官吏にそう答えた。





 皇帝の唯一の子、黄龍華(きりゅうか)は、生き写しと言われるほど、容姿が父によく似た子供だった。である蓮は自ら彼に教育を施し、次期皇帝として順調に成長していった。

 

「龍華(りゅうか)」

「はい、母上」


蓮(れん)に呼ばれ、龍華(りゅうか)はその傍に近づく。


「体調がお悪いのですか?」


 皇后の顔色を身近に見て彼は心配になる。すると蓮は豪快に笑い飛ばした。


「心配するな。私はまだまだ大丈夫だ。それよりも、」


 現皇帝――黄龍天(きりゅうてん)は、美丈夫と名高い皇帝であったが、その能力は平凡。いや平凡以下であった。そんな愚鈍な彼を支えたのが皇后で、彼女の知力と豪胆な決断に助けられ、黄国は安寧を保っていた。

 蓮は己の知識と見識を惜しみなく我が子に注ぎ、龍華(りゅうか)はそれに答えと愛し、教えを素直に受け入れた。

 宮廷内では、美貌と知力を備えた龍華(りゅうか)に期待が寄せられ、国の安泰は約束されたという雰囲気が流れていた。

 しかし、不幸なことが起きる。

 龍華(りゅうか)が十ニ歳になった時、皇后が崩御した。彼は嘆き、宮廷内も悲しみに包まれた。

 ただ皇帝だけは、暗い笑みを浮かべていた。

 喪が明けると、彼はすぐに新しい皇后を迎えた。

 通常皇后は、皇帝の親族から選ばれる。

 蓮もそうで、彼女は先々代の弟の孫であった。

けれども、現皇帝の黄龍天(きりゅうてん)は長らく続いてきたしきたりを破った。反対する者の多くは前皇后の支援者であった者ばかりで、彼は彼らに「反対するのであれば、龍華(りゅうか)の出自を皆に話す」と脅して、彼らを黙らせた。

 新しい皇后は、蓮とは真逆の女性であった。

 常に黄龍天(きりゅうてん)の言葉に従い、意見をすることなどなかった。

 もし、現皇帝自身が賢く、正しき治世を行えるのであれば、それは正しい姿であっただろう。しかし、残念なことに彼自身はよき皇帝ではなかった。

 龍華(りゅうか)の出生の秘密を盾に、彼は苦言を申す側近を黙らせ、甘言のみを受け入れた。国は乱れ始め、国を憂う者達は、次の龍華(りゅうか)に期待を託した。

けれども、ここで再び争いの種がまかれることになる。

 桃が身ごもったのだ。

 第二皇子となる彼、公式には正統な血筋ではない子には皇位継承権はないはずだった。しかし、これをも皇帝は曲げた。

 第二皇子、龍輝(りゅうき)は現皇后同様、寵愛され、龍華(りゅうか)は冷遇された。彼の傍から味方は減り続け、側近であった官吏の学詩(がくし)は皇帝に意を持って問うた。


「龍華(りゅうか)殿下も桃(とう)皇后殿下のお子でありましょう。なぜこのように冷遇されるのでしょうか?」

「お主がそんなことを言うとはな。見損なったぞ。蓮があの世で泣いているだろう。あれの血肉はわしと桃(とう)のものであろう。だが、あれは間違いなく蓮の子だ。あの面構え、見ているだけで吐き気がするわ」


 皇帝はそう言い放ち、学詩(がくし)は愕然とするしかなかった。


「あやつは、蓮の子じゃ。そうだな。学詩(がくし)よ」


 またそう逆に切り返され、彼は己の認識を改めた。

 そうして、決意した。


「……私が、父と母を……」

「母とは。あなた様の母上は蓮様唯一人ですぞ」


 学詩(がくし)に叱咤され、龍華(りゅうか)は目を閉じて、天上の蓮に詫びを入れた。

 現皇后、桃(とう)が宮廷に入り、彼は自身の出自を知ることになった。

 蓮(れん)が築き上げてきたものを破壊するようなやり方が気に入らず、父を問いかけたところ、聞かされたことで、側近の学詩(がくし)に確認して、彼は事実を知った。 

呆然とした彼が起こした行動は、桃に会う事だった。

 蓮とは真逆の嫋(たお)やかな女性、けれども彼女を目前にして彼は何も聞けなかった。口から出たのは他人行儀の、義母となった彼女への労いの言葉だけだった。


――黄龍華(きりゅうか)。我が愛しい息子よ。どうか私の願いを叶えておくれ。皇帝となり、我が意志を継ぎ、この国に永き平和と繁栄をもたらせておくれ。


 覚えている限り、蓮は彼を愛して、正しい道に導いてくれた。

 そんな彼女を裏切るような行為を龍華(りゅうか)はできなかった。


 どこまでも頑なな態度の彼に対して、桃(とう)の表情が曇ったのを見てしまい、心が揺れたが、彼は態度を崩さなかった。


「私の母は、亡き皇后、蓮(れん)殿下。唯一人だ」

「その通りでございます。龍華(りゅうか)殿下」


 宮廷では賄賂が横行し、意見したものが逆に何らかの罪に問われるという、おかしな事態が続き、私腹を肥やすものが増え、政(まつりごと)が正しく機能しなくなっていた。

 そんな中、学詩(がくし)は同志を集め、龍華(りゅうか)を皇帝にするべき、計画を練る。


 夜の帳が降りたにもかかわらず、月夜の晩はとても明るい。

 襲撃には適していない夜だ。それにも関わらず、龍華(りゅうか)はこの日を選んだ。

 宮廷を追われた者、不満がある者をこの日のために集めた。軍はすでに掌握済であり、皇帝に味方する者は私腹を肥やした文官のみだ。

 夜空高くに浮かぶ白銀の丸い月。

 その白さと儚さは桃(とう)の微笑みを思い出させる。

 龍華(りゅうか)は目を閉じ、それを打ち消した。


 ――我が母は、蓮だた一人。


「今こそ、亡き母蓮への誓いを果たすとき。悪政を敷く黄龍天(きりゅうてん)を葬り、宮廷を正しい道に戻す。そうして再び我が国に平和と繁栄をもたらすのだ。我に従い、いざ行かん!」


 全ての迷いを捨て、彼は刀を掲げ、咆哮をあげる。

 同志たちは答え、新しく皇帝になるべき龍華(りゅうか)と共に走り出した。


「陛下に従う者にはすでに通達しておる。この場におり、首を垂れぬものはすべて反逆者だ。殺せ!」


 立場的にはまだ皇帝の位ではない。

 けれども学詩(がくし)は、龍華(りゅうか)を陛下と呼んだ。


「黄龍天(きりゅうてん)を、父を探す。学詩(がくし)。この場は任せた」

「はっつ」


 立ちふさがる者を切り捨て、新調した着物はすでに血に塗れていた。愛刀は切れ味が鈍り、すでに切るという動作よりも殴るという動作に変わりつつあった。

 背後を学詩(がくし)に任せ、彼は先に進んだ。


「……残りは皇后の部屋か」


 皇帝の謁見の間にも、寝室にもその姿はなかった。

 

 ――実母を殺すはずがない。


 黄龍天(きりゅうてん)はそう考えるはずだった。

 皇后桃の部屋は、代々の皇后が使っていた部屋ではなく、新築したものだ。

 喧騒が届かぬように離れた場所に作られたその部屋……いや建物に近づくと、意外にも屈強な兵が数名待ち構えていた。

 兵士たちはすべて撤収させていたはず、計算違いかと、彼は柄を強く握りしめる。


「お待ちなさい」


 凛とした女性の声がして、兵たちは構えを解く。


「桃(とう)!なぜ、止める。あやつは一人でないか!兵よ。あやつを殺せ、殺すのだ!」


 龍華(りゅうか)と同じ顔の男。

 けれども、顔色は悪く、目は血走り、髪は乱れ、唇は乾燥し血が滲んでおり、憔悴しきっていた。

 現皇帝、黄龍天(きりゅうてん)は桃(とう)の後ろから姿を現し、彼を指さし金切り声をあげる。


「どうしたのだ?なぜわしの命令をきかぬ!桃(とう)、どういうことだ!」

「陛下。この兵士たちは私(わたくし)個人の兵でございます。私(わたくし)の命令しか聞きませぬ」

「なれば命じよ。あやつを殺せと!」

「それは彼の言葉を聞いてからです」


 興奮する黄龍天(きりゅうてん)と違い、桃(とう)は落ち着いており、ゆっくりと彼に近づいてきた。


 月明かりに照らされる桃(とう)はすでに三十を超えているはずなのに、まだ少女のような可憐さを持ち合わせていた。


「あなたは私(わたくし)が本当の母であることを知っているのですか?」

「はい」

「それでも私を殺すつもりですか?」

「ええ。あなたは確かに私を生んでくれた人です。けれども、私の母はただ一人。前皇后の蓮(れん)のみです」

「そう……。それなら、あなたはもう私の息子ではないわ。兵よ。反逆者を殺しなさい」

「そうだ!殺せ!」


 冷静な桃(とう)に反して狂ったように黄龍天(きりゅうてん)は声を上げる。

 すでにここに辿り着くまで、何十人もの者を殺め、体は疲労を訴え、愛刀も刀としての役目も果たしていない。けれども、やらなければ自身が殺されるだけだ。


「国のために、我が母、蓮の願いのために!」


 龍華(りゅうか)は己を叱咤するために叫ぶ。

 蓮(れん)の名を聞き、桃(とう)の表情が歪むのを見て、少しだけ心が痛んだ自身を笑う。


 ――己を殺そうとする者が親のはずはない!


「我が親は、蓮のみ!」

 

 血肉を与えてくれた父と母を睨み、彼は刀を振るう。


「殺せ、反逆者を殺せ!」


 一人、二人とどうにか殺すことができたが、黄華(こうか)の足元はふらついていた。それを見て、黄龍天(きりゅうてん)が笑い声をあげる。


「母様!助けて!」

「龍輝(りゅうき)!」

「……桃(とう)様。兵を引かせてください。さもなければ黄龍輝(きりゅうき)殿下の命を奪います」


 桃(とう)は自身の目が信じられなかった。

 宮廷に入った時から信じていた女官が、愛しい我が子を手にかけようとしている。


「裏切り者!」

「私は蓮様の命で、あなたにお仕えしていました。元からあなたのために働いていたわけではありません」

「紅(こう)!」

「さあ、引かせてください」

「わかったわ。兵よ。動きを止めて、刀を捨てなさい」

「桃(とう)様!」

「お願い」


 兵は不満の声を上げながら、命に従い、武器を床に投げ出した。


「龍華(りゅうか)殿下!」


 同時に学詩(がくし)を先頭に数人の兵がなだれ込み、黄龍天(きりゅうてん)の統治は終わりを迎えた。

 




「……龍輝(りゅうき)だけでもどうか、助けて。お願い」


 鉄の柵を掴み、桃(とう)は必死に請う。

 艶やかな髪はすでにその輝きを失い、糸のように絡みついて、乱れた鳥の巣のような有様だった。可憐な少女の面は数日でその様相を変え、中年の衰えた女そのものだった。

 こけた頬で、目を赤く晴らし、彼女は訴える。


「争いの種を残すわけにはいきません」

「あなたの弟なのよ!」

「私の家族は、蓮、ただ一人です」


 龍華(りゅうか)がそう言い切ると、桃(とう)は口を押えた。そうして涙を流し始める。


「私は、私はあなたを手放すつもりはなかった。けれども、あの日、蓮の命令で!」

「それが何なのです。あなたは兵に私を殺すように命じた。あの時、私は確信した。私の親は蓮、ただ一人だと」

「龍華(りゅうか)!」

「桃(とう)。私は黄龍華(きりゅうか)。国を統治する者、そしてあなたを裁く者です」


 彼は背を向けると、出口へ足を運ぶ。

 背後からすすり泣く声が聞こえたが彼が振り返ることはなかった。


 黄国、第百六十一代皇帝・黄龍華(きりゅうか)は、悪政を敷く黄龍天(きりゅうてん)とその妻の桃(とう)、その子の黄龍輝(きりゅうき)を死刑に処した。

 彼は後継に、蓮の弟の子を指名し教育を施し、生涯独り身を貫いた。

 黄国の安定を図る彼の方針は蓮の教えを守ったものであり、汚職や賄賂には厳しく対応した。また倹約重視になりがちであったが、龍華(りゅうか)は中秋の晩には必ず宴を開いた。この日ばかりは宮廷には楽師が招かれたりして賑やかな音楽が流れ、華やかな夜になった。

 龍華(りゅうか)自身も普段は飲まぬ酒もその日だけは口にして、側近の学詩(がくし)を困らせるほど酔った。なので、彼を狙うものにとってその日が絶好の機会であったのだが、守りも硬く、逆に捕まえられるのが常であった。


「愉快な夜だ。本当に、愉快だ」


 学詩に支えられ、龍華(りゅうか)は笑いながら寝床に沈む。


「私は母の願いを叶えた。よい子であろう」


 子供のように問う彼に、学詩は言葉を詰まらせる。

 毎回問われる言葉で、その度に彼は同じ思いを抱える。


「はい。陛下」


 答えは同じであるが、学詩が思い浮かべるのはあの情景だった。

 生まれたばかりの龍華(りゅうか)を桃(とう)から取り上げた時。泣き叫ぶ赤子、追いすがる母。

 

「……悔いてもしかたないことだ」


 龍華(りゅうか)はすでに眠りに落ち、寝息を立て始めていた。

 学詩は寝室から出ると、廊下をしばらく歩いてから、庭に出る。



「すべては蓮のため」


 学詩はただ彼女のために生きていた。

 彼女を亡くした今でも、その想いを実現するために。

 ただそのために。


 夜空を見上げると、浮かぶのは銀色に輝く月。

 押し寄せる様々な感情を胸に、彼は目を閉じる。

 そして亡き彼女へ想いを馳せた。




 (完)

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満月の夜に、彼は宴を開く。 ありま氷炎 @arimahien

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