集合写真
サービスエリアで停車した観光バスから降りた、県立
小休止の後にバスは、
十数分後、道路を閉鎖して駆け付けた緊急救助隊が、最後部から座席の間に潰されて意識不明の健太を発見した。右の側頭部から鏃のような頭蓋骨を突き出させながらも、健太には微かに脈拍があった。
搬送先の緊急病院での十二時間を超える大手術の後、健太はこの大惨事で唯一の生存者となった。ただし、頭蓋骨の欠片が脳の各部位を損傷させて意識が戻らず、二週間近く経ってICTから一般病棟に移されても依然眠ったままだった。
健太の両親は仕事を辞め、総合病院傍の安アパートに移ってきた。毎日病室を訪れて眠る健太に喋り、時に目を閉じた顔を見下ろして泣いた。
もう半月経つと、健太は睡眠中の人が呼気を整えるように時折軽く咳払いし始め、担当医師も前向きな兆候と捕えた。健太は次第に喉の奥で唸ったり、僅かに眉を顰めたりするようになった。梅雨時で蒸した曇り空のある午後、母親がベッドに背を向けて白い収納棚に着替えとタオルを詰め、ふと振り返るとベッド上の健太が目を開いていた。驚愕してタオルを投げ出した母親が縋り付くと、健太はしきりに瞬きをしながら母親を見上げ、口の筋肉を難儀そうに動かして一言だけ絞り出した。
「夢、見た」
「どんな?」
勢い込んで尋ねた母の前で健太は再び目を閉じ、深い眠りに就いた。母親は激しく感情を揺さぶられてむせび泣いた。
この日から健太は力強く快復の兆候を示し、最初は一方的に喋るだけで疎通が困難だった会話も、次第に相手の言葉を汲むようになり、おおむねの脳機能快復の経過が順調に推移していることを示した。
健太は人伝に聞いた話から経緯は把握したが、実際の記憶はなかった。それでも記憶のよすがが脳の一部に残っているのか、聞いた話から連想したものかは定かならずとも、クラスの皆とバスに乗っている夢を見ることが多かった。
バスが何処に向かっているのかはたいていはっきりせず、ただ何処かに向かって走っていた。窓外は一面の田圃だったり、夕暮れ時の幹線道路だったりした。
車中にはいつも帰り時のような倦怠感が漂い、疲れた感じで船を漕ぐクラスメートが多かった。健太は不思議と目が冴えて起きていることが多かったが、背もたれに深く寄りかかってバスの振動で力なく揺れる後頭部の列は、何処となく座らせた遺体の群れを連想させた。
病室で梅雨を越し、綿のように雄渾な入道雲が浮かぶ季節になると、健太は両親や看護師たちと軽口を叩けるまでに快復し、完全にヤマは越えたと医師も太鼓判を押した。上体をベッドから起こして軽食を取るまでに身体機能も復調し、七月下旬のその日も、健太は母親が持参した桃を二切れ食後に食べた。今度は西瓜が食べたいと母親に言い残すと、午後二時過ぎに健太は吸い込まれるように午睡に入った。母親は健太の呼吸が深く安定すると、そっと病室を後にした。だいたい健太はこの時間に午睡するのだった。
健太はその時も眠りの中で窓際の席に座って、幹線道路沿いの店舗が次々と過ぎていく窓外に目を向けていた。
やがて高速に乗ったバスは一気に速度を上げ、何処かのサービスエリアに入った。一列になって降りる行列に加わりながら、何故か健太にはバスを降りたら集合写真を撮られるのが分かった。健太が路面に降りると、既にスマホを片手に小原が手振りでクラスメートを整列させていた。
健太は何となく気後れするものを感じて後列の隅に引っ込もうとしたが、何となく前列中央に押しやられて地べたにしゃがむ羽目になった。眼前で仁王立ちになった小原が顔の前に四角いスマホを掲げ、写真を撮られる間、あまりいい気分がしなかった。
写真を撮り終わるなり、健太は早々とクラスの集団から離れて端の多目的トイレで小用を足した。特に空腹も渇きも感じないのに何となく売店を冷やかし、発車時刻ぎりぎりになってバスに戻った。
タラップ付近には数人の生徒と、乗った生徒数を確認している小原の姿があった。小原は健太を確認すると、バスに乗るように健太に向かって手招きした。
健太がバスに乗った最後の一人らしかった。健太が最後部の席に着くと、静かにエンジン音を発しながらバスが発車した。正面に視野の広いバスのフロントガラスが映り、窓外の真っ直ぐ伸びた道の先には、ちょうど雲間から顔を出した陽光が覗いていた。バスはまるで陽光に向かうようにその一本道を果てしなく直進し、健太はその夜亡くなった。
静まり返った病室の中で、健太の亡骸に縋り付く母親の獣じみた慟哭だけが響き、傍らで表情を喪って立ち尽くす父親が、静かに妻と息子を見下ろしていた。
刻一刻と体温を喪って、大気と同じ温度に冷えていく健太の頬に両手を添えながら頭を描き抱いていた母親は、ふとベッドの下に何かが落ちているのを見て身を屈めた。
ベッド下の床に落ちていたのは、伏せられた一枚の写真らしき用紙だった。それを拾って印刷面を引っ繰り返して見た母親の目が次第に驚愕に大きく見開かれ、口から超音波のような絶叫が迸った。
その絶叫でふいに我に返った父親が母親から引ったくった写真を見ると、そこに映っていたのは、バスの側面で三列に整列した健太のクラスの集合写真だった。
前列中央にしゃがんだ健太は、何かを叫んでいるのか口を大きく開けて顔がぶれており、四方から伸びたクラスメートたちの手が方々に健太の身体を摑んで抑え付けていた。クラスメートたちの顔は皆、明らかに生きた人間のそれではない青や緑に染まって、生きて健太を逃がすまいと引き摺り込む最中に見えた。
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