第4話 健#2
結局僕らはメイド喫茶を出てから文化祭の締めとして『かぐや姫』を見に行くことになった。開園時刻よりも早めに会場へと着いて席を確保する。午前の部で好評だったのか午後の部の観客の入りは文化祭の規模を考えれば大入りで、立ち見をする生徒すらいるほどだった。とはいっても、周りの声を聴くとシナリオが優れていたであるとか縁起が上手かったというよりは演者である大木や芹沢さんの顔や姿を見に来たというのが実情のようだった。
「俺ちょっとトイレ行ってくる。」
そう言って健が立ち上がった。あの会話を聞いてからめっきり静かになってしまった健が声を発したので僕は驚きつつも同行した。
「忠はいかないの?」
「俺はいいや、そんなに長くないだろ?席がとられないように見てるよ。」
「じゃあ、おねがいね。すぐ戻るから。」
そう言って僕らはトイレへと向かった。トイレに入ると髪の毛をセットする大木がいた。僕ら衣装係が丹精込めて作った衣装をまとった大木はなかなか様になっていて、先ほどの最低な発言を一瞬忘れてしまった。特に話すこともないので僕は無視して通り過ぎようとするが、健はそうではなかったらしく声をかけた。
「お前さ、自分の告白が成功すると思う?」
突如面識のない人に話しかけられた大木だったが、鏡から目を離すこともなく何でもないように答えた。
「するよ。てか、君誰?」
「五十嵐だよ。俺には成功するようには思えないけどその自信はどこから来るんだ?」
「ああ、あのかぐや姫に振られた五十嵐か。成功するとかしないとかじゃない。状況がそうさせるんだよ。『かぐや姫』は優しくて人並みのさみしがりだからな、シナリオが壊れてクラスのみんなが悲しむようなことはしないよ。自由の利かない舞台の上で状況さえ作ってやれば全く問題なく成功するよ。」
そう言って鏡から健へと目をやり、全身をなめるように見る。
「てか、イガラシ君さ。自分が振られたから俺には無理だって思った?身の程わきまえろよ。俺とお前じゃ生まれもったものが違うんだよ。」
「俺はお前が誘いを断られた腹いせに、芹沢さんを主役にして舞台に閉じ込めたって知ってるけどな。芹沢さんに断られたときにそう聞いたよ。」
それは僕が初めて知る情報だった。そんなことがあったのか。
「、、、だったら何だってんだ。もう文化祭は終わる。時効だろ。」
そう言って手洗い場から出て行こうとするが、それを健が体で阻む。
「どけよ。」
大木が舌打ちして、健のことをにらみつける。
「お前は知らないかもしれないけどな、人間って意外と自由なんだぜ?」
健はまっすぐ大木のことを見てにやりと笑いながら言った。
「へえ、そうかよ。じゃあ観客席で歯ぎしりでもしながら、かぐや姫が俺のものになるところでも見ててくれ。」
そう言って大木はトイレから出て行った。
トイレを済ませて観客席へと戻ると観客の数がさらに増えていた。大詰めを迎えた文化祭の締めとしてこの劇を選んだ人間は存外少なくなかったらしい。特に僕らと同じ三学年の生徒は最後に学年の美男美女の雄姿を目に収めるべくほとんど全員がここにいるような気さえする。
しばらくして、会場が暗転し始めた。ようやく開園の時間だ。本来ならシナリオから外れることの許されない本番の舞台。芹沢さんが囚われた悲劇の幕が上がる。
会場が完全に暗くなったとき、僕と忠の間に座っていた健が立ち上がった。
「お前ら、いまから面白いもの見せてやるよ。」
そう僕らに言ってどこかに駆け出した。置いてけぼりにされた僕と忠は目を見合わせた。しかしすでに劇は始まっており、僕らに会話は許されていない。仕方なく僕らは舞台へと視線を戻した。
けれど、胸の高鳴りは収まらなかった。一体何を見せてくれるというのだろうか。
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何が起こるのかとハラハラする僕らを横目に、舞台は何の問題もなく進み続けた。高校生のお遊びレベルの演技と演出は見ているのが少し苦痛ではあったが、基にしている物語が優れているおかげか見ていられないほどではなかった。日本最古の物語文としてさすがというべきか、現代の人間に合わせてアレンジを入れたシナリオ係に称賛を送るべきか悩ましいところではある。
既にクライマックスを迎え始める舞台の上には芹沢さんが演じるかぐや姫と大木が演じる帝だけがいた。美術係の書いた満月の絵を背景に二人の芝居が演じられる。
『私は月へと帰らなければならないのです。だから、地上のあなたとは一緒には居られません。』
呆れるほどに綺麗な声で芹沢さんが言った。本当に信じられないくらいの美貌だ。生まれる時代が違えば傾国の美女と評されたのではないか、というのは少し言い過ぎだが浮世離れしているのは間違いない。
『月になど帰らないでください。私はあなたと共にいたい。』
大木が演じる帝が言う。本編であれば帝も翁も振り払ってかぐや姫は月へと帰ってしまう。しかし、大きく改変を加えられた今回のかぐや姫は帝の説得に応じて地上に残ることを決意する。ハッピーエンドというのは大衆に好まれやすいので、改編の方向性としては正しいかもしれないが、僕の好みを言うならば月に帰らないかぐや姫はかぐや姫足りえない。
『いいえ、帰らなければ私はあなたを不幸にしてしまう。どうか幸せにおなりください。』
舞台に月の使者が現れてかぐや姫の手を取ろうとする。帝が月の使者に対して怒鳴りつけるように言う。
『離れろ、その方は私の愛した方であるぞ、気安く触れるでない!』
そうして安っぽい殺陣が始まった。模造刀を用いて行われるそれはそれなりに様にはなっていた。帝が月の使者を切り伏せて次のセリフを口にする。
『あなたのことを私が必ず守るとお約束します。生涯愛し続けることもここに誓いましょう。だからかぐや姫。私と、この大木優とお付き合いしてはくれませんか。』
観客席がざわつく。それはそうだろう、舞台上にいる人間が本当の名を名乗ったうえで告白までしているのだから。困惑しているのは観客だけでなく舞台上にたつ芹沢さんもだった。どうすればよいかわからないという様子で大木のことを見ている。そんな芹沢さんに向かって大木がダメ押しのように言う。
「かぐや姫、お願いです。僕と付き合ってください、もし答えてくれるのならこの手を取ってください。」
片膝を付いて芹沢さんを見つめて右手を差し出した。
その姿をみて歓声が上がる。観客席の雰囲気はフラッシュモブによってプロポーズを行う人を見守る観衆そのものだった。僕と忠を除いたすべての人間が期待のこもったまなざしで二人を見つめている。断ることなどできるはずがない。芹沢さんの顔は明らかに不安に染まっていた。選択肢を奪われてしまった人間というのはこんなにも不安に、不憫に見えるのだろうか。少し考えこんだ芹沢さんが言う。
「わ、私も、」
マイク越しの震える声が聞こえた。『あなたのことが好きです』と言うつもりなのは明らかだった。彼女はこんな集団心理のようなものに流されて大木の手を取るつもりだ。一つしか与えられていない選択肢に身を委ねようとしている。本当にそのつもりの人間の恋の成就ならば何も文句はなかった。でも、そうは思えないほど不安そうな、弱弱しい声だった。こんなことが許されていいのかと、そう思った。
だが、舞台袖から一人の人間が現れた。僕に驚きはなかった。もしかしたら僕は心のどこかでこの男が来るとわかっていたのかもしれない。着付けが上手くできなかったのか、乱れた和装で。誰かがこぼした飲み物の染みが付いたそれを纏った一人の人間が現れる。
予感がした。無茶で向こう見ずで、それでいて頼りになる、最高にかっこいい親友が面白いものを見せてくれる予感が。
「ちょっと待った。」
歩きながら健が言った。再び観客席がざわついていた。大木の描いたシナリオが崩壊した舞台は混沌としていた。大木の顔は「驚愕」という単語が体現されていた。芹沢さんも完全にキャパオーバーらしく、口を開けて健を見ていた。
「俺の名前は五十嵐健、俺もあなたのことが好きなんだ。俺と付き合ってはくれないか。」
名乗りを上げた健が大木の隣で片膝を付きながら手を出して言った。観客はそれを見守った。もしかしたら、演出の一部と思ったかもしれない。だけど付き合いの長い僕と忠にはそれが正真正銘、本気の告白だとわかった。それほどまでに真剣な『好き』という言葉だった。
「いや、俺と付き合ってくれ。」
大木が言う。やけくそになったのか縋りつくような言葉だった。それに呼応して健も言う。
「かぐや姫としてのあなたではなく、俺はあなた自身に、芹沢めぐみにあこがれた。本気なんだ。どうか、俺の手を取ってくれ。」
観客は見守ることしかできなかった。でも僕と忠は違った。席から立ち上がって舞台袖へと駆け出した。
芹沢さんは沈黙していた。もはや会場に流れも雰囲気もなかった。どちらを選ぶのかという無言の問いかけが芹沢さんに投げかけられていた。その間に僕らは舞台袖にたどり着く。
「私は、」
ささやくような彼女の声が聞こえる。真の意味で物語はクライマックスだ。健を選んでくれ。真剣な表情の健を見ながら僕は心の中でそう祈った。きっと忠もそう祈っていたんだと思う。
「、、、月に帰ります。」
そう言って彼女は舞台から降りた。予想外の一言に観客も、舞台の上の大木も、僕も呆然としていた。そのすきに会場から走り去るかぐや姫を追うことができる人間は一人もいなかった。ただ一人、健だけは驚いていなかった。こうなることがわかっていたかのように僕らのほうを向いて笑っていた。彼女は意外と自由だったのだ。
我に返った僕と忠は舞台の幕を降ろした。本来のかぐや姫の結末をたどる大団円である。
次の日から健のあだ名が『かぐや姫を月に返した男』になるのはまた別の話だ。
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「あーあ、振られちまったよ。」
帰り道を二人で歩きながら健が言った。後夜祭を終えて歩くその道はすでに陽が沈んでいて暗かった。忠は文化祭を終えるとその足で寮へと帰ってしまった。
「舞台の上の表情を見るとそうなるのがわかっていたように見えるけど?」
「いや、そんなまさか。でも、二人のどちらかを選ばなきゃっていうのは余りにも酷な選択だからな。芹沢さんが第三の選択肢に気が付いてくれてよかったと思ったんだ。」
健はそう言った。
「なるほど、納得だよ。」
「俺にもついに彼女ができるかもと思ったのにな。」
「まあ、あんまり落ち込まないでよ。きっとまたチャンスはあるよ。」
「本当かよ。」
「ああ、保証するよ。健ほどかっこいい奴を僕は知らない。」
「確かに、俺もそう思う。」
「やっぱり無理かもね。今のセリフを聞いた僕は保証を取り消したい。健はやることなすこと無茶苦茶だからなあ。」
「お前は女の子に振られた幼馴染を励ましたいのか?それとも貶したいのか?」
僕は笑った。幼馴染の恋路を応援したい気持ちはあったが、なんだか健を奪われてしまうようで応援しきれないのも事実だった。でも、恥ずかしくてそんなことは言えない。
「もちろん、励ましたいとも。仕方ないからこの後ラーメンでもおごってあげるよ。」
「お、まじ?じゃあチャーシューと煮卵もトッピングするわ。」
「ずうずうしいなあ。」
「あ、あの!」
後ろから声を掛けられる。振り返るまでもなく分かった。芹沢さんの声だった。けれどそんなはずはないので僕と健は驚いて振り返る。でも、そこにいたのは制服姿の本物の芹沢さんだった。
「今日は助けてくれてありがとうございました。」
かしこまった口調で彼女が言った。健が答えた。
「どうも。いつもきれいだけど、今日のかぐや姫姿は特に綺麗だったよ芹沢さん。」
恥ずかしげもなく健はそう言った。
「ありがとうございます。」
「それで、どうかしたの?」
健が優しい口調で彼女に尋ねる。すると彼女は言った。
「さっきの告白は私を助けるためのものですか?」
「まさか、本気だよ。だから別に助けたわけじゃない。フェアじゃないレースをフェアにするために飛び入り参加しただけだよ。だから気に病まなくていい、俺が好きでやったんだから。」
「いや、違くて」
彼女はそう言うと少しだけ黙った。そうして意を決したように健に言った。
「文化祭を一緒に回ろうって言ってもらった時も嬉しかったです。私、いつも一人だったから。本当は寂しくて、でも誰にも声をかけてもらえなくて。」
そうだったのか。僕らが彼女を勝手に手の届かない存在にしていただけで、芹沢さんは『かぐや姫』なんかじゃなく普通の女の子だったのか。
「今日もどうしようもなくて、大木君の手を取りそうになったんです。でも、健君が来てくれて助かりました。なのでその、」
「その?」
「連絡先教えてくれませんか?まずは、友達からってことで、、、」
僕と健は顔を見合わせる。
「だめ、、、ですか?」
健が慌てて答える。
「だめなわけないよ!」
そう言って僕を置物にして健と芹沢さんは連絡先を交換した。そうして嬉しそうに笑った彼女は健にめいっぱいの笑顔を向ける。
「絶対、連絡しますね。」
「お、俺も絶対返すよ!」
「じゃあ、」
そう言って彼女は振り返って反対方向に歩き出した。僕らはそれを黙ってみていた。すると彼女はもう一度振り返りこちらを向いて健に言った。
「また、明日。」
暗がりでもわかるほどに赤面した彼女はそう言い残して走り去る。
唖然としている健を睨みながら僕は言う。
「健、幸福税を払ってもらうよ。今日ラーメンをおごるのは僕じゃない、お前だ。
チャーシュー、煮卵、メンマ、のり、その他もろもろ全トッピングでね。」
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